第一章 一話
Pixivで連載していた作品を加筆修正したものです。
梅雨の足音が聞こえ始める五月の終わり頃。
俺は一学期始まって以来変わっていない自分の席からクラス全体を見渡した、衣替えが待ち遠しい蒸し暑さの中でも朝のHR前の教室は賑やかだ。
廊下側の後ろから二番目の席は中々気に入ってはいるが、こうも毎日同じ景色で変化のない毎日が続くと気分転換に変えて欲しくもなる。
(変化のない毎日か)
変化しそうな出来事はあった。
そこから更なる変化を期待していたが、すぐに変わらない日常に戻ってしまった。
俺は座ったまま上体を前に倒し背中を伸ばすと、気だるさに負けてそのまま机に突っ伏してしまった。
まだ朝だというのに我ながらだらしない。
「なにダラけてんだよ」
「ん、あぁ、おはよう」
「ほれ」
俺が顔を上げると朝倉理がいつの間にか机の前に立っていた、理はお年玉貯金を切り崩してまで幾つもの格闘技雑誌を購読する格闘技マニアで一年の時に同じクラスになって以来の親友だ。
理が一冊の雑誌を机の上に置く、カラー写真の表紙には大きく『フルコンタクト空手』の文字。
「今月号か」
「ばっちり載ってるぜ」
俺は親指を立てる理に笑って見せ雑誌のページをパラパラとめくった、中ほどの記事で指を止める。
『高校生の部 全国優勝 岡崎隆次』
ページ右下1/4程度に一枚の写真と若干の記事が書かれている。
岡崎隆次、俺の名だ。
俺は自分の写真をまじまじ眺めるほどナルシストではないので、記事を流し読みしてすぐに別のページをめくる。
「なんだ、雑誌に載ったっていうのにあまり嬉しそうじゃないな」
「過去の栄光にいつまでも浸ってるのもな、そろそろ一カ月経つし、さすがにもうお祝い気分じゃねぇよ」
「それもそうか」
雑誌を読むのを中断し再び教室内を見回す、今のクラスの話題はもっぱら来月上旬に迫ったの陸上記録会だ、俺が大会で優勝して2・3日は持てはやされたが、高校生活の何が変わったということもない。
これを機にモテモテになって彼女が出来ないかと期待したが、現実はそう甘くはない。
俺は理に気づかれないようにチラリと視線を左に向け、視界の端に窓際の席に座る女子の姿を捉えた。
里中優衣、うっすら茶色がかったセミロングの髪に大きな瞳が印象的な美少女だ。
一年から同じクラスで何かと行事などでは絡む機会も多いのだが、今一歩親しくなれるチャンスを作れずに今に至る。
二年から三年に上がる時はクラス替えがないわけだから、三年間一緒のクラスというのは彼女と仲良くなるには良い環境といえばそうなのだが、もし上手くいかなかったら気まずい思いで一年半以上も彼女を近くで見続けなければいけないかと思うと二の足を踏んでしまう。
我ながらマイナス思考で度胸がないと思う、俺はネガティブな思考を振り払い話を戻した。
「俺より強い奴だってたくさんいる訳だし天狗になってたら後輩にも追い越されちまうしよ、練習あるのみさ」
「言うねぇ、応援してるぜ」
理は愉快そうにクスっと笑い、俺たちは互いの拳を軽くぶつけ合った。
四時間目の音楽の授業が終わり、俺たちは昼休みの教室へと戻った。
自分の席に戻った俺は鞄の中から弁当を取り出そうとした時、机から見覚えのない封筒がはみ出しているのに気づく。
薄いピンク色で凝ったデザインの洒落た封筒だ、俺は自分が出すことも貰うことも縁遠いおしゃれ封筒にただならぬ雰囲気を感じて他のクラスメイトに気付かれないよう机の上には出さず、手元で素早く開封して中を確認した。
中身の便箋もまたパステルカラーで花柄の枠が描かれた可愛らしいものだ、便箋の中ほどの行に、
『今日の放課後 体育館裏で待っています』
との一文だけ書かれていて、あとは右下に『Y.S』とあるのみ。
他にも何か書かれていないかと便箋の裏や封筒の内側を確認すると、封筒の右下に『岡崎君へ』とあり間違いではなさそうだが、その他に情報は見当たらない。
「ふぅ」
俺はわざとらしいくらい大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせようとした。
落ち着こう、どうゆう状況だ?
未体験の事態だ、偏った希望的観測にならないように冷静に考えよう。
これはラブレターなのか?
秘密の相談?冷やかし?罠?
次々と思考が浮かんで来て考えがまとまらない。
冷静になろうとしてもイニシャルらしき『Y.S』の文字に、まさか里中さんから?と考えさせられて俺の心は掻き乱されっぱなしだ。
俺は自分と接点のある人物の名前を思い出していくが『Y.S』のイニシャルなのは里中さん以外に思い当たらない。
この後、俺は弁当もろくに喉を通らずひたすら悶々としながら昼休みと午後の授業を過ごすことになった。
――放課後。
この学校に空手部はなく、俺が空手を習っているのは小学生の時から通っている町の道場『空手道青龍塾』だ。
それ故、放課後すぐに拘束されることはないので比較的早く終わる階段の掃除当番が終わると鞄は教室に置いたまま、まっすぐに体育館裏へ向かう。
冷やかしや罠の可能性も捨てきれないけれど、何にしたって春の大会決勝で闘った関西の雄、浦添悟志より強いヤツが待ち構えていることはないだろうと腹をくくった。
体育館裏はグランドで活動する野球部のベンチからも体育館横の自転車小屋からも離れていて人気はない。
俺は生徒玄関から外へ出て駐輪場の前を通り体育館裏へ向かう、あまり速足だと他の生徒に不審がられるかもしれないと思い、途中から不自然でない程度の早歩きで進む。
体育館の端へ着いて辺りを見回すがまだ誰の姿もない、一瞬誰も来ないのではないか?という考えが脳裏をよぎる。
俺が落ち着きなく辺りを見回しながら待っていると一分もしないうちだろうか、反対のグランド側の端から人影が姿を現す、この距離だと誰かは判らないが制服姿の女子なのは間違いない。
俺は逸る気持ちを抑え、しかし小走りに現れた人影へと近づくと、向こうもこちらに気づき速足で近づいてきた。