21話 アズリア、治癒術師の判断を待つ
背中の傷の具合を確認していたウコン爺が、ふぅと一つ、溜め息を漏らす。
「驚いたわい、今朝糸を抜いたばかりぢゃというのに……すっかり傷が塞がっておるわい」
「ああ、街を歩いてても背中が痛むコトはなかったよ」
「まったく……随分と色々な患者を診てきたが、こんな傷の治りの早いのは初めてぢゃぞ」
どうやら、傷の治癒速度がウコン爺の想定よりも遥かに早いことに驚いていたようだ。
「そもそもぢゃ。あの傷の深さ、常人なら抜糸にも十日ほどは懸かるというのに……のう」
なんでも、ウコン爺の話では。少なくとも傷を縫い合わせた時点で見た傷の深さや大きさから。代償のない簡単な治癒魔法を使いながら、治療には最低でも十日以上……下手をすれば一月程は懸かる想定だったという。
それをたった四日間で傷が塞がったのだから、ウコン爺が驚くのも当然の話だ。
「……そんな深傷をたった四日で。の、のう、念のために聞いておくんぢゃが、お主、何かしら魔物の血を引き継いでおるとかは……?」
アタシの治癒速度の早さに疑問を持ったのか、ウコン爺は顎から伸びた白髭を数度撫でながら。
面と向かってアタシの身体に「魔物の血が流れている」と言い出してきたのだ。
まあ……苦笑いを含んだウコン爺の口調から、その問いが半ば冗談なのは理解した。
「アタシを何だと思ってるんだい? ないよ、そんなの。アタシは正真正銘、ただの人間さね」
「う、うむ。ま、まあ……そうぢゃろうなあ……」
だからアタシは、別段怒るとか感情を害することなく。ウコン爺に「普通の人間だ」と答えていった通り。
確かに、アタシは人間だ。
幼い頃に死んだ父親も、アタシを拒絶し跳ね除けた母親も共に人間だったのも間違いではない。
「まあ……アタシがホントに普通なのかは、疑問だけど、ねぇ」
だが同時に、治癒術師であるウコン爺が驚きを隠せない程に傷が早く癒える理由について。思い当たる節がありすぎるアタシはというと。
ウコン爺に聞こえないくらいの小声で、知らずの内に呟いていた。
──というのも。アタシは生まれながらに、普通の人間なら持っているはずのない魔術文字を右眼に宿していたからだ。
周囲にはおろか、今まで旅した八年の間にも。アタシと同じように魔術文字を身体に宿した人物になど出会うことはなかった事実が。
アタシの異常性を確実なものとしていったのだ。
傷の治癒が早いのも、おそらくは魔力が回復したことにより。アタシが現在所持している「生命と豊穣」の魔術文字が、発動させずとも持ち主であるアタシの身体を癒やしてくれていたからだろう。
三日も休養したのに魔力が完全に回復し切れていないのも。アタシの意図を読み取り、傷をより早く癒すため。魔術文字が勝手に魔力を消費してくれていたのだろう。
「ありがとな、師匠ッ……」
この魔術文字をアタシに授けてくれた大樹の精霊には、いくら感謝しても感謝しきれない。
感謝の想いが先程の呟き同様、またもアタシの口から漏れる。
「ん? 何か言ったかのう」
「いやいやいやッ!……こっちの話だよッ」
だが、今度は明瞭にではないにせよウコン爺の耳に声が届いてしまい。
慌ててアタシは、自分の呟きを誤魔化していく。
ウコン爺やフブキらに魔術文字の事を知られたくなかった、その理由というのは──。
これまでに二体の魔竜を倒した際、朽ち果てた魔竜の身体から見つけた何かの破片が二つ。
その欠片に刻まれていたのは、紛れもなく何らかの魔術文字に間違いなかった。
魔竜と魔術文字に何らかの関係があるのは理解したものの。そうなると、おいそれと魔術文字について周囲の人間に話すのに躊躇いが生まれる。
この国に暮らす人々を苦しめている魔竜が、魔術文字と関連していたと知れれば。
魔術文字を身体に宿しているアタシもまた、恐れられ、疎まれ、拒絶されてしまうのではないかと。
アタシはそう考えてしまったからだ。
これ以上、アタシの傷の治癒速度の異常について話を続けていると。思わぬ言葉を漏らしてしまうかもしれない。
「そ、それじゃ──撃って出る許可は、貰えるんだよねぇ、爺さんッ?」
「う、うむ?」
そう思い、アタシは素早くその場で立ち上がると。
ヤエによって両肩を空けるように捲り下されていた衣服をもう一度着直しながら。ウコン爺にシラヌヒ出発の許可を取る。
今でこそ「生命と豊穣」の魔術文字を行使することで、身体に負った傷をアタシ自ら治療することが出来るようになったが。それは最近の話であり。
魔術文字を得る前は、傭兵稼業や路銀を稼ぐための依頼で傷ついた身体は。治癒術師のお世話になるのが当たり前だったアタシは。
傭兵や冒険者、兵士の中には治癒術師の言葉を軽視して傷が治りかけのまま勝手に治療を切り上げた挙げ句。傷が開いたり痛んだことが原因で、生命を落とした連中を数多く見てきたからか。
治癒術師のとの約束は守る、という考え方がいつの間にか刷り込まれてしまっていた。
だからこそ、傷の治療にここまで献身してくれたウコン爺の許可無しで。アタシはシラヌヒに出発することは出来なかったのだ。
「む、むぅぅぅぅ……っ」
「お、お爺ちゃん?」
アタシの問いに、床に座っていたウコン爺は腕を組みながら。眉間に深く皺を寄せ、短くない時間考え込んでいた。
その様子を見て、隣にいたヤエが心配そうにウコン爺の顔を覗き込んでいる。
悩むのも当然の話だろう……いくら傷が塞がっているとはいえ、本来ならば一月は治療を要する傷を負ったアタシを。
たった四日で治療を終えてよいものなのか、と。
だが、悠長に一月も治療に時間を懸けていれば。
カガリ家騒動の黒幕であるジャトラが、この街を襲撃する以上の脅威を引き起こす可能性は否定出来ない。
その事をウコン爺も察しているからこそ、アタシのシラヌヒ出発の期日を先延ばしには出来ない……そう思っているのだろう。
ウコン爺の返答を待っていたのは、衣服を羽織ったアタシだけでなかった。
「ね、ねえっ……アズリアは、どうなの?」
領主であるソウエンも。そして一緒にシラヌヒに向かうフブキもまた、真剣な表情でウコン爺の返答を待っていたからだ。
それに。
魔竜との戦闘中に意識のなかったフブキは気付いてはいないかもしれないが。
シラヌヒにて待つ一連の黒幕であるジャトラは。何らかの方法で、魔竜を使役出来るかもしれないのだ。
フブキを幽閉していた洞窟に、何故に二匹目の魔竜が突然出現したのか。一日歩いた距離にあり、餌になる大勢の住民が暮らすこの街を差し置いて、である。
その理由も、ジャトラが最早邪魔者でしかないフブキを生贄にしようと画策したのなら合点がいく。
……果たして、ジャトラが操る事の出来た魔竜がアタシが倒した首だけなのかは定かではないが。
他の首も操る事が可能なら、ジャトラ陣営であったリィエンを排除したこの街に容赦なく魔竜を差し向ける可能性だってある。
「さて──どうなんだい?」
アタシも二人に倣い、傷のある背中を向けたままで首だけ振り返り。ウコン爺の返事を待っていると。




