20話 アズリア、お姫様の心配事
ソウエンやフブキとの話に一区切りが着いたところで、部屋にウコン爺と孫娘のヤエが疲れた顔を浮かべて戻ってきた。
「ふぅ……やれやれ、やっと帰ってくれたわい」
そう愚痴を溢すウコン爺は。顎から伸ばした長い白髭を撫でながら、アタシの横に腰を下ろすと。
床に座ったウコンの背中にぺったりと張り付くヤエ。
「もう、大変だったんだから。あの二人、いつまでも泣き止まないんだもの……あ、ですっ」
「ま、まあ……それで、あの母親と子供はどうしたんだい?」
毎度のことながら、言葉の最後だけ丁寧な言葉遣いに整えようとするヤエの独特な喋り方に。
思わず苦笑してしまいながらアタシは、テンザンの妻子と名乗った二人の母娘をどうしたのか聞くと。
「お主らが話し込んでる間に、丁重にお帰り願ったわい。それにしても……あの二人がまさかテンザンの家族ぢゃったとは、のう……」
「うんうんっ。もしかしたら懐から短剣でも取り出すんじゃないかって、こっちもドキドキしちゃったよ……です」
ウコン爺とヤエは互いに顔を見合わせながら、二人が大人しく帰路に着いたことと。
あの母娘がテンザンの妻子だと告げた瞬間に肝を冷やしたことを口にする。
どうやらあの母娘は、本当にアタシに二つの藁人形を手渡したかっただけだったようだ。
いくら双方ともに戦う理由はあったとはいえ、大切な夫であり父親をアタシに奪われたのは紛れもなく事実なのだ。仇であるアタシに、もっと恨み言を口にしてもよかったのだ。
アタシには、二人の負の感情を受け止める責任があるのだから。
「まあ……もし、二人が切りかかってきたなら、一撃は黙って切られてやるつもりだったけどねぇ」
「「は?」」
そう考え、アタシの口から飛び出た言葉に。
ウコン爺とヤエだけでなく、ソウエンとフブキまでが即座に驚きの声を漏らした後。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよっ? そんなことまでアズリアが背負うことはないでしょ……何考えてるのよっ!」
他の誰よりも早くフブキが顔を真っ赤にし、アタシを怒鳴りつけてきたのだ。
フブキの咄嗟の反応に、アタシは慌てて激昂する彼女を宥めようとする。
「お、おいおい、落ち着けっての。何も本当に切りつけられたワケじゃないんだからさッ」
そもそも先程の言葉は、あくまで「それ程の覚悟はある」ということを言いたかっただけで。
あの母娘が武器を所持していないことは最初から知っていたので、万が一にもアタシが切られる可能性はない。
その事を懸命に説明するアタシだったが。
「──そういう話じゃないのよっっ!」
アタシの言葉を無視するのではなく、しっかりと聞いた上で。それでもなお、こちらの声を掻き消すほどの大きな声で。
もう一度アタシを叱りつけてきたフブキは、そのまま言葉を捲し立ててくる。
「そもそも、領主の屋敷に突撃したのだって!……最初はもっと穏便にするって話だったじゃない!
なのに、なのに……こんなにボロボロになって無茶ばかりしてっ……」
「ゔッ……た、確かにッ……」
流行り病の治療のため、魔力のほとんどを使い果たし回復のための休養も取る余裕のなかったアタシは。領主の屋敷ではもう少し慎重に行動するのが当初の予定だった。
その予定が狂ったのは。この場にいないヘイゼルがアタシを囮にしたのが理由なのだが。
結局のところ、屋敷の入口では水鏡のササメと。屋敷の中で死霊術師のコンジャクといった最大戦力と衝突する羽目になり。
結果……フブキの言うように、あちこちに深傷を負い、ボロボロになって帰還することとなってしまったのだが。
それを指摘されてしまうと、アタシは返す言葉もない。
「……もっと無茶な事を頼んだ私が言えた義理じゃないけど、もっと……自分を大事にしなさいよね……っ」
「お、お……おうッ」
フブキが口にした「もっと無茶な事」とは、これからアタシらが実行しようとしていた本拠地シラヌヒへの突入を指すのだろう。
先程の指摘で感情を吐き出したことで少し落ち着いたのか、フブキの声量は徐々に小さなものとなり。アタシを真っ向から見つめていた視線を床へと落としていく。
俯くフブキの様子を見て、ソウエンは肩に手を置いて何とか彼女を落ち着かせようとし。
「フブキ様の言うことはもっともぢゃ。ほれ、傷の具合を見るから少し動くんぢゃないぞ?」
隣に座っていたウコン爺が声を掛けてくると同時に、ウコン爺の背中に張り付いていたヤエがアタシの背中へと移ると。
「じゃ、お姉ちゃん。背中の傷をお爺ちゃんが見るからちょっと着物、脱がせるからね……ですっ」
ウコン爺が背中の傷を確認するにはまず、今アタシが羽織っていたこの国製の衣服を脱がなくてはならない。
するとヤエが左腕、右腕の順番で着ていた服の肩を捲り、衣服を下ろしていくと。真っ白な包帯が巻かれた背中が露わとなる。
「どれどれ、そろそろ……かのぅ」
などと言いつつ近寄ってきたウコン爺は、スッと首を伸ばして肩越しからアタシの布を巻いた両胸を覗き込もうとするが。
「お爺ちゃん……傷があるのは背中でしょ!」
「あ痛っ⁉︎」
鼻の下をだらしなく伸ばしたウコン爺の頭を、叱咤とともに容赦なく手で叩くヤエ。
「痛たたたた……い、いや、ヤエよ、儂はのう、左肩の傷の具合を診ようと……ぢゃな?」
「違うでしょ? お爺ちゃんが診なきゃいけないのは背中だよ……せ・な・かっ!」
目の前で繰り広げられる二人のやり取りに、初めて療養所を訪れた時の既視感が頭に浮かぶ。
アタシは胸を見られることにそこまで恥ずかしさを感じないのだが、どうやらこの国は大陸よりも女性の裸への羞恥心が強いようで。
「確かに、街を歩いてた時も随分と胸を見られてる気がしてたかねぇ……」
正体を隠すために頭巾こそ目深に被って、街を歩いていたアタシだったが。
衣服を着ながら外套まで羽織ると熱が身体に籠ってしまう。だから外套の前は大きく空けていたのだ。
すると、ヤエから借りた衣服では収まり切らずに飛び出てしまっていた両胸に。やたらと道ですれ違う男らの突き刺さる視線を感じていたが。
ウコン爺の反応を見るに、どうやらアタシの勘違いや気の所為というわけではなさそうだった。
「で、爺さん。傷を見るなら見るで、さっさとしてくれないかねぇ?」
とはいえ、今のアタシはというと。
傷を確認するという名目で、ヤエによって慣れない服を半ばまで脱がされ。両手も捲られた衣服であまり動かせず、不自由なのを強いられたまま放置されている状況だ。
アタシだけでなく。胸を露わにしているアタシに配慮してか、ソウエンも後ろを向いており。このままでは全員が何も出来ない状況に陥っていたからだ。
「わ、わかったわいっ……もう」
胸を見られなかったのがそこまで心残りだったのか。何とも未練がましい口調でウコン爺は、巻いていた包帯を外した背中へと視線を移していった。
これだけ手厚い治療を受けたにもかかわらず、この国の貨幣を持たないアタシには治療費が払えない。
だったら、治療費代わりに胸を見せてやるくらいは全然構わないのではないかとアタシは考えていたのだが。




