30話 アズリア、出発の朝を迎え
アタシとユーノは療養所で眠りにつき。
──そして、夜が明ける。
「ふ、わあぁぁ……よく、寝たねぇ」
深い眠りから目を覚ましたアタシは、寝ている間に固まった身体を解すため。大きく口を開けて欠伸をしながら腕を真上に伸ばしていく。
ふと横を見ると。アタシの隣ですやすやと寝息を立てていたユーノの姿が。
「ふにゃ……お、ねえちゃぁん……もう、たべられないよぉ……っ」
だらしなく開いた口からは、年頃の女の子には相応しくない涎を垂らしながら。何かを食べているような寝言を口にしつつ、ニヤニヤと緩んだ笑みを浮かべた寝顔のユーノ。
旅を始めた最初の頃こそ、アタシよりも早く目覚めてこちらを起こしていたユーノだったが。
一緒に旅を続けていくうちに徐々に起きるまでが遅くなり、今ではこの通り。アタシよりも全然眠れるようになってしまった。
「はは、幸せそうな顔しやがって。何食ってる夢見てんだかねぇ」
最初は別の寝床にユーノを寝かせるつもりで、ヤエが横に用意してくれたのだが。
ユーノが潜在的に故郷へ戻りたい寂しさを抱えてしまっているのだろう、と思ったアタシは。その寂しさを少しでも緩和するため、自分の寝床で「一緒に寝る」と提案したのだ。
「そういや……こうやってユーノの寝顔を見るのも、久しぶりだねぇ」
「んん……むにゃ、むにゃ……」
海の王国から逃げるように帆船で海を渡っていた時には、よく隣で一緒に寝ていたこともあり。よく見ていたユーノの寝顔だったが。
アタシが海に落ちて別行動となってから、ユーノと一緒に寝るのは初めてとなる。だから寝顔を見るのも実に十五日ほど、久しく感じるのは当然だ。
……ヘイゼルが言うには。アタシと離れてもう一月は経っているというのが、まだ腑に落ちていないが。
今はそれよりも。
「ほら、そろそら起きなってのユーノッ」
「ん?……う、ううん……っ……」
アタシは、横で寝言を口にしていたユーノの身体を揺すって起こそうとする。
部屋の窓から覗く空には既に太陽が昇っており、夜の闇は完全に消え去っていた。朝早く出発する、とフブキやヘイゼルには伝えてあるので。もしかしたら二人はもう、街の入り口で待っているかもしれないからだ。
決して寝覚めが悪くはないユーノは、アタシの揺すりに反応しすぐに目を覚ましはするが。
まだ眠たそうな目を擦りながら、上半身をむくりと起こし。辺りをキョロキョロと見渡しながら。
「あ、あれ……お、お姉ちゃん……なんで……ここは?……あれ、ヘイゼルちゃんは?」
まだ眠気が残っているのか、自分の今の状況を把握していない素振りを見せていた。
ヘイゼルの姿を探している様子から、どうやらアタシと一緒に寝たということを忘れてしまっているようだ。
「なんで、じゃないだろ。ここは療養所でヘイゼルは別の宿だよ。昨日、一緒に寝るっていってあんだけ喜んでたじゃないか」
「あれ……うん?……そうだっけ……」
なのでアタシは、まだ眠たそうな顔をしていたユーノに今の状況を。寝惚けたユーノの頭でも理解出来るよう、ゆっくりとした口調で一つ一つ説明していくと。
最初こそ、今の自分の状況が飲み込めずに首を傾げていたのだったが。
「あ! そ、そうだっ、ボク……お姉ちゃんといっしょにいたいから、ここにのこったんだっけ……?」
途中から眠気が醒めたのか、目をパッチリと大きく開けて、うんうんと何度も頷いていたユーノは。
「じゃ、じゃあっ! いそがないとまちあわせにおくれちゃうよおっ!」
その場で上半身を起こしていた身体を跳ねさせ、見事に飛び起きると。慌てた様子で部屋を飛び出していく。
おそらくは、自分の荷物などをヘイゼルと一緒に滞在していた宿に置きっ放しだったのだろう。それを取りに戻ったのだ。
療養所を去ったユーノを見送ったアタシは。
「やれやれ……じゃあ、アタシも出発の準備をさっさと整えようかねぇ」
四日ぶりに、クロイツ鋼製の金属鎧を身体へと装着していく。
屋敷で散々浴びた返り血は、綺麗に洗い落としてあった。きっとヤエが丁寧に血を洗い流してくれたのだろう。
「ありがとね……ヤエにも、爺さんにも色々と世話になったよ」
まだ寝ているであろうヤエと、そしてウコン爺に感謝の言葉を述べながら。
ふと、左肩に負ったテンザンからの貫通傷がすっかり癒えているのが目に入ると。アタシは療養所に滞在していた三日間を自然に思い返していた。
確かに、治癒術師でありながら治癒魔法を使わないウコン爺には最初、驚きを隠せずにはいられなかったが。
今では寧ろ、代償のある治癒魔法を使うことなく深傷を治してしまう腕前にこそ。驚きを隠せずにはいられない。
そして、小さな身体でウコン爺の手伝いを見事にこなしながら、療養所で傷を癒すアタシらの世話をしっかりと見ていたヤエの存在。
「アンタらに傷を治して貰えて、ホントによかったよ」
普通であれば、傷口を縫い合わせる治療法を用いると。醜く傷痕と縫った糸が残るものだが。
ヤエが使う簡単な治癒魔法のお陰で、腿や肩に負った深傷の痕はもうほとんど残ってはいない。
アタシの身体の各所には、八年間の旅で負った負傷……その傷痕が残っているため。今さらな心配事だと言わざるを得ないが。
そんな事を頭に浮かべながら。
大半の鎧の部品を身体に装備し終えるアタシ。
完全に身体を覆い隠すわけではない部分鎧とはいえ。鉄より頑丈で重いクロイツ鋼で出来た部分鎧は、鉄製の金属鎧以上の重量がある。
だが……身体に伸し掛かる鎧の重量を肌で感じて初めて。「これから戦闘に赴く」という実感を得る自分に、思わず苦笑いをする。
「ははッ……根っからの戦士なんだねぇ、アタシってば、さ」
そして、革職人カナンに仕立てて貰った「鵺」なる未知の魔獣の革の外套を纏い。
部屋に立て掛けてあった大剣の柄に手を伸ばそうとした、その時だった。
「行くのか……シラヌヒに……」
弱々しい声で、アタシに語り掛けてきたのは。
大部屋の隅で、全身に広範囲に負った火傷の治療のために寝床に寝かされていたナズナだった。
今は治療養生中だということで。誰もがすっかりその存在を忘れ、大部屋で重要な会話を交わしてしまっていたが。
魔竜を復活させるために、海魔族から魔導具を強奪した彼女は間違いなく敵側の人間なのだ。
だからアタシはこれ以上余計な発言をしないよう、彼女の言葉に対して素っ気ない返答をしていく。
「まあね。お姫様に頼まれた以上は、しっかりと依頼は達成しないと、だからねぇ」
「……そ、そうか……だったら」
すると、アタシの言葉を聞いたナズナは何故か、寝ていた身体を起こそうと。懸命に腕を動かし、上半身を浮かそうとするが。
「ぐ⁉︎……ぐぅ、っ……ぐあぁぁ……っ!」
アタシを巻き込んで自爆しようとした際の、全身の火傷や負傷があまりに酷く。身体を動かそうとする度に、彼女の顔が苦悶に歪む。
最初こそ無視しようとしたものの、やはり苦痛の声を出す相手を黙殺するのは性に合わず。
しかも苦痛に呻く彼女をこのまま放置すれば、寝ているウコン爺やヤエが起きてきてしまうかもしれない。
──だから。
「な、何やってんだいッ!……無茶すんじゃないよ、アンタは死んでもおかしくない怪我負ってんだからさッ!」
「はぁっ……はぁっ……す、済まないっ……」
ナズナが寝ている寝床へと駆け寄っていったアタシは。
何を思ってか突然身体を起こそうとしたナズナを怒鳴りつけ、無茶をするのを宥めようとする。




