28話 アズリア、フルベ最後の夜は更ける
──そんな恐ろしい出来事がシラヌヒで起きていた、などとは露程も思わず。
フルベの街の夜はさらに更けていった。
まず、ユーノに話を聞いていた中で。最初に沈黙を破ったのはフブキだった。
「ま、まあ……アズリアたちが明日の朝に出発するための準備を念入りにしていたのはわかったわ」
何故、ユーノらがシラヌヒまでに必要となる食料を別途で準備していたのかはフブキは納得してはいなかった。
アタシらが領主の屋敷から帰還した際にも、大勢の住民らが療養所へ大量の食材に酒を持ち寄ったように。打倒ジャトラのためであれば、住民らも十日分の食糧を喜んで用意してくれただろう。
なのに、わざわざユーノらが街の外にまで食料を確保しに行く理由をフブキは見出せなかったからだ。
……先程のヘイゼルとの会話を聞いていれば、二人が食料確保に出向いていたもう一つの理由を知ることが出来ただろうが。
残念ながら、誰にも聞かれないよう小声で言葉を交わしていたためにフブキやその他の耳に入ることはなかった。
「まあ……実はもう一つ理由があったんだけどねぇ。それもヘイゼルの話であまり考える必要がなくなっちまったんだよね……」
アタシは誰にも聞き取れないような小声で、ボソリと呟いてみせる。
もう一つの理由というのは、街に残された食料の総量であった。
もし、この街にジャトラの差し向けた武侠が襲来した場合。街の外を戦場にするよりも、街に籠って防衛に徹したほうが戦況を有利に運べるのだが。
その時、問題となるのが街の住民の食料となる。街の外には敵がいるのだから、外に食料を獲りに出向くことは危険すぎる行為となる……となると。
街の外に獣肉や運河での魚、そして外の畑から農作物を確保するのは、当然難しくなるだろう。
……ならば、今街にある食糧をアタシらに回さずに。住民らのために療養所に置いていくのが正しいだろう、と思っていたのだが。
ヘイゼルとユーノの偵察の結果、シラヌヒ側から敵の勢力が派遣されている気配は現状ないと知り。
しかもフブキの話が真実だとするなら。ジャトラ側が動きを見せるより早く、アタシらがシラヌヒで目的を果たすことも可能だ。
よって、食糧の事情まで心配する必要がなくなってしまったというわけだ。
療養所で回復に努めていた三日の間、アタシが考えていた懸念を知る由もないフブキは言葉を続ける。
「まずは、出発は明日の早朝……その準備を二人や私に頼んでいたから、それは良いとして──」
アタシがユーノとヘイゼルに、街の外の偵察を兼ねての食料の準備を頼んでいたように。
フブキやソウエンには、街の復興に時間を割かれていた合間にと。移動手段となる騎乗用の馬の手配を頼んでおいた。
それも、出来うる限り立派な体格の馬を二頭ほど。
「ああ、さすがにシラヌヒまでは馬を使わなきゃならないけどさ。アタシゃ、この身体の大きさだしねぇ……普通の馬じゃ駄目なんだよ」
「そりゃ、まあ……あんたの馬鹿みたいにデカい身体じゃ、乗ってる馬もすぐに参っちまうだろうねえ……」
ふと漏らした言葉を聞いてか、ヘイゼルが横に立っていたアタシへと。足の先から顔までをジロジロと値踏みするように視線を向けてくる。
それはアタシが大陸を七、八年もの間、何故馬を使わずに徒歩で旅していたのかという理由にも起因する。
というのも……アタシの身体はそこいらの男と比べても大きな体格だという事と。背負っている大剣や身に付けている部分鎧には、鉄よりも重いクロイツ鋼が使われているため。アタシの重量はかなりのものとなる。
普通の馬ではアタシの重量に耐えることが出来ずに、街一つを歩いた時点で馬が限界を迎えて潰れてしまうためだ。
だからフブキには、急がねばならないシラヌヒまでの道中にアタシが騎乗しても耐え得るよう。理由こそ説明しなかったものの「立派な体格の馬を」要求しておいたのだ。
それに、ハクタク村に来た武侠らが乗っていた馬や。フブキの救出時にアタシらの前に立ち塞がったナルザネらが騎乗していたこの国産の馬を見たが。そのいずれの馬も一つの例外なく、大陸で運用される軍馬よりも立派な体格をしていたこともあり。
この国の馬ならば、共に旅が出来るのではないか……という期待もあった。
さて、そんな受け答えをしていると。
はいはいはい、と片手を上げて会話に割り込んでくるのはユーノだった。
「え、でもでも、お姉ちゃんっ……ボクはうまなんかにはのらないよっ?」
そう。何故かユーノは頑なに馬や乗り物を使うのを嫌がるのだ。
馬などの騎乗動物を見かけることのなかった魔王領で育った事も、関係しているのかもしれないが。
少し前、海の王国にて獣人族の人身売買組織を潰した報告を兼ね。現地の豪商レーヴェンに食事会に招かれた事があったが。
その時も料亭までの馬車を嫌がったのは、今でもはっきりと覚えていたりする。まあ、嫌がったというよりは、馬車の席で静かに座っていられなかったというのが正しいのだが。
……なので。
「ああ、わかってるよユーノ。だからアンタの分の馬は用意しちゃあいないさッ」
「さっすが! お姉ちゃんわかってくれてるっ」
用意を頼んだ馬の頭数が二頭なのは、アタシとヘイゼルの分だ。
護衛対象であるフブキは、どちらかの背に相乗りして貰い。相乗りをしないもう一頭の馬に、出来る限り食糧を積み。
ユーノは自分の脚でアタシらの乗る馬に追従しての移動、というのをアタシは想定していた。
「つまり、私と一緒にシラヌヒに向かうのは、護衛のアズリアは当然として……ヘイゼルとユーノ、その二人でいいのね?」
「ああ、シラヌヒに行くのはこの四人だ」
あらためてシラヌヒまでの同行者を確認してくるフブキに対し、一度彼女の背後にいたソウエンに視線を向けた後。はっきりと「四人」と断言する。
実は……この三日の間に療養所にアタシを見舞いに訪れたソウエンから、一つ提案がなされていた。
領主だったリィエンを倒したことで、渋々(しぶしぶ)ながら領主に味方していた武侠らを。フブキの護衛としてシラヌヒに同行させてはどうか、という話だったが。
今の断言で、アタシはソウエンの提案を断ったことになる。
「……そ、それはっ──」
当然ながらシラヌヒは、この街での騒動を含めた諸悪の根源であるジャトラの待ち受ける本拠地だ。そのような場所へ突入を仕掛けるには。あまりに少数なのではないか、とアタシの返答に顔を曇らせるソウエンだったが。
懸念を振り払うかのように、左右に首を振りながら。
「いや……そうでしたな。アズリア殿らは、テンザンら腕利きの三人を見事討ち果たした事を忘れておりました」
ソウエンはすぐに曇った表情に笑みを浮かべ。アタシの返答にも納得する態度を示してくれる。
元領主を据え、街の住民からの支持もあったモリサカやカナンらの反対派が大きな行動に出られなかった理由の一つだったのが。
領主を護衛していた「焔火のテンザン」「水鏡のササメ」「死霊術師コンジャク」の三名の存在だった。
今回の騒動でアタシらは、その三人を撃破してみせた。その戦果をソウエンはあらためて評価してくれたというわけだ。
今、話していた話題が途切れたところで一度。
「それじゃ──イイかい?」
アタシは、部屋にいた全員の顔を一番近くにいたヘイゼルからフブキ、ユーノと順番に見合わせていく。
視線が合うたびにアタシが小さく頷くと、相手も合わせて頷き返してくれる。
「私は構わないよ」
「……ええ」
「うんっ」
明日にシラヌヒ突入を控え、まだ納得のいかない点があるならば口を挟める最後の機会だが。
誰もアタシに異論を口にする者はいなかった。
どうやらこの場にいた全員の懸念は出尽くしたようだ。




