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精霊物語─王太子の目覚め   作者: 痲時
第9章 回りだした時計
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第54話:初めての心


 私は今、信じられない思いで旅をしています。 初めて見たアスルの外はお伽噺のように大きくて、私の回りで起こることはお伽噺よりも大きくて。

 外の世界は、踏み出せばお伽のお噺。

 小さい頃、ラナさんがよく云っていたよね。ラナさんは外の世界をずっと見ていたけれど、とうとう外の世界に出ることはなかった。でも初めて海を見て、ラナさんが目指していたのはこの先だったのかもしれないなんて思ったりしました。外というのはこの国ではなく、他のもっともっと、ずっとずっと遠い国なのではないかと。


 離れてみてわかりました。私は幸せでした。

 孤児であろうとたとえ生まれがなんであろうと、私は幸せだった。

 帰る場所があって叱ってくれる母が居て、いつも一緒のダークが居た。

 いつも半身のように、それこそ召喚獣のように一緒に居たダーク。

 迎えに来るのを待っています。そうしていつかの約束どおり、王宮を目指そう。

 私はひょんなことから、王宮に簡単に入れる立場になってしまいました。ダークはきっと、そんな簡単な道を嫌がるだろうね。おかしなことに、今度は私が待つ番。

 だからダークが来るのを、のんびり待とうと思います。毎日何げない風を装いながらも新聞に目を光らせているダークを、私は知っています。でもそんなに焦ることはないと思う。あの人は、ダークを待ってくれるはず。


 だから、



「早く、迎えに……」

 と、続きを書こうとして、アリスはペンを置いた。改めて文面を読み直して、苦笑する。

 ──いつか絶対、迎えに来る。

「いつか絶対……か」

 アリスは天を仰いで呟いてみる。

 ダークはアリスとの約束を破らない。アリスを傷付けない。アリスを守ってくれる。

 ある時傷だらけでダークが帰って来た時があった。アリスは先に帰っていて、ラナと一緒にぎょっとして彼を迎えたものである。 どうしたのと訊いても、俺が勝ったんだとしか云わない。そうして次の日になって、いきなり近所の子どもたちが謝りに来た。ごめんなさいと雁首そろえて、アリスとラナに深々頭を下げた。何事かとびっくりしてダークに訊いたところ、ようやく口を割った。

「あいつらがアリスの悪口を云ったから、取り消せって云ったんだ。俺に勝ったらあいつに頭を下げてやるって云ったから、闘ってやったんだ」

 ラナは呆気にとられながらも、最終的にはその子どもたちを叱り飛ばして帰した。


 思い出してくすりと笑った。本当にダークは、アリスの騎士であった。



「こんなに会えなくなるなんて……」

 いつでも一緒に居た彼が居ない不安、いきなり精霊召喚師ですと崇められても、地位で埋められない溝はある。ダークに手紙を書いて送ろうとする度に止めるのがそれだ。


 王宮とダークは、結びつけてはならない。


「誰にだ?」

 ダークの声ではない。思い出から現実に戻ると、いつの間にか目の前にウォレンが居る。彼はテーブルを一瞥した後、周囲を見回して顔を顰める。

「幾ら安全とは云え、こんな外で書き物なんて、風邪をひくぞ」

 アリスは今、外にある茶会用のテーブルで手紙を書いていたところだった。ひとまず部屋に引っ込んだものの、なんとなく外の空気が吸いたくなり、軽い気持ちで空を眺めていたら、故郷を思い出して思わず手紙なんて書いてしまった。

「──うん」

 アリスは視線を逸らしながら、手紙を封に仕舞う。きっとこの手紙は届かない。届かないから何度でも書ける。こうして溜まった手紙は既に十通を越えたのではないだろうか。



「座っても良いか」

 空いている席を指さされ、断る理由もないアリスは頷いた。しかしウォレンの顔を真っ直ぐに見られない。さっき盗み聞きをした所為なのか、引っ叩いた所為なのか、それこそ溝ができてしまった。思わず溜め息を吐く。これまで一番であった親友との別離を噛み締めているところに、これからの主との別れを考えるなど、自分の人生はこうも暗いのか。




 ウォレンには待っている者が居る。しかしアリスには居ない。自分が何も考えずエースを、ウォルエイリレンを信じてしまったからだ。

 ──俺は何があっても、王宮へ行く。行かなければならないんだ、アリス。

 ──なら、一緒に行こうよ。

 しかし彼は、実際良い人であった。王として、人として、信頼できた。そしてアリスは、望みもしない精霊召喚師となってしまった。臣下である彼らがウォレンはこの国を救ってくれると豪語する。信じないわけにはいかなかった。


 そして何よりも、あの木の上で、アリスは「エース」を信じた。エースならともかく、ウォレンとダーク、両方は選べない。



 ふと思いついて、アリスはエースを見遣る。

「アリカラーナは……定成王はどんなお人だった?」

 ウォレンの顔に冷ややかなものが走った。アリスの質問もいきなりだったが、彼の表情の変化はそれにしても急激なものだった。いつも笑顔を携えているが、今は静かに怒っている。そんな雰囲気だ。

「それは俺に父として訊いているのか、それとも王として訊いているのか」

「両方だ」

 すぐに答えたが、意外にも彼は口を閉ざした。


 定成王は王后ルナを溺愛したと云う。彼女に婚約を断られ続けて、婚期を逃したぐらいだ。だがそれでも最終的に、ルナを負かせた。何もルナは定成王を嫌っていたわけではない。相思相愛だったが、ルナが「結婚」を渋ったのだ。遅れに遅れたが、たまに睦月が漏らすほとに、見ていて腹が立つほどに仲が良かったと云う。異常とまで云われるほど仲睦まじい夫婦にできた、将来の王である一人息子。そこには暖かな家庭が築かれていると信じても、おかしくはないだろう。



 だがその一人息子はしばらく黙考した後、

「定成王は先の争いで乱れていたこの国に安定をもたらした。地方までとはいかなかったが、術師たちのわだかまりを減らして平和を取り持った。それはなかなかできないことだと思う。だから俺は王としての彼を尊敬している」

 まるで他人のことのようにそう表するのは、ウォレンらしくない冷ややかな物云いだった。その暗い瞳に、アリスはそら恐ろしいものを感じるが、訊いた手前黙って聞くしかない。

「父親としては彼を見たことがないからわからない」

「え……」

「最後の最後だけ、父として息子である俺を呼んでくれた。だがやはり、俺は陛下を、王としてしか見ないことにしている」

「どうして?」

「13の頃に、そう、決めたんだ。陛下は母上を愛していたが、息子は愛せなかった。父親であるよりも、王である自分を選んだ。だから俺も、王太子としてしか接しなかった。ただ、それだけのことなんだ」

「最後にでも、呼んでくれたんでしょう?」

 ルナとの話を聞いているだけに、今まで文字でしか知らなかったガーニシシャルと云う王に、アリスの中で少しは人格ができている。最後の最後だけ、父として呼んでくれたと云うのであれば、単純にきっと彼も、ウォレンに似たところがある、優しい人だったのではないかと思った。

「私は定成王を知らないけど、エースのことは少しぐらい知っている。お互い考え過ぎてうまくいかなかっただけじゃあないのかな」

「そんな簡単な話じゃない」

 ぴしゃりと反論されて、そのことにまた驚く。ウォレンはいつだってアリスに優しく接してくれていたと云うのに、冷ややかな声で云い切られてしまうと、返す言葉が思いつかなかった。


 しかしその後にウォレンは何所か悲しそうに笑ったかと思うと、

「そんな簡単な話だったら、良かったのにな」

 ぽつりと、呟いた。

 実際、そうだと思っている風であった。きっとここでアリスが何か云わなくても、周囲にいろいろと云われていただろう。少し前に知り合っただけのアリスが、そんな簡単に解決できる問題ではない。


 これから歩いて行く道は同じだが、今まで歩いて来た道はまるで違うのだ。

 それを知らずに軽々しく、口にしてはいけないことだった。だがアリスに謝らせる隙すら与えず、ウォレンは付け加える。

「そんな簡単な話だと、お互い理解できれば良かったのに」

 理解したい相手は、もう居ない。


 ガーニシシャルとウォルエイリレン。

 二人の親子の間にどのようなやり取りがあったのか、アリスはまるで知らない。完全に謝るタイミングを失ったアリスは、反省するウォレンの呟きを聞いてやるしかできなかった。もう既に、彼らの状態に関しては議論されつくした後で、ウォレンもこうすれば良かったとわかってはいるのだろう。だがそうしようと思ったところで、相手がもう存在していないのであれば、余計辛くなるだけだ。






 如月も終わりを迎え、そろそろ弥生の季節である。もう少し肌寒い季節が続くが、例年に比べると非常に過ごしやすい。昨年のこの頃は、まだあのアスルの家に居て、ダークやエリーラと莫迦をしていたのだと思うと、王太子と肩を並べて座っている現状が夢のようだ。

「アリス、さっきは本当に、済まなかった」

 ぼんやりとしていた所為ではないだろうが、何を云われているのか、咄嗟にわからなかった。それほど、定成王のことを話すウォレンのことが離れなかった。

「云われて反省した」

 言葉は少なかったが、彼の気持ちが痛いほどに伝わって来た。

「私こそ悪かった。半分、八つ当たりもあった」

「八つ当たりで俺を引っ叩いたのか」

「だからやり過ぎた。その……本当にごめん」

「──いや、おかげですっきりした」

 そう云うウォレンは、本当にすっきりとした顔をしていた。先ほどガーニシシャルの話をした時とは比べ物にならないほど晴れ渡った顔をしている。


 王太子をひっぱたくなど、不敬罪では済まない問題だ。だがウォレンは本当にすっきりとした顔をして、むしろこっちが悪かったと頭を下げて来るから、アリスもそれ以上どう自分の罪を追求すれば良いのかわからなくなる。

 さっきのが本当に、八つ当たりがなかったと云えば嘘になる。

 ウォレンとセナの会話をたまたま聞いて、ウォレンにはまだ待ってくれている人が大勢居るのだと思うと、自分のような小さな人間が、あんなにも大切な人々を裏切って彼に付くことに意味があるのだろうかと、みっともない嫉妬が生まれた。アリスにとって唯一の、かけがえのない存在を捨ててウォレンに付くことを決めたと云うのに、自分の望まない答えをもらったからと怒りに任せて手を上げることまではする必要がなかった。

 ただあの時、アリスを襲った形用できない感情は、自然行動に移ってしまっていた。それはおそらく、ガーニシシャルが絡んだこともある。



「アリス、おまえは俺に、付いて来てくれると云ったな。失っても、俺に付いて来てくれると」

「……ああ。正直云うと迷うかもしれない。いや、まだ迷っているのかもしれない」

 ウォレンに付いて行きたいと云うのは、今ここに居る間の、そうしたいという願望でしかない。実際にダークが迎えに来てくれたら、アリスはどうなるだろう。何を選び何を捨てるか、自分でもわからないままに、ただただウォレンに忠義を尽くしたいと思う。今までウォレンに頭を下げて来た人々のように、ウォレンが頭を下げて来た人々のように、あそこまで彼に信頼され信頼できる主従になりたいと思う。

「この間イーリアム城を出る前に云っただろう。私は私が王宮へ行く目的を捨てると」

「……ああ」

「私にとって唯一のものを諦めるから、だからウォレンにも、それだけの覚悟で居て欲しかった。だけどこれは、私の勝手なわがままで傲慢なことだと今頭を冷やして思った。私が勝手にエースと云う人に惚れ込んで王太子にしたいと思っただけで、私が狭い世界を捨てたからと云って、エースを責めるなんて間違っている。迷っている私がこんなことを云えないな」

 ウォレンに付いて行くと云いながら、こうしてダークへの情も捨て切れず、腹を決めたはずなのにまだ迷い続けている。そんなアリスが、とやかく云える問題ではないのだ。

 ウォレンは驚いたように目を見開いていたが、やがてなぜか、笑い出した。

「え、エース?」

 だいぶ必死に反省して話していたのだが、いったい何所に笑う要素があったのだろうか。

「あの、エース? もしかしてまた何か、失礼な発言でも……」

「いや……、俺は本当に、アリスには敵わないと思って……あーあ」

 涙すら出しそうな笑い具合に、さすがのアリスも眉間に皺が寄る。不穏な空気を感じ取ったのか、ウォレンはすまないと繰り返し頭を下げて来る。


「発展も衰退もない、つまらない国だった」

「……え?」

「陛下が最期にそう仰っていたのを、覚えている。まともに話したのが何年ぶりかだったからかもしれない、今際の言葉だったからかもしれない。だがとにかく、それが頭に残っていてな……」

 ざっと生ぬるい南風が吹いて、ウォレンの髪を巻き上げる。少しばかり長い髪に隠れてしまった彼の顔は見えないが、さっきの爆笑の欠片は微塵もない。

「だからアリスの云うことは、何も間違ってなんかいない。俺は、陛下とは違う国を、俺らしい治世の国を作り上げなければならない。それはわかっているんだ」

 わかっているのだが怖いのだと、ウォレンは正直な言葉を漏らした。

「玉座を目指すことをしながら、陛下と向き合うことが怖い」

 玉座を目指すと決めながらもガーンシシャルの話になると顔を背けるウォレン。ウォレンを選ぶと云いながらダークに会いたがっているアリス。今はお互い、迷いに迷っているのだ。ただ今こうして一緒に居ることだけは、迷いたくない。ひとまずはウォレンに付いて人霊を起こすと決めた。



「だけど、それでも最後には、エースを選ぶよ」

 怖い気持ちはよくわかる。失うのはとてつもなく怖い。ウォレンだって玉座に向かうことで、多くの何かを犠牲にしなければならないだろう。だがそれでも、王になると決めたのだ。アリスだって本音を云えば、ダークを捨てるなんてできるわけがないと思う。だがそんなアリスがダークを捨てても、ウォレンに付いて行くと決めた。

「それだけで俺は充分だ」

 ウォレンはそう云って笑いながら、アリスの頭をなでる。まるで兄が妹を甘やかすような、優しい手だった。

「俺はおまえのおかげで、初めて理解できたことが多い。ありがとうな」

 それはむしろアリスの方なのだが、ウォレンが本当に嬉しそうに笑うから、素直にどういたしましてと頷いておいた。


・・・・・


「殿下、すみません、お忙しいところに」

 アリスと別れて部屋に戻る途中で、セナが待っていると呼ばれた先には、彼の他に卯月が居た。

「いや……、なんだ、用と云うのは卯月か?」

「私よりも殿下にお訊きした方がよろしいかと思いまして」

 若干とげのある云い方だと気がついたのは、おそらくウォレンだけであろう。

 ローウォルトの一件は、セナにとっておもしろくないことの一つなのだ。セナが居ないうちにあそこまで話が進んでしまっては、確かにおもしろくないのかもしれない。

 ローウォルトとセナ。この二人のウォレンへの役割は似ている。だからセナにはローウォルトの気持ちがわかるのだろう。セナも本職には向いていない気がしたものの、そんなことを云おうものならどんなことになるか想像すら恐ろしいのでやめておく。



 それよりも昼間より影が落ちている卯月が優先だ。こうなることはわかっていたが、どうしてもやり切れない。

「ローウォルトのことだろう」

「……はい。あの、ローウォルト様が王位を望んでいると云うのは、本当なのでしょうか」

「ああ、本当だ」

 ウォレンが知る限り、それは事実だ。ウォレンだってこの4年間、彼には会っていない。

 ──逃げろ、ウォレン!

 最後に会ったのは、死に物狂いで逃げることになった、あのイシュタル城だ。剣客ローウォルトともあろうものが、剣をめちゃくちゃに振り回してウォレンを逃がしたあの日が最後。あれから4年もの歳月が経ち、状況は変わってしまった。だから今の彼の真意が何所にあるのかなど、わかるはずもない。ただウォレンは彼を信じている。あの従弟だけは、信じ続けたかった。彼になら斬られても仕方ないと思うから、最後の瞬間まで信じることで彼への信頼を貫きたい。

 おそらくそんなことを云ったら、またセナに甘っちょろいと笑われるのだろうが、それがウォレンの性分なのだから仕方がない。ウォルエイリレインと云う男は、こうするしかないのだ。

 ──私はおまえの作る国を見たいと云ったんだ。

 あの言葉に答えて、ガーニシシャルと違う王を目指すために。不安は大きいが、4年前の戴冠式より、格段に王座と云うものに執着が出て来ている自分に気付く。あれだけ要らなかったものが、あれだけエリンケに押しつけていたものが、今になって欲しくなるとは。



「少なくとも王位継承権を唱えている間は、あいつは無事だろうよ。それとも、卯月はあいつに王になって欲しいか?」

 つい意地悪く笑って尋ねれば、卯月は滅相もないと驚いたようにかぶりを振る。

「そんなこと望んでいません! それに……ローウォルト様は王位には向いていないと思います」

「俺もそう思うよ」

「でも殿下も、あまり向いているわけではありませんよね」

「そうか?」

 王に向いている向いていないは関係なかった。ウォレンはガーニシシャルの唯一の子どもだったから、 王になると云う選択肢以外与えられなかった。だがその割に、ガーニシシャルはウォレンになかなか太子宣下を行わず、戴冠する前に亡くなってしまった。それがどういう理由でなのか、ウォレンには未だわからない。

「以前ローウォルト様が仰ってました。それでも殿下が望まれているのなら、その道を応援したいと」

「……あいつが」

 罪悪感に痛みが走る。従弟ローウォルト。戸籍上では従弟でも、王宮で生まれて王宮で育った弟のようなものだ。いつだって彼は、ウォレンと共に居てくれた。

 そんな彼を、ウォレンは裏切ったのだ。

 シュタインが手を打ってくるまで、ローウォルトもウォレンと共に先手を考えていた一人だ。何があってもウォレンを逃がすことを決め、ウォレンが目指す玉座を守ると云う約束だった。だがウォレンは4年も行方をくらまし、ようやく姿を現したかと思えば理由すら云わず玉座を目指すと云う。

 すぐに戻ると約束したウォレンが戻らず月日が過ぎれば、気持ちは風化する。ウォレンを見切ったと云うのも、無理はない。




 卯月は不安そうに、しかし心配そうに、要するにどんどん元気がなくなってしまう。これでは本当にローウォルトに殺されてしまうと懸念し、ウォレンは笑顔を見せる。

「だが俺はあいつを信じる。おまえもロートを信じてやってくれ」

「それはその、もちろん、ですが……」

「心配か?」

「はい……あ!」

 思わずと云った風に口にしてから、彼女は慌てて言葉を紡ぐ。

「あ、あの、えっともちろんリレイン様やシャルンガー様、それからヴァルレン様やルダウン様なんかも、無事なのかとっても不安ですけれど……!」

 今さらの慌てっぷりに、逆に可笑しくなってウォレンはつい笑ってしまう。 さっきまで話していた彼女の主とは大違いなその反応に、連想せずにはいられなかったのだ。


 ──私が勝手にエースと云う人に惚れ込んで王太子にしたいと思っただけで、私が狭い世界を捨てたからと云って、エースを責めるなんて間違っている。


 ウォレンはウォレンなりに、師走に怒られない努力をするしかないと思い知らされ、逆に俄然とやる気が出たのだ。だからこそ今のウォレンには、ローウォルトの気持ちがわからなくもない。





「卯月らしいが、安心しろ。あいつは大丈夫だ」

 あのシャルンガーとアレーナの子どもである。ウォレンよりも決心が早く、真正直で余程肝が据わっている。そんな彼だから、あの王宮でも生きていけると信じられる。

 彼が従弟で、親友であることを、ウォレンは誇りに思う。

「でも殿下、あの、怒ってはいらっしゃらないのですか? ローウォルト様は王位を狙っています」

 卯月が困惑するのも無理はない。彼女が最後に見たローウォルトは、ウォレンを必死に逃そうと奮闘する姿であり、決してウォレンと仲違いするような関係ではなかった。目が覚めたらローウォルトはウォレンを軽蔑し、王座まで狙っていると云う。ここで何を云ったところで、きっと彼女は納得などできやしないだろう。


「むしろ怒るのはあいつだろう。4年も放置しておきながら、今さら王位のために立ち上がった俺に、あいつは怒っている。そう思うだろう?」

「で、でも、それ以上に心配もしていると……」

「良いんだよ、俺はあいつに怒られるだけのことをした。怒られるなんて云ったら軽々しいぐらいに、酷いことをした。だから仕方がない。殺される覚悟もしている」

「……そんな、殿下」

 ウォレンの話をすると口を開かなくなったローウォルトをみんな怪しんでいるが、それを聞いた時、本気なのだとウォレンにはわかった。本気で彼は、ウォレンを一度は軽蔑したのだ。懸命に逃してやったと云うのに、5年近く国を放置した彼を、本気で軽蔑している。

 王位を狙うローウォルトを、臣下にあるまじき簒奪行為だとして、父シャルンガーは息子を殺すつもりらしい。シャルンガーはガーニシシャルの従順なガードであり、臣下であった。そうしてローウォルトはウォルエイリレンの臣下であった。別段ローウォルトは、シャルンガーから臣下への道を強制されたわけではない。だがローウォルトは自分で、ウォレンに忠誠を誓って共に居ることを決めたのだ。ローウォルトの剣は、ウォレンのために磨かれた。それを知っているだけに、シャルンガーは主君を裏切った息子を、自らの手で処分したいのだと云う。




 だが法術師に止められている今、シャルンガーはローウォルトに手を出せないと云うことだ。実際はおそらく、シャルンガーは捕まって、ローウォルトに会うことすらできないのであろう。王宮の状況がわかっていないのでなんとも云えないが、自由の身であるのは王位継承者の3人だけだ。

「卯月、俺が云うのもなんだが、おまえが苦しむことは何もない」

「私は平気です。ただ、あの……、ローウォルト様は、本当に王位を狙うのでしょうか」

 卯月の云いたいことはだいたいわかった。そうしてそんな心配をさせている自分に腹が立つ。

「さあ、わからん」

「そう、ですか……」

「だがあいつのことはおまえも知っているだろう。何があろうと、一度手に入れたものは手放さない奴だ。 ──特に、苦労して手に入れ、長年大事にしているものはな」

 意図が通じたのか通じていないのか、卯月の顔に若干の安堵が広がる。

「……殿下は本当に、ロートを信じているのですね」

 既に着飾ることを忘れた問いかけに、思わず笑い出してしまいそうになりながらウォレンは頷く。

「ああ、俺は今後ずっと、あいつを親友だと信じ続けるだろう。たとえ、道が違えてもな」

 ウォレンがもしどんなにローウォルトを信じていなくとも、彼に用意されている答えは、それしかなかった。たとえ何があろうとも、王太子ウォルエイリレンは臣下ローウォルトを、信じていなければならないのだ。それがウォレンなりに考えた、彼への贖罪であり、また王座奪還への賭けでもあったが、そのことをこの国で知るのはやはり、その二人だけなのであった。


・・・・・


 主を送り届けた後、暗がりを一人歩いていたところへ、気配を感じて足を止める。

「連絡が遅くなりまして申し訳ございません、マスター」

「いえ、状況は?」

「ゴウドウ・ワアド・アティアーズはグレアル・シュタインに王宮への入城を許可されました。何をするつもりかは、申し訳ございませんが探査が敵わず」

「仕方ありません、王宮の探査は最近酷いらしいですから。無理をして勘付かれるよりは、ぎりぎりまでねばって有益な情報を持ち帰る、それが最良の方法です」

 はいと、シンシャは小さく頷く。屋敷を出る時にそれぞれ散らばした部下の一人が目的を果たしたと云うことは、そろそろ他の部下からも連絡が来る頃だろうか。常日頃なら悠長に構えて居られたが、残念ながら最近は苛立ちの方が勝ってしまって仕方がない。


 この大事な時に、あんな輩に邪魔をされるとは。


 なんとしてでも、片を付けなければならない。自分でも苛立っているのがわかって、少し冷静にならなければならないと思ったのだが、ルーク・レグホーンが居る所為でますます空回りしつつある。



 これではいけないと、自分を戒める。自分は今、ここにこうして立っている。これからも剣として、この国に、あの主の横に在り続けるのだ。汚れた、剣として。


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