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手をつなぐより拳をにぎって  作者: 湯野才賀
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第一章 三話

 桜庭との死闘の翌日、俺は平静を装って登校した。

 例年よりも一足早い梅雨入りのじめっとした空気に加えて桜庭の幻影が放つプレッシャーがずっしりと俺の両肩にのしかかり、いつもと同じ通学路だというのに心も体も重い。

 これからアイツがいる教室に行くのか…。

 二年B組の教室のドアをくぐった瞬間、クラスメイトの何割かの視線が一瞬だけ俺に注がれたような気がした。

 気のせいか、教室の空気に妙な緊張感があるような。

「おはよ」

「おはよう隆次、顔色が良くないけど大丈夫か?」

「悪く見えるか?そんなつもりはないんだけどな」

 (おさむ)が心配そうにこっちを覗き込んでくる、俺はそんなつもりはないと言いながらついつい深いため息をつく。

「変な噂が流れてるから心配したぞ」

「噂?」

 理に訊こうとすると、教室内で一番騒がしく喋っていた男子グループ数人が俺たちに近づいてきた。

「岡崎、お前喧嘩に負けたってマジ!?」

 ぐっ、それは!!

 リーダー格の男子の一言が胸に突き刺さる。

「えっ、あぁ、な、何を言ってるんだ…」

「昨日の放課後、体育館裏から血相変えて走っていく岡崎を見たヤツがいて、まさか喧嘩に負けたのかもって話してたんだよ」 

「ハハッ、学校で殴り合いの喧嘩なんていつの時代だよ、ねーって」

 俺がおどけて答えると、緊張していた空気がどっと緩み、

「だよなー」

「岡崎に喧嘩売るヤツなんていねーって」

「なんせ空手チャンピオンだしな」

 男子グループの面々が口々に言って俺と理から離れていった。

 危なかった。

「まぁ、そうゆうことだよ隆次」

「やれやれ、まいったね」

「俺は隆次が喧嘩に負けるなんてことはありえないって信じてたけどな」

 理が朗らかに言い切った。

 実際、喧嘩に負けた今は俺の実力を信じ切っている親友の眼差しが痛い。

「ただ議論は白熱して面白かった」

 理が得意げな顔でスマホの通信アプリのやりとりを見せてくる、そこには俺が喧嘩に負けたのかどうか?負けたとしたら誰が俺を倒したのかなど、喧々囂々(けんけんごうごう)の議論の跡があった。

 そして、議論で最も発言しているのは…。

「理が一番噂を煽ってんじゃねーか!」

「そりゃ隆次の友達で格闘技マニアの俺が意見を求められたらコメントしないわけにはいかないだろ」

 思わずツッコミを入れたものの、俺自身も格闘家の誰と誰が試合をすれば勝敗は?という議論の楽しさを知っているのでそれ以上の非難はしない。

 それに通信アプリでの議論はよく読むと、俺自身も納得できる冷静で理論的なものだった。

「俺を倒すとしたら一年の高村(たかむら)か三年の真崎(まさき)先輩か、なるほどいい人選だな」

 高村は中学時代に剣道で県大会優勝を修め、真崎先輩はボクシングでインターハイに出場した経験があり、どちらとも格闘すれば自分が勝てると断言はできない相手なのは確かだった。

「実際どうよ、やるとすれば?」

「岡崎君、あんまり危ないことしないでね」

 声を潜めた理の質問に俺が考えを巡らせていると桜庭に声をかけられる。

「もももっもしもの話だよ、じじっ実際に喧嘩なんてするわけないだろう?」

「そうだよね、心配しちゃった」

 俺の動揺をよそに桜庭は艶のある黒髪を朝日に煌かせながら安堵の表情を浮かべた。

 くっ、それにしても俺を打ち負かした当人の前で喧嘩に負けた事実はないという態度を取るの情けないというか屈辱的というか、桜庭は悪戯をした子供を寛大に許すような優しい笑みを俺に向けてきた。

「桜庭さんはこの学校で隆次に勝てるやつはいると思う?」

「う~ん、いないんじゃないかな?きっと全国の高校生から探しても岡崎君に勝てる人なんて、そう何人もいないと思うよ」

 涼しい顔でよく言う、お前がその『そう何人もいない』の一人のくせに。 

「俺だって空手という枠組みの、それもフルコンタクト空手をやってる高校生の中で今回は一番になったというだけだからな、俺を倒せるやつが身近にいたっておかしくないさ」

「岡崎君って謙虚なんだね」

 桜庭はそれだけ言って俺たちから離れていく、俺は気が付けばその後姿を目で追っていた。

 あいつが間近にいるだけで生殺与奪を握られているような緊張感があり、自分から充分な距離を取るまで目を離さずにはいられなかった。

「隆次は桜庭さんみたいなのが好みなのか?」

「あ、いや、そうゆうわけじゃ…」

「緊張してたし、今もめっちゃ見てたじゃん」

 理め、お気楽な想像をしてくれるな。

 桜庭が俺を倒した相手と気づけというのも無理な話なので、まぁそう思うよな。

「いや、まぁ、興味はあるな」

 興味はある、武術的な意味で。

「それより俺と真崎先輩がもし闘わば?みたいなのあんまりマジで煽るなよ、同じ学校の生徒なんだから」

 桜庭のことから話を逸らしつつ、噂話の拡散に釘を刺したところで予鈴がなった。



 今日一日、俺は気があると思われても仕方がないくらい桜庭を意識して過ごした。

 圧倒的な実力を持った武術家はどんな日々を過ごしているのか、その日常生活に強さの秘密はないのか。

 そう考えながら桜庭を見ていたが、当然のことながら学校生活で際立った特徴を見つけることはできなかった。

 ただ一つ気が付いたのは桜庭の座る、立つ、歩くといった動作の一つ一つから洗練された隙の無さを感じたことだ。

 周囲の注目を集めるような振る舞いはないが、だらしないと感じる場面は全くない。

 日常生活の礼儀や作法の面から見た隙の無さが、闘いにおける武の面から見た隙の無さにもつながっていると言ったところだろうか。

 帰りのホームルームが終わり、俺は帰路につく桜庭を追いかけて生徒玄関で声をかけた。

「桜庭、昨日のことだけど」

「ついてきて、ゆっくり話そう」

 外靴を取ろうとしていた桜庭は芝居がかった軽やかな動作で振り向くと、明るく弾んだ声で言う。

 俺に背を向けていそいそと外靴に履き替えている間も、桜庭には僅かな隙も見いだすことは出来なかった。

 俺は桜庭に先導されて大勢の生徒が駅に向かうのとは違う道を歩き、ほどなくして陸橋の下へとたどり着く。

 橋の下は駐車場や公園と呼ぶには憚られるくらいの若干の遊具が設置されたスペースが支柱の間にいくつか並んで作られている。

 俺と桜庭はその中のバスケットゴールが置かれた広場に入った、陸橋の上は多くの車が通っていても下の広場の周りは車も人の通りもなく閑散としていた。

 俺と桜庭は3mほどの間隔をとって対峙する。

 桜庭は俺が何を言うか楽しみで仕方がないと言わんばかりの好奇心に満ちた笑みを向けてくる。

 ただ、俺はそんな風に微笑みかけられても今すぐにでも闘いが始まってしまいそうな緊張感を感じていた。

「桜庭、昨日の…」

「お楽しみのところ邪魔するぜ」

 俺の言葉を遮った声の方を向くと、そこには二人の男子生徒が立っていた。

 その二人は噂で名前が挙がっていた例の二人。

 一人は声の主の真崎先輩、もう一人は一年の高村だった。

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