表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/13

淫魔は揺蕩う

ほぼ、会話文メインでの話になります。

「胎の中にいる間に始末しましょう」


 ふと、目覚めた瞬間に聞こえたのは、ぞっとするほど冷えた声。

 それはたぶん、自分の存在について。


「この子は我の子じゃ。なぜ、そなたに生殺与奪の権利があると?」

「ですがっ……」

「胎教に悪いことを言うような奴は嫌いじゃ。しばらく顔も見とうない。去ね」


 しばし無言の時が経ち、不穏な気配が遠くに去っていった。


「ほんに、あやつは我のことになると狭量になる。まぁ、そこが愛いとこでもあるが……」


 ポツリとため息交じりにこぼされた言葉。

 そして、ゆっくりと世界がやさしく揺すられる。


「其方の父は守れなかったが、そこは許しておくれ。さすがに我を謀ったのは、やりすぎじゃ。じゃが、其方は其方の父とは別の存在じゃ。其方の父の分まで愛すると約束しよう。あやつには決して手は出させん。詠唱者との子は何人も生んだが、淫魔との子はどんな顔をしておるんじゃろうのう。楽しみじゃ」


 ゆらゆら、ゆらゆら。

 温かい母胎の中で聞く声が、愛し気に囁く。

 自分は生きてても、産まれてもいいとその声は語り掛けてくれる。

 だんだんと目の前が暗くなって、とろとろとした微睡につく。




 次に目覚めたのは、肺から水を吐き出して、大きく呼吸した時。

 苦しい。まぶしい。寒い。

 温かで穏やかな閉じられた世界から追い出され、不安から大きな声を上げて泣いた。


「よしよし、よくぞ元気に産まれおったな」


 聞きなれた声が、懐かしい匂いが、温かな腕の中へと抱きしめられた。


「私は認めていません」

「我は其方に、父親として振舞えとは一言も言っておらんぞ。じゃが、この子は正真正銘、我の子じゃ。我の子を疎むような真似だけはしてくれるな。我を失望させないでおくれ」

「魔王様」

「言い訳は聞きとうない。淫魔はすぐに大きくなるでの。こうやって愛でられる時間はあっという間じゃ。貴重な時間を邪魔するでない。それとも何か、我が詠唱者よ。我と共にこの子を愛でるというなら、側にいてもよいぞ?」


 ちらりと瞼を開ければ、苦り切った美しい顔が歪むのが見えた。少し視線をずらして、この身体を大事そうに抱いている手、腕、肩、首を辿り、そして、愛しげにこちらを見つめる紅い瞳にぶつかった。


「おお、銅色の瞳じゃ。髪と同じ色じゃな。そうそう、名は何としようかのぅ」


 紅い瞳がしばし外れた。

 それがさみしくて、小さな手を精いっぱい伸ばした。


「レニ」


 その艶やかな唇が、言葉を発した。そして、伸ばした指先に、人差し指が絡んだ。


「其方の名はレニ。レニじゃ。我の……ええと、何番目じゃったかな」

「十三番目です」

「そうか、もう十二も産んでおったか。十三番目の子じゃ。義兄姉はたくさんおるぞ。といっても、ここにはもうおらんが……おそらく其方が一番早く大きくなるんじゃろうなぁ」


 そういって、紅い瞳のその人は、額に唇を落としてくれた。ぽわんと体の内側に温かい何かが注ぎ込まれた。


「魔王様、お疲れでしょうから、しばしのお休みを」

「其方がレニを大事に扱うというなら、その言葉に従おう」

「私の負けですよ、魔王様。貴方の魔力を授けたものを、どうして私が無碍にできるとお思いですか」

「知っておったよ。其方が我に甘いことも、必ず、折れるということも」


 紅い瞳の人は、くつくつと笑いをこぼすと、レニを差し出した。


「仲良うするんじゃぞ。レニ、何かあったら我を呼べ。我はどんな時も、其方のことはちゃんと見ておるから安心するがいい」


 その腕の中から出るのは嫌だったが、別の腕がレニを受け取った。


「さぁ、魔王様はお休みだ。今まで何人も我が子の面倒は見てきている。心配するな」


 最も、血のつながりのない子供は初めてだけど、となにやらブツブツ零していた。

 この腕の中で恐怖がなかった、と言えば嘘になる。

 でも、先ほどもらった温かい何か、のおかげもあり、心地よい満腹感と急激な眠気に抗えず、レニは銅色の瞳を閉じた。


「そうしていると、まるで本当の親子みたいじゃのぅ」

「やめてください、魔王様」




「魔王様」

「おお、レニ。大きゅうなったのぅ」

「もう魔王様の魔力をもらわなくても、大丈夫。レニ、もう大人だよ!」

「なんと、もう一人立ちしたというのか?さすが淫魔の成長は早いのぅ……どれ、顔をよう見せておくれ」


 魔王様の鼻先にくっつくほど顔を近づける。懐かしい魔王様の匂い。大好き。


「これ、そんなに近づいたら、反対に見えぬではないか。おお、なかなかの男前に成長したのぅ」

「魔王様、好きぃ」


 額と額を突き合わせ、くすくすと笑っていると、うなじにかかった手に強引に後ろへと引っ張られた。


「もう大人(インキュバス)になったのなら、魔王様に近づくな」

「これ、我が背、我の愛しい子になんとする」

「魔王様、我が子とはいえ、淫魔(インキュバス)を懐深くに入れるのはお止め下さい」

「我が背はいまだに淫魔(インキュバス)に対して苦手意識があるようじゃ。ならばレニ、淫魔(サキュバス)ならよかろう」


 魔王様の許可の元、インキュバスからサキュバスへと変貌する。筋肉質だった体が柔らかな曲線を描く。ふるんと柔らかそうな双丘が揺れる。


「魔王様、そういう問題ではありません!」

「うるさいのぅ。レニや、もうちょい年齢を下げられんか?我が背は我の体形は見慣れておるだろうが、そのような豊満な体には不慣れじゃ。目のやり場に困りおろう。まぁ、我としては、その胸に埋もれてみたくはあるがな」

「じゃあ、今度二人っきりの時にね?」

「それはまた楽しみなことじゃのぅ」

「魔王様!!」


 魔王様のご希望通り、少年にも少女にも見えるくらいの見た目になった。


「どれ、これだと他から見たら仲の良い親子に見えはせぬか?」

「親子?」

「そうじゃ、レニ。我が母、ほれ、母上、と呼んでみぃ」

「ははうえー」

「ふふふ、初めてじゃ。我が子に母と呼ばれたのは。よいのぅ……詠唱者との間の子らは、すぐに引き取られていったから、その機会がなかった故」

「魔王様、レニがははうえ、って呼ぶの、うれしい?」

「ああ、うれしいぞ!我が背、そのような仏頂面するでない。この場限りじゃ、気持ちよう、我を過ごさせておくれ」


 そういいながらも、そのお遊びは魔王様が封印(眠り)につくまで続いた。

 魔王様はそれはそれは楽しそうだったが、詠唱者はずっと眉間に皺を寄せたままだった。レニとしては魔王様がうれしそうだったので、詠唱者の気持ちはまるっと無視して、魔王様のことをたまに『ははうえ』と呼んでいた。




「さぁ、我が背、我が詠唱者よ、聖なる呪文を唱える時間じゃ」


 いつかその日が来るのは知っていた。

 でも、それは今日ではない、今、この時ではない、とずっと先延ばしにしていた。

 だけど、そんなレニや詠唱者の願いを、魔王様自らが叩き折ってくれた。


「この世界にこれ以上の魔力は必要ない。これ以上の澱みを増やすのも限界じゃ。そろそろ我を眠りにつかせてくれんかのぅ?」

「嫌です、魔王様。できません」

「できる、できないではない。するのじゃ」

「貴方を失うくらいなら、この世界など!」

「我を失望させるでない、詠唱者」


 底冷えするほどの暗い、容赦のない断罪の声音。


「のう、レニの方がよっぽどわかっておるわ。ぐずっておるのは其方のみぞ。レニ、すまない、後のことは任せたぞ」


 レニが唇を引き結んでコクリとうなづくと、魔王様は柔らかく微笑んだ。


「さぁ、詠唱者、残りは其方の覚悟のみじゃ」


 とうとう封印の呪文が詠唱者の口から流れ出した。

 本当はわかってる。

 これ以上の魔王様の目覚めの時間を引き延ばすのは、害悪でしかない。

 詠唱者はこの世界のためにその言葉を紡いだ。


「ありがとう。愛しているよ、我が背、我が子たち」


 封印は成った。

 魔王様は永い眠りにつかれた。

 そこに魔王様の心はない。

 それでも、魔王様はここにいる。


 だから、レニはずっとそばにいるよ。

 レニなら永遠に魔王様のそばにいられるから。

 魔王様に頼まれたから、ちゃんと詠唱者のことも見ててあげる。

 本当は怖いけど、嫌いだけど、唯一、魔王様の思い出を共有できる絆なんだもの。




「あんた、いい加減にしろよ」


 魔王様を封印した詠唱者はでくの坊と化した。

 ただ生きて、呼吸をしているだけ。日がな一日眠る魔王様のそばに侍るのみ。

 魔族と違って、人間は食事や睡眠、その他毎日めんどくさい工程が必要なのは知っていた。なので、レニが強制的にさせていた。

 口に食べ物を詰め込み、吐き出さないように飲み込むまで監視。睡眠は体力の限界で倒れたところで寝台へ放り込む。ついでに、ここぞとばかりに詠唱者の体液を求めて集う淫魔(お仲間)の排除なんかもその役目のうちに入ってた。

 次代の詠唱者候補が来ても、その状態は変わらず。

 とうとう、レニの堪忍袋の緒が切れた。


「なに、をする…」

「この状態になって、やっと理解したか。おめでたい」


 寝台の上でレニに組み敷かれた詠唱者の瞳に、久しぶりに正気を示す光が灯った。

 目の下にはくっきりとした隈があり、顔色は病的なほど青いというのに、不思議なことにその容色に衰えは見えない。むしろ、凄惨な美しさを増していた。


「たぶん、あんたが思ってることが正解だよ。なに、をするんだよ」

「や、めろ!私に、さわ、るな!!」

「ふん、こんなものだったんだな。昔、あんたが怖かったよ。いつ、レニの存在を消されるのかって思ってビクビクしてた。だけど、今のあんたはこんなに弱って、頼りなげだ。こんな姿を魔王様が見たら、なんて思うかな?」

「ま、おうさ、ま」


 詠唱者の瞳の焦点が合い、レニの視線とぶつかった。ふいに、その眦からボロボロと雫が溢れた。レニに見られたくないのか、腕で顔を覆った詠唱者は乾いてひび割れた唇を戦慄かせた。


「魔王様はいない。もういない。どうして。会えない。会いたい……会いたい、だけなのに」


 レニは大きく手を振りかぶると、思い切りそれを打ち下ろした。乾いた音と共に、詠唱者の首が大きくしなった。


「それをしたのは、あんただ」

「だから―――これは、その罰だ、と?」

「そう思いたいなら、そう思えばいい」


 嫌な役を頼むな、レニ。

 あやつは罰されたいと、罰されるべきだと思うだろう。

 それでも見捨てないでやってくれ。

 もしも、あやつがいつまでも目を覚まさないようなら、後のことは其方に全て託そうぞ。


 魔王様への後ろめたさを打ち消すように、レニは詠唱者の首筋に噛みついた。


 ごめんね、魔王様。

 魔王様の大事な人をこれ以上壊さないために、レニはこんなことしか思いつかなかった。

 人間ってめんどくさいね。

 いろいろ考えて考えすぎて、そのせいで自分を追い詰めてしまう。

 死んだら終わりだ。

 それは魔王様が望んだ終わりじゃない。

 だから、強制的に目を覚まさせてやる。

 魔王様しか知らない体を暴かれる屈辱で、レニを憎めばいい。

 激しい感情は生きる糧になる。

 詠唱者、レニへの憎しみを抱えて、魔王様のために生きればいい。




「本当は、わかっていたよ」


 痩せさらばえた手が、指が、レニの皺ひとつない手の甲を優しくなでる。


「あの時、死んだ方が、死のうと思っていた私を奮起させるために、お前がしたことだって」

「そんなことあったっけ?」

「いくら魔王様からの頼みだったとはいえ、嫌な役をさせた」

「かわいそうだったのは、あんたにそれまで存在を丸っと無視されてた次代詠唱者じゃない?まぁ、結局は立派に後継を育て上げたけど」

「そのおかげでいつかまた、魔王様のお役に立つことができる。今から数十年、数百年後だったとしても」

「それを、レニはちゃんと見届ける」

「そうだな、お前は不老不死。次の魔王様のお目覚めにも立ち会うことができる」


 ほぅ、と、か細い吐息が一つ洩れた。


「あまり無茶するな。もう休め」

「いいや、もうすぐゆっくり眠れるんだ。今、伝えなければいつ告げるというんだ」

「レニへの恨み言?死に損ないの願いなら聞かないわけにはいかないな」

「恨み言、か……魔王様もこんな気持ちでお眠りになられたのかな」


 もうほとんど見えていない白濁した瞳の上に、ゆっくりと瞼が覆いかぶさった。


「私は、お前のおかげで生き永らえたよ」

「レニのおかげ、じゃなくて、レニのせいで、だろ?」

「いいや、おかげ、であってるよ。ずっとお前に謝らねばと思っていた。お前の父親を消したことも、お前を消そうとしたことも」

「別にレニは魔王様が守ってくれて、今生きているわけだから、今更父親?の方はどうでもいいや」

「それでも私はお前に謝罪せねばならない。すまなかった」

「ふーん、やっぱり人間ってのはめんどくさいな」

「めんどくさい……めんどくさいんだろうな。ついでといってはなんだが、これもめんどうなことだと聞き流してくれ。私はな、死ぬのは怖くない。むしろ、魔王様のそばへ行けるかも、という期待の方が大きい。だがそれよりも、心を一緒に持っていくのが怖い。それこそが、お前のせいだ」

「レニ、なにかした?」

「いや、むしろ、私の心の在り方のせいだ、な。人間とは薄情だな。時と共にあんなに愛した魔王様の記憶は薄まり、側にいる者に心を寄せてしまうとは……むしろ私を嘲ってくれ。私はいつしか、魔王様以上に、お前に心を持ってかれてしまったようなのだ」


 沈黙が部屋に落ちた。

 あまりにも長い静寂に、詠唱者が寝てしまったのか、と恐る恐るその顔を覗き込んだ。


「もう死んだと思ったか?」

「なっ…あっ、えっと」

「まぁ、いい。もし叶うことなら、次の生もお前に会いたいと思う程、私はお前を愛しているよ。話はこれで終わりだし、お前の返事もいらない。そろそろお前の居場所へとお帰り。次にお前と会う時は……」


 私の死を報せる時だろうな。


 そういって、心残りすべてを吐き出したらしい詠唱者は、微かな寝息を立て始めた。

 レニは穏やかに上下する詠唱者の胸の動きをしばらく見た後、その部屋を後にした。

 詠唱者は後継にその座を譲った後、魔の森の端に小さな庵を建ててそこを居にした。人にしては長い生を続けていたが、そろそろ限界らしい。


「ほんと、人間ってめんどくさい」


 詠唱者、あんたの心残りはなくなっただろうが、残されるレニの心は?

 ずっと、嫌いだ、苦手だ、と思い込もうとした。

 だけど体を繋げた瞬間に思い知った、わかってしまった。

 本当はずっと、ずっと、焦がれていたと。

 冷たい瞳の奥にくすぶる、魔王様への愛を、熱情を、それをうらやましいと思っていたのだ。

 決してそれが手に入らないと分かっていてなお―――




 三日後、詠唱者が死んだ。

 そばにいたわけではない。詠唱者の最後の魔力がそう、告げに来てくれたのだ。

 やせ細って、針金のような今の体ではなく、一番幸せだったあのころの面影がレニの前に表れた。


「……ははっ、見栄っ張りだな。魔王様によろしく」


 半透明に透き通ったその体が、レニの生身の肉体をすり抜けていった。

 魂は冷たいのだろうと勝手に思っていたが、懐かしい思い出が詰まっている、温かい塊だった。耳元に、一言だけ詠唱者の最後の声を落としていった。


『  』


 互いに決して瞳を合わせなかった。

 どんなときも名前を呼び合わなかった。

 それが、二人だけの暗黙の了解だったから。


「最後の言葉がそれって……卑怯者。やっぱり、大っ嫌い、だ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ