26話 アズリア、シラヌヒ出発の準備
すると、ユーノの顔の前に何かを突き出してきたのはフブキだった。
見れば、彼女が持っているのと同じく。水や湯を飲むための木製の器──そして。
「もう、しょうがないわねっ」
ポカンとした表情で、ユーノが差し出された器を受け取ると。
フブキが目を閉じて指先に魔力を集中させ、ユーノの持つ器の中へと小石ほどの大きさの氷の塊を二個生み出していき。
酒の壺から、ユーノが苦手だと口をつけるのを躊躇っていた米の酒を。とくとくと氷の入った器へと注ぎ入れる。
「え? え、え?……こ、これってどういうこと?」
ユーノは自分が持っていた器に注がれた酒と、フブキを交互に見ながら驚いていた。おそらくユーノには、飲み物に氷を浮かべて冷やすという知識がなかったためだろうが。
それよりも、酒に浮かぶ氷を作り出したのがフブキの魔法だということに驚いたのだろう。
「そりゃ驚くよねぇ……アタシも初めて知った時はそれなりに驚いたくらいだからねぇ」
領主の屋敷で、こちらが望まず聞いてしまった話では。
火の精霊の加護を受けたカガリ家の血の継承者もまた代々、強い火属性の魔法の適性を持っているらしいが。
何故かフブキだけは、真逆とも言える氷属性の魔法適性を有していたのだという。だが、魔法の勉強や手解きを受けずにいたのだろう、強力な魔力を秘めていても攻撃魔法の一つも使えない……言わば「宝の持ち腐れ」状態なのだが。
それでも魔力を集中させ、無詠唱で氷を作成する事が出来る辺り。フブキが秘める魔力の強力さを物語っている。
……だが、相反する属性を持って生まれ。かつその魔力が強力だったのが仇となったのだろう。彼女は「忌み子」の烙印を押され、表舞台に出されることはなかったのだとも聞いた。
「そ、それはね、えっと……あの」
案の定フブキも、自分の魔力をどうユーノに説明しようかと言い倦ねていたので。
「ほらほら、ユーノ。フブキはね、仲直りのための酒をアンタと一緒に飲んで欲しいから氷で冷やしてくれたのさ」
「……そうだったんだ」
アタシは説明に困っていたフブキに代わり、ユーノの頭を撫でながら話を誤魔化していく。
勿論、ユーノに隠し事をするという意味であやふやにした意図はない。だが、関係の修繕も済ませていない内にフブキの過去を説明したところで、ユーノの頭にもまともに事実が入ってこないだろう。
「──ごめんなさい!」
すると、突然ユーノがフブキに向かって深々と頭を下げ。大きな声で謝罪の言葉を口にしていく。
アタシに急かされたわけではなく。本当に自分の言動を振り返り、反省したからの謝罪の言葉を。
「え、え?……な、何っ、いきなり……っ?」
つい先程まで、事ある毎に口論をしていた相手だとは思えない程の殊勝なユーノの態度に。
謝られたフブキも、顔に困惑の色を一瞬だけ浮かべてみるが。
「あのね……フブキが、お姉ちゃんとくっついてるのをみて、とってもとってもくやしくなっちゃったの。だから……だから、つい」
「そうだったのね……うん、何か納得したわ」
頭を下げたままの体勢でユーノは。何故に最初からフブキに対して攻撃的に接していたのか、その理由について話していく。
その説明を受けて、ようやくフブキもユーノの態度に合点がいき。先程までの困惑した表情が笑顔に変わると。
「ほら、もう頭を上げなさいよユーノ」
溜め息を一つ吐き出した後、フブキが先程からずっと頭を深く下げ続けていたユーノを許すような発言を口にしたことで。
恐る恐るユーノが頭を上げていった目の前には、同じく酒の上に氷を浮かべた器が。
「せっかくアズリアがお膳立てしてくれたんだから、これで仲直りしましょ?」
「う、うんっ!」
慌ててユーノも持っていた酒の杯を、フブキの器へと近付けていき。
互いの杯から注がれた酒が溢れないよう、そっと杯同士を触れ合わせると。
「ふふ。シラヌヒまでの道中までよろしく頼むわよ、ユーノ」
「うんっ、ボクにまかせてよっ!」
あれだけ壺に口を着けるのも躊躇っていたユーノだったが。何の躊躇もなく、氷が浮かんだ酒を何口か含んでいく。
──そして。
「それじゃ、こうかんするんだよね」
「私たちの道中の無事と、私とユーノとの仲直りに」
互いに半分ほど飲みかけた酒の杯を交換し合うと。
言葉を交わした後に、再び杯の中身を口へと流し込んでいく。
聞いた限りでは酒を飲むのは初めてと言っていたフブキだったが、杯に注いだ酒を全部飲み干してしまっていた。
魔法で生み出した氷を入れた理由とは、冷やして喉通りをより快適にするのとは別に。手の熱で氷が溶けることで、酒精が薄まる効果もあったのだろう。
ユーノが杯の酒を飲み終えるのを待ってから、フブキは話を切り出していった。
「ふう……それで、今ならアズリアに何を頼まれてたのか話してくれるわよね。ユーノ?」
思えば、フブキとユーノの二人が揉め始めたのはこの話題からだった。
領主の屋敷に突入してから、負傷と魔力回復の療養で動けなかった三日間。比較的、傷を負っていなかったヘイゼルとユーノに、アタシは出発の準備として「ある事」を内密に頼んでいたのだが。
その内容を聞き出そうとしてフブキは、ユーノと口論するまでとなったのだが。
「え……えっと、ねっ」
フブキの質問に、後ろで二人の口論の成り行きを見守っていたウコン爺やソウエンもまた耳を傾けている中。
ユーノは、三日の間一緒に行動していたヘイゼルや。そもそも依頼主であるアタシの顔を、一度チラッと見てきたが。
こちらが何かしらの反応を示す前に、口を開き話し始めていく。
「お姉ちゃんにたのまれて、ボクたちよにんのたべるものをあつめてたんだよ。まちのまわりのまじゅうをたおして」
「……え。そ、それだけ?」
「う、うん、そうだけど」
見るとフブキだけではない。後ろで聞き耳を立てていたソウエンもウコン爺もまた肩透かしを食らい、呆けたような顔を浮かべていたが。
……そうなのだ。
ユーノがフブキへの確執から、一度は素直に喋らなかったことで。二人が何を内密に行っていたのか、三人は期待を膨らませていたのかもしれないが。
アタシがユーノに頼んでいたのは、何のことはない。自前でシラヌヒまでの食糧を調達する、ということだったのだ。
そんなアタシは、部屋の騒ぎを横目に。いつの間にか横に立っていたヘイゼルと小声で会話を交わしていた。
「……で、ヘイゼル。どうだったんだい、外の様子は?」
「……ああ。ユーノの直感じゃ、ここから数日分の距離までしかわからないけど、空気が、何というか……攻めてくるってえ雰囲気がないんだと」
ユーノに話した建前の内容とは別途の。ヘイゼルだけに頼んでいたのは、この街に襲来が予想されるジャトラ配下の武侠と。奴が操る可能性のある魔竜を警戒するというものだった。
何しろ、領主リィエンを射殺した輩がいた時点で。この街が自分の支配下から離れたのは、ジャトラにもとうに知れている事だろうからだ。
ユーノは以前、アタシと一緒に戦った際に。目で見渡す視界以上に離れた敵を、気配だけで数や位置までもほぼ正確に察知した……という実績がある。
さすがは獣人族、さらには魔王リュカオーンの四強を冠するだけはある。
そして、ヘイゼルの口から聞けた調査の内容は。アタシの想定を良い意味で裏切るものだった。
「ユーノの話にゃ、あたしも同感だ。もし、敵がこの街に仕掛けてくるとしてもだ。当分は先の話だとは思うぜ」




