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Sacred Dagger

 人気のない雑木林。


 生い茂る木々の隙間から陽光が差し込む。その光はレースのカーテンのようにひどく儚げで。それでいて、戯れる輪舞曲ロンドのようで。ひっそりと佇む廃墟と化した古い聖堂に降り注いでいた。


 建物全体をきつく拘束する、蔦の茶緑。抵抗力はとうに限界を迎えていて、壁は無残にも崩れ落ちている。色褪せ蝶番が外れている両開きの扉は、うつろげに半開き。


 その隙間から、中がうかがい知れた。内壁の板はあちこちがれ落ちて、明かり取りの燭台は原型をひとつも留めていない。


 穏やかな春風漂う昼間。そうだというのに、蔓延はびこる木々の葉っぱの威圧感は絶対服従のよう。申し訳なさ程度に差し込む光の中で、埃が人を惑わせる妖精のようにキラキラと舞い踊る奇想曲カプリッチョ


 真正面奥、祭壇へと続く身廊。床一面を覆う大理石は、輝きなどとうに失せていて、濁った水たまりのような不透明さ。


 両脇に幾重にも連なる丘のような参列席。杞憂の法則が当てはまらない。抜け落ちた天井にのしかかられ、ボロボロに破壊され、あちこち行き止まりになっている。


 荘厳と神聖の象徴。色とりどりの美しいはずステンドグラスは、月日という研磨剤でくすみ切り、砂埃がこびりついて、威厳と癒しの玉座から引きずり下ろされていた。


 混在している、現在進行形の不浄と過去の純潔。怪奇的でありながら幻想的な空間。


 誰もいないように思えたが、祭壇の右側、一番前の参列席に線の細い男がいた。両肘をテーブルの上へつき、両手は額の前で組まれている。


 手のひらの中には、肌身離さず首から下げているロザリオ。しっかりと握り、神への祈りを半時ほど静かに捧げていたが、目を閉じているはずの男には、不思議なことにこう見えていた。


(――浮遊霊が……集まってきてしまいましたね)


 まぶたはゆっくりと開けられ、冷静な瞳はあらわになった。


 慣れた感じでロザリオは上質なブラウスと肌の間に落とされる。両方の手のひらを天井へ向け、顔と同じ高さへ上げ、優雅に降参のポーズを取った。 


 左腰に挿してある聖なる短剣ダガーの柄を、人差し指と中指で流れるような仕草で挟む。


 そうして、すば抜けた霊感を使う。すぐに触れるチャンネルを変え、鞘からすっと抜き出した。


 それは物質ではなく、霊界での透き通ったダガー。常人には決して見ることのできないもの。


 影のあるローズグレーの瞳は、激情というマグマをも瞬間凍結させるほどの冷たさを持っていて、氷のやいばという代名詞がよく似合う。


 持ち主の男の名は、崇剛 ラハイアット、三十二歳。神父で聖霊師。


 聖霊師とは、悪――邪神界へ下った者の魂を浄化する人のことを言う。


 瑠璃るり色。濃く淡く、真逆の絶妙な、吸い込まれそうな青。それを基調とする、貴族服に身を包む崇剛の百七十八センチの体躯は、運動には決して向かない。


 時折、崩れた建物からの隙間風が、崇剛の優雅なオーラに彩色され、まるで舞踏会でダンスを申し込むように彼に跪き、片手で裾に触れてゆく。


 神父以外の仕事を主にしている崇剛。彼の好みは貴族服。黒い上下の神父服はワードローブで、大抵バカンスを満喫しているのだった。


 南半球の海を連想させるようなターコイズブルーの髪。大きなカーブの癖毛は背中の中程までの長さ。


 崇剛の心のうちを表すように、後ろでわざともたつかせ感を出し、束ねている細いリボンは紺。


 まとめ切れなかったおくれ毛があでやかに頬にかかり、それを耳にかき上げる手は細く神経質。


 物質界と霊界のものはぶることもなく、ダガーを持ったままの手を、白い細身のズボンにさりげなく入れ、中にあったものを慣れた感じで取り出した。


 丸く小さいものは、わざとくすみを持たせた鈴色の幾何学きかがく模様。その奥はマリンブルーを思わせるような三本のそれぞれ長さと細さの針とアラビア数字盤。


 冷静な視線は懐中時計にほんの少しだけ落とされた。


(13時43分26秒)


 崇剛が時刻を確認するのは、小さい頃からの癖のようなもの。時計はすぐにしまわれる。


 優雅に微笑み、おどけた感、芯があるのに遊線ゆうせん螺旋らせんを描くような、この世の声ではなく、あの世のそれが、ゆらゆらと浮かぶ幽霊たちに対して向けられた。


「――そんなに、私に構って欲しいのですか? 仕方がありませんね。そちらをすることが、私は嫌いではありませんからね」


 物腰全てが優雅で貴族的。


 参列席からスマートに立ち上がり、茶色のロングブーツのかかとをカツカツと鳴らしながら身廊へ出てきた。左右の足を前後にずらし、クロスさせる寸前の細身をさらに強調させるようなポーズ。


 タガーを挟む指先の力を慣れた感じで一旦抜き、重力に逆らえず下に落ちてゆく柄を、逆手持ちで身構えた。


 そうして、体の内側で、J.S. バッハ ミサ曲 ロ短調が奏でられ始める。


 ――Kyrie eleison/しゅよ、あわれみたまえ。


 いきなりの、フォルティッシモ。

 体中に響き渡る幾重の聖なる声。

 低く暗い故意の不協和音。

 それに創造される神聖と荘厳。

 悪との戦いを前に、身を清めるような調べ。


 選ばれし者に、神が与えたという特殊能力メシアのうちの千里眼せんりがんを保有する崇剛。その目で見つめる。常世の自分とは全く違う法則で、浮遊する幽霊たちを恐れずに。


 崇剛の脳裏には必要なデータがいくつも並ぶ。


 ――霊界には、霊層れいそうというランク分けが存在します。

 そちらは、魂の透明度や力の強さを表すものです。

 欲望をつかさどる肉体を持つと、そちらは自然と低くなります。

 ですから、幽霊の方が高く力が強いのです。

 すなわち、私1人では完全に成仏させることはできません。

 従って、そちらができる方に出て来ていただきましょう――


 人を人が裁くことはできない。崇剛は悪霊を魂から引きはがすだけ。

 霊までしか見えない他の聖霊師は、そのあとは神頼みしかないのだ。しかし、千里眼の持ち主は天使まで霊視可能。きちんとした悪霊の引き渡し――除霊ができるのである。

 

 神父の中に流れ続けるミサ曲は、この祈りを捧げる。


 ――Qui tollis peccata mundi/世の罪を除きたもう。


 おそれと全身を貫くような神聖なるものに身を任せ、安寧という名の闇へ、まるで青い海が広がる断崖絶壁に立ち、両腕を水平に広げ、空を真正面から見つめる形で、背中からダイブするような感覚――神がかりなエクスタシー。死と生の狭間で絶妙なバランスで立たされ、悪霊と一人対峙する聖霊師。


 ローズグレーの冷静な瞳はついっと細められ、


「神の元へ帰らず、地上へ少しでも留まった者は地獄行きです。それでは、行っていただきましょうか」


 優雅な声が不浄な空気に舞うと、それが合図というように、悪霊との間に張り詰めていた空気が一気に崩れた。


 霊力という地位や名誉、自分自身のエネルギーともなる価値あるもの。千里眼を持つ崇剛は非常に高い霊力である。それを奪おうと、二十人程度の浮遊霊全てが、崇剛に真っ白な透き通った手を一斉に伸ばしてきた。


「それが、欲しい……」 

「昼間ですから瑠璃さんはいませんので、お願いします」 


 魂を成仏させるためには、崇剛はいつも二人三脚。いや、三人四脚なのだが、これを乱す人がいるのだ。その誰かさんを指名したのに、出てこないまま戦況が動き出した。


 白い手のひとつが崇剛の右手に伸びそうになった。ダガーで銀色の一直線を描き、それを鮮やかに斬り裂く。 


「ウギャ〜!」


 叫び声が体の内側――脳の奥にこびりつく。気を狂わせるような悲鳴。悪霊との戦闘など日常茶飯事の崇剛。冷静なローズグレーの瞳は微動打にせず、悪霊を数センチの距離で見ても恐れやしない。


 だが、青白い手は煙のようにゆらゆらと揺れ、あっという間に、幽霊のそれは原型へ戻った。


「あなたは正神界なのですね。ですから、こちらが効かないのですね。あなたの動きを封じることは、私にはできません」


 邪神界に対抗するために神が与えた力。味方である正神界の幽霊には効かないのだ。


 自分の帰る場所もわからなくなり、迷うのが浮遊霊。そこから逃げ出したいともがけば、同じ仲間であるはずの正神界の崇剛にも危害を加える。


 人当たりもよく、たくさんの人に慕われているから、正神界とは限らない。悪行を働くから、邪神界とも言えない。


 単純ではないからこそ、国立が頭を悩ませるのだ。だからこそ、聖霊師の存在が必要なのだ。


 次に襲いかかってきた手には、聖なるダガーはしっかりと刺さった。


「グォーッ!」

「邪神界のまま、転生したということですね。すなわち、悪に魂を売りさばき、罪を償わずに生まれ変わった」


 邪神界が幅を利かせているご時世では、人殺しをしようと何だろうと、罪を問われることなく、平然と人生を歩めてしまうのだ。


 崇剛は持ち手は変えず、左手でダガーの柄を取る仕草をする。すると、それはふたつに分身。左手には何も刺さっていない刃物が現れた。


 悪霊を刺したままの右手をそのまま、壁を手の横で叩く要領でダガーごと外し、燭台の下の木片へ向かって突き放した。


 聖霊師のターコイズブルーの長い髪が、振動であでやかに揺れ動く。線の細い瑠璃色の貴族服から、悪霊が空中を猛スピードで横滑りしながら離れていき、壁にダガーではりつけにされ、


 ズバンッ!


 宙づりになった悪霊から、邪神界のあかしである黒い影が魂から抜け出し、風船のように浮き上がった。浄化してくれる人が出てこないまま、次々に動いてくる戦況。


 悪霊に囲まれた神父は、ロングブーツのかかとを濁っている大理石の上で、砂埃のススッという雑音をともなって反転。上着に忍ばせている魔除けのローズマリーの香りがほのかに立ち上る。


 今度は祭壇を正面にして立ち、聖霊師は幽霊に優雅に微笑んで見せた。


「あなたはこちらがお望みですよね?」


 霊力の集まっている場所は、はっきりと見えやすく濃くなる。勝つ可能性が高いものを選び取る崇剛は、血も涙もなく必ず相手の急所――弱点を突いてくる。


 迫ってきた霊の喉元をえぐるようにダガーで突き刺し、ダーツの矢を投げる要領で、真正面へ向かって冷酷無惨に射放った。


 死霊という特急列車の通過をホームから見送るように、冷静なローズグレーの瞳から霊は遠くなっていき、ひび割れたステンドグラスは、ダガーから発せられるメシアの強い霊力で、


 ガシャン!


 と派手に砕け散った。影がまたもや魂から浮かび上がるだけ。再び左腰元の鞘にしまったままの物質界のダガーへと手をかけ、霊界のものを取り出す。


 左手で握ったまま自分の右肩へ向かって、自傷行為につながりそうな勢いで振り下ろし、


「そちらからくると思っていましたよ」


 崇剛の脳裏には、彼らしい思考回路が浮かぶ。


(――背後から襲われるという可能性は、98.98%でしたからね)


 策略家の異名を持つ男。彼の可能性の数値は、必ず小数点以下二桁まできっちりと計算されている。


 その時の気分や勘では決して動かない。全てを記憶する冷静な頭脳を使い、膨大な量の情報から可能性を導き出し、勝つ可能性が高いものを選び取り、言動を決めてくる。


 しかし、ダガーは悪霊の白い手に刺さるだけで、一瞬ユラっと揺れ、すぐに白い手の原型を取り戻した。優雅な聖霊師はくすりと笑う。


「困りましたね。正神界だったのですね、あなたは」


 幽霊の手が崇剛の右肩をがっちりと捕まえ、神父の体はぐらっと後ろへ傾き、そのまま四方八方から別の手が伸びてきて、肉体から魂が無理やり引きずり出された。


 重力という感覚は軽くなり、すぐ目の前に瑠璃色の貴族服を着た自分の後ろ姿が立っていた。


 まるで糸が切れた操り人形のように床へ崩れ落ち、自分を自分が見ている状況下でも、聖霊師の崇剛は優雅に微笑む。


「幽体離脱ですか。さて、どのようにしましょうか?」


 このままでは、死という出口のない迷路へと、自分を包囲する悪霊たちによって投げ込まれてしまう。


 メシアという霊力の高いものに惹かれ、浮遊霊は次々と集まってきてしまい、敵の数は五十人ほどにまでに膨れ上がっていた。


 しかし、焦りという感情を簡単に抑え込める崇剛の冷静な頭脳は、絶えず正常に稼動中。


(そうですね……? こちらのようにしましょうか?)


 誰かさんの膨大な量のデータから、必要なものを抜き出し、勝つ可能性の高いものを選び取った。


 冷静なローズグレーの瞳を持って、同じ次元となった悪霊の手を、細く神経質なそれで直接剥がしながら、青白い触手の群れを次々とダガーで迎え撃つ。


「左右両方でしょうか!」


 素早くダガーを分身させ、同時に短剣二本が銃口から放たれた弾丸のように、宙で鉛色の尾を引きながら離れてゆく。


「どちらも邪神界だったみたいです」


 ふたつの悪霊が爆風を起こしつつ、濁った大理石の上を横滑りしていき、祭壇とステンドグラスにそれぞれ磔となった。


 スバン!

 ガシャン!


 だが、未だ浄化してくれる誰かさんが出てくることはなく、影がおどろおどろしく浮かび上がるだけ。


「仕方がありませんね。あの方にも困ったものです」


 崇剛の右手に素早く握られた新しいダガー。次々に襲いかかる浮遊霊を縦横無人に避けながら、聖霊師は誰かさんに対して、あきれ気味に疑問形を放った。 


「どのような可能性を導き出されたのですか?」


 不浄な霊界で優雅な声が舞うが、それでも、誰かさん助けに来ない。崇剛は霊を切り裂きながら少しずつあとずさって、とうとう壁際へ追い詰められてしまった。


 古い聖堂とは言え、聖なる結界が薄っすらと張られている。神に与えられたメシアを持っている崇剛は、もれずにそれに体を遮られてまい、絶体絶命のピンチ。


 白いふたつの手が同時に伸びてきて、聖霊師は両手首に手錠をかけられたようにつかまれてしまった。そのまま壁に強く押しつけられ、中性的な崇剛の唇から思わず苦痛の吐息がもれる。


「っ!」


 優雅な神父は多数の悪霊に拘束されてしまった。手首をロープか何かで縛られたように、頭上高くへ無理やり持ち上げられる。崇剛の袖口で優美をたたえているロイヤルブルーサファイアのカフスボタン。


 それは持ち主から最高潮に離され、聖霊師の手が持っていられなくなった霊界でのダガーが強制的に戦闘不能へと追いやられ、床にストンと落ち、縦に突き刺さった。


「苦しめばいい……」

「悲しめばいい……」

「死ねばいい……」


 丸腰で無防備となってしまった神父へ、悪霊の青白い口から浴びせられる怨念おんねんの言葉の数々。


 死という恍惚こうこつとさせるものの中で、崇剛のターコイズブルーの髪は戦闘で乱れに乱れ、神経質な頬で艶やかにみだらに絡み合っていた。


 悪霊たちの怪力で、両腕は頭上高くへとさらに引き上げられ、崇剛の茶色のロングブーツは床から離れ、屈辱的な拷問を容易に連想させる吊り責めの形となった。


 幽霊たちの優越感という不透明水彩絵具ガッシュで塗り重ねられる冒瀆ぼうとく。このままでは、本当の意味で犯され――けがされてしまう。


 中性的な唇は動くことなかったが、


(困りましたね。生者必滅しょうじゃひつめつでしょうか)


 自由が奪われたままの神父の冷静なローズグレーの瞳はついっと細められた、至福の時というように。


(ですが、こちらで、あの方が降臨してくださるという可能性が96.07%まで上がりましたね)


 勝つために――この場を乗り切るために、崇剛はわざと今の状態へと自分自身を陥れた。つまりは冷静な策略家の聖なるいざないの罠だった。


 崇剛の魂底こんていへと向かって、次々に青白い手は濁流のように伸びてきて、霊力とメシアを根こそぎ奪われ、どこの世界からもいなくなる――消滅という本当の死を突きつけられそうになる。


 だがそれでも、崇剛の優雅な笑みは絶えることなく、恐怖という文字は己の辞書にあるが、冷静な頭脳でいとも簡単に封印してしまえる千里眼の持ち主は、待ち人に心の中で問いかける。


「こちらのままでは、私が天へ召されますが、よろしいのですか?」


 そうして、同時に、彼のデジタルな頭脳は数字をはじき出す。 


(あの方が降臨されるという可能性は、98.47%までに上がりましたね)


 神――主に祈りと感謝を欠かさない神父の霊体(*魂の姿形)にも、首からかけられた銀のロザリオ。かろうじて、その聖なる力によって、神父の魂――命は守られていた。


 だが、敵の数が多すぎ、体を左右へねじ避けてを繰り返している間に、霊体の髪を束ねていた、紺のリボンはスルスルと床へ落ち、ターコイズブルーの長い髪は解け、急に女性的になってしまった崇剛。それは、悪霊たちから死という強姦をされるような有様だった。


 それでも、聖霊師は優雅に微笑み続け、彼の冷静な瞳には、どうしようもないほどの数の悪霊を映しながら、


「また、何か他のことをされているのですか?」 


 精巧な頭脳は絶えず稼働中。


(あの方が私を殺すことは、ゆるされていないという可能性は99.78%です)


 その時、すぐ後ろ――聖堂の壁と同じ位置に、二メートルの背丈で腰までの長い金髪の人が物理的な壁板を無視して、天国から突如すうっと降臨した。


 真っ白なローブを着て、頭には天使の証である光る輪っか。背中には立派な翼が広げられている。どこからどう見ても聖なる存在だった。


 だが、ここは違った。目は心の窓とも言うが、こんな言葉は存在しないが、誘迷ゆうめいという代名詞が一番似合う、サファイアブルーの瞳。これが、崇剛を守護する天使ラジュ。


 丁寧な物腰なのに腹黒く、天使としてあるまじき行為を平然とする。一癖も二癖もあって、神に仕えている身で人を策略という罠へ突き落とす。ということを、ニコニコ微笑みながら、次々とわかるように仕掛けてくる男性天使。


 悪霊を成仏させることもせず、自分の前で死という再生不可能なものを迎えようとしている守護する人――崇剛に向かって、女性的な澄んだ声がおどけた感じで無慈悲に浴びせられた。


「おや〜? 名前を呼んでいただかないと、登場しませんよ〜」


 美しい両翼は崇剛の背中に迫るようにして立ち、ニコニコした横顔を見せている天使を、冷静なローズグレーの瞳がちらっと見やる。


「先日、約束しましよ。名前を呼ばなくても、浄化してくださると」


 最近は邪神界も力を増してきた。突然襲われることもちらほらと起きている。それを話し合って、祈りを捧げなくても、天使を召喚できるという方法に変更したのに、ラジュはとぼけた振りで、


「おや〜? そのようなことを約束しましたか〜?」


 と言いながら、心の中は邪悪一色。


(覚えていますよ、約束のことは。ですが、あることを確かめたいのです〜)


 さっきから、崇剛が襲われているというのに、話しているだけで何もしないどころか、嘘を平然とついてくる守護天使ラジュ。


 悪霊たちと無慈悲極まりない天使の狭間で、崇剛の優雅な声が舞い続ける。


「早くしていただけませんか?」


 死ぬかもしれないという状況下で、催促をしているのに対して、天使からはこんな非道な言葉が浴びせられた。


「崇剛の成仏したところを見たいと思いましてね〜。うふふふっ」


 すっかり殺す気の天使。迫ってきている悪霊たちと対峙しながら、自分と正反対のことを選ぶラジュに、崇剛はもう何度聞いたかわからない疑問形を投げかける。


「なぜ、あなたは負ける可能性の高いものを選ばれるのですか?」

「人が負けて、死ぬところを見たいのです。うふふふっ」


 邪悪すぎる天使の心の内は、こんな感じでピュアだった。


(天国へと人々を導く、私の仕事が増えますからね〜。人が死ぬという可能性の高いものを選びますよ、私は)


 そんなラジュとは真逆の、生きる可能性が高いものを選ぶ人間の崇剛は、心の中で優雅に降参のポーズを取った。


「私とは違うみたいですね、ラジュ天使は」


 ラジュの聖なる光の影響で悪霊の力が少しだけ弱まり、死霊の手錠から崇剛の両手首は解放され、床へ足がストンとついた。


 神父はそれを見逃さず、さっき足元で縦に突き刺さったダガーを横蹴りし、反動で天井へ刃先が反転して浮かんだところを、ロングブーツの足の甲へ柄を乗せ、慣れた感じで軽く持ち上げ、


「っ!」


 天へ向かって、一直線を力強く描くジェットノズルのように、自分の右手に浮かび上がってきたダガーの柄を素早くつかみ、無事に再参戦させた。すぐさま、悪霊を一人斬り裂く。


「うわーっ!」


 悲鳴が上がる。次々に迫りくる白い透き通った手を、ダガーで斬り、時には壁に向かって投げ、磔にしてゆく。


 戦闘中の神父。

 と、

 無慈悲極まりない天使。


 どちらも男性なのに、綺麗な顔立ちと丁寧な物腰で中性的。だが今は、長い髪が色気という川を背中でたゆたわせ、二人とも女性的な雰囲気だった。


 百七十八センチの瑠璃色の貴族服。

 と、

 二メートルの聖なる白いローブ。


 それらは背中合わせで、余暇を共に楽しむ貴族みたいな出で立ちで、悪霊たちと対峙する。 


 聖霊師と天使のまわりには、悪霊が不浄の渦潮をなしていた。神父は影を聖なるダガーで、着実に魂から追い出しながら、優雅に天使とおしゃべりを楽しむ。


「なぜ、神は私の守護をあなたに任せたのでしょうね?」


 が、皮肉まじりだった。対する天使もニコニコの笑みで平然と怒りもせず言い返す。


「あなたと私の楽園かもしれませんよ〜」

「どちらから、そちらの言葉にたどり着かれたのですか?」

「神の御心みこころかもしれませんね〜」

「なぜ、わざと返答をずらして返されるのですか?」

「そちらの方が、崇剛が死ぬ可能性が高いと思いましてね」

「無慈悲極まりませんね、ラジュ天使は。正神界の天使とはとても思えませんよ」

「おや〜? 手厳しいですね、崇剛は。うふふふっ」


 思考回路がまったく一緒のふたり。どんな状況へ陥れられようとも、感情などという曖昧なものに流されることなく、冷静にデジタルに対処できるのだ。


 たとえ話していようとも、きちんと手足は動いているのである。生きようとしている崇剛だけは。


 だが、運動には決して向いていない彼の息は少しずつ上がってきて、ギブアップ間際だった。


 未だ浄化されない古い聖堂を、冷静なローズグレーの瞳いっぱいに映して、背後にいる無慈悲な天使に乞う。


「そろそろ浄化していただけませんか?」

「仕方がありませんね〜。シャーッ!!」


 喧嘩している猫が発するような声を、ラジュは上げ、真っ白な聖なる光に旧聖堂は一瞬にして包まれ、悪霊たちは波を受ける砂浜のように、サーっと消え去った。


 多数の魂が浄化される余波に耐えられず、崇剛は瞳を右腕で覆い、手に持っていたダガーが床へカランと落ち、そのまま両膝は床に脱力したように打ちつけられた。


 光が消え去ると、シルクの上質なブラウスは前から床へどさりと倒れる。その背中に向かって、ラジュのこんな言葉が投げかけられた。


「おや〜? 霊体も気絶するのですね〜。そちらを確かめてみたかったのです」


 ラジュは完全に、崇剛をモルモットにしていた。そんな天使をたとえて言うなら、

 

 人を人として思わず、残虐な遊びに快楽を覚える中世西洋の貴族――


 がしっくりくる。


 無慈悲天使は肉体を持って、現世に生まれ出たことがない。永遠の世界――霊界と神界(*神が住む場所)でしか過ごしたことがない。だからこそ、死という恐怖を知らず、純粋なまでに残酷だった。


 ラジュが右手を軽く上げると、崇剛の霊体は一瞬にして肉体へと戻った。人を気絶するまで追い込んでおいて、無慈悲天使ラジュは困った顔をする。


「天使の私では、崇剛の肉体には触れられませんからね、屋敷まで運べません。どのようにしましょうか〜?」


 金髪天使は人差し指をこめかみに突き立てて、考える振りをする。


「乙葉 亮介を呼ぶのが一番妥当でしょうか? ですが、あの者は私を見ることはできませんからね〜。まどかもできませんね〜。瑠璃は眠っていますし……」


 倒れたままの崇剛を、二メートルの身長で見下ろして、ラジュは首をかしげた。


「しかしなぜ、崇剛はこちらの場所へ来ては、こちらのように気絶するを繰り返すのでしょうか?」 


 廃墟になど行けば淀んだ空気が漂い、悪霊がいる可能性大。負ける可能性が高いものを選ばないはずの崇剛。それなのに、足をわざわざ運んでしまう。


 天使という立場で、正体不明になっている人間――崇剛の神経質な横顔を見つめた。


「人とは弱いものですね。過去の記憶ですか。たった数十年のことなのですが、そちらに心を囚われるのも……」


 崇剛は出生不明。ここから少し離れた場所にあるベルダージュ荘に、以前住んでいたラハイアット老夫妻に、この聖堂で拾われた。そこには、ダガー以外何もなかった。自分の起源を知りたくて、彼はここへと足を運んでしまうのだ。


「一度成仏して、生まれ変わるという手もありますよ。このまま魂を引き抜いて、神の元へ導きましょうか? そちらで、崇剛の心の呪縛は拭い去れます〜」


 死神みたいなことを平然と言う天使。ラジュはニッコリ微笑んで、わざと見当違いな打開策を模索し始める。


「そうですね……? 国立 彰彦にしましょうか? 私のことも見せませんし、時間もかかりますしね〜。『やはり失敗してしまいましたか〜』と、久々に言ってみたいのです〜。崇剛を守護するようになってから、一度も言っていませんからね〜」 


 別の街にいて、刑事の仕事をしている、霊感のほどんどない国立をわざわざ呼ぼうとする。負けることが好きなラジュ。


 だったが、天使のお遊びはここまでだった。神から叱りの言葉が降ってきて、彼は肩をすくめ、


「天啓という形で、乙葉 涼介に来ていただきましょうか?」


 ラジュは右の手のひらで空へ向かって何かを投げるような仕草をした。一筋の金の光が打ち上げ花火のように上がり、ある方向を目指して、すうっと尾を横に引いて飛んでいった――――

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