39話 アズリア、炎を模した家紋とは
どう見ても、周囲とは雰囲気の違った目の前の風景に。アタシもヘイゼルも思わず息を飲む。
「こ、こりゃあ……」
「ま、間違い、ねえよ……っ」
抜け道を探していたところに、突如として現れた見るからに怪しい洞穴だ。普通に考えれば、この洞穴がフブキの言う抜け道だと思うが。
やはり最後の判断は、一度抜け道を使用したことのあるフブキに託すべきだろうと。
アタシの背に掴まるフブキへ振り向いた、その時。
「お、おいッ……どうしたフブキ?」
無言のまま、フブキが馬から降りて。目の前にぽっかりと空いた洞穴……にではなく。洞穴の入り口の横へと歩を進めていき。
屈み込んで、何かを拾い上げるような動作の後。
「──間違いないわ、ここが秘密の抜け道よ」
こちらへと振り返ることなく、屈んだ体勢のままで。今一番、アタシが聞きたかった言葉を口にしたのだ。
そして、立ち上がったフブキはおもむろに。洞穴を発見したユーノに向き直ると。
「……ユーノ」
「な、なんだよっ?」
顔を伏せたまま、ボソリ……と抑揚のない低い声でユーノの名前を呼ぶフブキ。
少なくとも、アタシらと一緒にいた時のフブキは表情や感情の豊かな年頃の少女の振る舞いだっただけに。呼ばれた当人が思わず警戒し、身構えてしまうのも無理はない。
だが、次の瞬間。
顔を上げたフブキは、つい直前に出した声色がまるで嘘のように満面の笑顔を浮かべながら。
「ありがとうっユーノおっ! 凄いスゴいっ、御手柄よおっっ!」
「うえっ⁉︎」
両手を広げてユーノに駆け寄っていくと、小柄な獣人族の少女の身体に腕を回してギュッと抱き締めてしまう。
警戒していたユーノも、フブキの満面の笑顔を見て唖然としたからか。その場から一歩も動けずにフブキの抱擁を避けることが出来ず。
「ちょっ?……うぷ、く、くるしっ……ど、どいてよぉ……っ」
喜びの感情を爆発させたフブキに抱き締められたユーノはというと。二人の背丈の違いからか、決して小さくはないフブキの両胸を顔に押し付けられる体勢となり。
ユーノの口からは、息が邪魔されることへの抗議の言葉が漏れるが。感激するフブキの耳には、まるで入っていない様子だ。
「ま……まあ、それはともかく。フブキ、何でアンタは洞穴が抜け道だってすぐにわかったんだい?」
抜け道が見つかったことに喜んでいたのはフブキだけではない。
もし抜け道が発見出来なければ、今後のシラヌヒ突入までの日程に大きな、そして致命的な遅れが出たのは間違いない。
その懸念が払拭されただけで、アタシはユーノが抜け道を見つけてくれたことを喜ばしく思っていたが。
アタシの頭に、一つ疑問が生じる。
それは。何故、フブキは目の前の洞穴を。即座に「探していた抜け道」だと判断出来たのだろう……という事だ。
地面に屈み込んで、何かを調べていた様子こそあったものの。それはほんの僅かな時間に過ぎなかった。
そんなアタシの疑問に、フブキはまだユーノを離そうとはせずに答えてくれた。
「それはね、入り口に……我がカガリ家の家紋が刻まれていたからよ」
フブキの言葉を聞いて、アタシも一度馬を降り。手綱を掴んだまま、先程までフブキが調べていた場所の近辺を見ていると。
岩壁に赤い塗料で描かれていたのは。縦に並び捻れた二つの太い線が絡み、炎を模した紋章であった。
「これが……アンタの言う家紋ってヤツかい? 名称や形状からするに、貴族たちの紋章と同じようなモンかねぇ……」
フブキの言う「家紋」という単語こそ、聞き覚えがなかったものの。大陸にも「紋章」というものがある。
国家や組合などの組織、そして貴族らが「自分である」という明確な主張を周囲にするための証として。剣や馬、竜属や強力な魔獣を組み合わせることが多い。
これは余談だが。
アタシがまだ子供の頃、散々な目に遭わせてくれたエーデワルト家のお嬢。彼女の家の紋章は「白薔薇」だし。
ホルハイム戦役にて、アタシの左脚を真っ黒の炭にしてくれたロゼリア将軍が掲げていたのは。グレンガルド公爵家の紋章である「紅薔薇」だった。
「そういや……確か、街の入り口でも、この家紋を見たような」
記憶を遡っていくと、アタシはただ一度だけ。過去にカガリ家の家紋とやらを見た事があった。
それは……ちょうどフブキやモリサカ、チドリらとフルベの街に到着し、街の入り口を通った際だ。
岩壁に描かれていたのと同じような、炎を模した紋様があったのを思い出していると。
回想と思慮に耽っていたアタシに代わって、馬に乗ったままのヘイゼルがフブキへと質問を返していた。
「……で。あんたは洞穴の入り口に、家紋とやらを根拠に、ここを抜け道だと確信した……そんなとこかい?」
「そうよ。今、ハッキリを思い出したわ。私、ここを通って逃げてきた、間違いないわっ」
ユーノが抜け道を発見してから「思い出した」と言われても。それは一歩……いや二歩ほど遅いだろう、とヘイゼルが冷淡な目でフブキを見ていたが。
「いや、それよりさ……そろそろユーノを離してやれよ」
「あ」
アタシの指が、フブキの顔よりも少し下を指し示すと。
そこにはフブキの両胸で顔を圧迫され続けたからか。すっかり力が抜けて意識を失いかけ、白目を剥きかけ口から泡を吹いていたユーノがいた。
「……ぐ……ぐぇぇぇぇ……」
「ひゃあああ⁉︎ ご、ごめんねユーノっ? す……すっかりいるの忘れてたわっっ!」
目の前の惨状に悲鳴を上げたフブキが、慌てて被害者を解放していくと。
まだ何とか意識を保っていたユーノは、ふらふらとした不安定な足取りでフブキから距離を空けていく。
「ヘイゼル、アタシの事情は知ってるだろ。ユーノに『覚醒』を使ってやってくれないかい?」
「……ったく。仕方ないね」
状況を見兼ねたヘイゼルは、慌てふためき絶賛混乱中のフブキと。通常の魔法の一切を使用出来ないアタシに代わり。
今にも地面に倒れてしまいそうなユーノに、馬から降りて駆け寄っていくと。意識が朦朧としていた少女の頭に触れ、「覚醒」の魔法を発動する。
「──はっ!」
基礎魔法の一つである「覚醒」の効果を受け、意識が戻ったのか。くりくりとした大きな目を開いて、しっかりとした足取りを取り戻したユーノは。
開口一番、自分をこんな目に遭わせた加害者へと詰め寄っていき。
「ひどいじゃないかっ! ボクっ、なんどもはなしてっていったのにっ──」
ユーノの剣幕に押されていたフブキは、チラッとアタシやヘイゼルに救いを求める視線を送ってきたが。
今回だけは全面的にフブキが悪い。
そもそもフブキが抜け道の場所を忘れていたのが事の始まりなのだから。しっかりと覚えておくなり、四日の間に事前に調べておくなりしてくれていれば良かったのだ。
アタシの代わりにユーノに簡単な治癒魔法を使ってくれたヘイゼルも、呆れたような溜め息を吐いていた。おそらくはアタシと同じ判断を下すのだろう。
だから、アタシは今回。
フブキを見殺しにすることにした。
「もうっ! ちゃんときいてるのフブキっ!」
「ごめんなさいごめんなさいっ、私が悪かったからもう許してええっ?」
アタシやヘイゼルからの援護がない、と理解したフブキは。
怒るユーノに、ただひたすら両手を合わせながら謝り続けていた。




