25話 アズリア、ユーノが苦手なもの
「──コイツは、アタシが傭兵時代に仲間が諍いを起こした時、よくやってたやり方だよ」
そう話しながら二人の肩に手を回し、何度か軽く叩くアタシに。
納得のいかない顔を浮かべたフブキが反論してくる。
「ちょ、ちょっと待ってアズリアっ?……あの子もだけど、私だってまだお酒を飲むには早いわっ」
「その辺は、アタシもちゃんと考えてるさね」
仲違いしていたにもかかわらず、相手の事を心配するフブキだったが。
これでもユーノは、ニンブルグ海を航っていた最中にも。帆船に積んでいた数種類の酒を、アタシ程でないにしろ何度も口にしていた。
それよりもアタシは、フブキが一度も酒を口にしたことがないのを懸念していたが。その点についても配慮していないわけではなかった。
「二人で同時に酒を一口飲んで。互いの酒を交換してもう一口飲む」
説明した通りに、傭兵の時に何度か経験した方法を二人へと教えていく。
本来の方法だと、注いだ酒は一口ではなく全部飲み干すのが礼儀なのだが。フブキが「酒に弱い」可能性を考慮し、飲む酒の量を一口程度に留めたのだ。
それと……もう一つ理由があったのだが。
「まあ……貴重な酒を全部飲まれたりでもしたら、アタシが困っちまうからねぇ」
米、というこの国特有の穀物で出来た酒が初めてというのもあるが。
初体験の酒の味わいが、まるで湧き水のように澄み切り。切れの良さと深みの相反する二種類の甘さを兼ね備えた、美味な酒ならば尚のことだ。
理由を聞いたフブキは、呆れたように目線を落とし一つ息を深く吐くと。
「まったく、アズリアらしいわね……まあ、一口、二口ぐらいなら、なんとか──」
どうやらアタシが提案した方法に、フブキは納得してくれたようだ。
後は、一口ずつ酒を飲み合うだけだと思っていたが。いざ互いに飲む、という場面になって、酒の入った陶器の壺を受け取っていたユーノの動きが止まる。
「ん? どうしたんだい、ユーノ」
見ると、ユーノは壺の口をジッと睨んだまま。酒を飲もうとする素振りを見せようとはしなかったのだ。
「う……ゔっ、うううっ……」
まるで酒が飲めないような態度を見せていたユーノ。
最初こそユーノの態度を「仲直りを拒絶するつもりか」と不審がっていたフブキだったが。
「ね、ねえ、ちょっと、アズリアっ?」
「あ、ああッ……」
魔王領でもアタシと一緒に葡萄酒を飲み、船の上でも積荷の酒を一緒に飲んでいたのをアタシは知っている。
だから、ユーノが「酒を飲めない」などという心配は一切アタシの頭にはなかったのだが。
「もしかして、ユーノ……アンタ──」
ある疑問が頭に浮かんだアタシが、ユーノに優しい声を作って訊ねていくと。
ようやくアタシとフブキの視線に気付いたユーノは、先程までフブキと言い争っていた時の元気さ、快活さは何処へやら。
目尻や眉を下げ、心細そうな表情になりながら。アタシに向けて、一度だけ小さく頷きながら。
「お……お姉ちゃぁぁぁんっ……」
「酒が、飲めなかったのかいッ?」
今にも泣きそうなか細い声で、アタシに酒が入った壺を返そうとしてくるユーノ。
その仕草でアタシは確信した。
ユーノは酒が苦手なのだと。
「で、でもさ、アンタ、普通に葡萄酒飲んでたじゃないかッ?」
だが、そうなると。アタシの目の前で何度か一緒に酒を飲んでいたユーノとは何だったのか。
……まさか。飲んでいた葡萄酒に浄化する魔法を使って、酒精を抜いていたとでもいうのだろうか。
しかしアタシの知る限り、水を浄化する「純粋なる水」などの魔法は水属性への適性があるか。もしくは神への信仰心を問われる神聖魔法にしかなかった筈だ。
ユーノが好んで使う魔法属性は、大地と闇。
残念ながら水属性の魔法を彼女が使っているのを、アタシは今まで一度も見たことがない。
神聖魔法もまた同様だ。
つまり、酒を飲んだフリをしながら。実は浄化魔法で酒精を消去しているという仮説は成立しない事になる。
ますます頭の中が混乱していたアタシに、背後から声が掛けられる。
「──いや、それなんだけどさ、アズリア」
声の主は、ヘイゼルだった。
アタシほどではないにせよ、アタシが海へと落下し海底に沈んでからこの国までの航路を、ユーノと一緒に進んできた元海賊は。何か心当たりがあるのだろうか。
アタシは声の方向へと振り返って、無駄に口を挟むことなくヘイゼルの続く言葉を待っていると。
「あたしと一緒に海を渡ってた時にゃ、ユーノは一滴たりとも酒を飲んでた試しがなかったねえ……」
「お、おい、嘘だろ?」
ヘイゼルの衝撃の告白に、アタシは驚きのあまり思わず聞き返してしまったが。
「こんなコトで嘘言って、何の得があるってんだい。とにかく……あたしはユーノの前で何度か積荷の酒を飲んでたけどさ、ユーノは一口も飲まなかったよ」
領主の屋敷に突入した時にも無理やりアタシに囮役を押し付けるという、度の過ぎた悪戯を好むヘイゼルであっても。さすがに二人が揉めている状況で嘘を吐く程、馬鹿ではない。
ヘイゼルの話から、二人で海を渡っていた間にユーノが酒を飲んでいないのは間違いないようだ。
確かに、アタシの帆船に積んであった酒はどれも元はヘイゼルの海賊船を沈め、回収した積荷であり。
火酒や琥珀酒といった、麦酒や葡萄酒と比較にならない程に酒精が強烈な種類の酒ではあったが。
だが、今ユーノが持っている陶器の壺に入っている酒も。そこまで酒精が強くはなく、アタシが飲んだ限りでは大陸製の葡萄酒よりも僅かに強い程度だ。
穀物を材料とした麦酒や火酒は、独特の風味や苦味がある。以前、穀物特有のそれが「苦手だ」とは聞いてはいたが。
葡萄酒を飲めたユーノが、米の酒をあからさまに苦手な顔で飲むのを避けるとは……アタシは思えなかった。
すると、恐る恐るアタシの顔を覗き込むユーノが口を開こうとする。
「……あ、あのね、お姉ちゃんっ」
「ん?」
「じつは、ね。お姉ちゃんといっしょにのんでたおさけ、みずでうすめてのんでたの……」
ユーノの言葉で、アタシの頭の中でぐちゃぐちゃになっていた様々な情報が。ようやく一つに整理され、全てを理解することが出来た。
なるほど、水で酒精を弱めた酒ならば。ユーノは何とか飲めるというわけか。
強い酒精の酒を好む傾向のあるアタシは、「葡萄酒を薄めて飲む」といったことはしないのだが。
一般的な酒場では、渋味の強い赤の葡萄酒を水で薄めたり。蜂蜜や蟻蜜を加えて飲むのは当たり前のことであり。
ユーノがアタシと一緒に飲んでいたのも、おそらくはアタシが知らなかっただけで。水や蜜で酒精を薄めた酒だったのだろう。
「いままでだまっててごめんなさい、お姉ちゃん……ボク、ボクっ……」
アタシを見ていたユーノの目が、みるみる潤んでいくのを知り。
今まで酒を飲めるフリをしていたのは、年齢特有の大人に背伸びをするような意地を張ったからではなく。平気で強い酒を飲み干すアタシに気を遣ってのユーノなりの「優しさ」だったのを、痛いほど理解出来たアタシは。
ユーノの頭に手を置いて、優しく、優しく撫でていく。
「……馬鹿だねぇ。飲めないなら『飲めない』って言やぁ、違う飲み物用意してあげたってのにさ」
「でも、でもっ、お姉ちゃんがおいしそうにのんでるから、ボクもまねしたくなって、つい……」
ユーノの言葉に、アタシは少し気恥ずかしくなる。
どうやら好きでもない酒を水で薄めてまでして、無理やり一緒に飲んでいたのは。アタシを慕っての行動だったからだ。
「純粋なる水」
ごく弱い水属性の魔力を、目の前の水に浸透させることにより。水に含まれる泥や小さなゴミ、弱い毒を除去し、飲料に適した水にすることが出来る水属性の基礎魔法。
火属性の「点火」や光属性の「光条」と並び、ラグシア大陸のごく一般的な市民の生活に浸透した魔法であるが。
使い手の魔法の適性や、魔力容量によって一度に浄化出来る水の量や汚れの酷さも強化される。




