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精霊物語─王太子の目覚め   作者: 痲時
第8章 扉の鍵
9/36

第45話:侍従長セナ


 イシュタル歴493年。


 それはまだ、ガーニシシャル国王陛下が存命の頃。アリス・ルヴァガがまだ、見習い召喚師として学校に通っていた頃で、王宮のごたごたに関わるなど考えられないぐらい平凡な毎日を送っていた時の話だ。



「よくぞ帰って来てくださいました、殿下」

 ウォルエイリレン・エース・イシュタルがどうにかイシュタル城に戻ると、にこにこと愛想良く笑っている王佐ヴァルレン・アゴアードが居た。もう若くないと云うのに、多忙な王佐はわざわざウォレンの帰宅を外で待ってくれていたらしい。そんなヴァルレンが笑っているのは、たいてい怒っている時であるとウォレンは重々知っていた。嬉しい時どうして居るのかと云えば、どうってことない、真顔なのだ。

「お疲れ、ヴァルレン」

「お疲れさまです、アゴアード王佐」

 ヴァルレンの説教など慣れているウォレンは、なんでもない顔をしてひらひらと片手を上げ答える。その少し後ろで王太子侍従セナ・ロウズ・アティアーズも、慣れたように恭しく頭を下げた。いつものことだと云うのに慣れないのはヴァルレンだけらしく、笑顔だった彼の目尻がぴくりとつり上がる。

「ほう、頼りになる侍従長もご一緒のお帰りか、セナ」

「はい、ただいま戻りました、アゴアード王佐」

「──この、使えないアティアーズの坊主は!」

 激高したヴァルレンはわかり易く怒鳴ったものの、セナがそれぐらいで臆するはずもなく、むしろにこにことしてヴァルレンを見返している。だがそれさえも、ウォレンには見慣れた景色であった。


「セナを責めるな、ヴァルレン。こいつは俺を迎えに来てくれたんだ。きちんと職務をこなしているではないか、青筋を立てるのは俺だけにしておけ」

「すべての根源が殿下の一挙一動だと自覚があるのならお控えください! だいたい殿下、王太子と云うものは、常にアリカラーナの血縁として……」

「ヴァルレン、毎回思うんだが、陛下にもそんなに煩く云っていたのか?」

「……お父上は間諜の真似事などなさらない、仕事熱心な方でした」

「そうか、今とあまり変わりがないのだな」

 ぽつりと漏れた本音にヴァルレンが何か云いたそうにしたが、気が付かなかったふりをして、少し不服そうに顔をしかめて見遣る。

「ヴァルレン、間諜をしても仕事熱心にはならないのか?」

「殿下の場合は間諜と遊戯がご一緒ですから、感心致しません」

「よくわかっているなぁ」

 思わず笑って溜め息混じりに云えば、ヴァルレンはきっと顔を引き締めて、

「殿下、少しは心得て戴かないと……」

「わかっている。陛下の面目を潰すようなことはしないさ」

「いえ、ですから殿下。そう云う意味ではなく」

 くどくどと続けそうなヴァルレンに、ウォレンは始まったと苦笑するしかない。

 ウォレンはアリカラーナの子どもであり継承者。完全なる賢王ガーニシシャルの面を汚すような真似をしてはならない。それは王太子宣下を受けた時に、ウォレンが心に決めたことだ。自分はガーニシシャルの継承者だと、もう認めた。


 だから板挟みのヴァルレンにあれこれ云われると、どうしたら良いのかわからなくなってしまう。もう諦めたのだから放っておいて欲しいと云うのに、誰も放っておいてくれないのはなぜなのだろう。


 ウォレンはなぁヴァルレンと笑顔で切り出し、声を落として本題に入る。

「それより黒い噂を聞いたぞ。法術師がなんでも、例のあれを使いたがっているそうではないか」

「……なんですと?」

 ここまで来ればこっちのものである。ヴァルレンが話に興味を持ったのを見計らって、城内に入ったウォレンは彼をそのまま個室へと促す。入ってしまえばこちらのものだ。早々に席につくと、ヴァルレンは待ち切れないと云うように質問を繰り出す。

「それで殿下、いったい何所でお聞きになられたのですか」

「意外に近くて俺も驚いたが、まさかの王宮貴族領内だ」

「おや、また町まで出ていたのではないのですね」

「──出る前に捕まったんじゃあないか、そこの優秀な侍従長に」

 つまらなさそうに捨て云ったと云うのに、セナは入れて来た茶を片手ににっこりと微笑む。セナの扱いにはこの2年ですっかり慣れたつもりで居たが、やはり彼を撒くことなどできやしない。今日も国務の最中に少し気になることがあって外に出て、ある王宮貴族を尋ねた。それからさらに掘り下げたくなって町に出ようとしたのだが、抜ける手前で優秀な侍従がしっかりと待ち伏せをしていたと云うわけだ。手ぶらの帰宅は免れたので大人しく従い、こうして帰って来たのである。



 その優秀なる侍従はいつの間にと思うほど素早く入れた茶を、ヴァルレンとウォレンの前に用意し、しっかり頭を下げてからウォレンの後ろに立つ。茶を飲んで少しは落ち着いたのか、ヴァルレンは小さく溜め息を吐いた。

「頼みますからまるで何所かの子卿殿下のように、法官と帰って来るなんてことは止めてくださいね」

 何所かの子卿殿下がすぐどの従弟か思い当たりウォレンは苦笑いになるものの、ヴァルレンは本気で心配してくれている。すれ違い出したガーニシシャルとウォルエイリレインの仲を、どうにか直そうと奮闘しているのだ。王太子になってから付けたウォレンの区切りを、まだ納得していないのである。ウォレンが陛下と口にする度にお父上と云い変えたり、ウォレンが陛下に従順になればなるほど否定もする。ヴァルレンも元はガーニシシャルに付いていた王佐だ。ウォレンの側近はほとんどがガーニシシャルの側近で、唯一例外と云えるのは侍従長のセナだけであった。


 約2年ほど前から王太子付の侍従となったセナの前までは、彼の祖父マルディが付いてくれていた。マルディ・アカ・アティアーズは元々ガーニシシャルの侍従をしていたのだが、老齢になるに連れてガーニシシャルは側近を次々とウォレンに引き継ぎ始めた。結果マルディもウォレンに付いてくれていたのだが、2年前高齢を理由に引退した。

 セナの祖父だが、現アティアーズ当主ゴウドウとはまるで似ていない。むしろマルディとセナが似ており、親子ではないかと一時期噂すら流れたようだ。赤茶色の髪に紅の瞳を持つ色白の子ども。ゴウドウともその妻イリスとも似つかない一人息子のセナは、好奇の目で見られることが多かった。



 セナもそうだが、ウォレンにも耳の痛い話だ。なるべく軽い話に変えたいと思って軌道修正を取るのは、ヴァルレンの気持ちが迷惑だからではない。受け入れられない自分に苛立つ。陛下と呼び始めて閉じた心をもう一度開きたいと思えなかった。そしてそれだけで直る間柄ではもうなくなっていることを、ウォレンは肌で感じていた。

「俺をギャラクスと一緒にしないでくれよ、あそこまで飛んでいない。まだ遊んでいるのか、あいつは」

「はぁ、この間も法官とやり合ううちに子卿殿下だと知られたらしく、それでも信じてもらえないままだったので、取り急ぎズークラクト様が迎えに向かわれたとか」

「あいつも苦労性だよな……」

 問題児の弟に時間を掴まされている次期シャンラン当主を思うと、思わず苦笑が漏れる。

 従兄姉弟妹もたくさん居れば居るほど、頻繁に会う者会えない者が分かれる。全員に毎日毎週のよう会うのはなかなか難しい。領地も離れている上、ほとんど王宮から離れることのないウォレンにとって、王宮に居らず領地に住まう従兄姉弟妹たちの日常を知ることはなかなかできない。


 だからこうして話が聞けることは、素直に嬉しいと思える。

 それが幾ら莫迦らしい話でも、楽しそうで何よりだと笑える余裕がある。自分の家にはない光景だと思いながらも、羨んだりすることはない。ただ諦めだけだ。



「それで殿下、お話は何所の家で? もちろん法術師なのでしょう?」

 ウォレンの勝手な外出は、今に始まったことではない。それに対する心配よりも、ヴァルレンが話の内容に興味を持つのも当然である。

 ウォレンが疑問を持って出向いたところで、正直に答えてくれる王宮貴族などそうは居ない。ガーニシシャルの命令と云えば別だが、ウォレンが個人で動いているとなるとその口は重たくなる。

「グラーナのところだ。どうやらあれを使いたがっている奴は多いようで、グラーナもちょうど気になっていたところだと云っていた。まだそれぐらいしか掴めていないが」

 グラーナ・スー・デジタンドは王宮を追い出された指名手配犯ルーク・レグホーンの同僚だった男で、ウォレンにも心を砕いてくれている、数少ない協力者と云える。

「ローゼン子卿に訊けば良かったのではないですか」

「──あまり表立って会える相手ではないからな」

 ローゼン子卿こと、守人ゼシオ・ローゼンの長男クドーバ・ローゼンは巡礼法術師であり、一応シュタインの部下である。一応と付けるのは、

「やぁ、我が宿敵の王太子殿下、今日も元気ですかね」

 などと冗談の過ぎる無礼な挨拶をしてくるからである。彼自身望んで就いているわけでもない職種であり、ウォレンも幼い頃は懐いていたが、それも遠い日のことで、彼がシュタインの駒となったのもその幼い頃である。自然遠のいてしまっている。

 禁忌魔法のことを訊くのなら、確かにクドーバ・ローゼンだろうとは思ったものの、直接会いに行くのは流石に憚られた。幾ら彼の態度があんなでも、だ。それは自然と法術師全体に広まる可能性が高い。


 だがグラーナに話を聞くのも間違ってはいない選択で、どうやら城下町に協力者が居るかもしれないと云う話になり、下りようとしたところでセナに捕まった次第だ。

「後のことはセナに任せて、殿下はお部屋にお戻りください。そろそろ夕餉の時刻です」

「もうそんな時間か……、セナ、頼めるか」

「はい、かしこまりました。では一度、お部屋に戻りましょう」

「その前にマルディに会いたいのだが、今の加減はどうだろうか」

 セナは少し考え込む仕草をしたものの、その提案は予想外ではないはずだ。ウォレンは毎日、どんなに忙しくなろうともマルディの容態を見に行った。不仲ではあれど当主の座をゴウドウに、侍従の座をセナに渡したマルディは、もう後悔することなど何もないと云って、病を気遣うことなくしたいことをして過ごしている。ガーニシシャルに恩情をもらい、イシュタル城内で余生を楽しんでいる。

「ええ、では寄って帰りましょうか」

 結局許可を出してくれたセナに続いて、ウォレンは席を立つ。ヴァルレンも一緒に来るかと思ったが、頭を下げて見送られたので敢えて止めなかった。おそらく今の話を王宮内で深く調べるのだろう。ウォレンに付く官吏などそう多くはないはずだが、ヴァルレンはシュタインに見つかりながらも堂々と捜査する術を持っている。流石はヴァルレンと云うべきか、ウォレンもそこは信用している。



 誰一人として油断してはならない王宮内で、信じられる仲間が多いことは、ウォレンに取って唯一の救いと云えたかもしれない。

 この頃ガーニシシャルとウォルエイリレンの仲はぎこちなかったものの、当人たちはそれらを国政に結びつけることなどまるでした覚えはなかった。だがガーニシシャルを慕うあまり動き出したシュタインは、その不仲に目をつけ次々とシュタイン派閥を作り上げて官吏を人選していた。

 いつしか立つことになるであろうウォルエイリレインの治世を、潰すつもりなのだとはわかった。

 それに気が付いたウォレンは、信頼できる仲間を集めてこうして日々を過ごしている。シュタインはガーニシシャルの臣下であるので、当然のそちらに付く人々が多い。しかしそんな中でも親身になってくれる人たちが居てくれる、その一人に前侍従マルディも当然入る。



 マルディの養生する部屋に向かいながら、ウォレンは後ろを歩くセナに問いかける。

「マルディの容態は?」

「日々、悪くなっております」

「セナ、俺なんか放って近くに居て良いんだぞ」

「そんなことをしたら、私がマルディ老に叱られます」

「まぁそれもそうか」

 温厚なマルディも、孫の教育と云うか、臣下としての教育には口煩い。息子がうまくいかなかった反動なのかもしれないが、それはヴァルレンがウォレンを叱るのに似ている。ウォレンの中でヴァルレン・アゴアードと云う人は父よりも父に近く、誰よりも身内だと思える人だ。


「年寄りの病ですから、仕方ありませんよ」

 そう云われたら確かに終わりではないか。セナは実の祖父だと云うのに、既に諦めている感がある。だがそれは別に冷たいと思えるようなものでもなく、当の本人マルディの感情と似ていた。もう年寄りで仕方のないものなら、好きなことを勝手にしたいと云ったマルディと同じ。どうせ死ぬのなら仕方がない、やれるだけの世話をして見送ってやろうと。そして彼のためにセナができることと云うのは、ウォレンの忠実なる臣下になることなのだろう。



 マルディの部屋へと続く廊下に差し掛かったところで、廊下に立っていた男が走り寄って来る。

「ウォレン、おかえり。ヴァルレンに会ったか?」

「──そうか、おまえか」

 外出の密告者に気が付いて云えば、従弟ローウォルト・ディラ・アルクトゥラスはけろりとした顔で云う。

「だってヴァルレン、切れると怖いだろ。スティーク叔父上すら怖がる相手だぜ、俺とばっちりは嫌だね」

 いっそすがすがしいほどに云われて脱力するしかないが、ローウォルトらしいと云えばローウォルトらしい。

 王太子になったウォレンに対して、こうして気兼ねなく物を云う人は減った。アリカラーナの認めた継承者であることは、アリカラーナに住む者たちに威光と萎縮を与えるらしい。学院で学友と話していた人々ともそう簡単に話すことはできず、何かしら政治が絡んでしまったり、次期アリカラーナに言葉をもらったと口頭してしまうことさえある。共に学院で学び、気が向いた時に話し、気が向いた時に遊んでいた友人は、もうほとんどウォレンに頭を下げるしかできない。

「おまえ仕事はどうしたんだ、仕事は」

「仕事? なんの話やら。殿下と違って、私は無位無官の身ですから」

 そう云って笑うローウォルトは、確かに日々適当に暮らしている。面倒を見るわけでもなく、一緒に鍛錬するわけでもなく、ただ気紛れに顔を出しては入っても居ない軍部で好き勝手している。そんな彼は本来ならば未来のアルクトゥラス卿のはずだが、それに難色を示してふらふらしている。こうして王宮に入り浸ってはウォレンと共に過ごし、命令を下せば働いてくれる。

 最も王宮に来ている理由はウォレンだけではないようだが、そこまで縛る気もない。

 ただ居てくれるだけで心が安らぐ、ウォレンに取っては唯一無二の大事な親友である。



 ロートと連れだってマルディの部屋へ行けば、彼は寝台に座っていた。二人が顔を見せると立ち上がろうとしたものの、病人にそんなことをさせるわけにはいかない。 長期に渡るかと思われた説得に、

「マスター、そのままだだをこねるほうが、殿下方の御迷惑になりますよ」

 セナが決定的な一撃で仕留めてくれたため、長期戦にならずに済んだ。



「年寄りの病ですからね、治すことなど毛頭考えておりませんよ」

 呵々と笑うマルディは随分とやせ衰えていたが、それとは逆に表情は明るい。人生悔いなし、ということだろう。云うことは孫とまるで同じであり、セナを振り向けばにこりと笑われた。

「ですから心配なさることはございませんと申しました」

「そうですよ、殿下。毎日老い先短い年寄りの顔を見に来るより、やることがあるでしょうに」

 遠回しにガーニシシャルと話し合えと云われているのだが、ウォレンは気が付かないふりをする。マルディは死ぬ前にガーニシシャルとウォレンが二人で地位も無関係に話している図が見たいのだろうが、おそらくそれは不可能だろう。既に取り繕うのも莫迦莫迦しいほどに、溝は広がっている。


 ウォレンが何も云わずにいるのに苦笑して、マルディは矛先を変える。

「ローウォルト様も」

「え、ああ、俺は閑人だしね。最後にマルディと話して置きたいと思ったんだ」

「逢い引きまでの時間潰しにされるのも、役には立っているので悪くはないでしょうな」

 からかうようなマルディの軽口に、ローウォルトは最初は面喰って、それから恨みがましい目でウォレンを見る。

「ウォレン……」

「俺は云ってないぞ、おまえと違って告げ口の趣味はない」

 本当に云っていない。問題はただこの態度に出易い本人だということに、本人が気づいていないことだろう。

「マルディ、あの、別にそう云うつもりじゃあないからな」

「わかっておりますよ、年寄りを楽しませてくれるローウォルト子卿殿下に冗談のお返しです」

 楽しそうに笑うマルディに、少しでも安息を与えられていると感じられた。ウォレンが彼に返せる恩はこんなものではな足りないが、彼が安らかに逝けたらと思う。




 笑いが途絶えたところで、こんこんと控えめなノックが響いて、ルウラ・ヴァンデレミオン・カルヴァナが顔を覗かせた。彼もマルディを心配して訪ねる一人である。

「おや、殿下、ローウォルト子卿もお揃いですか」

 そこで小さく笑うと、

「ちょうど今、部屋に戻しました。どうぞ会いに行かれると良いでしょう」

 マルディに引き続いてからかわれることになったローウォルトは、流石に問題が自分にあると気付いたのか、居心地悪そうに頭を掻く。

「……あのさー、俺、そんなわかり易い?」

「そうですね、身内でおわかりならないのはアルク卿だけではないかと……」

「おまえは何所までも、素直で叔父上似だな」

「はぁ……。ま、素直に行って来るよ。じゃあな、ウォレン。また明日」

「ああ、ほどほどにな」

 からかうと照れ笑いを浮かべてローウォルトは去って行く。随分幸せそうなローウォルトを見ていると、背中を押したウォレンとしては安堵する。たまに思うのだ、あの時の選択は間違っていたのではないかと。ただ思い悩む彼にいつものローウォルトに戻って欲しくて、自分のために彼を焚きつけたのではないかと。


 だが隣で佇むルウラも、微笑ましくローウォルトを見ているから安心できた。

「仲がよろしいですなぁ」

「もう長くなると云うのに、未だ初々しいのがおもしろい」

「殿下もローウォルト子卿と同じ方はお断りしたいところですが、リアンダを見つけられると良いですね」

「ロートを見ていると、それも良いように思えるな」

 本当にそう思う。男女の仲というのは複雑だろうが、あんなにも幸せな関係が築けるのならと思う。たまにガーニシシャルとルナを見ていてもそう思うのだが、最近はそういうこともなくなっている。

「アセット子卿はどうなったのです?」

「俺は今婚約を考えられる状況ではないからな」

 ドクトリーヌ・ル=ラ・アセットは昔からの友人ではあるが、婚約者と指定された時には戸惑いがあった。それはおそらく、彼女に幸せを与えてあげられるかどうかが不安だったからだ。もちろん彼女がウォレンを好いてくれていることは重々承知しているが、彼女には幸せになって欲しいのだ。そして自分は、それができる自身がない。彼女のことは妹のように思っているだけであってそれは恋愛感情ではないからだ。



 もちろん次期王だからのんびり恋愛結婚をしようなどとは思っていない。だが大切な妹分がただ権力のためだけに結婚するのかと思うと、どうにも納得できなかった。そんなウォレンの心を見透かしたかのように、マルディは真剣な顔をする。

「殿下、老い先短い老人から一つ、甘っちょろい話をよろしいですかな」

「ああ」

「将来アリカラーナになる者として子孫を残すのは大事なことですが、添い遂げる相手を大切にできなければ荒んだ人生を送ることになりましょう。私めと致しましてはそのような人生を、これまで微力ながら成長を見届けさせて戴いた殿下に送って戴きたくはございません」

「マルディ」

「まずは一人の男であることを、お忘れなく、人としての幸せを得てください」

 人としての幸せ、それは既に、ウォレンが得ているものである。

「俺は充分に恵まれている。みんなが見守ってくれるから、俺はもう、充分に幸せだ」

「身近な相手の幸せを思いやれること、それができぬ王など不要です。将来に奥方となるお方の幸せも、考えてあげてくださいね」

「これは……手厳しい説教になったな」

 思わずウォレンが笑うと、周囲もどっと笑う。こうしている時間はやはり、ウォレンにとっての幸せだと思う。

「実を申せばこれはそこに控えている不肖な孫にも伝えたいことだったのですよ」

「そう云えばセナ、おまえもそろそろ、身固めか」

 今まで従順な侍従として後ろに控えていたセナが、マルディの孫として話に参加してくる。

「ええ、順調に進めば」

 そのセナは挑発するような顔でマルディを見て答えた。

「必ずエースを得ます」

「ほう、エースに勝つ、と云うのか」

「もちろんですよ、必ず勝たなければなりませんから」

 楽しそうに尋ねるマルディも答えるセナも、お互いが良い表情をしている。認め合った二人だからこその会話だ。たった一人の最愛のために動けるロートやセナを、ウォレンは羨ましく思ったのであった。


・・・・・


「ウォルエイリレン王太子殿下」

 フルネームで呼ばれることなど滅多にない、いきなりのことに驚いて振り返れば、そこには普段は廊下で見張りをしている一般兵が思い切り動揺した顔で突っ立っている。

「どうかしたのか」

「マルディ・アカ・アティアーズ卿が息を引き取りました」

「──すぐ行く」

 その時は割とすぐ来るとは思っていた。だから伝令のような動揺を見せることなかったが、やはり頭の中には衝撃が走っていた。事実ではあるが、まだそれを認識していないため、信じない心が強かった。



「殿下、ご足労戴きありがとうございます」

 案内された部屋の前には、セナが控えていた。案内してくれた兵と交代し、中へと入る。セナに何か云おうとしたものの彼が黙って扉を開けたので、ウォレンも大人しく入るしかない。部屋には既にガーニシシャルが居た。最近いつも居るシュタインではなく、シャルンガーを連れて来ている。彼からしたら、マルディは幼き頃から連れ添った仲間、身内と云っても間違いはない。その死にガーニシシャルが足を運ぶのは、当然と云えた。

「穏やかな顔だな」

 亡きマルディを見て、ガーニシシャルは感情のわからない顔でそう呟いた。ウォレンに気が付いたガーニシシャルが、隣のセナを見遣る。

「セナ、愁傷であった」

「もったいないお言葉、ありがとうございます」

「ウォルエイリレン」

「はい、陛下」

「──おまえも、明日は休むと良い」

「お気遣いありがたく頂戴致します。僭越ながら、陛下も御心を休まされますよう申し上げます」

「ああ。──喪主はゴウドウか?」

「いえ、死去の知らせも届けておりません。不肖ながら、私が執り行うよう指示されております」

「然様か。──セナ、頼んだぞ」

「御意」

 セナの言葉を最後に、ガーニシシャルはシャルンガーを伴い去って行く。父親の姿を見たのは、幾日ぶりだろうと考えた。


 ──毎日老い先短い年寄りの顔を見に来るより、やることがあるでしょうに。


 彼の願いを叶えてやることはできなかったなと、ウォレンはそんなことを思う。こうして「陛下」と話す分には問題はないのだが、父子と話そうとすればどうにもわだかまりがある。何をどうやっても砕けないような壁は、既に取り返しのつかない高さになっていた。


 マルディとの別れは粛々と行われ、その後ガーニシシャルと言葉を交わす機会はまたなくなった。


・・・・・


 事件が起こったのは、マルディとの別れが終わって数日後の夜だった。既に深夜を超えた頃、ようやく政務も終わって休む準備をしようとしていた時だ。

「殿下、お逃げください」

 ヴァルレンが珍しく、血相を変えてウォレンの部屋までやって来た。

「──どうした」

「奴らです」

 それだけで察した。例のあれを、禁忌魔法を使いたがっている法術師。おそらくウォレンが調べていることに気がついたのだろう、早速潰しにかかるようだ。どうしたものかと考えを巡らしていたところへ、セナが音もなく現れた。

「ヴァルレン王佐、殿下を安全な場所へお連れお願いできますか。ここは私が引き受けます」

 ヴァルレンは根からの文官であり、戦闘能力はない。それでもここへ来てウォレンに危険を教えてくれる。それだけの関係はあるのだと思えて、不謹慎ながら嬉しくなる。

「大丈夫か?」

「私にそれを訊くのですか」

 思わずと云った風に笑みがこぼれたセナの顔は、既に仕事モードに入っている。そう、あれは確か14歳の時。セナが侍従としてやって来て、彼の仕事を初めて目の当たりにした時。セナが本気の顔をするのは、あれ以来ではないだろうか。


 どうしても伝えたいことがあって口を開いた時、ウォレンの部屋に飛び込んで来たのは、黒装束の人々。顔など見えるわけもなく、正体が誰だかもわからない。ただただ、殺すことだけを目的に来た者たち。

「──予定を変えましょう。殿下、王佐を数石の間、お願い致します」

 ウォレンの剣術の腕は、セナも認めてくれている。彼の戦いと種類は違うが、この状況を簡単に切り抜けられる程度の腕は持ち合わせているのだ。それに加えて、この戦いが数石で終わると確信しているからこその指示だろう。


 セナには、その自信がある。あのマルディから教えられた、技術のすべてが彼の誇りだ。



 もともとはのんびりと考えていたウォレンが悪いのだから、セナの云うことに従おうと思った。だがそれよりも前に、黒装束の襲撃者たちはウォレンを一斉に狙って来た。行動が素早い、ウォレンのような剣士ではなく、セナのような完全に裏社会の働き方である。正々堂々戦う戦士に、隠密が主の暗殺者の相手は不利だ。

 しかし同じ世界と云えど、レベルはだいぶ差があったようだ。

 彼らよりも先にウォレンの周りに飛んで来たのは、セナのダガー。襲撃者たちはあっけなくウォレンたちの前から飛びのいて距離を取り、いったい今何が起こったのか困惑している。それもそうだ、セナの動きはまったく無駄がなく、攻撃の素早さは尋常ではない。これだけの素早さを習得するには、どれだけの修練が必要なのか。セナはたった一人愛する者のために、この技術を手に入れた。


 この技術こそが、アティアーズ家の主たるものの力。


 愛する者を手に入れるための技術だと云うのに、他者を傷付けるために使わせている。そしてやはりウォレンは、そのことにどうしても罪悪感を覚えずには居られないのだ。

「セナ、殺すな!」

 容赦なく攻め立てようとするセナに思わずと云った風に叫ぶものの、彼の動きは止まらない。

「──本当に、いつまで甘っちょろいことを云っているおつもりですか」

 鮮血に染まる。

 記憶が飛ぶ。

 セナが来たあの年に、セナが血に染まったあの日に。

「殺しに来たのは、向こうなんですよ。殺さなければ殺されます」

 セナがそう云った時、既に襲撃者たちの中で息をしている者は居なかった。おそらくは一暦も経たぬたった数石のできごと。セナはあっという間に、襲撃者たちの命を奪ってしまった。


 愛する者のためにその力を磨いたセナは、その力で平然と命を奪ってしまう。それがどうしても、ウォレンには納得できないことだった。


・・・・・


 ああ云うことの後は、朝の目覚めも当然良くない。セナはそれでもいつもの笑顔でおはようございますと起こしに来るが、今日はどういうわけか来なかった。

 ──本当に、いつまで甘っちょろいことを云っているおつもりですか。

 甘いのだとはわかっている、わかってはいてもできなかった。死んでしまった名も知らぬ襲撃者のことを思い出し、ウォレンの気持ちは落ちる。


 それでも王太子殿下の一日は始まる。


 ノックの音がして生返事をすれば、ヴァルレンがおはようございますと入って来た。

「お目覚めでしたか、お疲れでしょうが、準備を致しますよ」

「ヴァルレン……おはよう」

 頭は起きているのだが、動く気になれずにぼんやりと返事をする。そんなウォレンに構わず、ヴァルレンは水を汲み服を用意しと、朝の支度準備に入ってしまう。ヴァルレンも長年王宮に勤めているだけあって、ああ云う事態には慣れている。多少の護身術ぐらいしかできない彼だが、ああ云う時使いものにならない自分はすぐ下がるべきだと心得ている。そして襲撃者にはそれ相応の始末があるものと、既に承知している。


「殿下……」

 支度を済ませた頃、ヴァルレンが仕方ないとでも云いたそうに声をかける。気のないウォレンに気が付いていながらも無視しようとしたようだが、放って置けなくなったのだろう。

「セナが本宅に帰るそうです」

「え?」

 まさかついにウォレンに呆れてしまったのだろうか。確かにあまりに甘いことばかり云っているから、呆れられても捨てられても仕方がないと思う。それでも息はぴったりと合っていた。あれだけ気の合う侍従を探すのはなかなか大変だろう。


「良い頃合いなのかもしれませんね」

「どう云うことだ?」

「実のところはゲームが始まるため、国へ渡るそうです」

 ゲーム。その単語にああそんな時期かと納得する。クレナイの者たちが、ある時期になると居なくなる。それは南にある島国、東雲、宵闇の両国で行われる、簡単に云えば地位を持つための命を賭けたゲーム。


 島国に渡るため、セナが帰るのはしばらく後になるだろう。


 引きとめるヴァルレンを無視し、ウォレンは慌てて王宮の出口を目指した。いつも忍んで出る時に向かう外への入り口で、アティアーズ家側と云えば、如月門。 案の定、そこにぼんやりと立つセナの姿があった。

「セナ!」

 大声で呼びかけると本気で驚いたような顔をして、彼は振り返る。おそらくウォレンが来たことなど、随分前からわかっていたはずなのに、セナはセナでなんだかんだ、ウォレンに甘い。

「おや、殿下。お見送りに来てくださったんですか」

「島へ行くと訊いた。──どうして、黙っていた」

「……殿下は、誰に拝聴して来たのです?」

「ヴァルレンだが……」

「……そうですか。──殿下、今回のことは、当主には内密です」

「ゴウドウは東雲と縁を切るつもりなのか?」

「ええ、父も叔父も、残りのアティアーズはそのつもりです」

 マルディが亡くなり、当主は一応セナの父ゴウドウ・アティアーズが握っている。彼の妻イリスは既に死亡しており、後継ぎはセナとされているが、セナはマルディと考えを同じく、これからもアティアーズは侍従でありクレナイでなければならないとしている。

 ゴウドウはその二点を壊し、王宮貴族としてのアティアーズ家を目指しており、考えを同じくするゴウドウの弟スージョウを後継ぎにするつもりだ。



「それでも、行くのか」

「ええ、ゲームが始まるので、参加しなければなりません。このゲームでエースになれば、それで終わりなんです」

「それでおまえの大切なものは、守れるのか」

「はい……片方は」

「片方?」

 セナの大事なもの、それは東雲に居る令嬢一人だ。セナが守れなかった、あの人の娘だけ。


 だがそれに答えることはせず、セナは空を仰いでから、もう一度ウォレンを見る。

「戻らなければならないのですが……いつ戻れるのかわかりません。お気をつけください、殿下。どうにも、イシュタル城内が不穏で仕方ありません」

 それはわかっている、例のあれを使いたがっている者もの居るのだ。ヴァルレンがまた調べてくれてはいるだろうが、あんな妨害をして来たぐらいだ。おそらくそう簡単に進まないだろう。

「殿下の気持ちはよくわかります。しかし現状では、いつまでも甘いことを云っては居られません。ですから殿下の御身をこの時期守れないのは、非常に心苦しく思うのですが、私は行かなければなりません。殿下の臣下としてこれからも居るためにも、私はエースにならなければなりません。それが先代マスターからの命令でもあり、私がマスターになるための手段だからです。ただお会いすると決意が鈍りそうだったので……失礼を申し訳ございません」

 セナの明確な意思が伝わって来て、ウォレンはそれだけで嬉しかった。もしかしたらあまりにも甘いことを云うウォレンを見捨てるのではないか、そんなことすら考えてしまった自分を心底恥じた。彼は命令されたからではなく、ウォレンを見てちゃんと仕えてくれている。信頼のおける、ただ一人の部下だ。初めて得た自分だけの部下。



「セナ、戻って来いよ」

 ウォレンも覚悟を新たに云えば、忠実なる侍従は不思議そうに首を傾げる。

「その時までに、俺はおまえが納得する答えを見つけ出しておく」

 セナは片膝を付き頭を垂れて、宣誓した。

「──かしこまりました、ウォルエイリレン王太子殿下。必ず貴方様の隣に戻って参ります」

 今からもう7年も前、493年5月のことだった。

 セナ・ロウズ・アティアーズはしかし、ウォレンが王宮を追われる時も、戻って来なかった。


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