『宿舎に続く長い廊下』
宿舎に続く古い建物は、戦時中に建られた病院で、長い廊下で宿舎へと繋がっていた。そこに伝わる怖い話を先輩から聞いた。見えない恐怖に怯える主人公はある日、突然、恐れていた恐怖体験をした。
これは今から四十年以上も前の、とある県立高校の、学生寮の話しである。三階建ての校舎は新しく、寮とは離れ、別棟にあった。
入学式の時は、古い建物も重い雪に彩られ、それなりに風情があった。
この頃の建物は、新しい建物と|従来の古い建物を、繋げて使用していた所が、多かったようだった。
ここの寮も、同じような造りだったが、違うのはここは旧、県立『・・病院』であった。学校も病院も同じ県立だったからかも知れない。
外観は焼杉張りで風情があり、平屋建てなので、やけに細長い建物だった。
便利なので、新しい出入口はあまり使用せず、ほとんどの学生は、旧病院の廊下を利用した。確かにここの出入口を利用すれば、ちょっとした買物。また、多少の雨でも店からの距離も近かったので、重宝した。
この建物は木造で、かなり古かった。そして、緩い曲がり角がいくつかあり、狭く長い廊下がが続き、左右に色あせた木製のドアが続いいる。昼間でも薄暗く、高い天井には遠い間隔で、小さな裸電球がところどころぼんやりついているだけであったが、最初は何も気にならなかった。昼は、学校の工作の作業場、また、広い部屋は音楽室として、今でも、たまに使われていた。
勇也はこの春『・・・高校』に入学したばかりで、学校も寮生活も初めてで、慣れるまで緊張の毎日だったが、それでも男女共学校で、ガールフレンドも出来、いつしが残雪も消え、校庭の桜も咲き乱れ、順調に高校生活が始まった。
やがて梅雨に入り草花も勢いを増し、この風景からは、今から体験する恐怖など、想像も出来なかった。いよいよ蒸し暑い夏が訪れ、夏休みも近づいた頃だった。
最初は、何も気にすることもなかったが、生活に慣れ、今まで気にもならなかったことも、気になるようになっていた。
古い建物に入ると、いくつかの部屋は、工作等の授業に使用する、電動工具類が、きちんと並べられていたが、その他の部屋はほとんど、使用されていなかった。後から聞けば、そこは戦時中に建られた『・・病院』だったという。そう言えば音楽室に使用されていた大きめの部屋には、下半分、色が褪め、黒く染みの着いた青いタイルが貼られていた。そんな部屋には、似つかわしくない黒いピアノがポツンと置いてあった。
ここは病院だったから、きっと、この部屋は手術室だったに違いない。そして多くのドアは、入院患者の病室だった。それにしても古い。もしかすると戦争当時、負傷兵とか収容されたのではないだろか? そんなことを頭の中で思い描いた。
考えれば考えるほど、何故か体から血の気が引いて行くような気がした。昼はいずれにせよ夕方以降は、ここの廊下は通りたくない場所になっていた。宿舎は四人部屋で、三年生が二人。二年生が一人。そして一年生である俺が一人だったが、部屋の先輩は親切で、何でも教えてくれた。
この時期になると、他の部屋の連中も部屋に集まり、怪談|話しをするのが恒例のようだった。やはり話題は、この寄宿舎に繋がる古い病院の話しだった。当初から何か気持ち悪く思っていたので、やっぱり! あそこの話しか? と思った。他の部屋の一年生も二人居た。勿論俺を含め一年生は初めて聞く話しである。
川島さんと言う、いかにも真面目そうな三年生が、穏やかな口調で話し始めた。
「一年生はまだ日が浅く、ここにまつわる話しを知らないと思うので、僕が今から話すことは、先輩達が実際に体験し、語り継がれている話しなので、単なる怪談としてではなく、実際にあった体験談として聴いてください。
一年生の皆さんも、在学中に体験するかも知れませんが、怖がらずに話しを、後輩にも伝えて下さい」と丁寧過ぎる口調で前置前置をした。静かな語り口で、返って今から聴く話しに、恐怖を感じた。そして部屋の明りを落した。話しは、この闇の中で聴くことになる。
「皆さんがここに来て、何か感じたと思います。そうです。宿舎から続く古い建物は昔『・・病院』だったんです。ですから何十年経った今でも、長い歴史の中で、想像を絶するような、不幸なドラマが繰り広げられたことでしう? 今でもそのなごりが、いたる所に残っています。特に音楽室には生々しく」と言い、しばらく間を置いた。
「あの部屋は、手術室だったんです。青いタイルの黒い染みは、大量の血が飛び散ったの跡だと思われます。ですから今でも、色々なことが、語り継がれているのです。どの部屋か分からないが、耳をすませば、すすり泣く声が聞こえるとか――――? 多分、その時に成仏出来なかった死者の魂が、何処にも行かずに、さまよっているのかも知れません。
病院は戦時中に建てられたそうですが、私はもっと前に建てられたのではないか? と、思っています。後、何年か経てば、取り壊れるでしょ? その時に、語り継がれた話しは終わると思っています。しかし、あの建物が、残っている限り、無念の死を遂げた人達の魂は、今でもあそこに生き続けているんです。
古い病院だったので、色々な噂話しもあります。また、あって当然の、ことと思いますが、それは科学では解明出来ない、不思議なことがあることは事実です。そういう私は、霊感もありませんし、先輩達の話も聞いているので、何か怖いな。と思うことがありますが、実際私は、ここに来て一度も幽霊も、不思議な音も聴いたことがありませんが、なぜか私は、信じることができました。
なぜかと聞かれたら、それは怖いからに他なりません。私は臆病者なんです。だからこそ、皆さんに話しを聴いて貰い、怖さを共有したいのです。分かって貰えますかね?」と照れ笑いをしたが、目は笑っていなかった。
「先輩達から聞いた話しです(廊下を歩いていると、病室からうめき声か聞こえた)とか(手術室から叫び声が聞こえた)など、実に様々ですが、ここ二・三年程前から、また、別の噂が、立ち始めたのです。
ご存知の通り、病院跡の建物と、この宿舎は長い廊下で、繋がっています。
夜になると、包帯を巻いた患者が、松葉杖を付いて『コツコツ』と音を立て歩き、そしてトイレに消え行ったと言う話し。また、女性が足に血が滲んだ包帯を巻き、子供を抱いて足を引きずりながら歩いて行ったとか?
新しい話しでは、女子学生が部屋に居た時、何かが軋む音がしたそうです。そっとドアを開けて見ると、義足を付けた女の子が、廊下を歩いて行ったそうです。その時の格好は、今の時代の物ではなかったそうです。
その他、話せば色々ありますが、今夜はこれで終わりますが、最後に言って置きます。北側の奥にある部屋のドアは、絶対に開けては成りません。あそこは霊安室です。開けたら何か悪いことが起こります。間違っても興味本意で、開けないように! これは警告です」と今まで穏やかな口調で話していた先輩が、厳しい口調で言い、ルームメイトと一緒に部屋を出て行った。
そう言えば――――?! あの部屋にだけ、大きな錠前が掛けられ、古びた紙に『入室禁止』と書かれてあったのを思い出した。
話しを聴いた俺達は、恐怖で誰も言葉も発することなく、しばらくの間その場を動かなかった。
何日か経ち、先輩に買物を頼まれ、新しい建物の玄関を出て、いつもの店で買物を終えたら、にわか雨が降ってきたので、古い玄関に掛け込んだ。さっきまで晴れていたのに建物の中だけは薄暗く、まるでトンネルに入ったようだった。目が慣れるまで時間がかかった。
昼なので、裸電球もついていなかった。長い廊下だ。俺はあの夜先輩から聴いた話が心の中で蘇った。いくつもあるドアのうちのどれかが、開くような気がしてならなかった。
怖い! とにかく怖い! 何か足音か聞こえたような気がして足を止め、耳を澄ましたが、こちらに近づいているようだったが、すれ違うはずの足音が、廊下の角を曲がっても誰も居なかった。確かに、スリッパーを履いてこちらに来る音がしたのに――――? 誰も居ない! 俺は急いで新しい宿舎に駆け込んだ。
「あぁ怖かった!」ここまで来れば人が居て安心だ。まだ心臓が踊っていた。
しかし、良く考えて見れば、あそこは土足で、誰もスリッパー何か履かない! すると――――? やっばり幽霊だったんだろうか? 体に悪寒が走った。姿は見なかったが、白昼の幽霊だったんだ?! そのことは怖くて、誰にも話すことが出来なかった。
この時代、レコードを買うと、好きなアイドルの大型ポスターを貰えた。
皆、良く部屋にポスターを貼っていた。俺もご多分に洩れず目の前の壁に『・・・・』のポスターを貼っていた。いつも可愛い顔でいつも俺に微笑みかけていた。しかし、その時の顔は、とてもこの世の人間とは思えないような怖い顔をし、思わず目を伏せた。こんなことってあるのだろうか? 幽霊は見たことはなかったが、ポスターの中に幽霊を見た気がした。
先輩から聴いた話しが嘘のように、明るい日差しが降り注ぎ、校庭では、テニスボールを打つ小気味良い音が響いていた。俺は校庭の端にある木製のベンチに腰掛け、本を読んでいた。するとクラスメイトの美希が、走って来て俺の隣に腰掛けた。
「ねぇ。勇也君。この学校の寮の話し聞いた?」といきなり切り出した。
「あぁ、元『・・・病院』だったって話しね!」
「ついこの間、同じ部屋の慶子が聴いたんだって?
「聴いたっていったい――――何を?」
「足音」
「足音?」とオウム返しに言ったが、その後の話しは、ハッキリ言って聴きたくなかった。
「私は――――寝ていたから分からなかったんだけど、変な足音が聞こえたんだって、慶子は一番廊下側に寝ているんだけど、怖くて眠れなかったって」
俺はすぐ、先輩から聴いた話しを思い出し、背中に悪寒が走しった! 目の前が夕方のように暗くなり、鼓動が脈訴打った。
やはりあの話しは、本当だったのかも知れない? 俺だってスリッパーの音をこの耳で聴いている。
俺は、実際、幽霊もオバケも見たことがない。ただ見えない相手に恐怖を抱いている。目で見えないものが、心の中で見えているのだ、改めて、見えない相手のくらい怖いものがないと――――。俺は昔から、想像力だけは人一倍強かった。それが今の自分を苦しめているのだ。
この時、親父の言葉をふと、思い出した(勇也! この世では、死んだ人間は怖くないが、生きている人間が一番怖い)と口癖のように言っていた。
なるほど! 改めて考えれば、誰も幽霊やオバケに殺された何て聞いたことがない。
世の中で起きている事件は、皆、生きている人間が引き起こしていることは理解出来るが、しかし、それとは別な、自分の能力では書くことも言い表すことも出来ない、恐怖を感じていた。
ある晩、俺は眠れずにいたが、そうすると必然的にトイレに行きたくなったが、この間のことが脳裏に浮かび、怖くて行けなかった。
時計を見るとまだ午前二時を回った所だ。まだ夜明けには遠く、我慢をして、再び布団にもぐった。
ここは何処だろう? とても暗く陰気な異世界に迷い込み、とうに、賞味期限切れの空気を吸っていた。
闇の中で小さな煙が、臭いと共にゆらゆらと立ち昇っている。線香の小さな炎が、今、立ち消えようとしていた。
この時、俺は意識が戻った。ぼんやりと、周りが見えて来た。こ、こは――――?! れ、霊安室だ! な、なぜ?! 立入禁止の霊安室に俺が――――。背中に例えようのない悪寒が走った。その時。顔に白い布が掛けられ、死装束を着たた女の遺体が、突然起き上がり、俺を見て笑った。俺は叫んだつもりだが、声が出ていないようだ。
部屋を飛び出し、音を立て板張りの廊下を、夢中で走ったが、すぐ後ろを口から血を流し、血に汚れた手に数珠を握った女が、足音も立てずに『ケラケラ』笑いながら追いかけて来た。怖い! とにかく怖い! 死にものぐるいで走り続けたが、どこまで走っても、長い廊下が途切れることは無かった。
異世界から戻った俺は、体中に汗をびっしょりかいて、目を覚ました。俺は夢の中でハッキリと見た。幽霊の顔を。
蒸し暑い夏が、怪談話と共に去り、俺はこの話を青春の1ページに、加えることにした。さよなら幽霊さん。怖い思い出をありがとう。
(了)
夏になると、誰でも一度は経験する怪談話し。そこで登場するのが、学校や病院ですね。今回は学校ではなく、宿舎として登場させて見ました。何故か思春期の頃、こんな体験をした方も多いのではないでしょうか?
※最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
作者:花房悠里