29話 アズリア、座談会の終幕
もう少しだけ言葉を口にせず、アタシは異論が出ないかを待ってみたが。
その場にいた全員がこちらへと、強い肯定の意志を込めた視線を向けてきたのを確認すると。
「なら、今夜はこれにてお開きだよ。明日の朝は早いからねぇ」
部屋に漂っていた緊張感を晴らすかのように、アタシは開いた両手を打ち鳴らしたのを合図に。
来客だったフブキやソウエン、ヘイゼルとユーノは一斉に床を立ち。
「それではアズリア様。まずはゆるりと身体をお休め下さい。それでは……」
「ソウエンの言う通りさ。あんたは今日まで怪我人だったんだから、しっかり動けるようになっとくんだよ」
部屋を出ていく時にアタシに一言ずつ挨拶を交わし、療養所を去っていく四人。
「お、おい、待てって……外は真っ暗だろッ?」
窓から覗く外は既に夜の暗闇に包まれている。ヘイゼルとユーノはともかく、領主のソウエンと狙われているお姫様の身分であるフブキをこのまま帰すのに躊躇したが。
「心配してくれるのは嬉しいけど、それは大丈夫よ。ほら」
出口を見ると、療養所の外には数名の護衛が片膝を突いて二人を待っていた。見れば前後で人が担ぎ、人を乗せて運ぶ荷台のようなものまで用意されていた。
荷台にソウエンとフブキが身を屈めて乗り込んでいくと。護衛の一人、腰に剣を差していたことから武侠なのだろう若者がアタシの前に立つ。
「我らの実力ではアズリア様一人にも敵いませんが。屋敷までの護衛は果たしてみせますので、どうかお任せ下さい」
そう決意を込めた言葉を言い放つ武侠の真剣な顔に、アタシは見覚えがあった。
「──あ」
領主の屋敷へと突入した際、アタシの侵入を阻止するために立ちはだかった十数名の武侠。「これ以上剣を向ければ斬る」という殺意を込めた視線を受け、戦意を喪失した一人だった。
どうやらアタシがあからさまに声を漏らしてしまったことで。目の前の武侠も、アタシが男の正体に気付いたのを察したようで。
「……あの時は恥ずかしい姿をお見せしましたが」
本来は領主の護衛のため、侵入してきた敵に立ち向かわなければいけない筈が。敵であるアタシに怯え、戦いを避けてしまったのだ。
その気恥ずかしさから頭を下げ。追及しようとするアタシの視線から逃れようとしてみせる武侠の若者。
彼の態度が果たして、悔恨なのか遺恨なのかはアタシが知り得るわけがない。
だが、領主リィエンは死に。正式な手続きではないにせよ、今の領主は荷台に乗っているソウエンであり。
何より若者の先程の真剣な眼差しが、アタシに恨みを抱いている人間の目だとは到底思えなかった。
だからアタシは、頭を下げる若者へと言葉を送る。
「ああ。二人の護衛、アンタらに任せたからね」
「は……はいっ! お任せ下さいっ!」
アタシの言葉がそんなに意外だったのか、最初こそ驚いた様子で頭を上げてみせた若者だったが。
自分が聞いた言葉が聞き間違いではなかったと知り。嬉しかったのか、口端を僅かに綻ばせながら。
ソウエンとフブキ、両名の護衛へと戻っていく。
こうして、療養所に残されたのは。
主人たるウコン爺に孫娘のヤエ、そしてアタシだけ……なのだったが。
「それじゃ、いっしょにねようか、お姉ちゃん?」
「ああ……──え? お、おいッ?」
何故かアタシの横にいたのは。先程、ヘイゼルと一緒に宿に帰ったはずのユーノだった。
ユーノはさも当然のようにアタシの腕に嬉しそうに手を回すと、寝床を敷いた大部屋へとアタシをぐいぐいと引っ張っていく。
「ま……まあ、イイかねぇ」
アタシの側にユーノがいる、ということは必然的にヘイゼルが一人になってしまうわけだが。
年齢的にもヘイゼルの性格から言っても、今さら一人が「寂しい」などというのは余計な気遣いだろうし。
何かの間違いで寝込みの宿を襲われたところで。並大抵の腕の刺客ならば、返り討ちに出来る程度の技量をヘイゼルは持っている。
つまりは何の問題もない、という結論に達する。
「それに、気になってたコトもあったし……ねぇ」
気が付けばアタシは、何の悩みもないような晴れやかな笑みを浮かべているユーノの顔を覗き込んでいた。
「え? ええ? ど、どうしたの、お姉ちゃん……ボクのかお、なにかついてる?」
当然だが、これだけ距離が近ければアタシの視線にもすぐに気付くだろう。慌てたユーノは何故か、口元を手の甲で拭う仕草を始める。
どうやらアタシがジッと見ていたのは、口の回りに食べた物が付いていたのかと思ったようだ。
ユーノが生まれ育った魔王領では、匙や尖匙など料理を口まで運ぶ食器がなかった。
なので当然、食事は手掴みということになる。
アタシと旅を一緒にするようになって。ユーノは食事中のアタシの様子を横目に、今まで使った事のない匙や尖匙に慣れようと努力する様を見てきた……が。
やはり、最後は手掴みで肉や魚に豪快に口を付ける食べ方に戻ってしまうため。口元を料理の汁や食べカスなどで汚してしまうことが多かったのだ。
「いやいや。別に口回りが汚れてるとか、そんなんじゃないからさ、ユーノ」
「……なあんだ。また、ボク、きづかずにあるいてたんじゃないかなってびっくりしたよおっ」
だが、今回アタシがユーノを凝視していたのは、口元の汚れを心配しての事ではない。
それよりももっと重要で、深刻な懸念がユーノにはある、とアタシは知ってしまったからだ。
「あ、あのさッ──」
だが、アタシはその懸念を一瞬だけ口にしようとした後。
口から出かかった言葉を喉の奥へ飲み込んでしまう。
「ん、お姉ちゃん、なになに?」
だが、声の制止が一瞬遅かったため。ユーノを呼び止める声だけが口から漏れ出てしまう。
アタシの声を聞いたユーノはピタリと腕を引っ張るのを止め、言葉の続きを聞き出そうとするが。
何故、この場で懸念を解消するためにユーノにその言葉をぶつけなかったのか……それは。
単純にユーノが心に抱いている懸念は、今この場でアタシが何をしたところで何の解決も出来ないと知っているからだ。
ならば、いたずらに懸念をハッキリと口にしてしまうとユーノが問題を自覚してしまい。シラヌヒ攻略に必ず悪影響を及ぼすだろうと判断したからだ。
「い……いや、な、何でもないよッ」
「でもさ。いまなにか、ボクにきこうとしたじゃん?」
「いやいやいや! ホントに何でもないんだっての、ほらほら、早く一緒に寝よう寝よう!」
何かを言おうとしたアタシを問い詰めてくるユーノと。
喉奥に引っ込めた言葉を誤魔化そうと躍起になり、今度はアタシがユーノの腕を掴んで大部屋に連れて行く。
「ふう……危なかったよ、思わず口から出ちまいそうになっちまったねぇ……」
つい先程、フブキとの激しい口論の時にも何度か口から出ていたが。
ユーノが抱く懸念の正体とは……魔王領への郷愁だ。
正確な日数こそ指折り数えてはいないものの。ユーノがアタシと一緒に島を出る帆船に乗り込んでから、もう二月から三月は経過しているだろう。
大陸で使われる暦では一年は十二月、そして一月は三十日となる。つまりユーノは故郷である魔王領と、実兄の魔王様に仲間らと離れてもう九十日近くなるのだ。
しかもユーノの年齢は十歳と少し、家族や仲間が恋しくなるのは当然だろう。
魔王領で知り合ったばかりのアタシではユーノの郷愁や、家族や仲間に逢えない寂しさを満たすことは出来ない……と思い。
敢えてアタシは口にはせず、出来る限りユーノの寂しさを埋めてやろうと考えたのだが。
そんなアタシの判断が間違いだったと気付くのは、本当に──本当にすぐの話だった。




