第44話:出そろう役者たち
扉を開けた先に、彼女はいつも通り凛として立っていた。話しかけるのを戸惑うほどに綺麗なその姿は、アスルの片田舎に居た時と変わらない。音に気づいて振り向き、アリスに優しく微笑んでくれる姿も。なんら変わらない。
「良かった、アリス。──生きていて安心したわ」
エリーラ・マグレーン。お金と地位をひたすら重視する、故郷で数少ない友人。友人だと胸を張って云えるわけではなかった。だがいま、エリーラがここに居ることでそれは転換する。
「友だち不幸者」
「──エリーラ」
「あの後いろいろ大変だったのよー。リンちゃんなんてずっと素だし、シェイドは仕官を辞めようとするし」
リンちゃん、シェイド。懐かしい面々を思い出して、アリスの心は痛む。彼らはダークの友人だが気がつけばアリスともよく話すようになっていた。アリスは友だちと断言できる勇気はないが、故郷と云われて家族の他に思い出す顔と云えば、エリーラを含めてその三人だ。彼らがそこまで気にやんでくれたことに申し訳なさと同時に、信じられないながらに嬉しい気持ちが湧き上がる。異物なアリスを気にすることなく大切にしてくれた他人が、他にも居たのだと。
「無事で良かったわ」
「あの、ありがとう……」
どうしたら良いのかわからず、ただその言葉だけが漏れた。エリーラを嫌っているわけではない、ただ合理主義者だと信じていただけに、アリスを心配してここまで来てくれた彼女に自然頭が下がる。エリーラは静かに微笑むだけで、何も追求しようとはしない。彼女の優しさは、本当に深い。
──アリスが居なくなったところで、アスルは変わらない。だが、変わるものもある。
「本当に、ありがとう」
「あたしの大事さが身に染みたでしょう?」
命を賭けるとまで云ってくれた彼女に冗談で流してしまう気はなかったのだが、エリーラの軽口に思わず口が緩んでしまう。
「でもエリーラ、どうやって召喚師に?」
「レール教官と取引して」
「取引? レ、レール教官と?」
ぬけぬけと呆気に取られるようなことを云う。召喚師学校で一番恐れられているレールは、 のような田舎に居るのがもったいないぐらいの、凄腕の召喚師である。3年に一度の認定試験も、筆記突破の後、実技の初回試験は彼が受け持っている。レールの厳しい試験を越えて、初めて精霊城から来るお偉い伝承召喚師に試験を受けさせてもらえるのだ。
レール教官。その名を聞くと、アリスの心にはすっきりしないものが浮かんで来る。
──やはりここに居たのは、間違いだったのかもしれん。
ケーリーンに引き渡すべきだったとも云われたことを、アリスは忘れはしないだろう。恨んでいるわけではない、ただどうしようもないやるせなさが込み上げて来る。そんなアリスの心境を知らぬエリーラは、きっぱりとした口調で話を続ける。
「黙ってアスルでぬくぬくとして居るなんて堪えられなかったの。あのね、どうしようもない親から生まれていても、良心ぐらいあるのよ。確かにあたしの関心はお金と地位だけど、それだけのためにいろいろな物を捨てて嘘は吐けないのよ」
エリーラはふと笑顔を消し、真正面にアリスを見遣る。アリスが今まで見てきた軽薄なエリーラとは違う、本当のエリーラ・マグレーンを見せられている。いや、むしろエリーラはずっとこうだったかもしれない。ただ単に、アリスが目を背けていただけだ。
「ラナさんも心配していたわ。あ、ついでにダークも」
ダークと云う名前を聞いてどきりとする。彼らが当然心配していることぐらいわかる。ダークとエリーラは美男美女コンビだが、二人顔を合わせると美しさを放置して子ども並の口喧嘩を始めるぐらいだから、彼女の口からその名が出るのは意外でもある。
「……エリーラが話したの? ダークと?」
「あいつと話すのは癪だったけど、まあ顔は良いから許す」
それに、とエリーラは云う。
「アリスの話だと、あいつちゃんとしゃべってくれるんだもの」
「──その、ダークは?」
訊く権利などないとわかってはいても、つい尋ねずには居られなかった。アリスがここに居ることはもう国中に知れ渡っている。迎えに来ると云ったアリスが、未だ何もよこさないことに不穏なものを感じた。
「書簡ぐらいなら預かってあげるって云ったんだけど駄目ね。俺が迎えに行くんだからおまえは大人しくしてろとか、話にならないんだもの。まだアスルに居るのかどうかはわからないわ、私もアスルを離れて結構経つから」
「ダークは殿下帰還の報を知っている?」
「そりゃ知ってるわよ、もちろん。今知らない人なんて居ないわ」
「──そう」
そうだとはわかっていても、訊かずには居られなかった。ダークのことを思い出すと、どうしてもこう揺れ動いてしまう。ウォレンに付いて行くことを決めておきながら、そのすぐ後にこうしてダークの話が舞い込んでくるとは、アリスを試しているような気さえする。
──おまえは本当に、幼馴染を捨てるのかと。
そう問いかけられているようで、アリスの決断が揺らぎそうになる。
「アスルに連れ戻すのは俺だって喚いていたわ。ふふ、出し抜けて良い気味」
エリーラが妖艶に笑うその姿は綺麗だが、云っていることは子どものそれだ。
──一緒に召喚師になろう。
そう約束して20年近く経つ。いつだって二人で、たまにラナさんの手も借りたが乗り越えてきた。今回だってきっと、ダークは何があってもアリスのもとに来てくれる。そう約束したからには、彼は絶対確実な方法でアリスのもとへ来てくれる。それだけは信じられた。ラナとダークがアリスを大事にしてくれる気持ちだけは、疑わずに居られた。
そのダークが未だ来ていないこと、そしてアリスは迎えに来たその手を振り払わなければならないこと、それらがアリスの荷を重くする。
「アリス?」
「え、ああごめん」
つい考え込んでしまうが、既に答えは決まってしまっている。悩んでしまう自分に呆れながらも、エリーラの前ではしゃんとしていなければと姿勢を正す。
「ダークは今何所に居るか知っている?」
「まだアスルに居るんじゃないかしら。知らないわ、あんな仏頂面」
エリーラが不機嫌そうに口をとがらせたところに、ウォレンがひょいと顔を覗かせた。
「あ、アリス、と。悪い、邪魔した。出直すよ」
「大丈夫だ、何?」
ウォレンはエリーラに軽く会釈してから、
「師走たちは居ないな。……今日は外に出るつもりなんだ」
「──エース……」
「アリスが共犯にされたら困るからな、おまえは何も知らないふりをしていてくれ」
いつのことだったかたまたま時間ができて屋上へ向かうと、ぼんやりと夜空を眺めるウォレンの姿があった。イーリィらの話によると、ウォレンがそうして夜に出歩くのは、一種の日課になっているらしい。見つけたらどうにかしてくださいと云われていたものの、空を眺めるウォレンはいつもと違い、声をかけるのさえ躊躇われるほどであった。彼を連れ戻すのは悪い気がしたのだ。
ウォレンは戸惑ったアリスに視線さえ向けず、連れ戻しに来たのかと尋ねた。その目を見ていると彼の胸中を考えずには居られず、共に空をぼんやりと見上げてしまった。語る時もある、語らない時もある、ただ広過ぎる夜空を見上げているだけだ。
特に連れ戻さなかったからなのか、あの日以来ウォレンがアリスを散歩に誘うのもまた日課になりつつある。
「邪魔して済まなかったな、それだけだ」
「あ、エース、外は流石に……。イーリィを誤魔化すなんて無理だよ。黙っていられない」
「別に何もしなくて良いさ、今から黙らせるのは難しいしな」
「あのね、エース」
ここは正念場である。しっかり向き合わなければと思ったが、 ウォレンはアリスからエリーラへと向き直ってしまう。
「エリーラ嬢、アリスとは親友と云っていたが、ずっと仲が良いのか?」
「ええ、殿下。私が召喚師学校に入学した時からですから、この娘の幼馴染には敵いませんけれど、10年以上になりますね」
「なら心強いな。エリーラ嬢、アリスは俺に打ち解けてくれないんだ。良ければアリスの話し相手になってやって欲しい、楽な道のりではないからな」
「私で良ければ、もちろんお力添えになりますわ」
「エース……何が云いたいんだ?」
ウォレンには王太子であることをわかっていながら、充分親しくしているつもりだ。未だ王太子というのを実感できないぐらいに、彼はアリスに優しくしてくれる。だが彼はそうとも思っていないようで、苦笑しながらアリスを見る。
「事実そうだろう。無理強いはしないが、吐き出すのも大事だぞ」
まるで子どもをたしなめるかのようにぽんとアリスの頭に軽く手を置かれ、アリスは思わず言葉に詰まる。そもそも諌めていたのはアリスだったはずなのに、気付けばウォレンのペースに取られている。
「……師走から、聞いたのか」
「へえ、師走は知っているのか」
にやりと楽しそうに口角を上げられ、アリスは嵌められたことに気付く。
「なんでもない!」
「まぁ良いが、いつでもじっくり聞くからな」
けたけたと笑いながら、ウォレンは出て行く。最近のウォレンはよく笑うようになったと思う。レイシュで出会った頃は嘘が張り付いたような笑い方をしていたが、今のが本当に清々しい笑い方だ。楽しげに去って行くウォレンを見送りながら、エリーラがくすくす笑う。
「凄いわ、殿下ってあんな風に笑うのね」
「そりゃあそうだよ。普通の人間なんだから」
「この国で殿下を普通の人間と云えるのはあんただけね」
「え?」
「さっきの謁見の時、私正直怖かったもの。安心感もあったけど、覇気に気圧されそうになった」
「それは……」
「だから今、あんたとこんな仲良くやってるなんて、びっくりしたわ」
確かに、あの時のウォレンは怖かった。怖いと云うより、威厳があったと云うのだろうか。いきなり権力を見せられて、驚いただけなのかもしれないが、それでも恐怖があった。
だがアリスはそのことが云えず、
「エースはいつでもあのエースだよ」
と答えることしかできなかった。なぜかはわからないが、否定したかった。
・・・・・
ウォレンがその部屋に辿り着くと、中でさっと立ちあがる音がして彼は苦笑する。
「失礼する」
「はい」
わざとらしいが最低限の礼儀を守って入れば、彼女はそこに堂々と立ち上がり、ウォレンを認めると深く頭を下げた。アリスの云う通り、身体は小さくとも何所かの令嬢のようである。
「ウォルエイリレン王太子殿下、この度はお時間をお作り戴きありがとうございます」
顔を上げてウォレンを見るその目は、しっかりとした意思を持って届く。アリスの友人と云うのも頷ける、ウォレンは微笑ましい気持ちになり相好を崩した。
「いや、構わない。それよりアスルからの長旅で疲れていないか?」
対するエリーラ・マグレーンは座ることなく、ウォレンを見てまだ少しばかり頭を下げている。
「お気遣いありがとうございます。実は私アスルは当に出ておりまして、先日より奉公しましたエトル内よりここまで来ましたので、それほどのものではないのです」
そんな彼女に座るよう促し、ようやくにして会談の場となった。
エリーラ・マグレーンからウォレンに渡したいものがあると話されたのは、つい先ほどエリーラからイーリィを介しウォレンへと伝わった。本来なら一国民に唐突の呼び出しなど無理だが、そのような堅苦しいことばかり云っていては、今のウォレンは始まらない。そして何より、ウォレンはきっと今自分が王座についていようと、申し出がエリーラではなかろうと、簡単に会う約束を取り付けただろう。それがウォレンの目指すアリカラーナと云う存在だ。アリカラーナを軽んじていると云われたらそれまでだが、これからはそれで良いとウォレンは思っている。
イーリィはそこらを慮ってくれたらしく、どうしますかと尋ねてくれた。相手がエリーラだったからと云うのもあるだろうが、頭の固いイーリィにしては随分な譲歩である。
そのエリーラ・マグレーンに対しての情報は、ウォレンはほとんど持っていない。アリスの故郷の友人で、つい最近召喚師になったばかりの、令嬢のような女性。召喚師が召喚師認定試験を受けてから行く道と云えば、教師になるか雇われるかの二択である。もちろん召喚師を雇うなどと云うのは貴族のすることであり、彼女たちのようなアスルの出でもそれほど有名ではない学校の卒業となると、雇われる場所も限られて来るだろう。
「雇われたばかりだと云うのに、出てきたのか」
「その主から、お互いのためにこちらへ向かったのです」
「──互いのため?」
「主から殿下に渡すよう云われました」
エリーラがそう云ってウォレンに差し出したのは、手紙一通だった。手紙をもらうなど、いったいいつぶりだろうか。幼い頃はふざけて手紙のやりとりばかりしていたが、ウォレンがただ一人の王子であることを誰もが改めてわかってからは、断然書簡しか受け取らなくなった。
「受け取って戴けますでしょうか」
受け取ることは難しい。しかし現状としては、受け取るしかないとウォレンは思った。手紙をウォレンに出すと云うことは、ウォレンを身近に思っている人間で、王太子だと敬っている人々が絶対にやらない行為である。せいぜいローウォルトぐらいか。ローウォルトと同じく関係は従兄弟のはずのリレインは、恐れ多いと少しの用事伺いでも書簡だった。
そのウォレンに手紙を出す相手など、今は誰か居るものか。
渡された手紙をウォレンはすぐに受け取った。受け取ったが、すぐにその名前を見返すことはできなかった。いったい誰なのか自分の力で知らなければ、相手に失礼だと思ったのだ。だが何をどうやっても、ローウォルトぐらいしか思いつかない。しかし今の彼が手紙など出せるはずがなく、他の従弟妹も似たようなものだ。
諦めてようやく手紙を裏返してみれば、紋章も何もない、封が締めてあるだけの簡素さだった。その封を千切って出てきた二枚の紙、ただ文章があるのは一枚、それもたった二行だけ。
──おかえりなさい、ウォレンさん。ご入用の品があれば、サドール商会までどうぞ。
最後に綴ってあるその名前は、
「……アサギ?」
不在の4年間だけではなく、もっと多い時間口にすることを許さなかった名前が、外に出してしまった。しかしエリーラは当たり前のように頷いた。
「はい、アサギさんです」
──わかったよ。さようなら、ウォレンさん。
シュタインがどうとか、玉座がどうとか、そういう話よりも以前。袂を断ってしまった彼の顔が浮かび、たった数行に込められた彼の想いを知り、ウォレンの手は小さく震える。
「アサギ……いや、子卿は、元気か?」
「はい、見た限りでは」
「俺のことを何か、聞いたか」
「いいえ。ただ渡してくれたらそれで良いと」
「そうか」
何かを云おうとするも、口がうまく回らない。一番にウォレンという人を認めてくれたアサギは、それを受け止めきれないウォレンに失望して目の前を去った。ウォレンもそれを追うことをしなかった。
あんなに良い奴は居ない。
あんなに良い上司は居ない。
あんなにできた人間は居ない。
そうやって云ってやりたいのに、そんなことを云う資格すらないウォレンには、エリーラに語るべき言葉が思いつかない。彼がどんな気持ちでこれをエリーラに渡したかもわからない。
「……そうだな。手紙、を書いたら、返してもらえるだろうか」
「もちろんです」
──ウォレンさん。
気軽に話しかけてくれた彼は、やはりウォレンの「家族」だと感じる。
──わかったよ、さようなら、ウォレンさん。……楽しかったよ。
自分から切り捨てておきながらこんなことを云ったら、彼はやはり怒るだろうか。彼の名を、ウォレン自身が云うことを拒んだというのに、彼からウォレンさんと呼ばれる度に、彼との距離が広がって行くようだった。だが云い始めたウォレンからそれを直すことはできず、彼を名で呼ぶこともなくなった。彼がずっと、呼んで欲しいと云っていた名前を。大事な、アサギを。
事情の知らないエリーラの前で、いつまでも考え込んでいては仕方がない。再度エリーラに礼を云ったところで、ウォレンはつい訊いてしまう。
「エリーラ嬢はどうしてアサギのところから来たと云わなかったんだ?」
エリーラの見た目はどうしたって良いところのお嬢様であり、召喚師として頼れる雰囲気ではない。おそらく受付が終わっている門からここに来るまでですら苦労しただろう。だがそれがアサギの部下ともなれば話は別だ。とんとんと話が進んで、ウォレンとあのような対面をする必要もなく、すんなりアリスに会うことができただろう。
しかしウォレンが訊いた瞬間に、エリーラはにこりと微笑んだ。
「私は私の目的が優先ですから、私の目的のために、アサギさんの目的を使うことはできません」
きっぱりとした声でウォレンに向かって云う。
「お互いの目的があるとは云え、そのためだけに雇ってもらったわけではありません。私の目的は生きるための資金と地位ですが、それを利用してあの娘を助けようとは思いません。たとえ誰かに借りたものでも、それは私の努力で得たものとして使えますが、最初のそれはただの借り物です。私は傲慢なので、私のしたいことすべてを、私の力で手に入れたいんです。地位も資金もアリスも、私の力で」
私は私のできることを、私の力でやるのです。
そう付けたされて、ウォレンは改めて目の前のエリーラという少女を見る。この小さな身体にそれだけの柱を位置づけたものは、相当に強固だ。その傲慢さというより頑固さは、何所かアリスと似ている。
「アリスは、良い友人を持っているんだな」
「ありがとうございます」
否定せず美しく笑ってもらっておきながら、エリーラは困ったように付けたす。
「でもあの娘を友だちだと思っている人は居ますが、彼女だけがそうと認めてくれないのですよ」
「認めない?」
「アリスは基本的に拒否をしません。たとえ自分が侮辱されようと、それを甘んじて受ける。家族を侮辱されると云う例外がありますけれど、基本的に自分に対する悪意は流してしまうんです。だから近寄って来た人を拒否しない、その代わり認めもしない。──受け入れる気がないのです」
自分に対する悪意を受け流し、近寄って来た人の感情も読みとらず、一人で生きて行く。アリス・ルヴァガとは、そういう人だっただろうか。まだ出会って日が浅いと云うのに、もうずいぶんと長いこと一緒に居る気持ちになっていた。だが見えていないところがあって当然だ。
自分はアリスの何を知っているだろうか。
「近寄って来るのが良い人になると、逆に恐縮してしまう。あの娘は、強いようで臆病です」
初めて会ったときの、強い眼力で遠ざけようとしたアリスを思い出して、ウォレンは静かに目を閉じた。
・・・・・
集まった善意の国民はそれぞれ振り分けられて、術師や剣士たちは忠誠と覚悟を確認の上城内に、戦えない者は忠誠のもと家へと返した。ウォレンはイーリィと今後の行動について話し合っている。ウォレンが祠を回ることはもう決定事項らしいが、それに誰が付いて行くのか、またシュタインや他の仲間たちとの連絡など細かいことを決めているらしい。らしいと云うのは、それにアリスが加わったところで特に役に立てないため参加していないからだ。ウォレンにゆっくりしろと云われて、取り敢えずエリーラと話していた。残したアスルのそれ以後のことを、じっくり時間をかけて聞いた。
エリーラは事実をしっかりと伝えてくれる。下手な優しさがないから、正確な情報を得ることができたと思う。さらに気遣ってくれたエリーラは、仕事があると席を外してくれた。彼女は学校を卒業後契約召喚師になったらしく、ここに来たのは主からの命令もあったからだと正直に話してくれた。
アリスが居なくなってから、変化のなかったアスルに哀しむことはない。
せいぜい様子が変わったのはダーク・クウォルト。彼は不定召喚師のまま町を出るようになり、帰るのも日付が変わる時間になったと云う。どんなに遅くなろうともそんな遅い時間に帰ることなどなかったダークがと心配になったが、エリーラ曰く隣町で日雇いの仕事をしていると事情を聞いて安心した。
結局のところ、変わりはない。
気晴らしをしようとアリスは師走と外に出て来た。随分と空の色が綺麗だった。
「アリス……」
「エリーラが元気で良かったよ。エリーラのことは師走に話したっけ」
「ううん、アリスは何も、話してくれていないよ」
「そう、だよね……」
師走は気遣わしげにしてくれる、逆にそれが辛い。
わかっては居た。あの町からアリスが居なくなったところで、あの町は何も変わらない。唯一ダーク・クウォルトだけがアリス・ルヴァガを必要としてくれている。その事実が浮き彫りになることは、今のアリスには、ウォレンの臣下になることを選んだアリスには辛い。
「エリーラは私と初めて友だちになってくれた人。かわいいけどさっぱりしていて、しっかり者」
「そんな感じだね」
真面目なアリスとは、性格が正反対だ。適度に学び適度に遊び、器用に生きる人だ。
アリスは振り返って師走を見る。彼はまるで自分のことのように淋しそうな顔をしていて、そのしょんぼりとした様子は動物のようにわかり易い。そんな師走には、もうアスルに置いて来たダークのように親愛が沸いている。少なくとも、隠し事をしたくない程度には。
「話してなかったけど、私ね──」
「そのまま動かないように」
その声はあまりにもごく自然に、アリスの後ろから飛んで来た。何事かと思い振り返ろうとしたものの、首元にひんやりとしたものを感じ、そのまま動けなくなる。首元に当てられているのは、間違いなくダガーだ。アリスはただただ、何が起きているのかわからないまま、目の前の師走を呆然と見るしかできない。その師走もあまりにも急過ぎたからか、何もできずにアリスを見ている。
「私の質問に答えるのなら危害は加えない、大人しく答えて欲しい」
静かな声は、聞いたことのあるものだった。それも最近、近距離で。
「いったい貴殿は、何者だ?」
「──何者って……」
こちらが訊きたいが、目の前の刃物に太刀打ちできる術は持っていない。
「何者だ」
「私はアリス・ルヴァガ。今は……」
一応精霊召喚師、と続けようとしたところで、さっと首もとから冷たいものが離れた。何事かと振り返ってみると、カーレーンの森で会った、例の聖職者がそこには居た。
「あ、貴方は……」
「ルヴァガ……?」
尋ねた相手こそが混乱気味で、アリスはさらに理解が遅れる。敵か味方か、判断材料があまりにも少ないが、カーレーンの森で助けてくれたのは事実である。アリスがいろいろ考えているうちに、我に返った師走がさっとアリスの前に立ちはだかる。
「もしこの方に手を出せば、俺はおまえを全力で倒す。容赦はしない」
「……師走、様?」
聖職者の声に少しばかり、動揺が走った。驚きに驚きを重ねて、さらに揺さぶられたように見えた。目の前の男は、別段演技をしているようには見えない。
「なぜ人霊が……」
師走の顔が険しくなる。だんだんと、齟齬が合わない者同士、違和感を覚えたのだろう。
「おまえ、まさか……!」
何かに気が付いたように声を上げた師走と真逆に、力が抜けたらしい聖職者がその場に倒れて、その顔が露になる。見たことのないほど輝く紅の髪がなびき、紅の瞳が苦しそうに閉じられる。
「……セナ!?」
師走の声が大きく響いた。
・・・・・
「いいえ、駄目です」
「いや、でもな、イーリィ」
「でもも何もありませんよ」
「だが俺ぐらいしか……」
「殿下にその必要はありません」
前半は淡々と進んだ話し合いも、お互い譲れず拮抗していた。流石東の金剛石と納得している場合でもない。
もちろん、先ほどの話し合いでイーリィがウォレンと共に来ることは承諾した。問題はウォレンたちの編成だ。いろいろ組み合わせるのだがうまくいかず、ウォレンがいざとなったら戦力になると云ったところで、金剛石が眉をひそめたのだ。
──司令塔が斬り込んでどうするのですか。
云いたいことはわかるものの、ウォレンはどうしても納得できない。これでもアリカラーナで現在一番を誇る剣の使い手ローウォルトと共に剣術を習った。学院の武術大会でも一番ではないが良い成績を残した。ウォレンの技術は衰えていないと自負もできる。
ただ軍の頭が自ら動くなど、危険極まりないとイーリィはずっと云い続けている。ウォレンとしては使わない方がもったいないと思ってしまうのだが、それでは石頭を説得できないだろう。
さて、どうしたものか。
詰まったところで控えめに、アリスがひょっこり顔を覗かせた。今の話は別段聞かれて困る内容でもないから扉のない、開け放たれた談話室でしていたのだ。視線を巡らしていたウォレンは、それにすぐ気がつく。
「どうした、アリス」
「エース、イーリィ、話中にすまない。今師走と外を歩いていたら、正体不明の聖職者に襲われそうになったんだが」
「大丈夫だったのか!?」
慌てて立ち上がり、目の前に立っているアリスの肩を掴んでしまう。何所かに怪我ないかと慌てるも、その反応にアリスは苦笑してかぶりを振った。
「そんなに慌てないでよ、無傷だ。しかも聖職者というのは恰好だけの話。──それよりすぐエースを呼んで来てくれと、師走に頼まれているんだ」
「莫迦、どうして人霊が精霊召喚師に物を頼むんだ」
「緊急らしい。──セナが帰ったと云えばわかる、と」
人霊が主を、しかも師走がそれをするなど。信じられない思いで聞いていた話だったが、その先を聞いてさらに頭が白くなる。ごくりと唾を呑んだ。それから瞬きを二回ほどする。
落ち着くわけではない。ただ驚き過ぎて動揺していただけだ。
「何所だ」
「二階の客間だけど……」
云い終わらないうちに、ウォレンは脱兎の如く走り出していた。
セナ。
その名前を聞くのはずいぶんと久し振りだ。廊下に配置している兵が猛ダッシュする驚いた顔をしてウォレンを見送るが、気遣っている余裕すらなかった。
「師走……!」
慌てて客間に入ると、寝台の隣で立ちつくす師走と目が合った。いつもとは違い、少し弱々しく笑った彼は、何所か儚げな印象すら受ける。
「来てもらったのに悪い、眠ってしまって動かない」
師走の隣に立ち寝かされた彼を覗き込むと、久しぶりに見るその顔はげっそりとやせ細っていた。元々白い肌はさらに白く、ただの長旅による疲れでは済まされない。
これがまさか、本当にセナだと云うのか。いつだって余裕たっぷりの隙すら見せない彼が、こんなにも弱っているなんて。同じことを思っているのか、師走も困惑している。
「医者に見てもらったけど命には別状ないから、安静にしてれば目覚めるってさ。あ、ルークじゃなくて城の医者ね」
「そうか」
ひとまずその情報に安堵して、2、3回瞬きをしてから、これが現実であることを思い知る。
「師走、ここまでやってくれて悪いが、席を外してくれないか」
「……もちろん」
「悪い、ありがとう」
ぱたん、と扉が閉じられる。
「セナ……」
どっと力が抜けて、寝台の横に椅子もないのに座り込んでしまう。セナ、会えることをどれだけ心待ちにしていただろうか。変わり果てたセナ・アティアーズの姿に、ウォレンは最後の別れを思い出していた。