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精霊物語─王太子の目覚め   作者: 痲時
第9章 回りだした時計
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第53話:凍った心


 いい加減を書くことが売りの私新聞であった。私新聞はスクープを飛ばすことが大事であるとし、下手したら投獄になるようなことでも、国新聞に書けないことを平然と書いてしまう。 無論、彼らがスクープとして捕らえただけで、事実はねじり曲がっているのがほとんどだ。


 ──ウォルエイリレンの子どもが、法術師側と提携。

 ──元婚約者である○○嬢が、ウォルエイリレンの反旗を主張。

 云いたい放題なのである。

 普段ならば目につくはずのない私新聞を、ウォレンは必ず手に入れるようにしている。少なくとも5年前ウォレンが王宮に居た頃までは、国民はアリカラーナに敬意を払うのが当たり前で、アリカラーナになる可能性のあるウォレンにも不敬罪に当たるような発言はしていなかった。


 今このような状況にまでなり下がっているのは、当然ウォレンに責任がある。


 下らない記事ではあるが、ウォレンが逃げたことにより生まれた現状だ。避けるわけにはいかないから目は通すが、あまりの適当さには呆れるしかない。

 だがその日の記事だけは違った。セナが一面を見ている間、新聞の中面に出た中ぐらいの記事を、ウォレンはそれこそ、穴の空くほどに見つめてしまった。

「某王宮貴族、ウォルエイリレン殿下の企みを応援。末っ子長女との恋愛故か」

 そんな彼に気が付いたセナは、いち早くその文面を読み上げた。自分でもそうとわかるぐらい目を吊り上げてセナを見るが、彼はびくともしない。

「気になるのでしょう、殿下」

 長らく付き従っている侍従は、主の憂いを見逃さず、そして一人にさせなかった。幾ら冷ややかな視線を浴びせられようとも、彼はやるべきことをやろうとしている。



「デジタンド卿もアセット子卿も、殿下を恨んではおりませんよ」

「そんなことは、わかっている」

 ウォレンが命の危険を感じた際に逃げ込むと見せかけていたのは、王宮法術師デジタンド家である。王宮から出たウォレンには、どうしてもやらなければならないことがあり、それをなすためにはどうしても時間が必要であった。そのために囮になってもらったのが、デジタンド家。


 だがウォレンは、やるべきこともせず、たった数日囮になってもらうはずだった彼に、4年間も王宮から反逆の恐れがあると睨まれ続けると云う、苦痛を味わわせている。


 思い返しても良い話ではないが、デジタンド家当主グラーナだけにかぶってもらい、ウォレンと信仰のあった人々への犠牲を少なくしたつもりでいた。しかしシュタイン率いる法術師たちは、そこまで甘くなかったようだ。



 ──私は……、私はなんでもありません。大丈夫です。

 必死になっていたドクトリーヌ・ル=ラ・アセットの姿が思い出され、ウォレンの罪悪感はますます深くなる。必ず幸な世にすると云った彼女に、またしても負担をかけてしまう自分が愚かしい。自分の存在はいつだって、彼女を傷付けることしかできないのだ。



 悔しくて噛み締めていた唇から、血の味がにじむ。それに気がついたのか、セナは小さく溜め息を吐いて、それから真面目な顔で尋ねて来る。

「ご心配ですか?」

「え?」

「アセット第5子卿が心配なのでしょう」

「……ああ」

 少しの間を置いて、ウォレンは静かに答える。心配なのは事実だ。ウォルエイリレンを慕ってくれた彼女に、何一つとしてしてやれることがない。どうしてやれば良いのかもわからず、ただその私新聞を見つめることしかできない。そんなウォレンに、セナは呆れたように再度溜め息を吐く。

「素直に書簡の一つでも送れば良いものを、意地を張っているのが悪いのですよ」

「意地と云うか……この話はもう止めよう。どちらにせよ、終わったことだ」

「そう思っているのは殿下だけですよ。回りくどい云い方をされるから、ややこしくなるのです」

 殿下は甘いんですよと付け足され、またそれかと思わず苦笑してしまう。いつだったか優しい従弟に、優し過ぎると諭した自分が居る。優しいのと優し過ぎるのは別だ。優し過ぎることはたまに恐ろしいほど残酷だ。ウォレンも以前、そうやってセナに諭された。諭されるまでそれが悪いことだとも気付かず、平然と傷を付けている。云っている本人に悪気がないだけ、優しくされた側は傷を伝えることもできない。



 最もセナの云い方は、ウォレンよりずっと荒っぽく酷いものだったが。

「ルアが殿下の誘いをすげなくきっぱり断るようなものですよ」

「なるほどな。そういうストレートさか」

「身をもってわかりましたか?」

 冗談めかして笑うが、もやもやとした罪悪感はなかなか晴れない。




 ドクトリーヌ・ル=ラ・アセットは王宮貴族アセット家の末娘である。彼女の長兄がウォレンに一時期、ガーニシシャルからの勅命で勉学を教えていたこともあり、家族ぐるみで付き合いが深く、アセット家たった一人の娘は、ウォレンにとって妹も同然だ。そして結婚どころか婚約すらも渋っていたウォレンに、初めて身内以外で来た縁談相手でもある。だがそれも、やはりウォレンが同意せず、内密のままに終わった話だった。

「婚約パーティ以来、アセット嬢はイシュタル城に来なくなった」

「定成王はメイリーシャ様の時と同じく、外へ漏れないようヴァルレン王佐に厳命していたようです。ですから第5子卿と殿下の婚約を知っている者はほとんど居りません」

「それが新聞に漏れないことだけ祈ろう」

 元婚約者とやらの名前はでたらめだし、ウォレンに子が居ると云うのも大嘘だ。だがドクトリーヌの話だけは、まったくが嘘とは云えない。だからこそ婚約があったと知れたら余計に話がややこしくなり、またしても彼女に傷がつく。


 ウォレンの恐れていることを見越しているセナは、意地悪く話を続ける。

「また第5子卿が傷付いてしまいますね」

「セナはアセット嬢に厳しいなぁ」

「学院ではよく、想い人の殿方があまりにも冷たいと相談されましたから」

「生憎と、俺の知っているアセット嬢はそのようなことを云う女性ではなかったが」

 生徒会も共にやった後輩で、幼馴染で、妹のような存在。非常に強い彼女に、ウォレンは酷いことしかしていないと、今でも罪悪感のようなものがどうしても残ってしまう。だが彼女に冷たく当たったりしたことなどなく、云うならば、優しくし過ぎた罪悪感かもしれない。

「ばれましたか。──第5子卿は一度たりとも、殿下のことを悪くおっしゃいませんでした」

 ──私は……、私はなんでもありません。大丈夫です。

 懸命に耐えていた姿を思い出すと、ウォレンとて辛い気持ちになる。

 ルジェストーバ王立学院は王族が通うと云えど、理事長の理念では地位が関係ないとされる。下級貴族や地方貴族などは、これを機会にのし上がろうと必死になって、王族との仲を見つけようとする。だから従兄姉弟妹以外でウォレンと親交が深いドクトリーヌを、おもしろく思わない人など大勢居た。


 だが彼女は、何をされてもウォレンは絶対に何も話そうとしなかった。

「ただいつも、憂えておりました」

 大丈夫だ、何もなかったと繰り返すばかりで、真実を話してはくれなかった。そんな彼女にウォレンは何もしてやることができず、みんなが嫌がる原因につながるとわかっていても、学院で見かければ声をかけてしまった。

「あいつは純真に良い娘だ。兄4人が必要以上にかわいがるのも頷ける」

「その妹を、これ以上苦しめてはなりませんよ」

「わかっている。……だが俺は、ドクトリーヌに幸せを約束した」

「殿下」

 咎めるように呼ばれて、ウォレンは苦笑するしかない。その時は本当に、そう云うのが正しいと思ったからそう云ったのだ。そしてウォレンはドクトリーヌを、国民全員を幸せにしなければならないと、今でも思っている。

「ルジェに通っていた時の俺は、未来のアリカラーナがすべてだった。だから俺がドクトリーヌに云えたのは、それぐらいだったんだよ」

 たった一人の王子でありながら太子宣下をされず、父と話す機会もなかったウォレンが考えていたのは、未来のアリカラーナとなることだけだった。アリカラーナになればきっと、父も認めてくれるのではないかと、そういう期待があった。だから彼の云う通りになんでもしたが、ウォレンの求めたものはもらえなかった。



「セナ、アセット家を調べることは、できるのか」

「殿下のご命令であれば、すぐにでも」

 期待通りの答えであるが、ウォレンを気にかけてくれた王宮貴族は大勢居る。もちろん書簡は送ったものの、アセット家だけ先に挨拶をするのも立場上難しい。どうしようかと逡巡していたところに、セナの平坦な声が響き渡る。

「アリス・ルア、いかがなさいましたか」

 扉へと顔を向ければ、アリスが中途半端に立ち尽くして、少々居心地悪そうに軽く頭を下げる。

「え、あ……ごめん、通りがかっただけだったんだが」

 ごめんと再度呟いて、アリスはさっさと行ってしまった。立ち聞かれて困る話でもないのだが、すまなさそうに去って行くアリスの背中が、何所かしら淋しそうに見えたのは気のせいだろうか。


・・・・・


 アサギはまるで印刷されたかのごとく綺麗に整理された書簡を読み終えると、小さく溜め息を吐いた。無事ウォルエイリレンの軍と合流できた新米部下エリーラ・マグレーンは、幼馴染との再会をし目的を果たした。つまりもう、アサギとの関係は切れたはずだった。


 しかしその報告の後、指示を申し出て来たのだ。

 律儀なことだと思う。そしてそれが気に入ってしまっている自分に嗤ってしまう。


 エリーラという伝手が王太子軍に入ったことで、アサギの目的は達成された。エリーラの律儀な性格からすれば、ウォレンの情報は幾らでも手に入れることができるだろう。


 彼女が居なくなったことで、アサギも本格的に動ける。


 商人の仕事も楽ではない。現在は表に出られないため、臨場せずすべて部下にやらせているが、報告を聞いていれば大体の状況はわかる。気候変動によって、作物が高騰しているのだ。冬が終わればまた、火を上げた忙しさが待っているだろう。

 その時は新たな有能な部下が、手伝ってくれるだろうか。

 おかしな期待をしながら、アサギは部下のレイキン・バラクを呼び寄せる。

「何か武具で動きがありました?」

 レイキンは生粋の商人であり、元はラムに住んでいたと聞いている。アサギの趣味半分で始めた商売に興味を持って手伝い、気がついたら部下になっていたと云う物好きだ。

「うん、そっちじゃあなくて、民衆はどんな具合?」

「ああ、そっちですか」

 心得たように頷くと、

「目新しいものは何も。どうしたんです?」

「エリーラが王太子のもとへ行ったんだ」

「ああ、そうなんすか! 人出は足りなくなりますが、でもこれで、仕事に本腰が入れられますね」

「そうだね。──商会はそうだな、ジークに頼んで、レイキンはこっち良いかな」

「もちろんですよ。で、どうすれば良いですか?」

 改めて振られると、どうしたものかと思う。


 ウォレンたちは仲間を引き連れて、人霊を起こすためアリカラーナを一周し王宮を目指すらしい。王宮側は彼らの存在を認めず、人霊は王宮に居ると断言しながらも人霊を出しはしない。どちらが真実か、何も知らない国民からしたらどちらもどちらだが、精霊召喚師の登場辺りから、法術師側が押されている感が否めないのは事実だ。

「そうだなぁ、父上からの命令はなし、あっちの動きはエリーラが報告してくれるし、後の穴とすればそう、王宮かな」

「それはちょいっと難関ですねぇ。クレナイでもない限りは」

「だよね。まぁでも、諦めるつもりはないけど」

「何がです?」

「ローウォルト・ディラ・アルクトゥラスは殿下を裏切っている。──協力したいんだよね、これに」

 情報戦が得意なアサギならではの、あらゆる構図ができあがっていた。


・・・・・


 数日経ったある日、広間にウォレンの側近が集まり、目的地への段取りが行われていた。


 次なるウォレンたちの目的地は、中立を保っているエトルの隣の町サトレイガ。領主でありながら農学者であるリューゼ・サトレイガと、城塞サームの城主ヤン=ガンダバトルのもとを訪れ、彼らに状況の説明をする。そして人霊皐月を起こすことが目的となる。

「状況の説明、か」

 ガーランダにしろイーリィにしろ、ウォレンが王子である頃から親交があった二人だ。だがサトレイガの領主城主とウォレンが会う機会はあまりなく、どう出て来るのかがわからない。サトレイガ家はもともとトゥラスだったが、代替わりした際にサトレイガの領地をもらい、農業に適したかの地を代々守って行く役目を担った一家である。ヤン=ガンダバトルは南大陸の生まれだが、ガーニシシャルによってアリカラーナの城主となった人物だ。

 ガーニシシャルを慕っていた彼らが、果たしてウォレンの説明を聞いてくれるのか、ガーニシシャルと親交深いシュタインの方に賛成するのではないか、いざ近付いて来ると、余計な不安が掠める。



 訪れることを書簡にて送った返答は、是非お訊きしたいことがあるので恐れながら城で待つという良好なものだった。だが文面のには必ず、亡きガーニシシャル王の臣下としてと云う言葉が挟みこまれ、ウォレンの傷口を抉る。

「ガーニシシャル王の臣下、か」

 ガーニシシャルという名を聞くと、どうにもウォレンは未だ落ち着くことができない。今思えば、ウォレンとガーニシシャルよりも、臣下である彼らの方が多くの言葉を交わしている。最後の最後まで、ウォレンはガーニシシャルを理解することができなかった。




「殿下……」

 ガーニシシャルとウォレンの溝を知っている一人であるイーリィが、気遣わしげに声をかけてくれる。今までに何度、こういう人を見て来ただろうか。ヴァルレン、グレイヴァイン、カルヴァナ、マルディ。 全員がウォレンとガーニシシャルの間で板挟みになり、彼らに答えてやることもできなかった。

「別に気にしていない、と云えれば良かったんだが、嘘にはなるな」

 思わず苦笑して本音を吐けば、イーリィの顔はますます心配そうに歪む。こんな顔をさせたいわけではないのだが、ガーニシシャルの話をすると自然こうなってしまう。



 ガーニシシャルは国民が認める素晴らしい王だったが、後継ぎは継承の日に逃げた。それが現在あるウォレンへの評価だ。法術師の謀反云々、正直なことを伝えたが、4年間行方をくらましていたのは事実である。定成王のような、安定した国を築ける期待は薄いだろう。

「アリカラーナだって代替わりするものです。彼らだってわかってくれますよ。ただ、今彼らが守らなければならないのは、ガーニシシャル様への忠誠なのでしょう」

 それは彼らの辿って来た道から、わかることだ。そう云う人々を相手に、ウォレンはこれから説得していかなければならない。シュタインがしていることがどれだけ危険なことか、今のところ本当にこの危機を知っているのは、シュタインとウォレンぐらいなのだから。


 ウォレンの言葉が果たして何所まで届くのか、それが難しいところである。




「エースは王座に戻って、これからどうしたいんだ?」

 今まで黙って見ていたアリスに訊かれて、返す言葉がない。

 陛下からもらえなかった王位に、ようやく即く。それは既に覚悟を決めていることだが、あまり具体的にその後を考えていなかった。ただこの4年間歩いて来た町を見て、このままではいけない気がした。平和なことは良い。だがみんなの興味が身近なことにしか行っていないことに、どうしようもない不安があった。

 ──進展も衰退もない、つまらない国だった。

 死の間際、ガーニシシャルはそう云った。彼の目指す国には何があったのだろうか。

「俺には、陛下が作り上げたこの国を守り続ける義務がある」

「うん、だから、それを踏まえて、エースがどうしたいと思っているのかなって」

 ──アリカラーナに個人など有り得ぬ。

 そんなものは幻想だと云われたのは、いくつの時だっただろうか。

「陛下が作り上げた国、臣下、彼らを守るのが俺の義務だ」

 ──そうか、おまえはそれを、拒むのだな。

 そう云って苦笑したガーニシシャルは、ウォレンに何を伝えたかったのだろうか。

「いや、だから、私が訊いているのは義務とかじゃあなくて……」

「ガーニシシャル王こそがアリカラーナたる人だ。ここは、ガーニシシャル王が作り上げたアリカラーナだ」

 断言した瞬間、ぱしんっと音が響き渡った。その中の誰もが、驚いて口を開けない始末だった。

「ふざけるな」

 アリスの冷ややかな声がその場に落ちる。

「私はそんな奴に、この国を任せた覚えはない。──私はおまえの作る国を見たいと云ったんだ。 おまえがこの4年間歩いて気が付いたこと、私に語ってくれたこと。それからどんな国を作るのかが知りたいんだ。誰も模倣なんて望んじゃいない」

「ル、ルア! 幾らなんでもお言葉が過ぎます」

 驚いて動けなかったイーリィが割って入ったものの、アリスは顔を伏せただけだった。

「騒がせて済まない、もう休む」

 アリスは自分の行為に謝罪もせず、そのまま部屋を出て行った。慌てて後を追う睦月の姿を、ウォレンはぼんやりと見送るしかできなかった。





 同じく出て行ったアリスを見ていたイーリィが、自分の仕事を思い出したのかウォレンに向き直る。

「殿下も今のお言葉は撤回してください。これから王になろうとするお方の発言ではありません」

 むきになっているという自覚はあった。だがそれでも、ガーニシシャルを語ってあれぐらいで済んだのなら、まだましな方だとも云える。 かつてのウォレンであったのなら、アリスが何を云おうと説き伏せて逃げるぐらいはできた。

 だがなぜか今は、逃げることもできなかった。


「殿下、大丈夫ですか?」

 最初はアリスに同調するような発言をしていたイーリィだが、あまりのもウォレンが呆然とし過ぎていたのか、心配そうに尋ねられた。しかし、それに返す言葉もない。

 ぼんやりしていたら頬に冷たさを感じ、振り返ればいつの間に持って来たのか、セナが氷を当てていた。本来なら心配すべきなのだろうが、彼の顔は笑っている。

「ルアも本気で引っ叩いてくださったようではなさそうですね。後も残りませんよ」

 臣下に頬をひっぱたかれた主を心配するような言ではない、まるでバチが当たった子どもを、仕方なく看てやっているとでも云いたげだ。



 アリスと初めて会ってからの束の間の旅を、ウォレンはなぜかよく覚えている。追われているんだろうと訊かれてまず思いついたのは、理由を問う声だった。しかしあの絶望しそうな状況の中で、目を輝かせてアリスが訊いて来たのは、予想外のことだった。

 ──この数年は、何所に居たんだ? 王都以外にも、いろいろな町を見た?

 虚を突かれたのは、あれが最初だっただろう。

 ──王都の人が民の様子を見れば、この争いは止まるわけではないんだな。

 アリスの視点は、あの時から今まで、ずっと変わっていないのだ。

 ──私が王宮に行く目的は捨てる。

 彼女はあの時の考えのまま、王宮へ行く目的さえ捨てて、自分に賭けてくれたのだ。王宮の人に知ってもらいたかったと云う現状を、実際に見たウォレンが変えてくれることを望んだ。

「やられたな……」

「殿下……?」

「まさかひっぱたかれるとは思いもしなかった。これは本当に、おもしろい展開だ」

「あの、殿下……?」

 心配そうにイーリィが問うものの、ウォレンは可笑しくて堪らなかった。こんなにも簡単な感情を、かつての自分はわからなかったのかと愚かしく思うぐらいだ。



 セナにもう良いと断り、一人残って緊張感なく菓子を頬張る師走に向き直る。自分の主がその主に手を上げたと云うのに、平然とここに座って居られる神経もどうかと思うが、それはアリスの言動が間違っていないと信じているからこそできるのだろう。

「師走」

「俺に怒らないでねー、後で注意しておくよ。幾らなんでも王太子の頬に手形はまずいからね」

 残らないと云うのに、セナと似たような発言をしないで欲しい。


「俺もおまえと一緒に覚悟を決める。おまえが本気で怒らないよう、努力しよう」

 まるであの時のように、ぱり、と菓子を砕く音がした。ふざけたように笑っていた師走の笑みが消えて、威圧するような強い眼光でウォレンを見上げる。

「受けて立つよ、ウォレン。俺、本気で怒るからね」

 努力なんかじゃ駄目だね、ゼロにしないとと付け加えて云われたが、それぐらいわかっていると自然頷くことができた。


 ずっとわからずしこりとなっていたものが、染み込んで溶けて行く気分だった。


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