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手をつなぐより拳をにぎって  作者: 湯野才賀
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第一章 四話

「悪いなデートの邪魔しちまって、すぐ終わるからよ」

 真崎(まさき)先輩は俺と桜庭を値踏みするように見つめながら広場に入ってきた、続いて高村も軽く会釈をしてそれに続く。

「単刀直入に訊く、お前を倒したのは誰だ?」

「先輩まで変な噂を真に受けないでくださいよ」

 俺が白を切ると元から鋭かった真崎先輩の目つきが更に獰猛な色を帯びる。

 だが、その鋭さは一瞬ですぐに力の抜けた柔和な表情になった。

「ガキみたいな話なんだけどよ、ワクワクしちまったんだ誰かが岡崎を倒したかもしれないって噂を聞いたとき…、それでプロボクサーとしてデビューする前の、まだ悪ガキでいられる今のうちにそんなヤツと闘ってみたい、そう思うとなぁ?」

 真崎先輩は既にバンテージが巻かれた両手の拳を胸の前で握り同意を求めるように俺を見る。

 敵意ではない、格闘技者としての純粋な好奇心が込められた眼差しに見つめられた俺は嘘をつき通すことに強い抵抗を感じた。

「岡崎が誰に負けたなんて言いふらしたりはしない、教えてくれないか?」

 俺は暫しの逡巡(しゅんじゅん)の後に呟くように言った。

「俺を倒したヤツならここにいますよ」

 真崎先輩は後ろに控える高村を見るが勿論彼は首を振って否定する。

「こいつです、同じクラスの桜庭夢乃」

 紹介された桜庭が照れ臭そうに会釈をすると、真崎先輩は眉間にしわを寄せた露骨に訝し気な顔になった。

「女には形無しってことか?そうゆう冗談じゃなくてな…」

「先輩、ここで俺に倒されるようなら『そいつ』のことを知っても意味ないですよね」

 俺は真崎先輩の発言を遮って強く言い放つ。

「闘って聞きだせということか、面白い」

 真崎先輩はガードを上げてオーソドックスに構える、俺も構えようとして一瞬ボクシングの顔面パンチ対策でいつもよりガードを高めにしようかと迷ったが普段通りの姿勢に構えた。

 変に相手を意識するより普段通りの闘い方がいいだろう。

 真崎先輩の構えは俺ほど半身にならずに比較的に正対に近く、後ろに引いた右足は俺よりも角度が浅く正面に近い方向を向いている、つまりは被弾を恐れず真っ直ぐ突っ込むことを考えた攻撃的な構えだ。

 横目に桜庭を見ると緊張や興奮といった感情を全く感じさせない穏やかな笑みで対峙する俺たちを見守っていた、まるで姉がやんちゃ盛りな弟を見守るように。

 真崎先輩のことは決して嫌いではないし、むしろ同じ格闘技者として親近感さえ覚える、それなのに挑発して闘いに持ち込んだのは桜庭を渡したくなかったからだ。

 桜庭が武術の実力者であることは、おそらく学校のみんなは知らない。

 そんな中、桜庭は俺に闘いを挑むという形で自分の秘密を打ち明けてくれた。

 俺の強さを見込んで。

 この栄誉は譲らない、桜庭と闘う資格がない奴は俺が倒す!



 俺と真崎先輩は一歩踏み込めば攻撃が届く一足一拳(いっそくいっけん)の間合いより僅かに遠い距離を保ち、双方の中心位置を軸に時計回りに移動しながら互いの出方をうかがった。

 やがて膠着(こうちゃく)()れた真崎先輩が両腕のガードを下ろして正対する無防備な姿勢になる。

「来いよ、殴り合いだ」

 顔の殴り合いは顔面への突きを禁じたルールで試合をしているフルコンタクト系空手よりも、ボクシングの方が一日(いちじつ)(ちょう)がある、相手の得意な攻防に付き合うべきではない。

 そんな打算は頭から消えていた。

 身体が勝手に動く。

 俺は一撃でケリをつけるつもりで顔面への右正拳突きを狙い相手の懐へ。

「ぐっ」

 俺が自分の間合いに入る寸前、真崎先輩の身体が沈み込んで見えない角度からの左ジャブが俺の右頬をかすめていった。

 拳に巻かれたバンテージの布が擦れることによる摩擦熱が頬に熱く残る、僅かに顔を逸らしてダメージを軽減できたのはほとんど本能だった。

「シッ、シッ!」

 完全にボクシングの間合いとなり、俺は目まぐるしいパンチのラッシュに晒される。

 ワンツーからの左フック。

 右ストレートと見せかけて左ボディ。

 接近して左フックからの右アッパー、アッパーカットが俺の顔の前を通り過ぎていき、すかさず反撃に移ろうとするが相手はバックステップでするりと離れていく。

 蹴り、蹴りだ、蹴りで相手の足を止めれば立て直せる。

 俺は蹴りのチャンスを狙うがパンチの雨を防ぐのに精一杯になっていた、体捌きでかわし、腕で受け流し、時には腕で受け止める。

 素手同士でパンチを完全に無力化することは難しく受けた腕にダメージが蓄積するか、ガードをすり抜けた拳が届くことが繰り返された。

 このままじゃジリ貧だ、俺は相打ち覚悟で反撃に移った。

「カアッ!」

 前に出ている相手の左太ももに渾身の右ローキックが決まり、確かなダメージを与えた感触があった。

 同時に相手の右ストレートを額に喰らい衝撃が身体の芯に響く。

 俺は続けざまに同じ左太ももの今度は内側を狙って左ローキックを放った、これを相手は後ろに下がってかわすが、俺は足を引かずに蹴りだした左足を軸にして一回転、右の踵を後ろ蹴りで打ち出した。

「ごおっ…」

 後ろ蹴りは相手の下腹に命中。

 勝負が決したかと思った瞬間、蹴り足を抱え込まれる。

 迂闊(うかつ)にもボクサーはパンチだけ、これは打撃の勝負という思い込みのせいで蹴り足を捕られることを警戒していなかった。

「へっ、おぅらっ!」

 そして真崎先輩は俺の足を左脇に抱えながらボクサーらしからぬ大振りのボディブローを打ち込んできた。

「がはっ」

 染み渡るような重い痛みが腹部に広がり、呼吸が、動きが、思考が、あらゆるものが止められてしまった。

 だが、ここで下がれば負けるという危機感に突き動かされた俺は後退しそうになるのを堪えて前に進み出た、相手に組み付きクリンチの状態になる。

 密着状態から互いに苦し紛れの攻撃を連打する、俺はローキック、相手はボディブローを繰り返すが間合いが近すぎてどちらも決定打にはならない。

 しかし、決定打にはならずともじわじわと効いてくるボディブローに俺の組み付く力が弱まった時を狙って相手がクリンチから脱出にかかった。

 まずい。

 相手の間合い。

 来るぞ。

 ストレート!?左フック!?

 相手の必殺の距離になる直前、俺は空手家としての勘に動かされて反撃に転じた。

 相手が決めの一撃を打たんとする瞬間。

 それは意識が攻撃に集中して防御がおろそかになる隙間の一瞬でもあった。

「イアッ!」

 近い間合いで下から打ち上げた左膝が廻し蹴り気味の軌道で相手の顎を打ち抜く。

 虚を突く一撃を喰らった真崎先輩は力なく崩れ落ち尻もちをついた。

「フゥッ!」

 真崎先輩の顔面目掛けて寸止めの正拳突きを放つ。

 俺の拳頭(けんとう)越しにこちらを見る真崎先輩の視線には鋭さはなく、呆然とした力の抜けたものになっていた。

 パンッ!という良く響く拍手の音がして俺と真崎先輩が音の方を向くと、手を合わせた桜庭がにっこりと微笑んでいた。 

「一本だね、んっ?空手式のTKOかな?」

 底抜けに明るい桜庭の態度を見て俺と真崎先輩の殺気はあっという間に霧散する、俺が突き出していた拳を開くと先輩はその手を握って立ち上がった。

「まいったね、強いわお前」

「どうも」

 真崎先輩はふらつく足取りで陸橋の支柱まで歩き柱に背をあずけてもたれかかる。

「本当に岡崎より強いヤツがうちの学校にいるのかよ」

「だから、こいつですって」

「へいへい」

 俺が再び桜庭を指しても真崎先輩は真面目に取り合おうとしなかったが、それ以上俺を倒した存在を問い詰める様子はなかった。

 俺はホッと一息つきそうになったところで、もう一つの視線に気づく。

 二本のケースに入った竹刀を持った高村が油断のない視線を俺と桜庭へ交互に送りながら歩み寄ってきた。

「僕は信じますよ、岡崎さんを倒したのが桜庭さんだという話」

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