1話 アズリア、スカイア山脈に挑む
アタシは今、アル・ラブーン連邦の大半を占めるメルーナ砂漠の北部に広がる、高い山々が連なったスカイア山脈に足を踏み入れていた。
「ううう……冷えるねぇ、砂漠の暑さが懐かしく思えてくるよ」
この付近にまで来ると、砂漠の肌が焼かれるような暑さが嘘のように空気が冷え。寧ろ昼間でもひんやりとした涼しさと肌寒さの間に感じるほどだ。
砂漠を離れたことをアタシは肌で実感していた。
勢いのままに央都から北側に続く街道へとホルハイムへの旅路を進めてしまったが、外套だけで耐えられるだろうかと懸念していた。
確かにアル・ラブーンからホルハイムへ向かうには、その経路はあと二つほど方法がある。
一つはメルーナ砂漠を西に抜け広がるニンブルグ海、その港街から海路でホルハイムを目指す経路だ。
だが、その港街は今回の魔物らの侵攻で甚大な被害を受け絶賛復興中であり、またホルハイムが帝国と交戦状態となりどちらからの海路も現在途絶えてしまっていた。
二つめはシルバニア王国を一度経由し、行手を阻むスカイア山脈の山々を迂回することで、シルバニア北部からいくつもの国を通って最終的にホルハイムへと至る経路だ。
こちらの問題点は日数があまりにかかり過ぎるという時間的なのもあるが、当然ながら国境を越えるには、アタシの身分を提示する必要がある。
アタシは一度、王国貴族と一悶着を起こして逃げるように国を出ていった身だ。今更のこのことシルバニア王国に戻って、ランドル達に迷惑を掛けてしまうのだけは避けたかった。
──というわけで。
アタシがホルハイムに向かうための旅路は、空を見上げても山嶺が雲で霞んで見えないこのスカイア山脈の山々を越えるしか残されていないのだ。
これからアタシを待ち受けている険しい旅を想像すると、もはや乾いた笑いしか浮かばなかった。
「ホント……こうやってあらためて見ると、アタシが16の時によくこの山を歩いて越えて、ハティ達のいる砂漠にたどり着けたのか、不思議に思えてくるねぇ……」
こうしてアタシはスカイア山脈に足を踏み入れることとなった。
最初の道のりは、麓に住む村人らが薪や山の草木や獲物を採りに山に入るため、木々を切り開き、足場が踏み固められた簡易的な獣道が用意されていたが。
山に入ってから三日を過ぎた辺りから、人が歩く道すらなくなり、岩がゴロゴロと転がっていたりする場所もあれば、木々が繁り陽の光を通さない極端に視界の悪い場所があったり。
山特有の、激しい突風や突然の雷雨などの悪天候が続き、歩を進めるにのも一苦労だ。
山を登り始めて数日が経過したある日。
日が落ちてくる前に、野営のために焚き火や屋根布の設営、食事の準備なんかを済ませていた。
天幕を使ったほうが暖が取れるし、雨風も凌げるのだが、いかんせん天幕はいくら小さく畳んでも持ち運ぶには大きすぎるのだ。
旅の途中に、荷物を運んだり移動速度を上げるために荷馬を購入しようかを本気で悩んだこともあったが。
大概は荷馬の食糧や街に到着した際に馬小屋を借りる余計な手間賃などの管理の問題で断念するのだ。
「こうなると……格好つけてラクダ置いてくるんじゃなかったって後々後悔しちゃうよ。くそ、せめてお嬢にどうやって帝国に帰るのか、その方法だけでも聞いときゃよかったかな」
と、辺りが暗くなり映える焚き火を見つめながら思わずアタシは溜め息をついてしまった。
アタシの傷がある程度癒えた後にお嬢が宿泊していた高級宿を訪れてみたが、さすがは帝国の公爵様だけあって多忙だったのだろう、既に宿は引き払われた後だった。
お嬢には、帝国からの援軍要請を握り潰してくれた事に、蠍魔人の尻尾からアタシを庇ってくれた事という、二つの大きな「借り」が出来てしまった。
「まさか、あれだけアタシを目の敵にしてくれてたあのお嬢がアタシを助けてくれるなんて、何がどう転ぶかわかんないモンだねぇ……せめて、戦いが終わってから酒の一杯でも奢れたらよかったんだけどねぇ」
と、鉄の筒に入れて持ってきたアル・ラブーン産の高級酒を注ぎ入れて、空に向けて杯を掲げると。
ちょうど空に急に黒い雲が湧き出てどんどんと覆われていき、ポツリ……と降り出した雨粒が酒杯に落ちてきたのだ。
設置しておいた屋根布の下に慌てて避難したアタシだったが、雨足はどんどんと強くなり、いつの間にか雷まで鳴り出してきた始末だ。
「うひゃあ〜……山の天候は変わりやすいから屋根布用意したけど、この雨が朝までに止んでくれりゃイイけど、それでも明日は足場がぬかるんで大変になるね……嫌だねぇ、雨」
どこか遠くに雷が落ち、一瞬稲光で辺りが眩しく照らし出される。
その時、奥の茂みに人影が見えた気がした。
「…………ん?今、あの茂み、動いたような?」
──いや、気のせいなんかじゃない。
夜闇と雷雨で視界は悪いけど、それを理由に接近する不審な影を見逃すほど、アタシは人が普段足を踏み入れていない山中で警戒を怠っているつもりもない。
その人影だが、どうやら一人の気配ではなく複数のようだ……しかもこちらへと徐々に近づいてきている。
「やれやれ。雨の夜に一戦交えるのはアタシの好みじゃないんだけどねぇ……」
降り掛かる火の粉は、当然ながら払う必要がある。
アタシは野営には必要なかろうと地面に置いた愛用の幅広の大剣を、音がしないように片手で拾い上げ臨戦態勢を取り。
息を殺して相手がどう動くのか、待つ。




