32話 アズリア、少女ナズナとの約束
ナズナにそう言われ、ふと部屋の窓から覗く空を見れば。
ユーノが先に療養所を出た時にはまだ、ところどころに夜の闇を残していた空がすっかり明るくなっており。相当な時間が経過したのはアタシにもすぐに理解出来た。
「そ、そんなに時間、経ってたのかよッ?」
元々、あまり時間という概念のない生活を魔王領でしていたユーノは。少し待たされた程度でアタシに文句を言ったりはしないが。
ヘイゼルにフブキ、同行する二人はそうではない。
海の王国での騒動にニンブルグ海の上、そして今回の領主の屋敷への突入と。もう長い関係となったヘイゼルだったが。
事ある毎にアタシを出し抜こうとする、良く言えば油断のならない、悪く言えば実に性格の悪い人物だと断言出来る。
一方でフブキは、ヘイゼルのように性格に難があるわけではない……が。これよりアタシらが目標とするシラヌヒには、自分の実の姉が待っているのだ。
気持ちが急くあまり、待ち合わせに遅れたアタシを一言、二言強い語気で責められるのは覚悟しておかなければ。
「た、確か待ち合わせの場所は、東側の街の入り口だったハズ……急がねぇとッ?」
慌ててアタシは、ナズナから貰ったシラヌヒの城内の地図を懐へと入れ。大部屋から出ていこうとしたが。
背中越しに、再びアタシを呼び止める声が。
「ま、待ってくれ……っ、アズリア。最後に、一つだけ」
振り返ると、寝ていたナズナがアタシに背を向けたまま寝た状態で。アタシに「待て」と声を掛けてきたのだ。
先程は「行け」と言ったばかりだというのに。
「……仕方ないねぇ。でも、手短に頼むよ」
負傷の身で地図を書き上げてくれたことに対して、ナズナに感謝しているのは決して嘘ではないが。
既に「雇い主は言えない」と牽制されていた以上、彼女の口から聞ける重要な情報が残っているとも思えなかった。
さすがに先を急いでいたアタシは、部屋の出口から一歩も動かずにナズナの次の言葉を待っていると。
「もし……今一度、姉イズナに会ったとしたら、私が生きていたことを、伝えて……くれないか?」
「アタシが? アンタの姉に?」
確かに、アタシの目的が二人に強奪された「ハイドラの首飾り」を取り返す事ならば。
ナズナが口を閉ざしたとしても。いずれは雇い主へと辿り着き、首飾りを巡り衝突するのは避けられないだろう。
その時、再びアタシの前にイズナが立ちはだかる可能性だってある。
だが──「その時」とは。フブキとマツリ、二人の再会を何としても邪魔しようとするジャトラの妨害を潜り抜け、あるいは真正面から撃ち破り。
カガリ家の騒動を解決してから、ということになる。
となれば当然、ナズナの火傷や折れた腕や脚の骨もすっかり元通りに癒えているだろう。
「そんなのアンタが──」
ナズナの頼み事の内容を一蹴しようとしたアタシだったが。
以前、意識を取り戻したばかりの彼女との一連の会話を思い出して。口に出そうとしていた言葉を喉奥へと引っ込める。
確か……生まれながらに腕利きの隠密活動の要員として育てられた彼女と姉イズナは。失敗すれば、自分の居場所がなくなると言い。
生命を拾った自分を「殺してくれ」とアタシに頼んできた経緯があった。
当然ながらそんな馬鹿げた頼み事は、即座に一蹴したが。
任務に成功し、首飾りを持ち帰った姉イズナと。任務に失敗して自爆して果てたナズナはもう同じ場所に戻ることが出来ないのかもしれない。
「はぁ……アンタがさっさと首飾りを取ってくるよう命令した奴を吐けば、アタシが何とかしてやるッてのにねぇ」
アタシは遠回しに、今でもナズナが雇い主を庇い立てすることを撤回させようと試みる。
たとえ、魔竜の復活でこの国の衰退が止まると唆したのが、エイプルなる人物だとしても、だ。
実際にナズナら姉妹に命令を下し、強奪した首飾りを用いて魔竜を復活させ。この国に混乱をもたらした元凶こそ、その雇い主なのだから。
それでも、ナズナは雇い主について口を割る事を頑なに拒否する。
「もし……私が口を割ったと知れれば、肉親でもある姉さんにもきっと危機が及ぶ……それに」
「……それに?」
ナズナが雇い主の正体を白状するのを拒む理由、それは姉イズナの身を案じてだった。
思えば、海底都市での攻防においても。劣勢と見るや、姉イズナと会話を交わしたわけでもないのに自爆を選び、姉を逃がしたほどだ。
あの時は、任務の達成を最優先するあまり。仲間を捨て駒にしてでも首飾りを強奪しよう、という非情な行動に見えたのだが。
実は、姉を想う姉妹の情が。生命を投げ出してまで姉イズナを逃がそうとした……というわけだ。
しかし、姉イズナを想うナズナの気持ちは。意識を取り戻してから言葉を交わしたことで痛い程知ることが出来ていた。
だが、続く彼女の口ぶりからは、どうやら他にも理由があるようだった。
想定していなかったもう一つの理由を聞こうと、アタシはナズナに聞き返すと。
「……世話になった治癒術師、それにアズリア、お前の知った顔にも迷惑が掛かるだろう……だから」
「ん? でもさっき、アンタ言わなかったかい。雇い主はカガリ家とは何の関係もないって。だったら
──」
ナズナが言いたいのは、白状したことで実は彼女が生存していると知れた場合。
姉イズナだけでなく、ナズナやこの街にも雇い主からの危害が及ぶ可能性を示唆していた。
「……なるほど、ねぇ。つまりは、カガリ家に並ぶ立場の、ッてえワケかい」
そこで思い出したのは、今アタシの懐にあるシラヌヒ城の地図だ。
ナズナは先程、この地図を書き上げるに辺り「二度ほどシラヌヒに潜入した」と話した。シラヌヒはカガリ家の本拠地だと、フブキから何度も繰り返し聞いている。
にもかかわらず、ナズナらはカガリ家やその関係者に一切関与していないという。
シラヌヒ城の情報を欲する上、他国の領地内にいる人間に危害を及ぼすことの出来るとなれば。
アタシの頭が導き出した結論は、一つ。
カガリ家とは別の、同じ勢力の権力者だ。
そう言えば、この国には「八葉」と呼ばれる八つの有力貴族の家があり。カガリ家もその一つだと、フブキを救出した際にモリサカから聞いたことがある。
という事は、カガリ家以外の他七つの「八葉」のいずれかがナズナらの雇い主という答えになる。
「…………」
アタシの独り言に、ナズナは何の反応も返さずに沈黙を貫いている。
もしここで過剰な反応を見せれば、それ即ちアタシが正解に辿り着いた事を暗に認めてしまうことになるからだが。
「まあ、イイさね」
何の手掛かりもなかったアタシとしては。ナズナとの会話で、これだけ次の目標が絞れただけでも上出来と言えるだろう。
とはいえ、今回ばかりは目的が違う。
シラヌヒ突入は、首飾りを奪い返すのとはまるで別。フブキを姉マツリに会わせてやるのが最終目的だからだ。
「わかった。アンタの姉さんに会った時にゃ、アンタはこの街で生きてるって伝えてやるよッ」
納得したアタシは、ナズナの頼み事を承諾すると。
彼女との会話を切り上げて、療養所を出ていくのだった。
何しろ街の東側は、アタシが今いる療養所などが立ち並ぶ区画とはモリュウ運河を挟んだ真逆なのだ。
ユーノやヘイゼル、フブキとの待ち合わせに街中を駆け、運河を渡す小舟に乗っていた最中。
ふと、口から言葉が漏れる。
「まさか……最初は噛み付いてきそうなくらい警戒してたってのに、変わるモンだねぇ」
多分、アタシは嬉しかったのだ。
治療中もウコン爺やヤエ、そして療養中のアタシにすら好意どころか敵意が見え隠れする態度のナズナが。
まさか「危害が及ぶ」事を心配してくれていたという、彼女の心境の変化に。




