表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
精霊物語─王太子の目覚め   作者: 痲時
第7章 弥生の目覚め
2/36

第38話:弥生の目覚め


 それは、弥生の情景。


 寒さの続く2月を超えてやって来る弥生はまだ冬ではあるものの、少し漂って来る春の暖かさがそれを救う。それが弥生だ。

 ──あんたは弥生なのに、まったく違うけどな。

 そう云ったのは、誰だったか。もう思い出せない過去の記憶。だが不快感はない。幾重にも続けられたその記憶は混濁して混乱を生むだけだ、弥生はだから記憶を捨ててしまおうとする。眠る度に以前のことはすっかり忘れて、生まれ変わった気持ちになってまた起きる。実際はそううまくいかない。


 今回はでも、そうはいかないみたいだ。

 だから弥生は、ここで眠っていたかった。どれぐらいの月日が流れたかは知れないが、弥生としてはずっとここで眠っていたかった。いつだったか、世界を滅ぼそうとした精霊召喚師が現れた時と同じく。あれが死んだ時もこのままずっとここで眠っていたいと思っていた。もっと眠っていたい、ずっと眠っていたい、あたしは──。



「弥生、目覚めなさい」

その声が幾重にも続けられる記憶の中から聞こえた気がした。


・・・・・


 その時はすべてが億劫で、この国に来たのもたまたまだった。国とは名ばかりの、既に不毛なる大地に変化してしまった世界。見放された大地だった。東西南北、あらゆる国の人がそこには集った。ただの基点だったそこは、他国の者が待ち合わせで集うような、それだけの国だったのだ。そして立ち寄る外国人から食料を買い取り、王宮は細々と民を養って暮らしていた。


「どうしてそこまでするの」

 たかが、荒れ果てた国一つ。それにどうして、こんなに心を砕けるのか。

「そんなことをしたらあんた、恨まれるわ」

「恨まれたって構わない」

 即答されて、逆にあたしがひるむ。

「構わないから、残したい。誰もが望んだ、きちんとした国を築き上げたい」

 こんな、なんにもない国の何所か良いのよ。

 そう云いたかったのに、云えなかった。どうしてだろう。その男の瞳が、真っ直ぐにこの不毛なる大地に向けられていたからか。北にも南にも、東にも西にもない、新しい大地を作り上げるのだと。そんなことが可能だろうか。


「力なら貸すよ」

 彼にそっと手を差し伸べたのは、もちろんあたしじゃない。それはあたしがこの国に来て、右も左もわからなかったその時に、親切にしてくれた人。

「だからアリカラーナ、私にできることを、なんでも云ってくれないか」

 微笑むその姿はまるで女神のようだった。その姿を見てまるで対抗するかのように、あたしは思わず云っていたのだ。


「あたしには、何ができるの?」


・・・・・




「弥生、おはよ」

「ん」

 ぼんやりとした顔のまま、弥生は軽く頷いた。あれこれ騒いで来たからどんな人かと思えば、現れた女性はとても美しかった。漆黒の夜が似合いそうな、少し暗い影を落としている気品あふれる女性だ。長い黒髪を鬱陶しそうに掻き揚げるその姿は、艶やかな髪がくしゃりと乱れるのにとても様になる。彼女は相変わらず目は瞑ったまま、艶やかな口を開いた。

「今、あんたを見た」

「ああ……昔の、夢?」

「ええ」

「あれ、嫌だよねぇ。起きる度に嫌になるよ。でもなんで俺が出てくるの?」

「あんたは出て来なかった。見たのはあんたじゃないわ」

 そこでようやく開かれた紫の瞳とぶち当たって、アリスは若干たじろぐ。しかし師走はきょとんとして二人を見比べた後、

「ああ、そういうこと──」

 なぜか納得したように頷く。何が起こっているのかよくわからないまま、アリスは改めて目の前の美女を見つめた。今の話からするに、出て来たのはアリスと云うことなのだろうか。しかしそう理解はしても、結局はよくわからない。取り敢えず手を差し出す。

「初めまして、弥生。アリス・ルヴァガだ」

「アリス──」

 彼女は出された手を握ることもせず、ただじっとアリスを見つめる。その綺麗な瞳に見つめられると罪を暴かれるかのようでどうにも落ち着かない。でもそれとはまた逆に、その美しい紫をじっと見ていたいとも思う。視線をさまよわせることなく結局弥生をずっと見つめていたら、手に少しばかり冷たさを感じた。そこでようやく瞳から視線を手離すと、弥生の細く白い手がアリスの手を握っている。

「あんたには関係ないし、わからないかもしれないけれど」

「え?」

「あんたに助けられてばかりなのは癪に触るの」

 まるで握っていた瞬間が嘘だったのかのように、それはいつの間にか離れていた。

「だから、助けてあげる」

 そう云って弥生は、本当に少しだけ、笑みを漏らしたように見えた。




 弥生を伴って外へ出ると、ウォレンが一人、海からじっと何かを見ていた。視線の先を見ればそこには、アリカラーナ本土があり、薄らとだが人が歩いているのが見える。人々が動くのをじっとウォレンは見ているものの、その瞳は揺らいでいる。

「莫迦な男」

 一番先に口を開いたのは、意外なことに弥生だった。それに反応してはっとしたように、ウォレンはなぜか弱った笑みを浮かべて三人を見る。

「弥生」

「進歩がないのね。いつもいつも、他人ばかり見ていて」

「俺は俺しか見ていなかったさ、ずっとそうだった。だから逃げた。それだけのことだ」

 苦笑したウォレンはそれからまた本土に視線を戻して、薄らとしか見えない行き交う人々の様子を揺らいだ瞳で見ている。それから何かを決心したかのように頷いて、柔らかな笑顔で弥生を見つめた。

「帰ったよ、弥生」

「──本当に、莫迦よね。……そのまま帰って来なければ良かったのに」

「弥生……」

「あんたがあんたとして生きて行ける、絶好の機会だったと云うのに。あたしたちも別に、それで恨まなかったのに」

 師走が彼女を呼んだものの、それは反対からの激昂ではなく賛同だったらしい。続く言葉はなく、弥生も言葉が終わると同時に俯いてしまう。そんな少しばかり重たい空気の中で、ウォレンだけが静かに笑っていた。

「済まない。──だが俺は戻って早々、俺を待ってくれていたイーリィの部下に拾われた」

 言葉に弥生の肩が小さく反応した。顔を上げた弥生の美しい目と、ウォレンの桔梗の瞳が真っ直ぐにぶつかる。

「イーリィもガーランダもリークスも……大勢の仲間が俺を待っていてくれた。離れた王宮でロートやリ-、ルダウンやヴァルレンはまだ俺を待ってくれている。だからやはり俺は、ここに居ることは、間違っていなかったと思う」

「──莫迦な男。やっぱり、アリカラーナにそっくりの莫迦な男」

 掠れた声で云った後、弥生はちらりと師走を見て、

「あんたも、そっくりよ」

 と付け足す。師走は苦々しい顔をして、彼を見るウォレンの視線を避けた。

「弥生にしては口が軽いね」

「寝起きはいつも、機嫌が悪いものよ」

 弥生は大した意味などないとでも云うように軽く流して、また今度はウォレンを見る。


「ウォレン、あんたが覚悟を決めたのなら、あたしはもう、逃げ道を作らないから」

「……ああ、わかっている」

 ウォレンは揺るぎない覚悟に満ちた顔で、高らかに宣言したのだった。

「俺はやはりこの国が好きだから、アリカラーナになる」

 その後若干揺れ動いた瞳が、再度弥生を捉えたかと思うと、そのまま師走にも行く。二人を見比べ悩んだ様子をしていたウォレンがしかし、そのまま力強く続けた。

「そうしてアリカラーナが望んだ大地を作る方法を探したい、そう思う」

 はっと息を飲んだのはどちらだったのか、アリスはただただ、傍観者としてその三人を見ているしかない。

 ざざっと波の音が響いたその日は、まだ如月だと云うのにとても暖かかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ