番外編 魔王様は眠りたくない
「やめろ、私はまだ眠りたくない!仕事が……大事な仕事が山積みなんだ!!」
「今なさっているお仕事が好きで、楽しいのはわかります。でもダメです」
「もうちょっと!あとちょっとで終わるからああぁ!!」
「そんな目の下に隈作ってまで終わらせたところで、後で間違いが見つかるだけです」
それでも私から逃げようとする魔王様。
そんな疲れ切った体で私から逃げられると思ったら大間違いだ。
「 」
魔王様の耳元で、聖なる呪文の一節を唱える。
カクリ、と魔王様のひざから力が抜けた。そのまま私に頭を預け、あっという間にスゥスゥと穏やかな寝息を立て始める。
「とうとうマオーしゃま、捕まっちゃったぁ?」
魔王様の寝所へとお連れしたところで、その寝台の上でくつろぐ淫魔がいた。
ジロリとにらみつけるも、まるで意に介さず、反対にあくびをして返す。淫魔が居座ってようと気にならないくらい広い寝台に魔王様をそっと横たえた。
「貴様の仕事をしろ、と私は命令したはずだがな?」
「レニだって頑張ったんだよ!こっちで一緒に寝ようよ~って誘ったのに、マオーしゃまったらレニをひざにのせてそのままお仕事し始めるんだもの」
「それで貴様が寝てしまっては本末転倒だろう」
「それは……そうだけど、マオーしゃまの撫で方の技巧と来たら!ユーノの聖なる呪文並みにあっという間に眠くなっちゃうんだから!!」
「御託はいい」
私は魔王様のほおにかかった一筋の髪をそっと耳の方へと流した。眠りが浅かったのか、魔王様が身動ぎし、両腕を伸ばしてきた。その手を取ろうとしたところ、すぐそばにいたレニをかっさらうように抱きしめた。
「うぎゅうぅっ!」
レニが肺の空気全てを出し切ったような声を上げた。魔王様は満足げにニマニマとした笑顔を浮かべ、レニの毛並みを撫でまわしている。
これ、実は起きて……いないようだ。
「やめろ、ユーノ!レニの首がもげるぅぅぅ!!」
むかついたので、頭を掴んで引き離そうと思ったが、魔王様が抱え込んで離さない。私と魔王様の力が子猫の首一点で拮抗していた。
「ちっ」
「死ぬから!レニ、不死じゃないから、死ぬからね?!」
「再生すればいい」
「マオーしゃまがレニの血にまみれるの見たい?」
寝台の上を汚すわけにはいかないので、仕方なしに手を離した。
これだけ騒いでいても、魔王様の寝息は乱れない。
「今のでよく寝てられるなぁ、マオーしゃま」
「よほどお疲れだったのだろう。これ以上そばにいるつもりなら喚くな」
「原因がなんか言ってもなんの説得力もないんですけど」
「血を見せずとも絶命させる方法など、いくらでもあるが?」
「まっ、マオーしゃまが起きちゃったらどうするつもりさ?!」
「問題ない。お疲れが取れるまで、聖なる呪文でまた眠りについてもらうまで」
私達の不穏な空気を感じたのか、魔王様が微かに眉をひそめられた。
「―――ユーノ…」
その唇から、囁くような声で、私の名がこぼれた。私はすぐさま魔王様の耳元で、聖なる呪文を諳んじた。私の声に安心したのか、魔王様のわずかに肩に入っていた力が抜ける。ホッとしたような表情になり、魔王様は再び眠りについた。
淫魔が大きく目を見張り、次いで、不思議そうに口を開いた。
「そういえば、そもそも聖なる呪文ってなに?」
魔王様の意識のない時にすら名を呼ばれ、わたしはすこぶる機嫌が良い。めずらしく、淫魔の質問に答えてやってもいい気分になった。
「聖なる呪文とは、異界渡りの初代様が最初にもたらしたとされる『子守唄』なるものだ。これは代々、純粋な詠唱者へと継承されてきた。幾種類かの基礎があり、様々な派生もしてる。詠唱者の血を引く者なら、曲がりなりにも誰でも知ってるものだ」
だが、きちんと詠唱かどうかはまた別の話だ、と私は話を締めくくった。
「どーりで、他の詠唱者たちの聖なる呪文のひどいわけがわかった…」
子猫が渋面を作って唸った。
「あの声や出来で眠ろうと思っても、眠れるわけない!反対にあの変な節が頭に残って、レニは寝不足になったくらいなんだから!!」
淫魔はその能力ゆえに、たまに働き過ぎの魔王様に代わり、詠唱者たちの対応をしてもらっていた。魔王様に扮した淫魔に、封印のためにと歌う『子守唄』はだいたいその体すら成していなかった。
「まぁ、本当にその聖なる呪文で寝てしまったら、貴様にとっての永遠の眠りになるだけだが」
「ちょまっ、ユーノお前ええぇ!レニ死ぬとこじゃん?殺す気?!むしろ、殺る気満々?!!」
「安心しろ、これは、と思うほど上手なやつなどいなかった」
「これからはどうかわからないだろぉがあぁぁ!!」
「貴様は魔王様のもの、なんだろう?今後も頼むぞ」
「ユーノのいけずっ!!」
魔王様に抱かれて、ほおずりされて、撫でられてる貴様に言われたくない。本来なら、その場所は私のものだ。
心の狭い詠唱者と淫魔の舌戦は、魔王様のお目覚めまで続いたという……
ちなみに、「聖なる呪文」を唱える際、声に適切な魔力を乗せなければその効果は発揮されない。ユーノはあえて教えるつもりはなかったので、しばらくレニは生きた心地のしない中、魔王様役をやらされた。その事実をラーチェから教えてもらった後、またもや二人の間に諍いがあったとかなかったとか。