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精霊物語─王太子の目覚め   作者: 痲時
第9章 回りだした時計
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第50話:秘密の心


 順調にエトルの道中を進み卯月祠近くまでやって来たウォレン一行は、ガーランダの別邸にて休息していた。王太子軍と名付けられると云えど、今はまだ少数に過ぎない。ひとまずの目的は人霊を呼び起こすこと、そしてウォレンの帰還と法術師の理不尽を伝えることだ。



 静かなる旅は駆けつけた門番によって、早々に終わりを告げられた。

「殿下にお目通りを願っている者が居るのですが、どうあっても名乗らないのです」

「ではグルグシャン、君の感じた通りで良いから、答えてくれるか」

 ウォレンは自然に返したはずだが、呼ばれた番兵はそこでぽかんとしてしまう。

「どうした? 貴殿はガーランダの私兵レイジン・グルグシャンではなかったか?」

「そ、そうであります! けれど!」

 慌てつつもはっきりとした声でその動揺を正直に伝えて来る。ガーランダの私兵だけあって優秀な者が多くウォレンのことも覚えてくれているが、ウォレンが一人ひとりの名を呼ぶと驚くのは、それが異常なことだからなのだろうか。思わず苦笑しつつも、わざわざそんな話をするわけにもいかない。先に情報の片付けだ。

「では早く教えてくれないか、男か女か、年齢はどれぐらいか」

「は、はい!」

 年齢は50代前半ぐらい、召喚師装束に似た白い服に、白髪を縛っている長身の男性らしい。少し迷ってからレイジンはさらに、ちょっとだけ変わった人であると付け加えた。それが自信なさげだったのはおそらく、後で偉い人だったらどうしようと思っている風である。



「殿下、どうされるのです」

 既に相談役となっているイーリィが、不審そうな顔をしながら尋ねる。しかしウォレンの答えなど、イーリィならわかっているのだろう。確認の意味でセナを見れば、心得たように頷かれる。

「まあ、会ってみよう。変というだけで敵では、ギルドやバックロウがかわいそうだ」

「そういう問題で処理しますか」

 それは流石に失礼ではないかと苦笑するイーリィは、レイジンに客人を呼び寄せるよう云った。



 そうして呼ばれた男は、レイジンが云った通り50代前半の男であるように見えた。しゃんと背筋を伸ばしている所為か元々なのか、随分と背がある。男はやあやあと笑いながら入って来たかと思うと、

「ウォレン、元気だったかい!」

 と、大きな声を上げた。今まで久しぶりに会う者にウォレンは、度々頭を下げて来た。幾ら王太子と云えども、5年も姿をくらましみんなを裏切り続けたことは事実。ローウォルトのように軽蔑するのが当たり前なのである。だからどんな相手でも、ウォレンは先に頭を下げるべきであると思っていたのだが、彼のいきなりの登場にウォレンは言葉をなくし、それから呆れたようについ溜め息を漏らしてしまう。周囲の少しばかり警戒して居た雰囲気も解けて、どっと疲れ切った空気に変わる。

「……嫌な予感はしていたが、どうしておまえが来ているんだ」

「うん、聞こえない。まったく聞こえないことにしよう!」

「ちゃんと答えろ、どうしてジーズクがここに来る?」

「そりゃもちろん! 殿下に会いに来たんですよ、もちろん!」

 周囲の疲労など頓着した様子もなく、彼はウォレンの手を取ってぶんぶんと振り回す。世界広しと云えど、ウォレンをここまで軽く扱う軍師は彼以外に居ないだろう。


 この軍師の城主に似た、と云えばそれまでなのだが。

「おまえの城はこっちではないだろう!」

「だからウォレン、聞いてなかったのかい。君に会いにここまで来たんだよ」

 にっこりと邪気のない笑顔で笑われると、ウォレンも毒気を抜かれてしまう。しかし相変わらず機嫌良さそうに笑いながらウォレンの手をようやく離した彼は、飄々としている。

「50代前半と聞いて安心していたが、そういえばそうだった」

「おや、誰だい、僕のことを50代と云ってくれたのは」

「おまえがビビらせた番兵だ」

「嬉しいねー、十歳も若く見られるというのは幸せだ」

「え?」

 思わずと云った風にアリスが声を漏らせば、ジーズクはさらりとウォレンから視線を外す。透き通ったその瞳に、アリスもつい目が離せなくなる。態度こそ飄々としているものの、その目は何所か、ウォレンに似て鋭さを携えていた。

「おやおや、随分と麗しい女性が居るねぇ」

「待て、アリスには近寄るな」

「おや、ウォレンもようやく女性の魅力に気付いた口か」

「おまえな、知っていて云ってるだろ」

 ペースをずらされて疲れ切ったウォレンが思わず弱音を吐けば、彼はにっこりと微笑んだ。

「もちろん。──だって楽しいじゃあないか」

 変人と云うだけでギルドやバックロウを例に挙げたが、あながち間違っていない。アリスに向き直ったこの軍師は、間違いなく彼らと同じく「変人」に部類されるだろう。


「初めまして、アリス・ルア。ジーク・ズクーバと申します。ウォレンの祖父です」

「大嘘を吐くな」

「あはは。まあちょっとした冗談は置いておいて、エルアームの軍師なんてやってるよ。あ、エルアームには一平卒にジークが居るからねぇ。シーズクと呼んでくれて良いよ」

「あ、はい、よろしく」

 ぺらぺらと調子良く話すジーズクに、アリスは気圧されながら頷いている。国の中枢機関には変人が多いと思われていたらどうしたものかと、どうでも良いことが心配になる。だがアリスはシークズに引くことなく、純粋に不思議そうに尋ねて来た。

「エースとは仲が良いみたいですね」

「エース? ああ、ウォレンね。まあ前は王宮に居たことなんかもあったからねぇ」

「は?」

 驚いたのはアリスではない、ウォレンだ。ジーク・ズクーバは突然現れたエルアームの軍師であり、王宮に居たことなど一度たりともない。何を云っているのかと思って見てみれば、

「ウォレンのことなら尻の青い頃から知ってるよ」

「何をでたらめを云っている」

「あ、そんな、酷い」

 にやりと悪戯っぽい笑みで云われては、もし事実でも信じられない。



 本当にどうしようもない男だ。やはり入れずに追い出せば良かったかと思っていたところで、まさかそれを察したわけでもないだろうが、ジーズクがそうそうと後ろを振り返る。


「実は私一人ではないんだよ、ほれ、さっさと入れ」

 そう云ってジーズクが差した後ろから、青年が申し訳なさそうに顔を出す。

「──ルーン」

「殿下……!」

 現れたのはひょろりと背の高い、そして線の細い青年であった。御年21歳であるが、まだ幼さの残る顔つきに似合わず、随分と豪奢な服に身を包んでいた。以前見た司祭の服装とは違う、聖職者の中でも幹部に入る、大司教の正装だ。

「ご無事のご帰還、何よりでございます。僭越ながら聖職者を代表して、これよりウォルエイリレン王太子殿下に付いて行く所存であると、宣誓させて戴きます」

 そう云って叩頭する姿は、正しく臣下である。聖職者とは王に寄りかかって生存していると云っても過言ではないため、自然と王の御魂への忠誠心が心の底に植わって行くのだと云う。王の御魂は自分の御魂でもあり、自分は王によって生かされていると日々感謝するのだそうだ。


 だから聖職者に対しての罪悪感は、ウォレンの中に未だ深く疼いている。それがルーン・ワードソウド、宰聖デュロウ・ライロエルが孫のようにかわいがっている青年ともなれば、余計にその重たさは増すばかりだ。

「済まなかった、ありがとう、ワーンソウド大司教」

「受け取りました。──できることなら、宰聖にも、お伝えしたかった」

 なぜそのようなことを云われるのかわからず、ウォレンはまさかと思いつつ言葉を紡ぎ出す。

「ライロエルがどうかしたのか」

「……私には、予想外の、できごと、でしたが。それを伝えに参りました」

 ルーンは言葉を紡ぎ出すのも精いっぱいで云い切った。その後は悔しそうに唇を噛み締めていたが、やがて決意したように、ウォレンを真っ直ぐに見据えて云う。

「宰聖は……、デュロウ・ライロエルはシュタイン卿との契約を破りました」

「な……」

 ウォレンが漏らした小さな言葉は、周囲に動揺をもたらした。

「申し訳ありません、私はまるで気付くことができませんでした」

 ──私の御魂は、貴方と共にあります。

 そう云ってくれた彼を、ウォレンは果たして信じてやることができただろうか。宰聖デュロウ・ライロエル、いつだって温厚で優しく、カルヴァナをさらに固くした生真面目さだった。当然聖職者である彼は、ガーニシシャルへの忠誠が深く、ウォレンに対してもそれは同じだったが、すべてがすべてガーニシシャルからの借り物であったウォレンは、それを簡単に信じることができなかった。


 そして何よりも、ガーニシシャルからアリカラーナに選ばれなかったウォレンは、その言葉が何よりも重たく感じられた。申し訳ない思いで居た堪れなくなってしまった。

「ルフムの大聖堂で、ウォルエイリレン王太子殿下の言がすべての真実であると講演をしたのです。法術師は謀反を企て、王太子殿下を他所へ追いやったと」

「ライロエル老が……」

「共に守りを固めてくれたラドリーム城の者も含め、法術師は言に対して撤回を求めています」

「ラドリーム? レイシャンが噛んでいるのか?」

「はい、内々に助けて戴いて居りました。契約についてはご存じであったかは、わかりませんが……」

 暴動が起こる可能性を予期して、ラドリーム城の城主レイシャン・ダガー・エリグトゥラスはライロエルが戻る報を聞いた時、守りを決めたのだと云う。連絡がなくて心配していたが、やはりレイシャンはウォレンの知る頼りになる叔父のままのようだ。 ほっとした反面、失ったものはあまりにも大き過ぎる。



「ライロエル老、口を割ってしまったのか」

「……ええ」

「真実を語ったのか」

「然様です。──殿下が仰ったのと同じことに加えて、現在の王宮の状況、法術師の例の件まで、すべてを暴露しました。そうして次の日、息を引き取りました。それがおそらく、一番殿下の有利になるだろうと」

 聖職者とは本当に不思議な生き物である。アリカラーナの御霊より力を受ける代わりに、「契約」と宣言して一端決めたことを破ってしまうと、正体不明の死に至るのだ。それはどんな名医でも治すことができず、誰も助からない。だからこそ聖職者は嘘を吐くことがない。すべてにおいて慎重に言葉を選ぶのだ。



「……カルヴァナに加えて……、どうしてそう。 レイシャンもレイシャンだ、どうして止めてくださらなかった……」

「殿下、エリングトゥラス卿は一度は止めたと思いますよ」

「……わかっている」

 わかってはいても、口に出さずには居られなかった。一番に責めたいのは、何よりも自分だ。まるで自分が殺してしまったかのようなこの居心地の悪さは、そう簡単に消えてくれない。消してはいけないものだが、アリカラーナではない自分が背負うにはあまりに大き過ぎる。

 ライロエルに会って謝りたい気持ちがあると云うのに、きっと彼は会ったところでそんなものはどうでも良いと云うのだろう。それはカルヴァナにしろ然りだ。ウォレンのために、みんな自分の命を簡単に捨てる。


 それは決して軽いものではない。だが彼らは、ウォレンのためなら自分の命を軽く捨ててしまう。


 まだアリカラーナではないウォレンに、希望を託して。

 そういえば、あの御方は無事で居るだろうか。 ウォレンがこうして回っている間、無事で居てもらわなくては困る。そうしたらウォレンは安心して玉座を目指し、彼女から安全に継承することができる。


 ウォレンはアリカラーナに、ならなければならない。


「……卯月祠へ急ごう」

「殿下……」

「ガウディに一部隊をルフムまで回すよう連絡を。なるべく急ぎたい、召喚師に頼む」

「かしこまりました」

 気落ちをしている閑はない、だがそう簡単に切り替えられる問題ではなく、ウォレンは自分がしでかしたことの大きさと、自分の存在と云うものの大きさを改めて思い知るのだった。


・・・・・


 ──我々はグレアル・ロア並びに法術師がした国への裏切りを口外する気はない。


 そう契約をしてしまったにも関わらず、デュロウ・ライロエルはそれを口外してしまった。


 聖職者は聖職者となったその時から「契約」の力が生まれる。彼らはあらゆる人と話すに置いてまず真実のみを話すことを義務づけられ、契約はその延長であり、相手との契約は必ず守らなければならないことであった。でなければ、彼らは王から与えられし力を失い、そのまま深い眠りにつくのだ。




 我々を私に変えたり、言葉を少なめに調節したり、他に言葉の使いようは幾らでもあったが、これは正直賭けであった。人質の状態にある聖職者をシュタインが大人しく外に出してくれるわけもなく、そうはっきりと断言しなければならなかったのだ。


 まさか首を斬る覚悟はない、そう高を括っていたのかもしれない。


「やられたな」

 シュタインは笑う。しかしそこには、何所にも困った様子などない。

「ライロエルも惜しいことを、黙っていれば後少しは生きられたであろうに」

 デュロウ・リア、ルウラ・ルア、そしてグレアル・ロア。ガーニシシャルの時代から 同等の立場で呼ばれていた彼らが、こうも簡単に命を捨てて行くことが、何よりも可笑しかった。


「カルヴァナもライロエルも、愚かしいばかりだ……」

 自分の命を捨てて次世代の王へ、まったく莫迦莫迦しいまでの忠義心に笑えてしまう。シュタインからすれば信じられない。いつまで経ってもこの国の王はガーニシシャルで、前の王が死んだからと云って、そう簡単に主君を取り換えるなど、誠の臣下ではない。


 軽蔑半分、考えにふけっているシュタインに、先ほどからこの非常事態に落ち着きのないマンチェロはあっちへうろうろこっちへうろうろしている。

「こうなれば仕方ありません、ライロエル老の死体を盗みましょう」

「……いや、ライロエルの死に際は多くの者が見ているようだ。さすがに使えん」

「ですが……!」

「そろそろ、切り札でも出すとするか。できるだろう、バイゼベル」

「はい、宰法」

 黙り込んで研究に耽っていたワラード・バイゼベルは手を休めることなくそれだけを返す。調整者の置いて行ったものとして最初は非常に警戒していたが、存外この男は人に興味がない。法術への研究にしか頭はなく、法術師の限界を生み出そうとしている。

 今のシュタインには、必要な手ごまだった。調整者にしては実に良い土産をくれたものである。



 その準備でもするべきかと腰を上げたところで、ばたばたと騒がしく近衛兵が駆けつけて来た。

「シュタイン宰法、パルツァントゥラス卿に会いたいとのことで、書簡が来ております」

「──は?」

「それがその、漏れてしまったようで」

「何所から漏れた」

「わかりませんが、おそらく、例の脱走した兄弟妹かと」

 面倒事と云うのは一遍に舞い込んで来るものだと、少々面倒くさく思ったシュタインだった。


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