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精霊物語─王太子の目覚め   作者: 痲時
第9章 回りだした時計
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第52話:卯月の目覚め


 それは、とある卯月の情景。


 春の訪れである卯月は、守りの神としてこの地に眠っている。いつまでもここに居るのはとても安らかで気持ちが良いのだが、何所かでそれを罵倒する自分が居る。


 ──卯月。


 そう、いつだって優しく呼んでくれた主。いつだってあの人は優しかった。最後の最後まで守らなければならない相手だったのに、守り切ることなくここに来てしまった。


 ──リラ! おまえは行け!


 ああ、そうだ。そう呼んでくれた彼は、最後の最後まで主を守ったと云うのに。


 ──逃げろ……、逃げろ、ウォレンっ!


 いつまでもあの声が響いて離れない。いつだって怪我を負うことなどなかった彼が、守るものが多過ぎる所為か戦い辛い中に、血にまみれてまで主君を逃がした。

 みんなは無事だろうか、そんな意識が生まれたことすら、久しぶりだった。ついこの間のことに思えるのだが、時の流れは既に4年目を迎えていると云う。


 ──逃げろ、ウォレン!


 ここはとても居心地が良い。だけどやはり、いつまでもここには居られない。




 「目覚めなさい、卯月」

 懐かしく柔らかなその声に、卯月は目を開いた。


・・・・・


 彼女は私を呼んだ。彼女から呼び出されるなんて滅多にないから、少しどきどきしながら部屋に向かったことを覚えている。近付いて来るあの話に、彼女が気が付いてしまったのかもしれないと。

「陛下から、話を聞きましたか?」

「陛下? どんなお話?」

 私は何も聞かされていないという素振りをする。いったいなんの話だろうと。


 彼との縁談は、私は望んでいない。彼とはずっと、これから先もずっと従兄妹だ。それが変わることは私も彼も望んでいない。そんなことは、彼女もわかっているはずだ。

「この国を再生させることです」

「再生?」

 思った話とは別のものが来て、首を傾げてしまう。

 もう滅びを目前にしているこの国の土地は、誰の土地でもない、きっとただの世界の中心になるのだろう。ローズサウンドの真ん中にある、変な形をしたその島は、今と同じように東西南北から他国民がやって来て、合流地として使うのだ。

 そんな未来がわかっているだけに、何事にもやる気が起きなかった。

 だから彼女から途方もない話をその後聞かされても現実味が何所にもなく、私はただ呆然と物語を聞くようにしていた。

「私はその中に入ります」

「え?」

「入ろうと思うのです」

「そんな、リリア」

「だから貴女には、さようならと伝えたかった」

 彼女は何も迷いなく云う。どうしてそんな簡単に割り切れるのか、私にはわからない。だって彼女は、ここにいろいろな夢を詰め込んでいる。それを捨てて、国の楔となってしまうのか。

「どうして……」

「だって陛下はもう、決めていらっしゃいますから」

 そう云う彼女の顔は晴れやかで、どうすれば良いのかわからなかった。


「なら、私も──」

 だからそんな風に口走ったのも、きっとただの。


・・・・・


「おはようございます、卯月」

 にこにこと微笑みながら出迎えた如月に、卯月はぼんやりとしている。

「……ああ……如月ね」

「やっぱり、寝ぼけていますね」

「そんなことないの、ただちょっと眠っていたから……」

「やっぱり、寝ぼけているんですね」

「うん、そうかもしれない。如月って変わったよね」

「……そう、ですか?」

「うん、良い意味でだけど」

 きちんと目が覚めたのか、卯月は眠そうにしていた顔を上げて今度はアリスを見る。髪から目、肌まですべてが綺麗に透き通っているが、その顔立ちは幼い少女のようだ。ぱっと見てその輝かしさに目を背けたくなるが、無垢な笑顔が親しみを与える。


「初めまして、卯月です。えーと……」

「アリス・ルヴァガだ、初めまして卯月」

「え……」

 ぽかんとした顔をされ、アリスは苦笑する。またかと思わないでもなかったが、アリスも詳しく説明できるような状態にはない。

「またルヴァガの世代ですよ、卯月」

「そうなんだ、びっくりしちゃった。また最初からやり直しなのかと思っちゃった」

 動揺から照れ笑いのようになった彼女は、すみませんと小さく頭を下げた。人霊を起こす時いつも誰かしら一人は付いて来るのだが、今回師走が如月を押した理由がなんとなくわかった。若干もどかしい会話にならないでもないが、何所となく似ている雰囲気がある。だからと云って、師走と卯月が似ているわけでもないが。




「よろしくお願いします、アリス・ルア」

 そう云って渡されたのは、透き通った美しいダイアモンド。人霊は色を纏い髪や目の色もそれに順応しているのだと云う。師走は青、睦月は赤、如月は紫、弥生は藍、そうして卯月は、透明。本当にその石のように鈍い透明は、人ではないものに見える。


 人ではない神聖なものだが、その近寄りがたさも、卯月にかかると柔らかくなる。


 預かった石を受け取りながら、アリスはよろしくと返した。




 呼び起こしたらひとまずは祠から出なければならない。相変わらずわがままを云って付いて来たウォレンたちを、外で待たせているのだ。

「あ」

 祠に出るなり、卯月の顔色が変わった。そうしてアリスには何が起こったか理解できないまま、彼女は真っ先にウォレンの元に駆け寄り、その胸に抱きついた。

「あら」

「おやおや」

 エリーラはなぜかアリスに視線をやり、セナは相変わらず笑っている。しかしそんな彼らを気にすることなく、卯月は無邪気に叫ぶ。

「良かった、無事だった!」

「……卯月」

 ウォレンは苦笑しながらも、その肩を優しく叩いてやる。

「おまえはまだ、寝ぼけているのか」

「ね、寝ぼけてなんかないよ。ちゃんと私……」

 そこで顔を上げウォレンを見て、そのまま固まった。数石が経ったと思われてから、ようやくばっと手を離して後方へ飛び退く。あまりの動揺っぷりに、アリスはぽかんとしてしまう。

「で、ででで、殿下!」

「……ほう、やっぱり寝ぼけていたのか」

「し、失礼しました、殿下。わ、私……

「相変わらずだなぁ、卯月」

 くすくすとウォレンが笑えば、卯月は淋しそうに笑った。

「すみません、あのやっぱり似ていらっしゃるから……」

「見た目からして似ているようには見えないんだがな」

「いえ、その……本当にすみません!」

 顔を真っ赤にして動揺する卯月に、ウォレンは笑うばかりだ。事情のわからないアリスは、一緒になってにこにこと笑う如月が説明してくれるなどと淡い期待などせず、ぼんやりとただそのやりとりを見てしまう。


 ウォレンと人霊は正確に云えば、主従関係にない。だがこんな関係を羨ましく思えてしまうのだ。人霊を集めてルアと呼ばれていても、まだ自分が精霊召喚師であるとは信じ切れていないアリスは、いつまでも人霊とこんな関係を結ぶことができたらと願わずには居られない。



「ウォレン殿下とロート殿下は、似ていますよ」

 思わぬところから援護が出て、卯月だけではなくウォレンもぽかんとしている。

「似ています、顔つきが何所となく。ねぇ、卯月」

「そうだよね、似ているよね!」

 嬉しそうにはしゃぐ卯月に、如月はいつも通りの笑顔を見せる。

「いや、似てないだろう。そもそも髪の色から違うだろう」

「まぁ流石に間違えるのは卯月だけでしょうけれど」

「如月、全然助けになってないんだけど……!」

 慌てる卯月に如月がくすくすと笑えば、セナが珍しく話に介入して来た。

「そうですね、見間違えはさておき、似てはいるでしょうね」

「セナ、おまえな……」

「本職の私が云うのだから間違いありません、卯月様の仰ることは正しい」

「ああ、そうですか」

 ふてくされたように云うウォレンに、セナはいつも通り笑うばかりだ。話の詳しい事情はわからずともそれらを無視して、アリスはなんとなく話題のピントを合わせる。


 ウォレンの従弟ローウォルトに彼が似ていると云うことだったらしい。ウォレンと一番仲が良く、常に共に居たと云う親友とも云える存在。だが今のローウォルトは、ウォレンの名を出すと口も聞かず、王位継承権を求めて争っている法術師の仲間だ。何度か名前だけ出て来て、ウォレンも彼について話してはいるが、実際どう思っているのかわからない。もともとの二人の関係を知らないアリスが、わかるわけもない。




 恥ずかしさが治まったのか、卯月は一息吐いてから頭を下げた。

「大変失礼を致しました、殿下。御身がご無事で何よりです」

「……ああ、ありがとう、卯月」

 ウォレンが満足そうに笑えば、卯月はその顔を眩しそうに見上げる。

「よし、卯月を起こしたところだ。さっさと王宮に帰るよう努力しないとな」

「でも殿下、私はルアの身すら守れなかった愚かものです。会わせる顔が……」

「今俺に抱きついたのは何所のどいつだ?」

「で、殿下、その話はもう……!」

「冗談だよ、卯月。ネタにすると俺が殺されかねないからもう云わん」

 からからと本当に楽しそうに笑っていたウォレンが、ふと真顔になってぽつりと呟いた。


「まぁ、実際、あいつに殺される覚悟はしておかないといけないがな」

「え……?」

「王宮はまだ遠いが会うまで我慢しろよ卯月。ひとまずはガーランドの別宅へ帰る。ほらほら、アリスも」

「あ、うん」

 云われるがままに如月の呼んだ獣霊に乗ったが、ウォレンのさっきの表情が気になって落ち着かないまま帰途に着いたのだった。


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