1話 アズリア、空腹で行き倒れる
────これは、現実とは違う世界の物語。
電気も火薬も一般的でない、まだ鎧を着た兵士らが剣や槍、弓矢で国家間の争いをする世界。
現実と一番違うのは、この世界には「十二の精霊」と呼ばれる存在と、十二の属性に分類された魔法が一般的に普及しているのと。
現実では存在しない妖精族や岩人族や獣人族など人間と意思疎通ができ、人間社会と交流のある「亜人」と言われる異種族が存在し。
竜属や、女面鳥や飛竜などの魔獣や、小鬼や豚鬼、食人鬼や岩巨人といった下位の魔族の類いは、人間らと亜人の生活を絶えず脅かしていた。
そんな脅威に対抗するため人間や亜人たちは、騎士団や傭兵、冒険者といった戦力で守られながら「国家」という集団を形成していった。
これは、十二の精霊と。
五柱の偉大なる神々が君臨する、世界での。
世界の中心に位置する唯一の大陸であるラグシア大陸、複数の国家で繰り広げられる、一人の女戦士の物語。
「……は……腹がぁ……も、もう限界だぁぁ……」
ラグシア大陸のほぼ中央部に位置しており、大小合わせて十以上の国家が存在する中でも、大陸最大の国家でもあるシルバニア王国。
その王都である城塞都市シルファレリア……のかなり手前、王都を円状に取り囲むよう建造された真っ白く美しい城壁の内側には、大陸でも最大の数万人が暮らすと言われている都市の入口から伸びる街道。
さらにその脇の茂みで。
女は喉が渇き、腹を空かせていた。
実はこの女は、数日間も食べ物を口にしておらず。腰にぶら下げていた水袋も、昨日空になってしまっていた状態で。
唇は渇き、街道を歩くのもやっとという様子だ。
ふらふらとした足取りで街道の石畳を歩きながら、時折り前のめりに倒れそうになるのを何とか踏みとどまっていた。
「う、へぇ……気が、飛びそうになる、ぜぃ……」
その女の外観は。並の男と比べても遜色ない立派すぎる体格と背丈に、全身を覆い尽くすほどの長さの外套を纏い。
背中には女の背丈ほどもある、奇妙な刃紋を見せる幅広い刀身の巨大な、尋常ではない巨大さを誇る剣を背負っていた。
それに女の肌の色は、この国では珍しく、浅黒く日焼けしたような褐色の肌。そして筋肉質であるが、肉付きの良い豊満な体型をしており。
燃えるような深紅の髪は艶がなく。癖のあるはねた髪は、所々無造作に短く切り揃えられていたり、外に伸びていたりと手入れの無さが窺えた。
外套から覗かせているのは肌や髪だけでなく。背中の大剣と同じ素材で造られたであろう、黒い光沢を放つ籠手や脛当が見えるのだが。
奇妙なのは、防具を着けているのは左半身のみ。右手や右の脛には、防具の類いを装着しているようには見えなかった。
しかも……纏っている外套もまた、何の素材で作られたのかは不明だが。切れたり穴が空いた箇所を革紐で繋ぎ合わせた跡が無数に見られ、長く使い込まれた様子が見て取れる。
女は一見、傭兵とも思われるような格好だが。
……残念ながらこの国は、隣国との関係も良好であり、戦の火種になるような噂を聞かないため。傭兵としての職務を全うするには適さない国と言えるだろう。
だとすれば。住民らに起きた様々な問題を身一つで解決する冒険者か、もしくは何らかの理由で放浪している一人旅、という結論となる。
そんな一人旅と思しき女は。
石畳が敷かれた王都シルファレリアに続く街道を進む女の足取りはというと。何故かふらふらと左右に揺れ、今にも倒れそうな雰囲気であった。
腹が鳴る。どうやら空腹を知らせる音のようだ。
女は腰にぶら下げた革袋へ手を伸ばすが。
袋の中身には、期待していた保存食は干し肉も、黒パンの一欠片すら残ってはいなかった。
「ちッ……何度手を入れても、空っぽは空っぽ……だよねぇ……そりゃ、食ったらなくなるよ……はぁ……何か食いてぇぇぇ……」
食い意地が張ったような素振りを見せる女だが。
無論、無計画に保存食を消費して。現在、こうして空腹に喘いでいるわけではない。
これでも、女は数年も一人旅を続けていた経緯があるのだから。
理由は、こうだ。
「持ってた食い物、全部腹を空かしてた子供らにやっちまった、とはいえ……」
数日前に女が訪れた村は、天候か虫か、もしくは山の獣によって畑の農作物が駄目にされ。村の人間は、何とか食べる量を減らし、日々を凌いでいたらしく。
腹を空かして泣いていた子供を見るに見兼ねた女は、持っていた保存食のほとんどを無償で譲ってしまった。
「まさか自分の分を取っておくの忘れちまうとは、ねぇ……」
予想外だったのは、何故か道中で食糧となる筈の獣と一切遭遇しなかった事だ。
途中、獣でも狩って食糧にしようという女の思惑は見事に破綻し。こうして飢えに苦しんでいる……というわけだ。
「…………さ、さすがに、も、もうダメだ……目が霞むぅ……無理ぃ……」
空腹ながら、何とか身体を動かして王都を目指してはいたものの。
最後にボソリと何か呟いた後。ついに限界を迎えたのだろう……女はそのまま街道から外れていき。ついには意識を失って、街道から外れた茂みに膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れてしまった。
いわゆる……行き倒れというやつだ。
女が空腹で気を失ったのは、街道から逸れた場所なので。このまま誰にも気づかれなければ、空腹のまま餓死していたかもしれない。
──だが、捨てる神あれば、拾う神あり。
女が意識を失って行き倒れてからしばらくして。
王都へ向かう街道を通りかかった一台の荷馬車、その御者が。
偶然にも街道の脇に行き倒れていた一人旅の女の姿を、視界に入れたのだった。
「こ、こりゃあ……た、大変だああ!」
慌てた御者は馬車を止め、まずは席が設けられた荷台へと向かい。行き倒れを発見した旨を報告する。
荷台には貴族位が持つ紋章、と呼ぶには簡素ではある紋様が刻まれていることから。馬車に乗っていた人物とは、それなりの地位や立場のある商人、もしくは組合の幹部なのだろう。
最初は面倒事になると見て見ぬ振りをしようかどうか、馬車に乗っていた主人に報告するのを躊躇っていたのだが。
さすがにそれが原因で王都の入り口に旅人の屍を一つ晒すとしたら……それこそ寝覚めが悪い、と結局は馬車に乗っていた主人へと報告するのだった。
報告を受けた馬車の主である商人の男性は。護衛と思われる数名の武装した男らを引き連れて馬車を降り、倒れていた女に近寄るのだった。
商人はまず口の前に手を当てて、まだ息があるかを確かめてみると。衰弱している様子は見られたが、間違いなく息はしているようだった。
「ふむ。本当にただの行き倒れみたいだな」
街道を走る馬車を狙う盗賊団の中には、女子供を囮にして。止めさせた馬車を襲撃する手法を用いる連中もいると聞いていた商人は。
念のため、護衛を連れていたのだったが。
「……それでランドルの旦那、どうするんですかい?この女」
「さすがに放置は出来んだろ。まずは目が覚めてから話を聞こうと思うんだが」
「面倒事になって後で奥さんに叱られても知りませんぜ」
「まあ、その時はその時だ。それに……」
「それに?」
ランドルと呼ばれたその商人の男性は、その女が背中に金具でぶら下げていた剥き出しの、剣と称するにはあまりに巨大な武器にふと視線を落とす。
「む……あ、いや、何でもない。それじゃ馬車に運んでくれ」
「了解ですが。それにしても何か、俺たち……側から見たら人拐いしてるとか、誤解受けませんかね?」
「それは心配するな。門番には私からきっちりと説明しておくよ」
「へえ……お願いしますよ、ランドルの旦那」
行き倒れであろう女の頭と脚を、二人の男がそれぞれ持って馬車に運び入れる途中で。彼女が背中に背負っていた大剣を止める金具が緩んでいたのかドスン!と鈍い音を立てて地面に落ちた。
「おい、何か落としたぞ?」
それを見た手が空いていた別の男が、自分の背の高さほど長い女の持ち物である立派な大剣を、馬車に乗せるために拾い上げようとするが。
「……お、重ッ! な、何だこの剣は? も、持ち上がらねぇぇぇ……お、おい! 手を貸してくれっ!」
商人の護衛をしているのだから、筋力はそこらの一般人よりはあると自負している男だっただけに、一度は地面から持ち上げるものの。
大剣の重さに耐えられずに、再び地面に落としてしまう。
地面に落ちた時の音は、もはや武器ではなかった。
「……おい、この女、こんな重い剣を背負ってここまで歩いてきたのかよ。一体どんな刑罰かってんだ……信じられねえ……」
その後、運び役の男が二人がかりで何とか大剣を持ち上げて馬車に運びいれたのだったが、そんな重すぎる得物を背負って王都を訪れようとしていた行き倒れの女に興味が湧かないわけがなかった。
……もちろん良い意味、ではなく今のところ悪い想像が占める割合がかなり多め、という話でだが。
「なあランドルの旦那。あの女……一体どうするつもりだ?……ありゃ、絶対普通の旅人なんかじゃねえ、関わらないほうがよかったかもしれねえぜ、って、おい……旦那あ?」
だが、ランドルと呼ばれた商人は、いまだ荷台に乗せられ意識を失ったままの女旅人を見て、笑顔を浮かべるのであった。
今、ランドルの胸の中にある感情、それは。
──この女旅人はきっと、この王都シルファレリアで何かを起こしてくれるに違いない。
停滞した現状を打破してくれる、何かを。
そんな確信にも似た、いわば商人としての、勘。