22話 アズリア、真夜中の訪問者
心配そうにするヤエを含め、部屋にいた自分以外の四人からの視線を一身に受けていたウコン爺は。
「うむむ……だがのぅ……いや、むぅぅぅ……っ」
思慮に耽りながらも時折、片目を開けてこちらを見たり。唸り声を出しながら首を左右に振ったりする仕草を見せていた。
おそらくは治癒術師としての常識と、アタシらが置かれている現状との狭間で悩んでいるのだろう。
が──ついにウコン爺の重い口が開く。
「え……ええいっ、わかったわい!……行ってこいっ!」
「……いいのかい、爺さんッ?」
「本当にいいの、ウコン爺?」
喉から絞り出したような声で、アタシがフブキを連れてシラヌヒに突入する事を許可してくれた。
目の前で悩む姿を見ていたのだ、散々苦悩した結果なのは理解しているが。いざ出発の時になって心変わりされても困る。
だからアタシは今一度聞き返すと同時に、フブキもまたウコン爺へと確認を取ると。
「本当ぢゃ! も、もう、とっととシラヌヒに行って……さっさとジャトラの奴めを討ち倒してこいっっ!」
半ば吐き捨てるような乱暴な口調ながら、アタシらのこれからを激励してくれるウコン爺の振る舞いに。
一瞬、フブキと顔を見合わせた後。
「ありがとな爺さんッ、アンタの治療の腕があってのおかげだよッ!」
「さすがはお父様お抱えの治癒術師だけあるわっ!」
激励の言葉が嬉しかったことと、本来なら一月は懸かる治療期間をたった四日に短縮してくれた感謝から。
申し合わせたわけではなかったが。アタシとフブキはほぼ同時に左右から、ウコン爺の首に腕を回し
抱きついていき。
感謝の気持ちを示したい一心で、アタシはウコン爺の頬に唇を何度も触れさせていた。
「おお、両手に花とは。羨ましい限りですなあ」
「お……おお……おほお♡」
ソウエンの言葉も耳に入ってこないほど、ウコン爺の目尻や鼻の下は垂れ。口許が緩んだ、実にだらしない笑顔を浮かべていた。
そこまでウコン爺を魅了していた理由とは。ソウエンが言うようにアタシとフブキに抱きつかれているだけでなく、他にある。
あれだけ執着していたアタシの胸をこれ以上ないくらい、ウコン爺に押し付けていたからだ。
一般的な男と比較しても背丈の大きなアタシは、両胸もまた大きく。鎧を装着したり大剣を振るうにも邪魔なため、普段は布地を胸に巻いて潰しているのだが。
先程、背中の傷の具合を見てもらうために。今は胸を押さえる布がない状態だったりする。
だから、ウコン爺に潰れる程に押し付けている両胸の感触は相当なものだろう。
その結果こそ、ウコン爺の反応というわけだ。
「いやあ……至福ぢゃ、実に至福ぢゃあ……」
「……ふぅん」
いつもなら小言を口にするヤエも、諦めからか呆れているのか。ウコン爺やアタシに対して文句を言うことはなかったが。
だらしない笑顔を浮かべていた祖父を、冷淡な感情が込もった目でジッと見ていた。
「や、ヤエや、ち、違うんぢゃ、その、これは……のう?」
そんな孫娘と目線が合ってしまい、気まずくなったのだろう。
我に返ろうと咳払いを一つしたウコン爺は、左右に抱きついていたアタシとフブキを慌てて振り払うと。
先程の幸福感に満ちた態度とは一変、情け無い声を出しながらヤエへの弁明を続けていた。
ウコン爺から離れたアタシとフブキは。祖父の顔で孫娘の機嫌を取ろうとするウコン爺を、同情と呆れの目線で眺めながら。
「やれやれ……それでアズリア、出発はいつにするの? 二日後?……それとも、三日後くらいかしら?」
治癒術師であるウコン爺から出立の許可を貰った、ということは即ち。次に待っているのは、フブキの姉マツリの待つシラヌヒへの出発なのだが。
そうなると問題は「いつ」出立するか、だ。
フブキが明日を選択肢に入れていなかったのは。出発が決まった今、外はもう明かりがなければ歩くのが困難な暗闇に包まれていたからだ。
数日分の食糧に馬の用意、同行するユーノやヘイゼルへの連絡。そして治療に専念していたアタシ自身の出発の準備にはそれなりの時間が必要となる。
となれば、明日にシラヌヒへ出発するのはさすがに難しいという判断からだろう。
だが、アタシはフブキにこう答える。
「いや、到着は急いだほうがイイ。明日にゃここを発つよ」
「え?……ちょ、ちょっとっ……正気なのアズリアっ?」
当然ながら、選択肢になかった回答を聞いたフブキは驚き……よりも呆れた感じで声を上げる。
「あ、あのねっ……アズリアと屋敷に行ったあの二人なんだけど。今、どこにいるのか見当もつかなくて」
同行する二人が滞在する宿の場所を、しっかり把握していなかったとフブキは白状する。
治療に専念していたアタシと違い、大した負傷のないあの二人はこの四日間。街の復興に必要な素材を収集する依頼を受け、頻繁に街の外にいたようだが。
滞在する宿を知らず、現在の居場所も知らない……そんな二人に連絡を取り付けるのは至難の業だった。
……筈、なのだが。
「……ん?」
部屋にいた他の四人は気付いていないようだが、アタシは玄関辺りから微かな音がしたのを聞き逃がさなかった。
入り口の木製の扉を静かに動かす音に、二度ほどカタンと鳴らしてしまった音。そして、廊下の木の板を歩いてくる複数人の足音。
「……ねえ、どうしたのアズリア?」
険しい表情に変えて、大部屋の入り口を凝視するアタシのただならぬ様子にまず最初に気付き。
他の三人に聞かれないよう小声で話し掛けてくるフブキに対し、入り口を指差していく。
「どうやら、真っ当な来客じゃあ……なさそうな気配だねぇ」
「え? ちょ、ちょっと、だ、誰かいるじゃないっ?」
フブキの驚く反応からも分かるように、少し入り口側に意識を向ければ侵入者の気配を感じ取れることから。
これが密かにアタシらに危害を加えるための刺客だとしたら、あまりにお粗末な忍び足だろう。
気配と足音の数から察知するに、侵入者は二人。
二人と知って、まず最初に頭に浮かび上がったのは先に療養所から帰されたテンザンの妻子という母娘だった。
一度はウコン爺の説得で帰って貰えたが、アタシの顔を見たことで復讐の感情が抑え切れず。こうして再び療養所に戻って、アタシへの復讐を達成しようとしたのだろうか。
「……ちょっとアタシ一人で見てくるよ」
「ひ、一人で大丈夫なの?」
「ああ、完治した後の腕慣らしにゃちょうどイイ話だよ。それよか、フブキこそ気をつけるんだよ」
「わ、わかったわっ」
侵入者を大部屋に招き入れて乱戦になれば、フブキの他にも。ソウエンやウコン爺、そしてヤエと庇わないとならない護衛対象がさすがに多すぎる。
ならば、敢えて狭い空間で戦い。侵入者が大部屋に突入するのを阻止したほうが、アタシとしても心置きなく戦えるというものだ。
アタシは一緒に付いてこようとするフブキを部屋に置いて、部屋の入り口へと向かう。
その間にも二名の侵入者は、足音こそ静かにしていたものの。こちらを警戒する様子もなく部屋へと接近している様子だ。
アタシは一度、息を大きく吸ってから。
入り口に立ち塞がるように部屋を出ると。
「誰だいッ! こんな夜更けに──ッて、あ、アンタら?」
侵入者に向け、警告の言葉を発したが。
アタシが目にした侵入者の正体とは、想定していたテンザンの妻子でも、アタシらを害する目的の人間でもなかった。




