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精霊物語─王太子の目覚め   作者: 痲時
第8章 扉の鍵
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第47話:召喚師の参戦


「アリス、おはよう」

「ああ、おはよう、エース」

 ウォレンはいつもと変わらず、笑顔のままで手を振ってくれる。友人としてなどと調子に乗ったことを云った気がしていたが、彼はまったく気にしていないようだ。


 だがそのにこやかな笑みままで、ウォレンはアリスに冷水をかける。

「昨夜セナと話していたようだが、何かあったのか」

 昨夜話した印象と他者からの意見を聞く限り、セナは信頼の置ける人物と思えた。 だからウォレンに昨日のことを話したとは思えない。アリスは素直に、動揺するしかなかった。

「……なんで知ってるの?」

「如月にそう聞いたからだ。昨夜、おまえを訪ねたんだが居なかったからな」

「あ、ごめん。何か用だった?」

「そういうわけではないんだが……」

「大したことではありませんよ、殿下」

 どうしたものかと思っていたところに、セナの柔らかい声が飛んで来て、思わずほっと一息吐いてしまう。変わってウォレンは、つまらなさそうに下僕の名を呼ぶ。

「……セナ」

「おはようございます、私が起こさずとも、起きましたね」

「まあな」

「私が聖職者の恰好をしていたため、アリス・ルアを混乱させてしまったのです。詳しくお伝えする必要があるのでしたら、後できちんと報告致しますが」

「ああ、そうしよう」

「……おや」

「なんだ」

「いえ、別に」

 なんだろう、この雰囲気は。アリスは朝から生じた微妙な空気に、若干の緊張をする。

 にこにこと微笑むセナと、不服そうな顔をするウォレン。いったい何が問題視されているのか、やはりアリスがセナに無理難題を云ったのではないかと、今さら不安になってしまう。アリスが自分の問題を黙っているのはそこまでの重圧にはならないが、セナの主に隠しごとをさせてしまうと云うのは、やはり間違いだったのではないだろうか。


 だがそんな不安すら吹き飛ばすかのような笑顔で、セナは爽やかに挨拶をしてくれる。

「アリス・ルア、おはようございます。昨夜はこちらこそ付き合わさせてしまい、申し訳ございませんでした」

「いや、都合も訊かずに頼んだのは私だし。具合はもう大丈夫か」

「ええ、すっかり。ご心配おかけしました。アリス・ルアが何も気にすることはありませんよ。それではそろそろ失礼しましょうか、殿下」

「先に行っていてくれ」

「おや」

「……いちいち引っかかるな」

「然様ですか、では失礼します」

 セナは二人に一礼して、まるで嵐のように去って行く。残されたのは不機嫌そうなウォレンだけ、こういう時に限って、どうして人霊は居ないのだろうか。機嫌の悪そうなウォレンと云うのを初めて見たので、どう扱ったら良いものかわからない。どうにかしなければと思った時、そういえばなんの話をしていたのだかと思い出した。


「それでエース、何か用があったんじゃないのか?」

「え?」

「昨夜訪ねて来てくれたんだろう、ごめん。セナと話があって」

「ああ、それ。別に大したことじゃないから、気にしなくて良い。それより、セナと何を話していたんだ?」

「え……、別に。──さっき云っていただろう、そんなようなことを……」

「殿下、ルア、おはようございます」

 どうしてここまで掘り下げるのか、少しおかしく思ったタイミングで、イーリィが駆け込んで来て、アリスはほっとする。もともと正直な性格だ、隠しごとが得意なわけではないが、ウォレンの真っ直ぐな目で見られると、余計に隠し通していることが申し訳なく思い、つい口に出してしまいそうになった。


 ただの時間稼ぎでしかないことはわかっている。でもまだ、知られたくなかった。


 またしてもうまく中断された話に、ウォレンは呆れたように溜め息を吐いたものの、イーリィに当たるのは間違いだとわかっているのだろう。彼に苦笑を向けた。

「ああ、おはよう、イーリィ」

「朝早くに申し訳ありませんが、殿下にお目通りを願いたいと云うお方が」

「俺に?」

 ウォレンの興味はアリスから即座に離れ、目が真剣な王太子のそれとなっている。そのことにほっとしたものの、続く言葉にアリスは息を飲んだ。

「アスルの教官です」

「……教官?」

 どくんと心臓が鳴る。アスルの教官と云えば、アスルの中には一人しか居ない。

「シュケンド・レールか?」

 唐突にアリスが声を上げたことに驚いたのか、イーリィは目をしばたかせたが、すぐに笑顔を向ける。

「いえ、お見えになられたのは、伝承召喚師レイ=ルウ・カルヴァナ様です」

 ウォレンの顔つきが変わった。


・・・・・


 応接間に行けば、そこには懐かしい顔が待っていた。

「ルウ……!」

「御久ぶりです、殿下! 本当にご無事だったのですね!」

 そう云って満面の笑みを浮かべるのは、カルヴァナ家二男レイ=ルウ・ヴァイツ・カルヴァナ。いかにも無骨な様がわかる見た目からは想像できないが、アスルで伝承召喚師をしている。いつも通りに笑ってくれるその顔を見たら、ウォレンとしてはすることが一つしかない。

「ルウ……、済まなかった」

「な、何なさってるんですか、殿下! 顔をお上げください……!」

 ウォレンが頭を下げると、彼はわかり易いぐらいに動揺する。だがウォレンがはいそうですかと顔を上げられるはずがない。もう少し早く帰っていれば、もう少し早く決意していれば、彼らの父、前宰喚ルウラに自害させるなどと云う最悪な結末は呼ばなかったはずだ。


 ──殿下、ご無理だけはされませぬように。

 今でも思い出せる、カルヴァナの悲痛そうなあの顔を。その想いに答えられなかったことに、それでも信じてくれたことに、ウォレンは頭を下げずには居られない。


「謝って済む問題ではないことぐらいわかっている。だがカルヴァナのためにも、俺は……私は王座を目指したい。協力して、くれるだろうか」

 頭を上げずに云い切っても、レイ=ルウの動揺が伝わって来る。慌て終わったのかウォレンの性格を思い出したのか、小さく溜め息を吐くのが聞こえた。

「当たり前でしょう、ウォルエイリレン王太子殿下」

 なんとなく、カルヴァナに似た、懐かしい声に感じた。

 唇を噛み締めて、悔しい想いを心の中に閉じ込める。きっと誰よりも悔しいのは、目の前に居るレイ=ルウたち姉弟である。だからウォレンがここで悔しさに泣くのは間違っている。絶対に彼らの前で諦めることだけはできない、泣くことも、負けることもだ。


 本来なら、こんな優しい言葉をかけてもらえるようなことはしていない。恨まれてもおかしくはない。だがレイ=ルウはそれこそ、本当に当たり前のことのように云い切った。

「そのために、俺は近くでずっと様子を窺っていたのですから」

「──ありがとう」

 ようやく顔を上げれば、まるで冗談を云った友人をからかうように、レイ=ルウは何をしているんですかともう一度笑った。レイ=ルウらしい優しさが心に染みる。無骨ではあるが心優しいこの伝承召喚師は、だからこそ教師などと云う仕事ができるのだろう。明らかに説明が苦手な感があるのだが、彼はその心で人を動かせる。それもすべて、カルヴァナのおかげだ。




 しかしいつまでも感傷に浸っている場合ではない。カルヴァナの命を無駄にしないために、ウォレンたちはさっさと動き出すべきなのである。

「様子を窺っていたというのは、どういうことだ?」

 あまりに早いカルヴァナ家の来訪に驚いてはいた。召喚獣で飛ばせば早い道のりではあるが、アスル内、それもカルヴァナ家ともなれば、恐らく警戒されているだろう。王宮貴族領のカルヴァナ本家も然り、アスルのカルヴァナ家も然り。

 だがレイ=ルウはそんなことと笑う。

「俺らカルヴァナ家としては、アリスの身柄を安全に保護するというのが第一でしたから」

「おまえたちも、気が付いていたのか……」

「いえまさか、精霊召喚師だと気付いたわけではありませんよ」

 まさかそんなこと、と彼は云う。それはそうだろう。父親が自害し新たな精霊召喚師が生まれるなど、王宮内部の状況がわからないのに、そんなところまで考え付くわけがない。

「ただ我々も、黙って傍観していたわけではないと云うことです。兄貴……当主は現在、元宰聖であるデュロウ・ライロエル卿へお話を伺いにルフムへ参りました。以来、私がカルヴァナ家邸宅の留守を預かっております故、アリスの噂と共にご帰還を聞いて参上致しました」

 カルヴァナがそこまで動いていることに驚きながら、聖職者の町ルフムのことを考える。聖職者が王宮から離脱し町に引きこもるなど、前代未聞の大事件だ。早急に詳細を知りたいところだが、術師はアリカラーナに仕えると云えど、彼らしか立ち入れないような話もある。数十年前に起きた術師戦争でも、術師の知識のないアリカラーナが無理に介入をしようとして失敗したため、余計に話が混乱してしまった。以来あまり術師の技術的な話には、立ち入らないようにしている。


 しかし今回の聖職者に関しては、明らかに失踪したウォレンが原因となっている。どんなに専門的な話になろうと、首を突っ込まないわけにはいかないだろう。

「リュウレイがルフムに……。ライロエルは無事だろうか」

「ええ、無事王宮から長い旅路を得てルフムに着いたと聞き及んでおりますが、その後当主連絡はないんですよねぇ」

 少し心配そうに呟くレイ=ルウだが、おそらくリュウレイの命の危険ではなく、彼が何か失礼なことをしていないかと云う不安だろう。リュウレイ・ファンミオン・カルヴァナはカルヴァナ家当主で有望な人格をしているが、少々人を喰ったところのある人物だ。思いつきで考えを外に漏らすことなく突き進むため、それを知っているレイ=ルウとしては、あの神聖なる聖職者の町に行ったことが心配なのだろう。


 思わず微笑みたくなるような、兄弟の事情だ。

「だが、ルウが来てくれてありがたい」

「あ、そうだ、来たのは報告も兼ねていたんですよ、殿下。こちらで調べた結果、アリスを、いや、失礼、ルアを引き渡す手引きをしたのは、アエデロン・ルカナンで間違いがありません」

「ルカナン卿が?」

 まさかの事実に、ウォレンは驚く。アティアーズの裏切りと云い、最近は驚きの連続だ。ガーニシシャルという絶対的なものが亡くなり、いろいろなものが動き出しているのだろうか。


 レイ=ルウも苦笑して後を続ける。

「俺も最初は信じられなかったのですが、姉貴の言には信憑性があります」

「調べたのか?」

「果敢にも精霊城に正面突破して、敢えなく撃沈しましたがね。今は何所に居るのか、わかりません」

 ラナレイ・シルバ・カルヴァナ、カルヴァナ家の長女である彼女は、家を継ぐことなく突然召喚師の地位を蹴って何所かへ消えてしまった。たまにこうして風の噂で姿を現すものの公の場に出ることはなく、ウォレンもずっと会っていない。

 ウォレンがセナの方を見れば、彼はすべてを承知したように頷いた。ラナレイは問題ないが、法術師を手引きしたルカナンのことは気になる。




 次なる仕事を決めたところで、そういえばとウォレンは思う。

「ところでアリスを知っているのか? さっき知っていそうなことを云っていたが……」

 アリスを保護するだの、アリスを引き渡すだのと、知り合いのような印象を受けた。カルヴァナとルヴァガなら付き合いがあってもおかしくはないが、ルヴァガが召喚師五家であったことも知らない、あのアリスである。素朴な疑問でウォレンが訊けば、逆にレイ=ルウが驚いた顔をした。

「え、あれ、殿下、もしかして知らないのですか?」

「そう云えば……お話中失礼ですが、カルヴァナ第三子卿」

 何をと思ったところで、セナがやんわりと口を挟む。

「アリス・ルアとの面談をご希望でしたよね」

「あ、そうだったそうだった」

 セナの口出しにウォレンは溜め息を吐くしかない。普段から居るか居ないかわからないぐらい静かに控えているが、こうして話題を簡単に操作してしまう。レイ=ルウも単純な男だから、簡単に流される。

「お話中済みませんが、殿下、アリスと少し話がしたいのですが、大丈夫でしょうか」

「ああ、アリスが良いのなら構わない、呼んで来よう」

 ウォレンも諦めて踵を返しかけると、セナがいやと割り込んでくる。

「殿下が席を立つまでもないでしょう、私が行きますよ」

「なんだよ、呼びに行くだけなんだ。それぐらい行く」

「──おや」

「朝から突っかかるな……」

 もしかして久々に会ったからからかわれているのだろうかと思う。自分もただアリスを呼びに行くだけで何をこんなに躍起になっているのだろうと不思議だが、昨日からいろいろ気になって仕方がない。アリスもセナも、昨日から確実に雰囲気が変わったのだ。

「なんなら俺がアリスのところへ行こう。それが手っ取り早そうだ」

 申し訳なくなったのか、レイ=ルウが間を取ってそう云ったところに、

「呼んだか」

 当の本人が現れた。あまりのタイミングの良さに、ウォレンたちは言葉もなく扉を見てしまう。

「弥生にエースが呼んでいると云われたんだ」

 一緒にこの場に居た弥生は、いつの間にやら姿を消しアリスを呼んでそそくさと戻って来たらしい。師走や睦月とは違って無口でわかり辛いが、速やかに物事を片付ける天才である。


 レイ=ルウはアリスを見て一瞬目を見開いたが、すぐにその表情を隠した。彼にしては早い行動だったほうだ。その緩められた表情は、とても優しい。ウォレンが呆けている間に、レイ=ルウは持ち前の明るさでアリスのもとへと行ってしまう。

「わざわざ越させて悪かったな、アリス。少し訊きたいことがあったんだよ」

「いえ、構いません」

「アリス……と、ルアだったな、どうにも慣れないなぁ」

「え?」

 アリスがきょとんとするのに、レイ=ルウは少し残念そうに、でも仕方ないと笑う。

「覚えて……ないか、当然だな。数回会っているだが、行けるのはそんな多いことじゃあなかったから、 まだアリスが召喚師学校に入る前……そう、ダークが来た頃だな」

「だ……彼を、知って、いるんですか?」

「突如現れた謎の天才召喚師だよ。あいつは平然としているが、召喚師の中じゃあ大騒ぎになったもんだ。アスルの田舎に凄腕が居るって」

「そうですか」

 ウォレンは思わずアリスを見るが、微笑む彼女の顔からは何も読みとれなかった。ただいま何かが引っかかった。その引っかかったものが何かわからないままに、ウォレンはついアリスを見てしまう。いつもと変わらない笑顔を見ながら、ウォレンは彼女の抱えているものを知りたくなっていることに気付いた。


・・・・・


 話が長引きそうだったのを察したウォレンとセナが、気を利かせて退室してくれた。心底申し訳なさそうにするレイ=ルウだが、座った次の瞬間には爆弾を落とした。

「シュケンド・レール、知っているな?」

 名前を聞いただけで恐怖の対象となるわけではないが、ただ意識はしていた。アリスは教官と云う目で一応見てはいたが、ダークは毎日のように警戒するようになった。


 トルンダ・バーバロ、グレイド・バッカス、その二人が現れた時からだ。


「あいつは法術師と手を組んで、アリスを見張っていたが……」

「レール教官はそんな人じゃありませんわ」

 突如口を出したのは、たまたまお茶を出しに来たエリーラであった。女中だと思われていたのか、いきなり声を出したエリーラに、レイ=ルウも目を丸くする。

「カルヴァナ様の手前、失礼致しました。彼女と同郷で、召喚師のエリーラ・マグレーンと申します」

 召喚師であるのにどうして女中のようなことをしているかと云えば、セナを見てアリスのあのポジションが良いとエリーラがいきなり云いだしたのである。もともと召喚師と云えどダークのように技術が特別高いわけではない、かといってものすごく低いわけでもないエリーラは、軍に入れるべきか悩みどころだった。だからアリスの横に居たいという純粋な思いを汲んで、ウォレンも許可をしてくれた。



 だが性格は変わることなどなく、いつもエリーラ・マグレーンのままである。もとは人間の土地で生まれているエリーラは同郷ではないのだが、そこらへんはややこしいから省略したのだろう。驚いたレイ=ルウを気にせず彼女は話を続ける。

「レール教官はアリスのことを心配していましたわ」

「え?」

「アリスもどうしてそうレール教官に突っかかるのかわからないけど、見て来たから知っているの。レール教官はいつも、アリスを影で守ってくれていたわ」

「そんなはず……」

「本当は云うつもりはなかったのだけど、あたしが今回の試験を一度は見送ったのは、あんたが絶対試験に受からないと思っていたからよ」

「……え?」

 真剣な口調で何を云うかと思ったが、随分と失礼な話になった。しかしエリーラは真剣そのものの顔のまま、良い? とまるでそれこそ先生のように口火を切る。

「ダークは試験なんて受けたら一発で合格しちゃうでしょう。だけどあんたは不合格。これであたしまで受かったら、あんたの周りに誰も居なくなるのよ。それを……レール教官は心配して、あたしに試験を見送るよう云って来たのよ。アリスを一人にしてはいけないから頼むって……」

 と云うことは、結婚を急いでいたエリーラが試験を蹴ったのはアリスの所為であり、それを頼んだのはレールと云うことになる。そしてレールは、エリーラに季節外れの召喚師認定をあげた。


「ええ……?」

 アリスにとっては混乱そのものの事実に、いろいろな感情よりも驚きが勝って出て来てしまう。

 あのシュケンド・レールが、アリスを一人にしないために、わざわざそんな動きをしていたのか。そしてエリーラは、アリスのためにそこまでの犠牲を払っていたのか。衝撃の大きさに混乱しているのは、アリスだけではなかったようだ。レイ=ルウも意外そうに頭を押さえている。

「レールは監視役じゃあなかったのか? まずいな、姉貴に知らせないと……」

「カルヴァナ子卿、どういうことですか」

「……アリス、おまえは自分の出自を、知っているな」

 いきなりの話にアリスは戸惑うが、一応は知っている。法術師と駆け落ちをしたリィス・ルヴァガが一番有力な母親であるが、人霊は納得して居ない。要するにアリスの出自でわかっているのは、法術師と召喚師の、本来なら生まれることすら許されない子ども。それだけだ。アリスは小さく頷いた。

「その関係で、巡検法術師が一人アリスのすぐ近くに居て監視役をしていた。それは召喚師の方でも許可せずには居られなかったんだ」

「どうしてですか?」

「アリスが考えている以上に、おまえの両親については、みんな憶測しかできていない。向こうも同族か同族でないかを測りきれていない」

 エリーラの手前曖昧に言葉を濁してはくれたが、同族=法術師ということは訊かずともわかった。そしてここが重要なんだが、とレイ=ルウは続ける。

「──誰もおまえの両親の真実を知らないが、俺たちカルヴァナは知っている。例の事件のあと、俺たちは親父から真実を教えられ、姉貴を筆頭にルヴァガを守護するよう頼まれていた」

「え……」

 人霊すらわからないことを簡単に知っていると云われてしまい、アリスは言葉に詰まる。

「だがこれは、俺が親父と約束し封印した事実だ。問題の本人が出て来るまで、俺たちは黙秘するしかない」

 しっかりとした、それこそカルヴァナ家の者であることを誇るようにレイ=ルウは云うが、次の瞬間にはその堂々とした顔を崩して申し訳なさそうな苦笑を浮かべる。

「……済まないな、おまえ自身の問題なのに」

「いえ……」

 今さら知りたいとは思わない。昨日セナと約束したばかりでもある。だがこうして目の前で知っていると云われると、やはり心が疼かずには居られなかった。


 真実を知る例の事件の張本人にはだが、アリスはやはり訊く気が起きなかった。


・・・・・


 ばったりと居合わせた三人には、何かしら運命の啓示でもあったのだろうか。いきなりのことにセナとしては驚くしかなく、それはまた二人ともが同じだったようだ。普段から笑顔を絶やさない快活なレイ=ルウ・カルヴァナも、いつでも微笑んでいるようなルーク・レグホーンも、その時ばかりは顔に緊張が走っていた。


 セナ・ロウズ・アティアーズは、そこでそっと一息を吐く。

「レグホーン卿、……ご無沙汰しております」

「ああ、久し振りだね。セナ、おかえり」

 まるで何事もなかったかのように彼は、笑顔を取り戻して微笑む。セナの手に、汗が混じる。どうして最近こうも心を揺り動かされることが多いのだろう。セナとしては最大の悩みに繋がる。アティアーズの者として最強でなければと思うのに、弱い心など捨て去ったはずだと云うのに。


 そう思った矢先に、確認しに来たように、彼が出て来る。


 本当に捨てきれたのか、と。

「レイ=ルウも久しぶりだ。いろいろごめんね」

「はい、ご無沙汰しております。レグホーン卿。この度は無事のご帰還に安堵しております」

 しかしセナの動揺などまるで気にしてもいないかのように、ルークはレイ=ルウに向き直る。

「……アリスと話して来たのか」

「はい、僭越ながら、少々の確認と共に」

「そうかい」

 関係ないとでも云いたそうに、彼はそう呟く。だがその声には、何所かしら憂いが入っている。

「まさか貴方がここにいらっしゃるとは、思いもしませんでした」

「僕はまだ、諦めたつもりはないんだよ。すべて君たちに投げて、それで終わりにするつもりはない。自分の尻拭いは自分でしないとね」

 それからセナを見て、いつもの調子を取り戻したように、小さく微笑んだ。

「君もそうだろう、セナ」

「……はい」

 ──おまえができるようなことはないよ。

 役に立たない自分など生まれた意味がないと云うのに、彼女はそう云ってセナを突き飛ばした。所詮はただのしがない子どもでしかないセナは、彼らが滅びるのを見ていることしかできず、任務を失敗し何も持ち帰るものなどなく、手ぶらでマスターのもとへと帰って来たのだ。


「僕にはまだ、やるべきことがあるからね」

 そして守れなかったもう一人は、ここにこうして、ちゃんと立って戻って来ている。微笑んで自分の足で立っている彼を見ると、本当にあの人の云う通りなのだとセナは思う。

 ──ルークは絶対に、諦めたりしないから。私も絶対に、諦めない。

 法術師ルーク・レグホーンとは、そういう人なのだ。

 東雲国で開催されるゲームで、セナは5歳にして「テン」の地位を得た。その偉業に誰もが目を剥き、定成王ですら拍手をくれた。


 きっとセナは、調子に乗っていたのだ。自分一人で守りきれる。絶対に守ると。


 だが一人は守ることすらさせてもらえず、一人は亡くなり、一人は自分で生き残った。セナが彼らにできたことなど、本当に何もない。あの人の云うように、セナができるようなことはなかった。




 だから今さら、恨みごとなど何もない。ただあの時できなかったことを、今やり直すのみだ。

「レグホーン卿、私はウォルエイリレン王太子殿下を唯一の主と定めました」

「それはそうだろうね」

「ですから私は、殿下だけは何があってもお守りします。真名にかけても」

 ですが、と、彼の鳶色の目を見つめながら、セナは今度こそ、もう一度誓う。

「アリス・ルアにも、同等の働きをしたいと思います」

「……それはあれかな、ルヴァガ姉妹を守れなかったから、リベンジするとかそういう理由?」

「最初はそういう考えもあったと思います。ですが私は、アリス・ルヴァガだからこそ、お守りすると決めました」

 そして彼女を守ることは、ウォレンを守ることに繋がる。流石にそこまでは云わなかったが、ウォレンの微妙な心境の変化に、聡いルークならいつ気付いたっておかしくはない。




 セナの云いたいことがわかったのかどうか、ルークはまた小さく笑ってセナから視線を逸らした。

「君は本当に、なんで侍従なんかやってるんだろうね」

「祖父マルディの血と、何所かの侍従に憧れて、でしょうか」

 セナがけしかければルークはつまらなさそうに溜め息を吐く。本当にあの頃は子どもだったと、セナは今にしてまた思う。アティアーズとして生まれたからには、年齢など関係なく、絶対に任務を遂行できると信じていた。幼き頃既にセナは父を見限り、祖父マルディを全面的に師と仰いだ。そしてテンになって母国に帰ったセナに、祖父は云ったのだ。ルヴァガ家を守れと。

 何があっても守りたかった。セナのすべてがかかった任務に6歳で挑み、そして負けた。ただ、それだけのこと。



 セナは懐から、書簡を二通取り出す。いつしか渡すことになるだろうと思っていたが、まさかこんなにも早く渡すことになるとは思わなかった。

「ルーク・レグホーン卿に、あの方から書簡をお預かりしています」

 ルークの顔に、少々の動きが出る。一度セナを見るもまた視線を逸らし、それからまたセナを見る。正しくはその手に持たれている書簡に、目を向ける。

「ああそうか、君は東雲に行っていたのだっけ」

「ええ、皮肉なことに、いつでもお会いできるので」

 流石に再会した時には驚いたものの、彼女の方が驚きの度合い大きくリアクションしてくれたため、セナはそこまで動揺を見せることはなかった。内心ではとても動揺していたが、それを隠すことができた。それでこそ、この髪と目への誇りだった。


「その件で久々に、ルヴァガ家へとお邪魔致しました。メルクセウス卿はつつがなくお過ごしでした」

 アティアーズの屋敷を逃げ出し、ルヴァガの家に向かったのは特に意味はない。ただ一刻も早く助けなければと足を向けた先に、ルヴァガの家があった。ここにセナが来るとは流石のゴウドウも思いはしないだろうとその扉を叩けば、侍従バーレン・メルクセウスは、何事もなかったかのように静かに迎え入れてくれた。そこだけ時が止まったように、まだルヴァガが存在しているかのように。


「その時書簡を戴いたものですから、こうしてお持ち致しました。一通はリィス様、一通はリーシュカ様からです」

「アティアーズ子卿、それは……!」

 思わずと云った風に声を上げたのは、レイ=ルウだ。ルークは無言で、その二つを見ている。ルヴァガの後処理をしたルウラ・カルヴァナの子どもは、ルヴァガの事情を知っている。おそらく定成王もしっかりと認知しなかったであろうこの問題は、確実に真実を知っている者も限られる。事後処理をした当時の宰喚カルヴァナの子ども三姉弟と、裏で仕事をもらったマルディ・アカ・アティアーズ、その孫セナ、そして当事者ルーク・レグホーン。事後にしか関わらなかったカルヴァナ家としては、名門ルヴァガを失墜させてしまったことを手痛く思っただろう。


 当事者であるルークは、流石に笑みをなくした。

「どういうことだい、セナ」

「一通はレグホーン卿に宛てられたものではありません。母上から娘への、アリス・ルア宛です」

 その内容を、セナが知るはずもない。これはあの従順なる侍従バーレンが、この20年間ずっと隠し持っていたものだ。おそらく、今後いつしか出て来ると信じられたルークのために、彼が残しておいたもの。それを手渡す役目を、セナは請け負った。


 敵から身を守る仕事ではない、だがこれが、あの時失敗した仕事のやり直しだと思えた。たかだか書簡一通だが、それでも彼にとっては、そしてアリスにとっては大切な宝だ。

「私は時が来たら真実を話せと云われました。ですがそれはもしものことがあった時。レグホーン卿がご存命なら、そして貴方があの方が云うようにまだ立つ気があるのなら、私は口を閉じるまでです。後はレグホーン卿、当事者の貴方にお任せ致します」

 ルークは悩む素振りを見せながらも、結局はその書簡を両手で丁寧に受け取った。セナの役目は、これだけだ。すべてを語る役目は、ルークが出て来たことで消え去った。彼が10歳の時果たすことができなかったそれは、この書簡を届けることで相殺された。


「では、失礼致します」

「セナ」

 踵を返したセナに、呼び止める声はとても優しかった。

「あの子はあの子で、最期まで心配していたよ。君のことを」

 ──おまえができるようなことはないよ。

 おそらくセナを思って云ってくれた言葉だったが、あの時のセナにとっては最大に悔しいことだった。守るべき相手に気を遣われるなど、アティアーズの者として許されるべきことではない。

「ありがとう、後は僕がやるよ」

「……アリス・ルアは、リーシュカ様に似ていて、本当に驚きました」

 ケーリーンでは暗くて顔まで見えなかったが、イーリアム城でまたしっかりと顔を合わせれば、その顔は正しく、セナが守り切れなかったリーシュカ・ルヴァガにそっくりであった。

「それだけが、事情を知らないみなさんの、唯一の引っかかりとなるでしょうね」

「ああそうだろうね。でも僕は知っている。──アリスは僕と彼女の、大切な娘だ」

 そのことだけが全員を混乱させているもととも云えるが、まだそれを、誰も知らずに居るのだった。


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