第42話:王太子の宣言
4年ぶりに姿を現した王太子を見て、民衆がざわついた。
それでもウォレンは毅然とそこに立って、そんな国民たちを見ていた。野次すら飛び交いそうなその雰囲気の中、彼は視線を逸らさなかった。
「いきなり帰って来た上に騒がせて、申し訳ない」
ウォレンの声が響くと、ざわざわと騒いでいた聴衆がだんだんと静まって行く。ぴりぴりとした雰囲気は変わらず、ただ彼らはじっとウォレンを見つめる。しかしその視線は同等の高さだ。
宣言を行う時、当然のように、城内を使いましょうとイーリィは云った。式典時などに使うテラスだ。櫓も兼ねたそこは、下に様子がよく見える。しかしウォレンは、あくまで城門を解放して城の前でやると云って聞かなかった。そんな上では国民の顔が見えないかもしれない、そんな下では国民から自分の顔が見えないかもしれない、そう云って彼は危険を顧みずに下に降りて来たのだ。城の前で宣下を下すと。
アリスはウォレンの意見に賛同し、必ずウォレンを守り抜くことを約束した。自分は何もできないが人霊にウォレンを守らせることはできる。人霊に頼んだら苦笑された。
──アリス・ルア、そういう時は、命令をすれば良いのです。
あの弥生にそう云われて、アリスはようやくその事実に気が付く。アリス自身に力はなくとも、人霊はアリスの力と成り得るのだと。命令することになれてはいないが、そう云っていられないのが上に立つ人間だ。
アリスとルークの賛成に、イーリィは渋々イーリアム城の精鋭部隊も揃えて許した。遠くから狙われる可能性だって有り得なくない、だからこそ厳重に守りを固めたが、だからと云って警戒心ばかりでは民の心を揺さぶることなどできない。国とは本当に、難しいものだ。
「私はウォルエイリレン・エース・イシュタル、4年前の神無月に、戴冠式の日に行方をくらました定成王の長男。一応はまだ王太子の座に居る。何を云ったところで云い訳がましいと思われるだろうが、説明だけはしておきたい。あの戴冠式の日、グレアル・シュタイン宰法を筆頭に、彼らは私たちにその力を振るった。シュタイン宰法の力によって集められた兵力で、私たちは戴冠式を潰され王宮を追われた。一言で云うならば、謀反だ」
ざわっとまた騒ぐ人々に構わず、ウォレンは話を淡々と続ける。
「私はルダウン・アガット宰相、ルウラ・カルヴァナ宰喚、ローウォルトに助けられ、人霊霜月、師走を連れてひとまず王宮を出た。ひとまず避難すべき場所へと行く予定だったが、人霊が消えて私一人で王座に戻ることなく逃げた、と云うのが事実だ。
信じてもらいたいとは思うが、いきなりすべてを信じろとは云わない。みんなで考えてそして結論を出してもらいたい。ただ、これだけはどうしても伝えておきたい」
そこでウォレンは後ろを振り返ると、人霊を見る。彼らはそれぞれに頷いて、ウォレンに先を促す。これから話すことをすべて理解している、その通りにしてくれ、と云う風に。ウォレンも静かに頷き返して、前を向いて静かに告げた。
「半年ほど前に、カルヴァナ精霊召喚師が亡くなられた」
本当に驚いた時、人と云うものはあまり反応ができないのかもしれない。民の誰もが呆然としたままウォレンをじっと見つめていた。
「もちろん、王宮からそのような話は聞いていないだろう。当然だと思う。現在王宮ではこの国を滅ぼす禁忌魔法が、シュタイン宰法指示のもと使われている。しかし禁忌魔法が使われていることが知れたら、民の信用は失われる。それを悟られない為には、カルヴァナ精霊召喚師は必要不可欠だったのだ。王宮に居なかったからこれは想像でしかないのだが、おそらく彼は、王宮に軟禁されていたのだと思う。
私を逃がしてくれたうちの一人は、カルヴァナ宰喚だった。彼は自分の立場というものを閉ざされた状況の中で考えたのだと思う。そして彼は、自分が生きていてはずっと禁忌魔法が使われ国が滅ぶだけだと気付いた」
ウォレンはずっと静かに淡々と言葉を発しており、後ろから見てもその姿は正しく王太子だった。だが固有名詞が出る度に、ウォレンの何かが揺れ動いているようにアリスは感じた。おそらく人の名前を云う度に、王宮のことを思い出すのだろう。アリスは知らない王宮の人々。苦手だと云いながらも実際は心配に値する人たちを思い出しては、ウォレンの声が小さく震えている。
その動揺が顕著になる人は、云うまでもない。
「カルヴァナ精霊召喚師は、その末、おそらく自害した。もちろん、私はこの目できちんとカルヴァナ精霊召喚師の死を確認していない。だが信ずるに値する証人が、この城塞にやって来た」
そこでウォレンは後ろを振り返り、アリスに向かって頷いた。アリスは隣の人霊たちを見る。つい見てしまった、と云うぐらいだったが、アリスの心は不安が多かったのだろう。本当にみんなは、信じてくれるのだろうか。たかだかお訪ね者の見習い召喚師を。
少し俯きかけたアリスに、鋭い声が飛んでくる。
「アリス・ルヴァガ宰喚」
師走のいつになく厳しい口調が飛んで来て、アリスははっと顔を上げる。
「信じる気がないのに信じてもらおうなんて、無理なことだよ」
「師走……」
「大丈夫、貴女は人霊の主だ。胸を張れば良い」
待っていたウォレンと目が合って、前に促される。アリスは頷いて、足を踏み出した。アリスの顔を見た途端、またざわめきが起きる。本当にここまで、有名になっていたのだと逆に感心した。アスルの田舎から出た小さなお訪ね者など誰も意に介さないと思っていたのだが、それほど法術師はアリスを大きな事件の容疑者として大々的に報告していたのだろう。
つまりそれだけ法術師にとって、アリス・ルヴァガと云う召喚師が邪魔だと云うことだ。
「私はアリス・ルヴァガ、新たな精霊召喚師だ」
アリスは大勢居る民を見た。ついこの間まで、自分自身が立っていた場所だ。
「私の顔を知っている者は、ここに多く居ると思う。見習い召喚師、アリス・ルヴァガ。半年ほど前に指名手配になったお尋ね者だ。だが私のような未熟な見習いが捕まる理由はなく、私は自分が追われている理由もわからなかった。ここでこんなことを云うべきではないのかもしれないが、私が精霊召喚師だなんて未だに信じられない。だが他でもない、ここに居る人霊たちがそう云ってくれた。私はそれを信じて、偶然とは云え私を救ってくれた王太子に仕える所存である」
そうだ、私はここに立った。アリスは思う。故郷のアスルを。良いことなんて数えるほどしかなかった。でも悪いことだって数えるほどしかなかった。孤児にしては贅沢な暮らしをさせてもらって、絶対的に信じられる親友を得て、アリスはきっと、あそこで幸せだった。だがアリスには、それだけではいけなかったのだ。孤児になったのもあそこに預けられたのも、最初から理由があった。自分の生まれから考えれば、ここに立つのは必然だったのかもしれない。
今ここでアリスがウォレンを弁明することは、故郷を捨てることだ。ダークを捨てることだ。わかってはいたが、そう簡単にできることではなかった。だが立ってしまったのだから、やるしかない。自分がそうと決めたから、ウォレンに付いて行くことを決めたのだから、今さら立ち止まることはしない。
ウォレンを信じて、アリスは一歩踏み出す。
「無責任かもしれないが、私はただの見習い召喚師だったから、政治のことはよくわからない。だがウォルエイリレンという一人の人間と接してみて、彼の興した国なら見てみたいと思った。私は今まで何も考えずに暮らして来た。だがいきなり一人放り出されて、人霊と会ってからは自分の意思で考えて答えて、そしてここまでやって来たつもりだ」
大切なのは、自分たちの真実を伝えること。それをどう思うかは、すべて聞いた側の自由だ。 国民はこの4年間、王も関係なしにただ生きることを必死でしてきた。その国民には選ぶ権利があり、これからどうして行くべきか考えて行く権利がある。
その権利を、放棄して欲しくなかった。
「私はアリス・ルヴァガ個人としてウォルエイリレン王太子殿下に付いて行くことを決めた。 どうか国民のみんなにも、自分の意思で考えて、そして答えを出して欲しい」
・・・・・
宣言を無事に終えると、明確な文書が城の前に張られた。その文面はウォレンが中心になって全員で考え出したものである。宣言でウォレンが云ったことが細かく書かれており、法術師の謀反からウォレンの目指すべきもの、国民たちに望むことを詳しく書いた。町でもガーランダが中心になって誰でも読めるよう配布を手配した。すべてを理解しウォレンの意見に賛成した者、何か質問がある者は気軽にイーリアム城へとも書いてある。
「まぁ、批難が三分の一だろうな」
とウォレンは苦笑するが、とりあえずやるべきことはやった。
ここまでの準備にだいぶ時間と手間を費やしたため、ひとまずの区切りに打ち上げがされた。王宮内のパーティに比べれば地味なものらしいが、アリスにとっては充分な御馳走と騒ぎようだった。つい食欲に負けていろいろ見ていたら、師走がひょいと顔を出した。
「どうしたの、アリス」
「いや、見たことのないものばかりだから」
「そうなの?」
「うん、豪華だね」
こんな豪勢な食事、見たことがない。一度だけ、精霊城に行った時は見たかもしれないが、とても曖昧な精霊城の記憶は、アリスに細々としたことを思い出させない。そんなアリスの思考などお構いなしに、師走は幸せそうに食べ物を漁る。
「パッシェンおいしいよ」
「それはパンなの?」
「うーん、どっちかって云うと茶菓子かなぁ。小麦粉を練って果物を……」
「師走、おまえは食べ過ぎだ、少しは遠慮しろ」
「だって食事久しぶりだからつい」
睦月が呆れて溜め息を吐くが、アリスはつい笑ってしまう。本当に食べるのが好きなのだなぁと思う。
「睦月、あまり堅いこと云わなくても良いだろう。これまでで師走も疲れているし、おいしいものを食べるぐらい許してあげよう」
「ほら、アリスが正しい!」
「だが、食物が少ないと云うのに、不必要な私たちが食べるのは……」
睦月の気持ちは、アリスにはわかる。人霊は食べなくても生きていけるから、特に食べる必要がない。だったらその分、別の人たちが食べるべきだ、と云うのだろう。その気持ちはわかる。
「でも私たちが残したところで、民に行くわけでもないだろう」
アリスはそっと、パッシェン──と云うらしい。見た目はほとんどパンだ──に手を伸ばし、小さくちぎって食べる。生地の柔らかさと果物の甘さが口に広がり、なるほど茶菓子だと思う。お菓子のような軽食だろう。
「貴族たちが残した残飯処理を喜んでやるほど、ここの民は落ちぶれた人ではないだろう。彼らには彼らがして来た生活があって、その中でできていることがある。こんな豪華なもの運んだら逆に何かがあると警戒するよ。これは師走たちが食べて良いものだよ」
「……アリス」
「ごめんね、生意気だった」
「──いや、その通りかもしれない。無用な施しだった」
「うん、もちろんくれるというのならそれはそれで嬉しいことだけど、それは残飯ではなく、民のために作られたものが与えられるべきなんだよ」
そんなものは作られないだろうとわかっていても、つい口に出してしまう。上か下かで云えば最下層に近い場所に居たアリスには、国と云うものの機能はあまり感じられない。今まで国に助けてもらったことなどないし、助けてもらえると思ったこともなかった。だがウォレンならもしかしたら、と期待できるからここに居る。
そう云えばウォレンはちゃんと休んでいるのだろうかと気になって顔を上げれば、目に入って来たのはぼんやりと会場を見つめているルークだった。
「ルークさん」
「──ああ、アリス」
いきなり声をかけたことに驚かせてしまったのか、ルークはアリスをちらと見て微笑んだだけで、また会場に視線を向けてしまう。何かしている最中だったのかと下がろうとしたが、ルークはアリスを見ないままに問いかけて来る。
「ちゃんと休めている?」
「はい、すごい騒ぎで驚いてはいるけれど……」
「4年間も宰法と睨み続けて緊張状態にあったんだから、これぐらい許されるべきさ」
ルークはあっけらかんと云うが、それはだいぶ重要なことなのではないだろうか。そう云えばこの4年間、イーリィたちがどのような目に遭っていたのか、詳しいことを聞いていない。
ルークになら訊いても大丈夫だろうかと口を開きかけたところで、ルークの身体が素早く動いた。
「あ、やっと動いた」
「ルークさん?」
「まったく……ずっとうろちょろしていて、気になるから見て来るよ、アリスは楽しんで」
ルークはひらひらと手を振って去って行く。
「どうしたんだろう」
「不審な法術師でも居たんじゃあないのか?」
そこでようやく合点が行く。能力の高い法術師は同士の気を見つけることができる。アリスももちろんわかるのだが、相手の能力が高過ぎるとなかなか難しいし、今はなるべく感じないよう遮断している。自分は召喚師であって法術師の能力は使わないと、ルナと約束したからだ。自然に入って来てしまう時もあるが、そういう時も気づかないふりをしてやり過ごす。ルークが会場を見ていたのも、その法術師を見張るためなのだろうか。
「敵が紛れ込んでいるのか?」
「いや、会場内には居ないけど、外、エトルに入るのは自在だろうからね」
宣言を聞くのは自由だから、そこに「敵」と呼ばれる相手が紛れていても、確かにおかしくはない。そう云えば、ローズなどの主要な軍人が居ないのは、それと関係あるのだろうか。ここに如月と弥生が居ないのも、守りに入っているからだと聞いたが、その守りなのだろうか。
師走が駄目だよ、といきなりアリスの肩を押さえる。
「アリスは駄目だよ、ここに居ないと」
「なんで?」
「主役が消えていたら、何事かと思われるだろう」
違う声が飛んで来たかと思えば、目の前にグラスが差し出され、顔を上げればそこには着飾ったウォレンの姿がある。
「エース」
「俺たちは今、やるべきことを終わらせたお祭りの最中だ。まぁ実際大変なのはこれからだが。──とりあえず俺たちは万全だと思わせるために、主役は楽しそうにしていなければ士気に関わる」
そう云われてみれば、イーリィやガーランダたちは目につく場所で、酒を振舞ったり振舞われたりしている。ひとまずの大仕事を終えて楽しんでいるように見えるが、これも一つの仕事のうちなのだろう。もちろん、彼らにとっては4年の間待ち続けていた日だ、実際嬉しい気持ちもあるのだろう。
「ほら、だからアリスも楽しめば良い」
ようやくにして受け取ったそれは、果実酒のようだった。濃厚なピンクでグラスの上には小さくフルーツが飾られてる。
「もしかして飲めないか?」
「いや、あんまり飲んだことがないだけだ」
飲み物一つにこれだけかわいい装飾をするのかと感心していただけなのだが、あまりそういう場にそぐわないことは云わないほうが良いだろうとわかってきていた。実際あまり酒を飲まないと云うのも本当のことで、アスルでも新年の祝い酒ぐらいだった。
「そういえば、アリスは何歳なんだ?」
「この間20歳になった」
「え、聞いてない!」
慌てたように睦月に云われてきょとんとする。睦月が慌てたこと自体に驚いたのだ。滅多なことでは驚いたりせず、いつも冷静にアリスを助けてくれる睦月だからこそ驚いた。
「この間って……睦月? 如月?」
「睦月だよ、私は睦月1日の生まれだから」
新年が明けるとアスルの田舎と云えど、ほとんどお祭り騒ぎになる。三人で迎える新年もいつもより豪華だったが、そういえばアリスは今年、ラナに何も渡せていない。毎年ラナには自分の誕生日が来ると母として必ず何かしらあげていたのだが、今年はそれができなかった。申し訳ないが、ダークが自分の誕生日の時に何かしらあげてくれることに頼るしかない。
「それはめでたい生まれだな、会えなかったとは云え祝いをしたいものだ」
ウォレンは冷静に返してくれたが、人霊二人は有り得ないとばかりにアリスを責め立てる。
「どうして云わなかったんだ!」
「なんで黙ってたの!」
なぜこんなにも追及されなければならないのかと思っていると、ウォレンがくつくつ笑う。
「人霊にとって主の生誕日は大事な日だ、一緒に居たのなら祝福を与えなければならなかった」
それに、と彼は睦月を見ながら付け加える。
「生誕月の人霊が、主の一年を祝福する役目を持っているんだ」
「え……」
睦月が悔しそうに唇を噛み締めているのを見て、尋常でないことはわかる。人霊にとって余程大事なことだったのだろう、訊かれもしないしわざわざ話題にすることでもなかった。
「それは……、ごめん、睦月。知らなくて」
「──良い、仕方ない」
云いながらも本当に悔しそうにするものだから、アリスはどうしたら良いのかわからない。誕生日と云うものは唯一親から与えられたものだから本当に大切だが、毎年ラナに何をあげるかと云う対象で終わってしまっていた。自分が祝福されるなど、思いつきもしない。
「来年、祝福してくれないか」
「当たり前だ!」
「睦月」
ずんずんと外に向かって突っ切って行く睦月を、アリスは止めることもできず見送ってしまう。
「ごめんね、アリス。俺が訊いていれば良かったんだけど」
「ううん、そんなことはない。ちょっと行って来る」
睦月は怒っているわけではない、ただ人霊にとって大切なことができなかった悔しさがあるのだろう。アリスは慌ててグラスを置くと、そのどうしようもない悔しさを抱えた睦月を追った。
・・・・・
「残念、アリスは飲んでくれなかったか」
ほんの一口手を付けただけの酒を見ながら、ウォレンは苦笑する。少しずつ打ち解けてくれているが、アリスは未だに緊張を解いていないように見えたのだ。今までを考えれば当然なのだろうが、どうにか肩の力を抜いて欲しかった。
「アリスはまだ何か、抱えているみたいだからね。今はどうしようもないよ」
パッシェン、ルッツ、レギー、あらゆる食べ物を手に抱えたまま、師走は答える。
「抱えている?」
「うん、ウォレンに付いて行くことを決めたは決めたみたいだけど、なんか引っかかりがある」
それが何か師走にはわからない、そしてその不満を飲み込むかのように、次々と食べ物を口に詰め込む。やけ食いに見えなくもない。この師走が人にそれだけ執心するなど、珍しいことだとウォレンは思う。もちろんカルヴァナには忠誠を誓っていたし、信頼関係も深かった。だがそういうのとは別に、師走はアリスを絶対的に信頼し信用している。その上で頼ってほしいと思っている節がある。だがアリスはそう簡単に人を頼る性格をしておらず、何も知らないままで先ほどの睦月と同じく悔しいのだろう。
アリスの引っかかりと云うものを感じていながらも、師走にはそれが何かわからない。訊くこともできない、ただアリスが話してくれるのを待つだけなのだ。そういうウォレンも、アリスのことをよく知らない。知らないが大事な人であるから、知りたいとも思う。
「がっつき過ぎじゃあないのか、やけ食いか」
「そうだよ、もう食べるしかあないよ。ウォレンも食べれば?」
平然と云われてしまうと、こちらも苦笑するしかない。差し出されたルッツを、一つもらう。
パーティ会場は盛り上がりを見せている。主役のウォレンは居場所さえわかっていれば、あまり構われることはない。特に人霊と話しているとなると、気を遣われているのか誰も近寄って来ない。給仕がたまに来るが、師走の大量の料理の囲いを見ていると、しばらくは来ないだろう。
「師走」
「んー?」
「確認しておきたいことがあるんだ、シュタインのことで」
「うん、だろうと思ったよ」
師走は冷静に、もぐもぐと食べ物を突っ込みながら答える。
「母上に訊いたんだが、知らないと云っている。──陛下はシュタインにアリカラーナの話をされていない」
「まあ、ルナ王后陛下の云うことなら信じられるね」
確かに、あの人はガーニシシャルのことに関しては嘘を吐かない。ウォレンから見てもよくわからない夫婦だったが、二人の間には確実な信頼関係があったことは確かだ。師走は飲み物を一気に煽ると、ふうと深く溜め息と共に言葉を吐き出す。
「なら、なんかの拍子に知ってしまったわけだ」
「なんかの拍子って云うのが、想像もつかないけどな。ルダウンが隙を見せるわけないし頑固なヴァルレンに至っては論外だ。エンペルトも余裕でかわせるだろうし、後は……」
「──グレイヴァイン、かな」
「そんなわけがない! あいつが……まさかそれこそ、命に代えたって話すはずがない」
「ならスタバン・ティマナーの所為にする? どちらにせよ、死人に口なしだ」
師走はこう云う時、変に冷静だ。だからこそ逆に熱くなってその後で冷静に考えられる。
「俺も誰かが漏らしたなんて信じたくないよ、だけど何所からか漏れたのは事実だ。シュタインが何を目的としているのかわからないけれど、知っていながらの行動だと思う」
「アリカラーナを崩壊させるつもりか」
「目的はわからないよ。ただ、彼がやっていることは崩壊に繋がるけどね」
アリカラーナとはもともと、こんなにも恵まれた土地ではなかった。むしろ荒廃した土地だった。それを神の土地にしたのはウォレンの祖先である初代アリカラーナ命源王。三人の術師ができたのもその頃で、現在のアリカラーナの原点は正しく500年前なのだ。
神の地になったのはそれに値する代償を払っているからであって、無償でできたわけではない。その代償をウォレンは払わなければならないと云うのに、シュタインはそれを潰そうとしている。代償の存在は本当に限られた人にしか教えられていないと云うのに、彼はそれを何所で知ったのだろう。
アリカラーナの秘密を知った上で、彼は何をしたいのだろうか。
考え込んだウォレンに、師走は食べる手を止めてちらとこちらを見る。
「王后陛下は、ヨーシャにいらっしゃるの?」
「ああ。ヨーシャは……綺麗だった」
「そうなんだ。──まあ、少しの緑はあったけど、今のこんな状態なら……そうだろうね」
何かを思い出すかのように、師走は目を細める。おそらく気が遠くなるほど昔の、アリカラーナの姿。ウォレンには絵画でしか見たことのない世界を、師走はぼんやりと思いだそうとしているのだろう。
「王后陛下に、他に何か訊いた?」
「いや……、母上はあまり、陛下のことを話そうとなさらなかったから」
「そう、あの人はちゃんと、分別があるね」
「避難場所としては、良かったかもしれない」
「早く受け取ってよ」
「これから始まるのが、その為の努力だ」
パーティ会場を見ながら、ウォレンはそう、と頷く。これは始まりの前の息抜きに過ぎない。自分はまだ何も成し遂げていない、これから国民に理解してもらって正統なるアリカラーナとなるべく。ウォレンがアリカラーナであることは避けられない事実で、ルナが認めるアリカラーナもウォレンだ。ガーニシシャルの血を継ぐエリンケならば譲っても良いと思っていたが、彼にはルナの血がない。ガーニシシャルが生きている頃であればエリンケに譲っても良かったかもしれないが、現状ではルナの血が流れていない彼に、正統なアリカラーナとなることはできない。そういう流れにしてしまったのはウォレンなのだから、ウォレンがなるしかない。
「ウォレン」
なんだと師走を見れば、彼はずっとウォレンを見ていたようで目が合う。逸らしかけたがその強い群青の瞳はそれを許してくれず、
「おかえり」
と小さく云われた時には、肩が強張った。
「ただいま……、遅くなって、済まなかった」
「良かったよ、無事で。きっと神楽、今頃拗ねてるよ」
王宮を抜け出して守ってくれたのは、師走と霜月の二人だった。王宮を抜け出して走っている最中に、師走はふっとその姿を消してしまった。おそらくカルヴァナが呼び戻したのだろう。正確にはシュタインがカルヴァナに呼び戻させた。
「カルヴァナにロートに、剣なんて使えないヴァルレンさえも、たくさんの人が守ってくれた時、俺はまだ迷っていた。あれだけ磨いた剣さえも振れなかった。だが真っ暗闇の王都で師走と神楽が居てくれたことが本当に心強くて、俺は嬉しかった。ここに居て良いのかと思って懸命に走ったが、目的地に辿り着いて振り返った時、神楽はそこに居なかった」
唐突に、明りを消された気分になった。そう、ろうそくを消された時と同じだ。なんの前触れもなくいきなり目の前が真っ暗になって、一人そこに立つことの恐怖を感じる。
「暗闇の中一人になった途端、恐ろしくなった。俺はやはり、陛下が恐ろしかった」
「ウォレン……」
「神楽に会いたい、会って云いたいことが、たくさんある」
まるで子どものように、ウォレンは繰り返すしかない。云いわけするつもりはないが、あの時の自分が玉座を取り戻したとしても、今のような晴れやかな気分では居られなかったろう。この4年があってウォレンは初めて、純粋な気持ちで玉座に座ろうと思えた。だからこの4年は決して無駄ではなかった。かかり過ぎたことに責任は感じているが、4年前の自分が玉座に就くよりは、現在の自分が玉座を目指したほうが良い。
それだけ今は、自信を持ってアリカラーナになると云える。
師走は突然、そこに膝を折った。
「ウォルエイリレン王太子殿下、ご無事のご帰宅、何よりでした」
パーティ会場は騒がしく、ウォレンたちが居る端を気にする者たちはほとんど居ない。片隅で王太子に跪く人霊を見つけた者は、居なかったかもしれない。
「我ら暦精霊は精霊召喚師アリス・ルヴァガの元、貴方の御許を離れぬよう誓います」
「──そなたたちの契約を許す」
だがウォレンにはこの従順なる人霊の気持ちと共に、深く記憶に残るパーティだった。
・・・・・
──そんな莫迦な。
ダーク・クウォルトは国民の前で話すアリス・ルヴァガから目を離せなかった。いつも一緒に居たアリス。これからもずっと一緒に生きて行くアリス。ダークにとって唯一の宝であるアリス。召喚師の正装をして立つアリスは、幼馴染の贔屓目に見なくても綺麗だ。
半年もの間姿を見なかったのなんて、アリスに会ってから初めてのことだった。ずっとアリスの横にはダークが居た。アリスのことで知らないことなど何もない。ダークのことだって、アリスはなんだって知っている。
──なら、一緒に王宮へ行こう? そして会いに行こうよ。
アリスはたぶん法術師になるほうが適任だったのだろう。だがアリスは、ダークが居るから召喚師になった。なろうと云ってくれた。アスルで生まれたというのもあるが、ダークのことを考えて一緒に居られる道を選んでくれた。だからアリスがダークから離れるなんて有り得ない。
あの王家に手を貸すなんて、そんなはずはない。
ダークはそっと、腕に触れる。今も傷が残る、幼い頃の負の遺産。小綺麗な顔には許されないぐらいの大きな傷。
「アリス……待ってろよ」
アリスを迎えに行くと約束をした。アリスはダークにとっての約束がどんなに大切なものか知っている。だからきっとアリスは、何かを強要されているか利用しているのだ。
ダークはアリスと、ずっと一緒なのだから。