魔王様は逃げ出したい
あいつヤバい。
ガチでヤバい。
声が出ない。
体が動かない。
腰が痛い。
唯一の救いは、記憶をなくすくらいぐっすり眠れた、ようだ。
すっきりと言い切れないのは、十分に寝たはずなのにすっきり起きられないからだ。
寝台の上から全く動けない、って何この拷問?!
「マオーしゃま、だいじょぶ?」
なんとか目線だけ上げると、そこに癒し降臨。
黒目がちの大きな目、ぴるると動く耳、なんと私の鼻先には「さぁ、触ってもいいよ?」とばかりに尻尾がパタンパタンと揺れていた。
「レニぃ……」
触りたい!癒されたい!!
その一心で尻尾に手を伸ばそうとしたとき、フラッシュバックのように半裸の男の姿を思い出した。
「―――レニ、って男…いや、女?」
「レニは、淫魔、でち……って、ああ、面倒。ふつーのしゃべり方に戻していい?」
声は変わらないながらも、口調が全くの別人。いや、普通に会話しやすい話し方に変わった。
「しっかし、ユーノのやつ、ひどいな。ほっとんどマオーしゃまの魔力吸い取っちゃって!これじゃあ、動けないでしょ?」
「魔力……って、吸い取れる、の?」
『マオーしゃま』だけはそのままなんだなぁ、とぼんやり聞き流しそうになりながら、一番大事な部分を聞き返した。
「んん?魔力は無理やり奪うことも、与えることもできるんだ。ただ、マオーしゃまレベルになると与えるばかりで、マオーしゃまの魔力を枯渇するまで奪えるのは、詠唱者くらい?」
「詠唱者?!」
ガバリと体を起こそうとして、全身に走った筋肉痛にあえなく撃沈した。
「ほんと鬼畜だな、ユーノ。マオーしゃま、ちょっとごめんね?」
レニがまるでキスするかのように、わたしの鼻先にピンクの鼻先を近づけてちょんっとくっつけた。
あああ、なんてかわいいぃぃ!食みたい!!
「マオーしゃま、その獲物を狙うような目、やめて。どう、少しは動けるようになった?」
「あ、確かに」
まるで力が入らなかったのが嘘のように、体中の痛みも治まって起き上がることができた。
何をしたのか、と目線でレニに問いかけると、レニは器用にもそのなで肩をすくめた。
「本来はマオーしゃまの物だった魔力をお返ししただけ。レニはまたユーノから分捕ってやるから大丈夫!」
「で、さっきの詠唱者、ってのは?私、今まで何人もの詠唱者に会ってきたけど、そんな力持ってる人いなかったと思うんだけど……」
「ええ~、そこもまだ知らない?ユーノ、何考えてんだ……」
レニが子猫の眉間にシワを刻み、口をつぐんだ。何やら小さいその頭の中で、いろいろ考えているらしい。
い、今、撫でたら怒られる?怒るかな?!
「マオーしゃま」
「はいぃっっ!!」
こっそり手を伸ばそうとしたところで、レニがキッとその瞳を細めた。
私は思わず出した手を引っ込め、慌てて居住まいを正した。
「レニは怒ったので、ユーノが秘密にしてることを教えてやる!」
レニが語ってくれたことは、すべて私にとって初耳だった。
「つまり魔王とは、世界に魔力を供給し、詠唱者との間に子孫を作って、用がなくなったら封印される存在……」
なんということでしょう。
まさか魔王とは、使い捨てられる、そんなお手軽な存在だったとは!
「そういわれちゃ、身も蓋もない……」
肩身が狭そうに、レニがちんまりと肩を落とした。
ああっ、ちょっと落ち込みかけたけど、目の前でそんな可愛い姿見せられたら、別の意味で心が痛い!!
だけど、レニの言うことからすると、昨日のあれは……
詠唱者にとって、義務という名の行為だったのだ。
だから、どんなに泣いて懇願しても、やめなかったのだろう。
思い出してしまったことで、頬に熱が集まるのを感じた。
反対に、心は冴え冴えと凍えていく。
あの笑顔も、あの言葉も、心からの物ではなかったのだ。
好きでもない相手との行為はさぞ苦痛だっただろう。
流されるんじゃなかった。
やっぱり、受け入れるべきじゃなかった。
苦い思いが胸に渦巻いた。
「マオーしゃま、ごめんね。レニがユーノをけしかけたのもいけなかったんだ。ユーノがいつまでたっても行動起こさないから……」
「え、どういうこと?」
「淫魔の体液には催淫効果があるの。で、昨日、ユーノの体液をもらうついでに、ユーノにお返ししたから……それでユーノがそういう気分になっちゃったみたい、で……」
「きっききっ貴様のせいかああぁぁぁ?!」
「ごめっ…ごめんなさぁいっ」
「許すっ!ってか、許すしかないっっ!!」
前足の間に顔を突っ伏し、全身ピルピルと震える子猫を怒ることができる人間がいるだろうか?!
いやない!!!(反語)
「……でも子供……まさかできて……」
「どっちに?」
「は?」
レニが前足の間から好奇心を隠しきれない顔でこちらを見上げている。
「え?意味が……意味が分からない」
「そこから?!ユーノのバあぁぁあカ!!!」
吠える子猫、かわいいです。
誰かスマホ持ってない?!
「マオーしゃまは無性です」
「無性」
「もちろん、ご自身で子を産むことができます」
「はい」
「詠唱者は人とほぼ同じ身体構造なので、男女、どちらかの性を持ってます」
「えっ?!」
「なので、マオーしゃまはどっちの性ともできますし、どっちの性にも子供を産ませることができます」
「ええっ?!」
レニの説明を信じるならば、わたしは両性具有であり、詠唱者の性別関係なく孕ませることができる、ということ?
相手が男だったとしても?!
その場合、どうやって出産……
そして、相手が女でも私は孕める、と?
いや、その前に、なにその自然の理に反したでたらめな存在!!
あ、私か。
「だって、効率悪いでしょう?どっちか一人だけが子供産むのって。ちなみに安産で多産の家系だから安心だよ!」
「そっそういうもん?!」
だんだん頭がこんがらがって来たぞ?
あれ、おかしいのは私???
「で、ユーノはどっちだった?実はレニ、ユーノがどっちの性なのか知らないんだ」
キラキラした瞳の子猫が小首をかしげて問うてきた。
「えっ?」
「え、って…え?」
「し、知らない」
「えっ?!」
「な、なんか、体中いじられまくって、なんども、その、イったのは覚えてるんだけど、さ、最後どうなったのか……」
「なにそれええぇぇ?!」
「ですよね~?!」
一人と一匹は寝台の上で同じようなポーズで蹲った。
「マオーしゃま」
「はい」
「レニはユーノにぎゃふんと言わせたいと思います」
「激しく同意します」
「では、マオーしゃま、レニに付き合ってください」
「どこに?」
「魔王城出します」
重なり合う木々の葉の隙間から、青空が垣間見えた。
まだ日は高いらしい。
「レニ、どこに向かってるの?」
「魔の森はレニの庭。マオーしゃまは、心配しないで着いてくるだけで大丈夫!」
現在、一人と一匹で『魔王城出』してます。
魔力使ってなにかやるとユーノにばれるというレニの言葉に従って、魔の森を歩いて散策中。
レニは私をどこかに連れて行きたいみたい。自信をもって尻尾をピンとたてて、お尻フリフリ先導してくれてます。
はぁぁ、その尻、モフモフしたいっ!
「マオーしゃま、そのお顔はちょっとヤバい。さすがにレニも引く」
「すす、すみませんっ!!」
スライディング土下座くらいいくらでもする。
思い出せ、レニは筋肉質男子、豊満胸部レディ!
……よし、落ち着いた。
「そういえば、レニも私と同じ、無性、なんだよね?」
「んーと、マオーしゃまの無性、とはちょっと違う。レニの場合は両性具有。サキュバスの時に孕んじゃうと、出産するまでインキュバスに戻れない。まぁ、子供を産んだらまたインキュバスになれるけどね。でも、マオーしゃまの場合は、子供がいても詠唱者を孕ますのに何の問題もないんだ」
「ふーん。淫魔はみんな両性具有なんだぁ」
「違うよ?レニだけだよ」
「あれ、そうなんだ?」
「だって、レニは魔王様に産んでもらったからね」
「……………は?」
その言葉を理解するのに数十秒を要した。
「ええ~~?!」
私の叫びに、近くの木に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立ち、辺りはにわかに喧燥に包まれた。
飛び去った鳥たちの鳴き声も聞こえなくなった頃、やっと私は立ち直った。
「びっくりしたぁ。あ、もうすぐ着くよ。こっちまっすぐいったとこ!」
「そそ、それじゃあ、レニのお父さんって?」
改めて歩き出したところで、ツッコミ気味に聞いてみた。
「消滅されたよ~。まぁ、レニはその時、まだ魔王様のお腹の中だったから、見てないんだけど」
「は?!」
「レニのお父さんはもちろん淫魔なんだけど、魔王様に横恋慕してさ。魔王様には詠唱者がいつもべったりついてたんだけど、ほんのちょっとのスキをついて、詠唱者のふりして魔王様を抱いたんだって」
あ、先の魔王様のことは『魔王様』って呼ぶんだ。
ぼんやりと、話の筋には関係ないことが思考の一端をかすめた。
「そしたら、詠唱者がものすごく怒って、一瞬で消し炭にしちゃったんだって。だから、よくわかんないや。詠唱者はレニのことも『なかったこと』にしようとしたの。でも魔王様が『レニには関係ない』って守ってくれたの!レニもね、魔王様がたくさんたくさん愛してくれたから、ずーっと幸せだったよ!」
「レニは、前の魔王様が大好きだったんだね……今回、こんな魔王で、ごめん……」
たぶん私は、レニの理想の魔王様像を壊してしまっただろう。今の自分の情けなさを振り返ると、申し訳なさが半端ない。
「レニね、魔王様もマオーしゃまも大好き!」
「レニいいぃぃ!!産んだ記憶はないけど、私のこと、ママって呼んで!!」
「ママ?」
「産んだ人、レニのお母さん、ってことだよ」
「ママ…ママ」
不思議そうにこちらを見上げて、その言葉をかみしめるように繰り返すレニ。
え、なにこれ、めちゃくちゃ愛しい。
「ママ!」
精いっぱい首を伸ばしてこちらを見上げた子猫が、にぃ~っと目がなくなるほど満面の笑みを浮かべた。
一瞬意識が遠のきかけた。
「ママもレニのこと大好きだからねぇぇぇ!!!」
ひしっ、とレニを抱きしめた。
前の魔王様グッジョブ!
こんなかわいい子を残してくれてたなんて!!
あまりにも強く抱きしめすぎたようで、苦しがったレニに猫キックを顔面に食らってしまったが、痛くもかゆくもない。間違いなくご褒美です、ありがとうございました。
「ところでレニ、さっきから斜めに方向ずれてるけど、ちゃんと目的地に向かってる?」
「え?こっちに向かってるよ?」
柔らかそうな肉球の前足を持ち上げ、レニが方向を指し示した。
おかしい。
レニの前足の向けた先に対し、体の向きや進む道が微妙にずれている。
「魔の森って方向感覚が狂って、迷うんだっけ」
「レニに限って、絶対迷わないよ?」
「じゃあ、なんで……」
ふと思いついて、レニを手招きした。大人しく近づいてきたレニを、抱き上げて懐に入れる。
「これで一緒に行こうか。こんな森の中歩くの、疲れたでしょ?」
「も~、レニの見た目は今はこうでも、赤ちゃんじゃないって言ってるじゃないっ!」
「もちろんわかってるよ。ただ、私がモフモフを堪能したいだけだから、ワガママに付き合ってよ、ね?」
しょうがないなぁ、付き合ってあげる!と何ともかわいい上から目線のセリフにニマニマ笑いながら、私はレニの肉球の先に向けて歩き出した。
しばらく歩くと、ブルンと見えないゼリーのようなものを通り抜けた感覚があった。
「え?!」
懐のレニが、首を伸ばして辺りをキョロキョロと見渡した。
「マオーしゃま……今、なんかの結界通り抜けた」
「結界?」
「すっごい強力なやつ。これ、ユーノだと思う。普通なら近づいただけでユーノにバレちゃうけど、マオーしゃまに天界の羽衣、着てもらっててよかった」
「へ~、やっぱりすごいアイテムだったんだ、これ」
魔王城出することになり、レニがどこからか持ってきた、足元まですっぽり覆うローブ。深緑色で見た目はすごく重そうだったけど、羽織ってみるとこれが意外と軽い。しかし見た目怪しさ百パーセントなのに、そのままレニの先導に大人しくついていくも、誰も私に目を止める人はいなかった。もちろん、そのまま城門も誰何されることなく簡単に潜り抜けられた。『天界の羽衣』という大仰な名前とはかなりかけ離れた外観だが、性能的には高機能だ。
「どおりで、レニが目的地に向かってるのに、なかなかたどり着かなかったわけだ。ここ、半径数百メートルくらいの半円状の結界で覆われてるから、無意識にその結界を避けて歩くコースを取らされるみたい。でも、この辺に結界張ってまで誰も寄せ付けないようにするものって……」
こ、子猫が、子猫が腕組みして鼻息荒く考察している!
「ま、レニの頭じゃわかんないや。マオーしゃま、とりあえず進んで」
私はレニに言われるまま、結界の中心部へと移動した。だんだんと木々が絡み合い、周囲は益々鬱蒼としてきた。なんとなく獣道があるので、そこから外れないように歩く。
急にぽっかりと目の前が開けたと思ったら、日の光が降り注ぐ空き地に出た。急に暗いとこから出たせいでまぶしさに目を細めると、空き地の反対側になにやら洞窟の入口みたいなものが見えた。
「ここ……」
「レニ、知ってるの?」
「うん、魔王様の秘密の場所。あそこは岩室になっててね、魔王様が一人きりになりたいときとか、こっそりここに来てたの。レニもたまに一緒に連れてきてもらってたから、覚えてる」
レニが目を細めて、過去を懐かしむかのように辺りをゆっくり見回している。
「あの中でね、魔王様と一緒にお菓子たべたりおしゃべりしたの。魔王様があの中、お部屋の中と変わらないくらい快適に作ってくれてね、お泊りもしたよ」
「へ~、女子会とかパジャマパーティー的な。中に入ってみる?」
「入りたい!でも、今気づいたけどあの入り口……空間が歪んで見えるから、たぶん、封印でもされてると思う」
「さっきも結界通れたし、行ける行ける」
わたしはそのままずんずん突き進み、今度はなんの障害を感じることもなく、岩室の中へと入ることができた。先の魔王様が作った、って話だし、本人だからかな?
「中に入ると、暗いね」
入り口からの日差しはすぐに届かなくなり、それ以上中の様子が見えない。岩壁や床は整えられているようで、暗くても足元の不安はあまりないのは助かった。
「酒は持ってきたか?」
奥からかけられた声に私もレニも飛び上がった。
まさか人がいるとは思わなかった。奥から誰かが近づいて来る気配がして、ある場所でピタリと立ち止まった。
「ちっ、これ以上は進めんか―――おや、誰もいない?おかしいな、誰かが入ってきたと思ったんだが……」
暗闇の中、その黒よりなお暗い人影が頭に手をやり、首を左右に振るのがぼんやりと見えた。
「……ラー、チェ?」
ピクリと私の胸元で動いたレニが、かすれた囁き声を上げた。
「参った。とうとう幻覚や幻聴まで始まったか。あー、あの馬鹿後継者にさっさとこっから開放してもらうのと、儂がおかしくなるの、どっちが先かのう」
「ラーチェ!!」
勢いよくレニが懐から飛び出し、黒い人影へと飛び掛かった。
「うわああぁぁあっ?!」
「ラーチェ!ラーチェ!!」
子猫の形態からインキュバスへと一瞬で変貌したレニの声と、飛び掛かられた人物が折り重なるように床に転がったようだ。結構激しい音が響いた。怪我してないといいけど。
しかし、どうしよう、暗くてよく見えない。
「えーと、灯火」
手のひらに魔力を集めて、光をイメージする。うまいこと熱くない小型太陽が形成され、それを岩室の天井へと投げ上げた。
目の前に、折り重なる二人がよく見えた。
片やパニックを起こしてジタバタと暴れる人物、その人物を押し倒し、全力で頬を擦り付けているレニ。危険はなさそうだ。おそらく二人は知り合い、のようだ。
その人は、ユーノの前任の詠唱者で、ラーチェ、と名乗った。
ひざに子猫のレニを乗せて、その喉をくすぐっている。激しくうらやましい。今度、わたしもあの体制でレニを愛でたい。いや、愛でる。
「ところで、魔王様。ユーノとは仲良くやってますか?」
その言葉に、私は返事に窮した。
仲良く―――二人の関係は子孫を作るためのもの。悪いよりは良い方がいいのだろうが、そこにユーノの心はない。では、私は?胸に痛みを覚えるほどのこの感情を、私は何か知っている。知っているけど、それを認めたくない。
「仲良く、は、なれたよね?ユーノの一方的な押し付けかもしれないけど」
「ほほぉ、することはした、と」
「でででもっ、ユーノは義務感からそういうことをしただけで、私のことは何とも……っ」
「義務感?まさか、あやつの魔王様への傾倒ぶりは、この儂が魔王様に近づくだけでも不機嫌になっておったくらいでな。ここ数年、魔王様がお眠りになるお部屋に入るのも命がけじゃったが?その溺愛ぶりからして、今代でお目覚めにならなかったら、どうなってたかと空恐ろしくなっとったくらいだが……」
ラーチェさんが訝し気に首をかしげてる。そして、ふと、入り口の方へ顔を向け、レニを私の手の中にそっと渡してきた。
「魔王様、灯火を消していただけますか?そして、先ほどと同じようにレニを懐に入れて、身を隠していただきたい。貴方の不安を消して見せましょう」
早口に支持された言葉に、慌てて従う。
「さて、その不安が消えた後の方が幸せかどうか、は儂にはお約束できませんが、な」
ラーチェが何か呟いたが、私の耳には届かなかった。