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精霊物語─王太子の目覚め   作者: 痲時
第7章 弥生の目覚め
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第40話:王太子軍の結成


 ルーク・レグホーンを伴って帰って来たことに、城内は最初大騒ぎとなった。それほどルークの存在がこの国で大きいということを理解したが、アリスはその話の蚊帳の外に置かれた。邪魔になるだけだと思ったので出て来たが、特にすることがない。しかしこの大変な時のぼけっとしているのもなんとなく居心地が悪い。


 どうしようかと思っていたところに、ケーリーンの近くに見回りに行っていたローズの一隊が戻って来た。開門の音を聞いて、アリスが慌ててエントランスに駆け寄ると、紅の髪を垂らした将軍がちょうど入って来た。

「ローズさん」

 呼びかけると気が付いたらしく、彼女は恭しく膝を付いて頭を下げる。

「アリス・ルア、ご無事でのご帰還、何よりです」

「顔を上げてくれないか。そちらこそ、見回りお疲れ様」

 疲れているところにかしずかれて、慌ててしまう。彼女が見回りをしている間、自分がこの安全な城で過ごしていたことすら罪悪感になる。だからと云って、アリスが出て行ったところで邪魔になるだけなのだが、気持ちの問題だ。ローズはゆっくりと立ち上がってからまた頭を下げ、美しく微笑む。

「ローズで結構ですよ、そんなルアに敬称を付けられるような身分ではございませんので」

「だが呼び捨てはなんとなく失礼な気がして……。あ、呼び捨ててもらいたいなら呼び捨てるよう努力するけど、でも……」

 慌てるアリスを見て、ローズはぷっと吹き出した。何事かと思って彼女を見れば、軽く頭を下げられた。

「あ、済みません、大変失礼しました。すごく懸命に悩んでくださるのでなんだか嬉しくなってしまいました」

「いや、私はローズさんが好む方で良いんだが」

「ローズでも将軍でも、適当に呼んでくだされば、ルアの元には駆けつけます」

 あっさりとそんなことを云われて、アリスは逆に落ち着かない気分になる。いきなり現れた召喚師の主と云うものに、こうして頭を下げることを不思議には思わないのだろうか。



 とそこでようやく、彼女への用件を思い出す。

「そう、さっき聞いたんだが、大河に落ちた私を探してくれたと」

「え、ああ、そうですね。ご無事で何よりでした」

「迷惑をかけて、済まなかった」

 頭を下げると、ローズはきょとんとした顔をしたかと思うと、またしても吹き出した。

「すみません、私、失礼な態度ばかりで」

「そんなことないけど、私はちっとも国のことがわからないから、エースや人霊にもよく笑われる。変な事云ったら教えてくれるとありがたい」

「──ルアはそのままで、充分ですよ」

 にっこりと云われると、それ以上なんとも返せない。こちらとしては笑われることが不本意なのに、何がおかしいのかもわからないのは悔しい。



 きちんと問い質してみるべきかと考えていたところに、上から降りて来た睦月がアリスを見て声をかけて来た。

「ちょうど良かった、ウォレンが呼んでいるから来てくれ」

 ルークに対するあらゆる雑事が済んだらしいと察する。ローズと簡単な挨拶をして別れると、みんなが集まっている議会室まで行く。複雑な間取りをしているわけではないのだが、何せ広いし似たような場所が多く、どうしても一人では迷ってしまいそうになる。睦月が居なかったら辿り着けなかっただろう。


 どうにかこうにか議会室へ辿り着くと、おそらくみんなで今まで話していたのだろう、ウォレン、ルーク、イーリィ、そして睦月を除いた人霊がそろっていた。


 アリスが座ると、その座がまとまったかのように、ウォレンは満足そうに頷く。それからごめんな、と謝るので逆に何を云われているのかわからなかった。

「ルーク・レグホーン卿はアリスの持って来た打撃だが、隠しているようだから悪いと思ってな」

 まるで気にしていないと云うと嘘になるが、話に無理に入れてもらおうと思っては居なかった。わざわざそんな下手に出てまで謝られることではないと思ったので、当たり障りのない返事をしておいた。彼がアリスの家族だということを、おそらく誰も明確には知らないのだろう。そういう中途半端な場に出て余計なことを考えてしまうのも嫌だったから、アリスにとっては好都合だった。




「形勢はこの間よりも良い方向に進んでいると云えます」

 イーリィはよどみなく自信に満ちた声ではっきりと宣言した。それはそうだろう。今まで行方不明になっていた王太子が帰って来たのだから、血筋を重んじるこの国ではたとえ不満があろうとも一応は王太子に従う。法術師と王太子の出方を待っているところもあるだろうが、それは今考えても仕方のないことだ。彼らがどれだけ居ていつか戦力になるかもしれないことを、頭の片隅で覚えておけば良い。


「ですがまだ、殿下の正体を疑っている者も居ます。加えてその、誠に失礼ではありますが……」

「4年間も国を放置していた俺が信じられないと云うのだろう?」

 イーリィがびくりと肩を震わす。それがしかし逆に真実を伝えている。

「王位継承者候補のご様子ですが、エリンケ様は王位継承権から退く様子はありません。反対にシュベル子卿は、断固として王を決めることにすら反対を示しております。殿下が送った書簡はうまく渡ったのかどうか、確認は取れておりません」

 ウォレンはそうか、とだけ小さく呟いた。

 エリンケは王位を継ぐつもりであり、ウォレンの帰還にも無頓着だと云う。強気で居られるのはガーニシシャルの実の子であること、そして法術師の強いバックアップがあるからだ。リレインの母であるシュベルトゥラス卿は、ウォレンに王位を与えるつもりがない。遠回しの経由で書簡を送ったらしいが、それが果たしてリレインの手元に届くかは怪しいと云う。しばらく静かになった議会室を、ウォレンは促す。

「イーリィ、続きは」

「あ、失礼致しました。まず筆頭である宰法シュタイン卿ですが……」

 取り繕ったようにつらつらと説明を始めようとするイーリィに、ウォレンは厳しいほどの視線を向ける。

「確か今は、王候補の話をしているんだろう。それについての説明が、不充分のように思うんだが」

「そう、ですね」

「──アルクトゥラス子卿の話をしろ」

 ウォレンがそう云った瞬間、部屋の中には緊張が走った。それは気まずい嫌な空気ではなく、ぴんと心が引き締まるような緊張感。だからこそ余計に、イーリィの口は固くなってしまう。そんな彼を前に、ウォレンはああ、と間の抜けた声でつけたす。

「もうメイが後を継いだから、既に子卿でもないな」

「殿下……」

「──これから王位を奪還するんだから、事実を隠しても仕方ないだろう。おまえの気遣いは嬉しいが、今はそんな生易しいことを云っていられる場合でもない」

 ウォレンは静かにイーリィを嗜めると、続けてそれが当たり前だとでも云うように続けた。

「反対してるんだろ、俺が王位に即くことに」

「……はい」

 がっくりと項垂れながらイーリィはようやくにして答える。

「一度連絡を取ってはみたのですが、殿下のことなど知らないと一点張りでした。今は王位継承者候補で居続けるつもりでいらっしゃるそうで……」

「それで良い」

「ですが、ローウォルト様は……」

「あいつは俺に怒っているはずだ、いや、怒っているでは軽いかもしれない。血とか戸籍じゃあ従弟だが、誰よりも一緒に居るあいつはもはや弟だ。考えることぐらいわかる」

 イーリィの頑なな表情と、周囲の反応を見ていれば、ウォレンとローウォルトの繋がりの深さはよくわかる。現実を見据えなければならない状態でも、この現実を認めたくないほどの想い。臣下から見ても、彼らの間に傷がつくことは異常なことなのだ。それこそ、あり得ないほどに。


 ローウォルト・ディラ・アルクトゥラス。今では音でしか知らないその名を、ウォレンはとても大事そうに紡ぎ出す。兄姉弟妹の居ない彼にとって、弟と云える存在のローウォルトが、どれだけ彼の心に近いのかはわかる。

「俺はあいつを信じてる」

「殿下……」

「あいつのことは、俺に任せてくれ。他は王太子としての責務だが、あいつとの関係は、俺とあいつの問題だから、俺が片付けたいんだ。だからもし俺にとって気遣いが必要なほど酷い話でも、ロートの話は全部隠さずに俺に聞かせてくれ」

「──かしこまりました、私にできる限りの情報はお伝え致します」

 イーリィは静かに頭を下げ、周りも釣られたようにまた頭を下げた。しかしイーリィもその周りも、不安そうな顔をしている。できれば伝えたくない事実、歪ませたくない関係を歪ませようとしていることに、抵抗があるのだろう。おそらくガーニシシャルとのことがあるからか、ウォレンとの良好な関係をこじらせたくないのだ。

 ローウォルトと云う人物を、アリスは聞いた限りでしか知らない。ウォレンと似たり寄ったりだが、剣術を極めた所為か少々真面目で一本義、曲がったことは許さない男だと云う。自分の信念に則り考えて正しいと思ったことをやり遂げる、忠義の人。

 ──だからロートは、王にはならないほうが良いんだよ。

 師走がそう云った意味は、アリスにはわからなかった。ただ人間関係のことであれば、ウォレンや人霊を信じるしかない。アリスは今まで、王宮の人のことなど知ることもなかったし、知るつもりもなかった。そんなアリスに長い間築き上げられて来た絆を、会いもせず理解できるとは思わない。ウォレンが信じると云うのなら、ローウォルトをただ信じる、それしかない。



 イーリィは頭を下げたあと、ローウォルトは王位継承者になると毎日云い、リレインの説得も聞かないという現状を説明する。

「でも細かな情報はやはり掴めません。申し訳ありません、情けない話ですが、アティアーズ子卿もいらっしゃらないので、情報が限られます」

「そう云えば、セナが帰って来ていないはずはないんだ。あいつは王宮を出る前、法術師の動向をだいぶ気にかけていた。俺に何かあればセナに伝わるようになっているはずなんだが……クレナイとも取れないか」

 イーリィは小さくかぶりを振って否定した、言葉を出すのも辛そうだった。

「グランは何か云っていないのか」

「殿下がお戻りになられる前にはお伝えしていたのですが、ご存知ないとのことで、殿下御帰還以降は当主と外出されていたりで、姿が見当たりません」

「スティーク叔父上が戻って来ているのか」

 ぽつりと呟いて、ウォータは若干苦笑の混じった思案顔になる。

「あの方が動かれるとまた面倒なんだが……」

「実際のところ何をされているのかいまいちわかりませんが、最近よく訪ねてらっしゃいますのは、セラネートゥラス領ですね」

「セラネー? はぁ、今度はテーズランドでも狙ってるのか」

「いえ、流石にそれはないかと思いますが……」

 答えるイーリィも何所か苦笑気味である。


 スティークという名前には聞き覚えがあった。セラネーとトゥラスの名前を出されれば、アリスの付け焼刃の記憶も思い出される。だがアリスにわかるのは、スティーク・ド=レス・ダカンタトゥラスという名前と、安寧王12人目の子どもと云うことだけだ。アリスが難しい顔をしていることに気付いたのか、睦月が苦笑しながら説明してくれる。

「スティークのことは、今のところは気にしなくて良い、聞く必要もない」

 ただ、と彼女は付け加える。

「アティアーズと云うのは侍従を務める王宮貴族だ、それだけは知っていれば良い」

 以前師走がアティアーズの話もしてくれたから少しぐらいは知っている。だがアリスはわざわざそれを説明せず、睦月の親切心に素直に頷いて置いた。睦月はアリスが付いて来られるように、必要最低限のことだけを簡単に云うだけだ。今はそれが会議の邪魔にならなくてちょうど良いし、後でちゃんと説明してくれるつもりだとわかっているから頷ける。



 イーリィは苦笑しながら、とりあえずと説明を付け加える。

「ダカンタトゥラス卿のことはひとまず問題ないと思いますが、アティアーズ子卿の件で云えば、当主の御意向でアティアーズ家は法術師に手を貸しているとの噂があります」

「アティアーズが?」

 なるほど、とウォレンは小さく頷いた。

 王宮貴族アティアーズ。師走からの聞きかじりの情報が、アリスの頭を回る。代々王家との繋がりが深く、王宮貴族だと云うのに王、王子らの侍従を以前から輩出している。王宮貴族の中で王宮貴族らしい扱いをされないが、ほとんどの貴族がアティアーズと聞くと深々頭を下げるか関わらないようにしている。

 王宮貴族でありながら異質で、だが名のある貴族。

 少し複雑なその事情は、アリスにはわからない。ウォレンの小さな溜め息が、静まり返った議会室に響いた。

「セナの件も後にしよう。ひとまず、現状が思ったより複雑だということだ」

 その声で細かい話はうやむやに閉じた。アリスにはわからない話だが、おそらく小さなところでいろいろな動きが出始めているのだろう。それをすべて把握して整理するのは、並大抵のことではない。






 まず一番にするべきことは、法術師の出方、それだけだとウォレンは云う。

「法術師がどう出るか、まだ予測できていないんだが……」

 ウォレンの物云いはあくまで慎重で、今までの断言口調とまるで違った。

「おそらくアリスの指名手配は撤去される」

「撤去?」

 いきなり自分の名前が出て来て、蚊屋の外だったアリスは驚いてしまう。王太子であるウォレンが、犯罪者扱いであるアリスをかくまっていると云うのは、ウォレンを反逆者として扱うのにちょうど良い材料のように思える。だがアリスの存在を認めなければ、法術師にその先はないとウォレンは云う。

「人霊が居るだけで、こちらには確固たる証明になる。それ以上法術師は動けないはずだ」

「恐れながら殿下、そう簡単にはいかないと思います」

 今まで静かに傍観していたルークが、遠慮がちにしかしはっきりと反対意見を出す。ルーク・レグホーンを連れて来たことに動揺が走っていただけあって、彼が一言発しただけで空気が少し変化した。しかしそれに臆することなく、ウォレンに促されたルークは軽く頭を下げて理由を説明する。

「カルヴァナ宰喚が自害なされた時点で、彼らも予測はしていたはずです。新たな精霊召喚師が殿下の側に付くことも、捉えられなかったことを考えれば予想の範疇内でしょう。それを知っていながら彼女を指名手配したとはつまり、それなりの策があるということです」

「話してくれないか」

「カルヴァナ宰喚はご存命であり、新たに立ったのは精霊召喚師を名乗る指名手配犯である、と」

「──その方法を、詳しく聞いても問題はないか」

「恐れながら、まだ口に出すには憚られます。事実だった時の衝撃が大き過ぎますから」

 静かに答えたルークに、議会室中がしんっと静まり返った。その言葉の威力はアリス以外にとって想像を絶するものだったらしい。誰もがルークを見て唖然として、目を見開き驚きを露にしている。


 ウォレンも取り乱してはいないが、驚きを隠せないようだった。

「……まさか、ルークさん。あれはそんなこともできるのか」

「向上心の高い弟子を一人置いて行きました。おそらくは彼が受け継いでいるでしょう」

「だがそれができたとしても、人霊はこちらに居る」

「確かに痛いところでしょうね。しかしあちらには、あの方が居る。そうなると、難しいところでしょう。ただでさえ、現状は法術師を讃えている。指名手配を先にされている上に、誠に申し訳ないが私まで居るのですから、国民には悪い印象が先立ってしまうでしょう」

「そうか……そんな酷いことが、できてしまうのか。どうにか避けたいものだが……」

 考える風を見せたウォレンは、しかしすぐに発言をする。

「これはカルヴァナ家当主に頼もう。アスルなら抑えられていないはずだ。気になるところはただ、アスルに法術師が侵入できたと云うことだが……」

 そうして視線をルークに向けると、彼は苦笑で答えた。

「あまり私を頼らないでくださいよ、殿下。私の知識は既に時代遅れです」

「それでも内情を知っているのがルークさんしか居ない。アスルは自治権を持って居る町だ。なかなか国家でも簡単に入れる場所ではない」

「──ですが、これは本当に難しいところです」

「……そうか」

「一番怪しいのは25番地でしょう。例の件からルヴァガを煙たく思っています。ですが今25番地の精霊城を取り仕切っているのはアエデロン・ルカナンですから……」

「精霊城の誰か、ということになるな」

「はい。ルカナン卿がまさか、とは思うのですが、その可能性も捨てられない状態です」

 アリスは幾度か口を開きかけたが、それが言葉となって出て来ることはなかった。事情を知っているはずの師走と睦月も、特に何も意見することなくじっと事の成り行きを見守っていた。


 ここでアリスが自分の説明をしたらどうなるのだろうと思ったが、そうするだけの度胸がなかった。ばれるのも時間の問題なのだから云わなければと思ったが、どうしても喉が渇いて云えなかった。法術師がアスルに入れたのは、アリス・ルヴァガが法術師の子どもだからだと、たった一言で済むと云うのに。黙っていてくれるルークを見るが、彼は至って冷静だ。


 アリスが逡巡している間に、話はひとまずの終着を見せていた。

「取り急ぎ、リュウレイと連絡を取りたいが、まだ帰って来ないのか?」

「ええ、まだ……」

 何も進まない現状報告が終わると、とりあえずは解散となり、アリスはほっと胸をなでおろしてしまった。


・・・・・


 夕食の席に足を運ぶと、ウォレンが屈託なく笑う。

「誰も共に食べてくれないのでな」

 イーリィは例によって例の如く堅物だった。殿下と共になどとんでもないと、誘われた朝餉を固辞して横に立っているのだ。この城塞のトップであるイーリィが下がれば、その下に侍るものは誰も同じ席に着けなくなる。城塞に着いてから説得を試みたが、イーリィは何をしても折れなかったらしい。最近では諦めてウォレンは一人で食べていたのだが、そこへ来たアリスはちょうど良い仲間である。

「共に食べてくれる人が居るというのは嬉しいことだ」

 さあ座ってくれと促すウォレンに頷きながら、直立するイーリィにアリスは思わず尋ねてしまう。

「イーリィはまだ食べていないのか?」

「もちろん、殿下やルアを差し置いて食すわけにはいきません」

「イーリィはいつも誰と食べているんだ?」

 イーリィは目をしばしばとさせて、なぜそんな質問をされたのかと本当に不思議そうだった。

「部下で日によって異なりますが、それが何か……?」

「エースは一人で食べさせて、イーリィはみんなと食べるのか」

「え……」

「一人で卓を囲むというのは、淋しいものだよ。そんなにエースと食べるのが嫌なのか」

「め、滅相もございません」

 ウォレン至上主義のイーリィは、これでもかと云うほど否定する。忠節とは難しいものだ。アリスにはよくわからない。主人の云うことを聞いて間違いは諌める。それが主従の関係だが、言葉では簡単にまとめられても、実際の忠実を守るのは難しい。このような場合はだが、ほとんど味方しか居ないのだから、主の云うことを守って良いと判断した。

「ならほら、そこに座って。まだ食べていないのなら、座れるだけ座ってしまえば良い」

「……アリス」

 黙っていたウォレンが真面目な顔をして呼ぶので、余計なことをしたのかと一瞬不安に思ったが、すぐにウォレンはかぶりを振って笑顔を見せてくれる。

「ありがとう」

「何もしていないよ。ただずるいじゃないか、イーリィはたくさんの臣下と共に食べるのに、エースは臣下と食べてはいけないらしい」

「──ルアには参りました」

 そう云ってイーリィは食卓に着く。おおと驚きの声が響く食卓で、イーリィは八つ当たりとばかり部下へ檄を飛ばす。

「私が座ったのだ、おまえたちもさっさとつけ!」

 日ごろの訓練の賜物なのか、鋭い声が飛ぶと部下たちは素早く食卓について、最初はウォレンだけがぽつりと座っていたテーブルに、椅子が足りないぐらいに人が敷き詰められた。






 にぎやかな夕食後、話があるとウォレンに云われたので、アリスは部屋に誘った。ここからならアリスの借りている部屋が近いからである。しかしウォレンは苦笑する。

「アリスが部屋で休みたいのなら部屋で聞くが」

「いや、そう云うわけでもなくて。近いからその方が楽かと」

「──そう云えば、おまえには年が近い同居人が居るんだったな」

「なんで知っている」

「え?」

「なんで知っているんだ、わざわざあいつまで調べたのか。何所まで調べたんだ」

「アリス……?」

 ウォレンの戸惑ったような声を聞いて、はっと我に返る。気付けばウォレンに詰め寄っていたようで、近くにある顔は明らかに驚いている。

「……ごめん、なんでもない」

 アリスは静かに謝ると、すぐウォレンから離れた。思わず唇を噛む。たったこれだけのことで、動揺してそれを表に出してしまった自分に腹が立つ。自分の家のことは調べられるだろうとは思っていたが、まさかもう知っているとは思わなかった。そこまで深く調べていないらしいので安心はしたものの、それを気にしている自分がまた嫌になる。


 ウォレンに付いて行くと決めたと云うのに、それをすぐ反故にするようなことなど。


 気を取り直したらしいウォレンは、心底申し訳なさそうな顔をする。

「すまない、断りもなしに調べて……、気分を害したよな」

「いや、自分に腹を立てているだけだ。調べられるであろうことは、わかっていた」

「でも、アリスは気分を害しただろう。すまなかった」

「もう良いって。私が悪かった」

 ウォレンは頭を下げそうな勢いで、今度は逆にアリスが戸惑ってしまう。どうしてこんな話になったのか、思い出そうとしたものの、まだ動揺しているのか頭が追いつかない。そんなアリスに、ウォレンは小さく微笑んだ。

「俺が云いたかったのは、女人が部屋に誘うには、遅い時間だと云うことだ」

「え?」

 まだ夕食の後である。遊びに来たダークの友人を交えて、彼の部屋で4人、時にはエリーラも加えてよく話していたことを思い出す。 反省したと云うのにすぐさま昔のことを思い返している自分に呆れそうになった時、ウォレンは何かを諦めたかのようにかぶりを振った。

「いや、もう良い。アリスが良いのなら、行こう」

「え、あ、でもウォレンが困るのなら……」

「俺は別に構わない」

 だが、とウォレンは笑う。

「これからは気をつけた方が良いぞ。秀麗な精霊召喚師だ。男は放って置かない」

「からかうな」

「からかっていない、どちらにせよアリス、おまえはこれから王宮貴族なのだから」

 冗談のようなことを云いながら、彼はアリスの部屋へと足を進める。


 あまり深く考えていなかったが、そう云えばルヴァガと云うのは王宮貴族らしい。精霊召喚師としてルヴァガを名乗ると云うのは、当然王宮貴族の中に入ると云うことで、アリスにはまた、頭の追いつかない話が一つ増えてしまう。






 部屋に入ってろうそくに火を灯すと、ウォレンは不思議そうにした。

「ランプは?」

「使い方がよくわからないから使っていない。いつも如月がやってくれるんだが」

「わからないことはなんでも云えよ、教えるから」

「うん、だけどランプなんてもったいなくて、蝋を持って来てもらったんだ」

 原油なんてものは貴重品で、貴族しか使えないものだ。カロマロフに油田が発掘されたものの、あまり大規模なものではなく、国中に行き渡らない。よってランプの光源として得られる原油のほとんどは輸入品で、閉ざされたアリカラーナで唯一国交を持つ王宮貴族アティアーズ家が、東雲国からもらっているのだとか。

 アリスの育ったアスルはカーレーンの森が近いことから、ろうそくの方がもっぱら使われている。と云うより、ランプを使っているところなど、ハヅキ地区の一般家庭にはなかった。唯一贅を尽くしているのは、アリスも長年世話になった召喚師学校である。


 ウォレンは不思議そうに、ろうそくを見る。王宮では使わないのだろうか。

「蝋、か」

「城塞の意趣を損なうのなら、ランプにするけど」

「いや、アリスの部屋だ。アリスの好きにすれば良い」

 そう云いながら、ウォレンはそれをじっと見ている。余程珍しいのかと思ったが、何やらウォレンはぼんやり考え込んでいるようにも見えた。

「どうかしたの?」

「ああ、いや、友人の実家でろうそくを作っていたこと思い出して……」

 云いながらも声は小さくしぼんで行く。そのままかぶりを振って、悪かったと謝る。まるでろうそくを見て考えていたことが罪であったかのように、ウォレンはなかったことにしようとした。

「下町の友だちか?」

「──よくわかったな」

「表情でわかる」

「わかり易いか、そんなに」

「なんとなく、淋しそうな目をするから」

「わかり易い奴は、俺よりも従弟連中に居たはずなんだが」

 敵わないな、とウォレンは苦笑する。ウォレンの云う従弟が誰なのかわからないアリスには答えようもないが、彼の瞳は多くを語ってくれる。その桔梗の瞳に惹きこまれるようにして、アリスはここまでやって来た。表情は平生を装っていても、時に揺れ動く瞳を、アリスは気にせずに居られなかった。


 その綺麗な瞳に小さな炎を映しながら、ウォレンはぽつりと漏らす。

「ろうそくを友だちから一本買って庭で照らしてみたんだが、すぐ消されてしまった」

「え?」

「景観を損なうから止めろ、と云われてな。──たまたま客人が来ていた時だったから、場所をわきまえていなかった俺が悪いんだろうが」

 それでも悔しさと哀しさが入り交じって申し訳なくなり、どうしようもない気持ちだったようだ。そのろうそくは結局捨てられてしまった、とウォレンは小さく付け足した。

「友人の家のすべてを否定されたようで、俺はあいつに、何も云えなかった」

「──ウォレンは、法術の明かりを知っている?」

「え……?」

「王宮はたくさん法術も使うと聞いている」

「ああ、ほとんどが法術の光だな。一般の文官や武官はランプになるが、内はほとんど法術だ」

「私はこの間ケーリーンを通って、初めて法術師の光を近くで見たよ」

「ああそうか、アスルに法術はないからな」

「うん、明るさがろうそくとちっとも違う。まぶしいぐらいだった」

 ろうそくと比べること自体が間違っているのだろうが、明るさの違いに驚かされたのは本当だ。使わないと決めてから、法術は使わなかった。光源として使おうと云う考えにも至らない頃に止めていたから、法術の光など知らずに育った。あんなにも全体に広がる明かりがアリカラーナすべてで使えたら、どんなに便利だろう。



 ウォレンの友人はともかくとして、生活の違いを感じさせられた思いだった。ウォレンは光源として、ランプか法術師の力しか使ったことがないのだろう。城塞に来てからと云うもの、贅沢三昧をさせてもらっていることに、少し居心地の悪さを覚えていた。ラナは貧乏ではなかった。だが裕福でもなかった。日々無駄遣いしないよう、倹約家であったのかもしれない。それなりの贅沢しかしたことがないアリスには、貴族の当たり前を嫌悪するわけではないが、どうにも慣れないのだった。

「ウォレンは友だちの家業が気になってわざわざ買って、その光を綺麗だと思った」

「え、ああ……」

「なら、それで良いんじゃあないのかな。自分で興味を持って買ってくれたと云うだけで、気持ちは充分伝わっているはずだ」

 家業で作っているのならろうそく一本はとても貴重だろうが、彼の友人は家業を知ってもらえるのなら、喜んであげたはずだ。それをウォレンはわざわざ買い取って、豪華すぎるその家で一人灯して見せた。それだけで家業を理解しようとする気持ちはあるし、好奇心を持ったことも伝わっている。

 どうしてこの人は、そこまで考えが至らないのだろうか。

 ウォレンはありがとうと小さく云って微笑んだが、おそらく完全に納得していない。今はそれで良い、いつかウォレンがまた下町に行く時があれば、その時に確認してもらえればと望むだけだ。


「しかし王都でそうか、蝋が採れるのか」

「うん? ああ、養蜂家と契約をしているらしい」

 王都と云うとどうにもきらびやかな場所しか思いつかないが、養蜂ができるような土地があるのかと初めて知る。あれだけの広い土地なのだから、そういう場所があってもおかしくはないだろう。都会に夢見ているわけではないが、不思議な気持ちになる。





 そのきらびやかの中心で育ったウォレンは、静かに頭を下げた。

「アリス、黙っていて悪かった」

 いきなり王太子に頭を下げられるいわれなどなかったが、その王太子と云うものがそもそも間違いなのだと気づいて、反応が遅れてしまう。

「悪いと思うなら、理由を教えてくれないか」

 ゆっくりと頭を上げたウォレンは、アリスの目をしっかりと見てくれる。

「自分が王太子殿下だと名乗るのを忘れるなんてことないだろう。イーリアム城に来てからも名乗らなかった、その理由が聞きたいと云っているんだ」

 しばらくじっと見つめ合っていたが、ウォレンが先に視線を逸らして空に向けた。

「王と云う者は、血筋で決まるものではないと思うんだ」

 アリスはその言葉を正面切って受け取ったものの、最初は理解が追いつかなかった。間抜けな顔をさらしたかもしれないし、驚き過ぎて表情を変えられなかったかもしれない。アリスの驚きを予想していたらしく、ウォレンは静かに苦笑する。

「常識を逸したことを云っている自覚はある。しかも、他ならぬ、この俺が」

 アリカラーナの血は絶対のもので、それは聖職者でなくとも、すがって信じていたいものであった。何かあった時の信仰の対象として、国の象徴として。

 五百年前の名君命源王から続くこの血を、人々は崇めて敬い、そして慕って来た。誰しもが別格のものだと思っていた。それは王族のように国の中枢に居る人も、アリスのように末端に居る人も、同じだ。

 それをウォレンは、いとも簡単に否定する。

「だがいくら父が名君でも、子どもはその鏡ではない。その子も名君になるとは限らない、だろう?」

「……まあ、そうだけど」

 そうだがでも、アリスは肯定できない。王の血は深くて濃いものだと信じていた。だからこそ、アリスはウォレンを選べないと思っていた。その前提さえも、彼は覆すつもりなのだろうか。

「俺は王になるというのはわかっていたが、別になりたいわけではなかった。エリンケはずっと王になりたくて仕方がなかったから、変わってやりたいとすら思っていた。子どもの頃は作法とか礼儀とか、とにかく嫌いで面倒で、すべてが嫌だったんだ。だから俺は王宮を抜け出しては市井に飛び出て遊んでいた。そのおかげで庶民の暮らしに慣れてしまったから、庶民に馴染み過ぎている王など要らないとよく云われた」

 云い方は酷いが、理解はできる。

 アリカラーナと云うものは神聖なるものだと思われている。それはアリスにすら沁みついているこの国の原理であるから、アリカラーナに近しい兄姉弟妹ですら、頭を下げていつでも臣下となる。もちろん兄姉弟妹としての親近感から仲の良い関係を築くことはあるが、意識の底には自分はアリカラーナの臣下だと云う認識がきちんとある。身分差別の問題ではなく、アリカラーナと云うのはそういう存在なのだ。アリカラーナは敬い慕う象徴であって、決して近所で走り回っているような気軽な存在ではない。


 そう云う認識が既に、できあがってしまっている。

「だが王太子になってアリカラーナと云うものを知ったら、逃げ出すことはできないとわかった。太子宣下までは時間がかかったが、俺はでも、アリカラーナとして生まれて来た。 そしてアリカラーナにはアリカラーナである理由があるのだと知ったら、俺はアリカラーナになるしかない」

太子宣下を下された時、なるしかない、そう思った。勝手だよなとウォレンは笑う。

「太子宣下されないまでは不安で溜まらなかったと云うのに、されたらされたで、逃げ場がないことに怖がる。 でも陛下に直接云われた俺は、未来のアリカラーナになるべく責務を全うしようとした。だがやはりそれは、しようとしたと云うだけだった。本腰なんて入れていなかった」

 その時のウォレンは、厭世家だったと回想する。世の中が嫌になって自分の役目をこなすだけしかできなかった。


 結果、戻らなければならない王宮に、今さら舞い戻ろうとしているのだ、と。

「アリスは云った。人霊の信じる王太子なら信じてみたいと。ならアリスの目に俺はどう写っているんだろうかと思った。エースと名乗っただけの、見知らぬ男をどう思うだろうかと。そしてその男が精霊の信じる王太子だと知った時、どんな反応を示すかと思った。俺は自分を試した」

「私を試したんじゃないのか」

「アリスに俺の判定をさせたんだ。俺が誇り高き精霊召喚師の目にどう写るかを。果たして俺は、人霊が信ずるに値するだけの王太子に見えたかどうかを」

「──私が誇り高き精霊召喚師なのかどうかは別にするが」

 アリスは必死に言葉を紡ぐ。

「エースと出会った時、私はくたびれていた。理由もわからず逃げていたからだ。もし故郷の家族が居なければ、私は諦めていただろう。でも逃がしてくれた家族のために、今まで私を信じてくれた人のために、私は真実潔白だと知りたかった、知って欲しかった。だからどうして追われているのか、理由が知りたくて逃げていた。でもいい加減疲れてしまって、どうでも良いかとなりかけていた時、エースに会った」

 ──俺と、アリスの、約束だ。

 ダークとの約束がなければ、アリスはあそこまで走って来ることはできなかっただろう。そして走った先にウォレンが居なければ、アリスはあそこで法術師に殺されていたかもしれない。それほどに疲れた旅路だった。家を出てから二月ほどの旅路だったと後から師走に聞いた時は、それだけしか経っていないのかと愕然とした。もう何年も逃げ回っている気分だったからだ。

「その時なんだか凄く、ほっとしたんだ」

 この世界で唯一信用できる、楝色に似た桔梗の瞳。

「あの時の私を覚えていれば、エースは嘘だろうと思わずには居られないだろうけど、本当にほっとした。エースには人を和ませ引き寄せる、何かがあったんだ」

 明確な何、とはわからない。ウォレンにダークを重ねていたと云う可能性もある。だがそれでも、走り疲れてしまったアリスがまた走ろうと云う気持ちになったのは、ウォレンのおかげだ。

「母上に会った、と云っていたよな。前の、師走祠に行く時に、エースはそう云った」

「……信じなくても良いと云ったはずなのにな」

「だがエースは嘘を吐かなかった」

 「王都で働いていた」のも、「とある事件で王都から追い出されるはめになった」のも、深い説明がないにしろ、エースにとって事実だった。

 ──追い出されてすぐ、田舎に居る母上を訪れた。少し考えることもあったからな。

 だからこそ、その言葉も真実であろうと思った。だからルークの前でも口出しをした。


「王后陛下に、会っていたんだよな」

「ああ、会った。……出て行く時に失敗して今は法術師だけしかお連れになっていないが、あの人が今の俺の、最後の切り札だ」

 だから、とウォレンは少し申し訳なさそうにする。

「母上のことは黙っていて欲しい。今はまだ、教えるわけにはいかないんだ」

「──わかった」

 苦しそうに言葉を出すウォレンは、あの時会った、何所か飄々としたエースとは違う。だがその瞳に強く宿る力強さは、根本的なものは変わらないように思う。結局は、アリスが選んだウォレンだ。明らかに間違っているとは思わない限り、彼の意見に従うべきだ。


「嘘を吐かないエースを、私は信じた。だから私は、王太子殿下も信じる」

「ありがとう、アリス」

 にこりと微笑むウォレンは、そっと手を差し伸べた。今度は迷いなく、その手を握ることができた。


・・・・・


 アリスの部屋を出たあと、窓から見える綺麗な夜空に惹かれて、ウォレンの足は自然と屋上へと向かう。空を見るようになったのはいつからだったろうか。下町の友人と花火を眺めたことがあったが、それはまだ花火の貴重さすらわかっていなかった、未熟な時期だったように思う。みんなが花火に目を輝かせて見入っているのを、ウォレンは一人、不思議に感じてしまった。あれ以来だろうか。

 王宮へと帰り庭に座り込んでは空を見上げ、ヴァルレンやグレイヴァイン、カルヴァナによく叱られた。だが確かあの庭ならよく星が見えると教えてくれたのは、ルナではなかっただろうか。詮ないことを思い出しながら、屋上の扉を開け放ち、満天の星空の下に出る。この星の下に居ると、アリカラーナであることすら小さく感じられるから不思議だ。星の数に比べたら、自分が悩んでいることなど本当に小さくてつまらないことなのではないだろうか。


 ぼんやり月が昇る夜空を眺めていると、自分の小ささを認識できて安心できた。かけがえのないアリカラーナだと云われるが故に、この星の下では自分がなんでもなく、他の誰とも一緒なのだと思える。気休めだが、それでもウォレンの心は落ち着いた。



「ウォレン殿下」

 いきなり声をかけられて後ろを向いた。扉が開けられて音がしているはずなのに、まるで気付かなかった。楚々と微笑んでウォレンを見ているのは、如月だ。予想外の人物に、少々驚きを隠せない。

「如月か」

「すみません、ルアの部屋から出て来てこちらに向かわれたので、心配になって付いて来てしまいました」

 いつでもにこにことしていておっとりとしている如月だが、ウォレンは知っている。実際のところ彼女も師走と同じぐらいに発言権が強く、そして我が強い人だと云うことを。

「こんな場所で寒風に吹かれては、お風邪を召されます」

「大丈夫だよ、ありがとう」

「ウォレン殿下は相変わらず、空を見るのがお好きなのですね」

「え、ああ……」

 気が付けば見ていたという程度だが、好きなのかどうかはわからない。云われて認識すると云うことは、それだけ無意識に見ていたのだろう。



 如月はのんびりとウォレンの横に来ると星空をじっと眺めて、それからなんでもないことのように漏らす。

「初代も好きでした、空を見ることが。──今回は似ている人ばかりで、少しばかり混乱しますね」

「似ている?」

「ウォレン殿下もアリス・ルアも、初代にそっくりです」

 アリスはまだしも、ウォレンもと云うのには同意ができなかった。細かい話をしているわけではないのだろうが、初代を当然知らないウォレンにはなんとも返しがたい。このアリカラーナの仕組みを作り上げた初代と云う先祖には、複雑な気持ちを抱く。民のために投げ打ったことは素晴らしいと思うが、この苦しさをぶるけるのは、やはり初代が適任だろう。

 人間に生まれてきたかったと云う、小さな願い。

 それを叶えてくれなかった初代と云う存在は、少し恨みにも値する人だ。だが死者に恨みごとを云ったところで仕方がないし、師走や如月の前で素直にそれを云うのも非常識だろう。

「初代の瞳も綺麗な紫で、私はそれが好きでした。だから如月を買って出たのです」

「如月……」

「そうでした、ウォレン殿下。この間アリス・ルア、私に何を云ったと思います?」

「え?」

「師走に似ていると、云われたんです」

 思わずウォレンは息を呑む。

「500年と少し生きて来て、初めて云われました」

 ウォレンですら、言葉を失った。云われた時、如月はどうしたのだろうか。きっと驚いて笑顔が引っ込んで、何も云えなかったのではないかと想像する。それほどの大きな発言であることを、アリスはきっと知らないで云っているのだろう。だからこそ打撃がある。知っているウォレンが驚いたのだから、如月はどれだけ驚いたことだろうか。

「……嬉しいか」

「はい」

 にこりと、彼女は微笑んだ。良い笑顔だと、素直に思えた。


 自分が王になったその時は、どう思えるのだろうか。


 思い出して、かぶりを振る。忘れようと努める。

「良かったな、如月」

「はい」

 嬉しそうに微笑む如月には、ずっとこの笑顔を守って欲しいと思う。そのためにはやはり、自分が玉座に収まるのが正しいのだと、改めて実感させられた。



 風が吹いたが、まったく寒いとは感じられなかった。如月も同じ気持ちだったのか、早く部屋にと急かすことなく、ぼんやりと星空を眺めている。本当にこうしてみると、この世界には欠陥なんてまるでないように感じられてしまう。西では戦争が絶えず、北では謀略が絶えず、南では対立が絶えず、東は嘘で固めた世界。何所に完全なる平和な場所があるのかと疑ってしまうような世界だが、嫌いにはなれなかった。

「それから……」

 と、如月はウォレンの思考を断ち切るように、静かに口を開いた。

「ウォレン殿下がアリカラーナになろうとしてくれたことも、私はとても嬉しいです。本当にありがとうございます。初代の代理でお礼致します」

「──如月」

「はい」

 如月の芯は深く、底知れない。それこそ本当に、師走のように、いや、師走そのものだ。だからこそ言葉を真剣に選んで云わなければならず、彼女に伝えるのはなかなか難しい。

「俺は初代にはなれない。おまえたちより自分を優先してしまうかもしれない。だがそれでも、この国にはやはり、こうして栄えていて欲しいと思う」

「ありがとうございます、そのお気持ちだけでも充分です」

 にっこりと微笑んだ顔は、いつもより晴れやかだ。

「ウォレン殿下は初代ではありません、殿下らしくこの国を守って戴ければ幸いです」

 ──殿下らしく。

 懐かしい言葉を聞いてウォレンは決意を新たに、拳を握りしめた。


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