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手をつなぐより拳をにぎって  作者: 湯野才賀
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第一章 五話

 高村が肩に掛けていた二つのケースを外し、一本目の竹刀を抜いて自身の正中線に重なるようにかざした。

 両手持ちの正しい構えにならずとも、ただ竹刀を持っただけで高村が(まと)う空気が変わる。

 先程までの控えめで朴訥(ぼくとつ)とした雰囲気は消え、冷たく鋭い殺気が高村を中心とした空間に充満した。

「桜庭さんは剣道や薙刀(なぎなた)、あるいは杖術(じょうじゅつ)かもしれませんが何かしらの武器を使う武道の使い手なんでしょう、それなら女性の桜庭さんが岡崎さんを倒せたのも納得がいきます」

「なるほどな」

 後ろで成り行きを見守っていた真崎(まさき)先輩が納得がいった様子で相槌を打った、確かに剣道家らしい着眼点で妥当な分析だ。

「僕も岡崎さんを倒した強者(つわもの)には興味があります、あいにく薙刀や(じょう)は用意できませんでしたが…」

 高村が竹刀を桜庭目掛けて放り投げる、桜庭はその場から動かず右肩から先だけの動きで正確に竹刀の柄を掴んだ。

「桜庭さん、手合わせ願います」

 もう一方のケースから二本目の竹刀を出した高村が中段に構えて真っ直ぐに桜庭の方を向く、それと同時に周囲に漂っていた殺気が指向性を持ち全てが桜庭に注がれた。

 高村の集中力の高さが(はた)で見ている俺にも伝わってきた、構えた瞬間から呼吸も停止しているのではないかと思うくらい微動だにせず剣と視線で桜庭を捉え続けている。

「竹刀かぁ…、ほっ、はっ!」

 対して桜庭は子供が戯れるように片手で竹刀を何度か振り回し、それが終わると竹刀を俺に差し出した。

「持ってて」

「いいのか?」

「うん」

 俺は竹刀を預かり、桜庭は特に気負った様子もなくあっさり頷く。

「素手でいいと?」

「いいよ、始めても」

 高村は怒気をはらんだ口調で問い、桜庭は相手からの圧力を意に介さず何の構えも見せないままごく普通の動作で歩み寄っていった。

 高村の剣の間合いまで残り三歩、高村の表情に僅かに緊張の色が増した。

 残り二歩、まだ動かない。

 残り一っ…。

 桜庭が視界から消えた。

「ヤァッ!?」

 高村の『ヤアァァァァッ!』と突き抜けるはずの気合が出始めで断ち切られて短く終わる。

 桜庭は高村の足元目掛けて飛び込み、頭を庇う合気道の前回り受け身の要領で前転、転がった勢いを活かした右脚で豪快に相手の胴を薙ぎ払う回転蹴りでダウンを奪った。

 片方が竹刀を持っているせいで俺はベルトラインより上ばかりを注目していた、そのせいで桜庭が一瞬にして消えたように見えた。

 おそらく高村も同じように虚を突かれたことだろう、桜庭は回転蹴りから流れるような動作で立ち上がっているが、高村は竹刀を取り落としてまだ呆然とした表情で仰向けに倒れている。

「夏服は汚れが目立つなぁ」

 桜庭が白いセーラー服についた汚れを払い落とし始めて、ようやく我に返った高村が竹刀を持って立ち上がった。

「驚かせてごめんね、今度は剣道やるね」

 俺は手を伸ばしてきた桜庭に柄を向けて竹刀を渡す、桜庭は両手持ちで頭上に構えた竹刀を振り下ろしそのまま中段に構えた。

 高村はここまでほとんど動いていないが精神的動揺のせいか肩で息をしていた、深呼吸で平常心を取り戻そうとしている。



 竹刀を構えた二人が改めて対峙する。

 既に高村の顔に動揺の色はなく完全に気持ちを切り替えたようだ、竹刀を持つ両手がタオルを絞るように少しだけ内向きに回り脇が締まることによって構えがより隙のないものになった。

 高村の構えは背筋を伸ばし右手は(つば)に近い位置を左手は柄尻(つかじり)を持ち凛とした整った印象を受ける。

 それに対して桜庭の構えは右手は鍔の近くを持つのは同じだが左手は右手のすぐ下を持ち両手が触れ合った状態で竹刀を持っている、更に自然な脱力により僅かに猫背になり、窮屈そうに見えて不思議と(どう)()っている、見ていると正体不明の不安が胸をざわつかせた。

 高村がじりじりと擦り足で間合いを詰める、先程のように攻撃開始直前の意識の隙間に滑り込まれる奇襲を受けまいとしているのが見て取れた。

 互いの竹刀の先端が交差するまで残り一歩の間合いから高村が動く。

 踏み込みからの面打ち。

「うっ」

 桜庭は左足を一歩踏み出しながら真剣なら刃が上向きになるように竹刀の向きを変えて高村の喉を突いていた。

 突き自体は軽く先端が触れる程度のダメージを受けるものではなかったが想定外の反撃に高村の動きが止まる。

 更に桜庭は高村の両腕の(あいだ)から突き入れていた竹刀を再度方向転換させ、右足を左向きに踏み込み腰を入れて相手の右腕を内側から押し切るように竹刀を振り下ろす。

 右肘を内側から体重を支えにくい足の小指側に向けて斬られた高村は小手返しを決められたように仰向けに倒れてしまった。

(めん)っ!一本かな?」

 倒れた高村の頭に桜庭が寸止めの一振りを入れる。

 剣の攻防からの投げ技。

 俺は見たこともない技を駆使する桜庭に、一層の興味と戦慄を覚えた。

 桜庭が竹刀の先端を上げると、それまで固まっていた高村が距離を取りつつ立ち上がり三度(みたび)竹刀を構えた。

「まだだ、まだやれる!」

 高村は乱れた呼吸を隠そうともせず殺気に満ちた視線を向け、桜庭は右手に持った竹刀が地面と水平よりやや下を向いた自然体の立ち方で殺気の奔流を受け流している。

 展開に嫌な予感を感じた俺は極力気配を消しつつ、高村の左横から接近して左手で竹刀を掴んだ。

「くっ、放せ!」

「やめとけ」

 高村が竹刀を引き抜こうとする動きに対して俺は強く竹刀を握る、竹片(ちくへん)同士がガチガチと擦れ合った。

 俺は静かに呼吸を整えて、竹刀の鍔の近い部分へ渾身の手刀を放つ。

「カアッ!」

 竹片と弦紐(つるひも)が弾け飛び竹刀が前後二つに割れた、俺と高村は分断された竹刀を持って睨み合う。

 俺たちのあいだに一瞬の緊張があった。

 しかし、その後は高村の表情から少しずつ険しさが消えて最後は構えを解いてくれた。



「あぁ、その…竹刀折っちゃって、ごめんな」

「いえ、僕も熱くなりすぎました」

 高村が折れた竹刀を見つめながら呟く。

「珍しい試し割りを見せてもらったと思うことにします」

 冗談を言う高村の微笑には清々しい中にも少しの悔しさが含まれているように見えた。

「まぁなんだ、お前ら二人が只者じゃないのはわかったぜ」

「うーんと、どういたしまして?」

 観戦していてた真崎先輩が半ば呆れたような口調で言うと、桜庭が噛み合わない返事をした。

「今度のことは出来れば人に言わないでほしいんですが…」

「そんな感じだよな、俺も負けた喧嘩の噂なんて広まってほしくはない」

「僕も同じです」

 真崎先輩はこちらの事情をなんとなく察した様子でばつが悪そうに苦笑いをした、高村も若干の疲労の色を見せて頷く。

「私は楽しかったよ」

 桜庭が身体を横向きにして右拳を突き出した。

 あっけらかんとした物言いに俺達男三人は一瞬言葉を失うが俺はすぐに自分の右拳を差し出された拳に軽くぶつけた、それを見て真崎先輩と高村も続けて拳をぶつける。

「自分で言うのもなんだけど、ここにいる俺達四人が東高(ひがしこう)最強の四人だな」

「だな、これ以上その嬢ちゃんみたいなのがいてたまるかよ」

「同感です」

 誰からということなく四人全員から自然と笑みがこぼれる。

 真崎先輩と高村が広場から去り、後には俺と桜庭が残された。

「あれから考えてさ、俺はどうしたいのかって」

「うん」

「桜庭がなんでそんなに強いのか、言いたくなければ言わなくていいけど、俺にはその強さを見せてくれたわけだろ」

「そう、だね」

 真っ直ぐに桜庭の眼を見ると、今までの余裕に満ちた表情に僅かに影が差していた。

「すげえ驚いたけど、後から考えると俺の空手の実力を認めてくれたみたいで嬉しかった」

 俺が話すうちに桜庭は手を後ろに組み完全に(うつむ)いて眼をそらしてしまうが、俺は止まらずに話し続ける。

「桜庭にはまた俺と闘いたいと思ってほしい、俺は桜庭のライバルになりたい!」

 俺は強く拳を握って返答を待つ、桜庭はおずおずと顔を上げて上目遣いに俺を見た。

「また闘ってくれるの?」

「あぁ、いきなり仕掛けて来たくせによく言うぜ、何度だって勝ぶっ…」

 喉元にチクりとする痛みが生じて俺は言葉を遮られる、桜庭は先程の攻防で破壊された竹刀の破片を逆手に持って俺の喉にあてがっていた。

 丁度アイスピック程度の大きさになった破片を後ろ手に隠し持っていたとは、なんて抜け目のなさだ。

「また闘ってくれる?」

 突き出した破片を戻した桜庭が悪戯っぽく微笑んで同じ言葉を繰り返した、多分二度目の闘いは今の一瞬で終わったので、三度目もあるのかという意味だろう。

「あぁ、また闘ってくれよ、それにしても抜け目がないな(ひと)一人(ひとり)くらい殺してるんじゃないか?」

 桜庭の顔から笑みが消え、凍り付いたような無表情になった。

 えっ!?今、俺は何か不味いことを?

 ちょっとした軽口のつもりが無神経なことを言ってしまったかと後悔する、それと同時に桜庭のことが急に恐ろしくなり一歩後ずさった。

「またね」 

 何の返答もせず、桜庭はそれだけ言うと背を向けて去って行く。

 俺はただ、綺麗な黒髪を揺らしながら遠のいていく桜庭の後姿を見送るだけで何も言えなかった。

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