1話 転生役所、日本支部
気づくと俺は白い天井を見ていた。あれ? 俺は確か……。
とにかく、今の状況を確認しよう。何事にも冷静に、これ一番言われているから。
足裏に何の感覚もなく、天井を見ていて、背中に柔らかいものを感じる。背中の柔らかいもの、これは今までの俺の人生で何度もこれと似た感触を味わってきた。
そう、これは布団だ。つまり俺は仰向けに寝ている。でも、何故? 俺がいたのは渋谷のスクランブル交差点。そこで突っ込んできた乗用車に跳ね飛ばされた。それに、白い天井は? 俺の自宅、家賃五万の木造ボロアパートの天井は茶色だ。
そこまで考えて一つの考えに至った。なるほど、ここは病院か。確か病院の天井は白かったはず。俺は乗用車に跳ね飛ばされ意識を失ったが生きていて、誰かが救急車を呼んでくれて病院に搬送されたと。
(それにしても、何の痛みも感じないな)
車に跳ね飛ばされたのだ。どこか骨折していてもおかしくないはず。
(動かしていないから痛くないだけか?)
そう考えると試しに両腕を動かしてみることにした。両腕を持ち上げて天井に向けて真っ直ぐ伸ばし、両手の手の甲を見た後、グーパーと何度も握ったり開いたりしてみる。痛みは感じない。
(と、なると脚か?)
両足を動かして折り曲げてみる。しかし、これも痛みを感じない。
(まさか無傷? そんなはずは)
腹筋を使って上体を起き上がらせた。顔を動かして見ることができる限界の範囲を見るが、包帯が巻かれている箇所は何処にもない。無傷なようだ。
それだけでない。俺は病院服ではなくリクルートスーツのままなのだが、それが破れた箇所など目に見える範囲では何処にもないのだ。
奇跡。そうとしか言いようのない。
辺りを見渡してみる。この部屋は個室のようで、俺以外誰も居ない。見渡していてある疑問を抱いた。
(病院ってこんなものなのか?)
俺は今まで病院に入院したことなどないので実際の病室というものを知らない。しかし、ドラマなどで見たことはある。窓際のベッドに一人佇む女性、そんな場面を。そこにはベッドの他に花瓶やテレビなども置かれていた。
しかし、ここには俺が乗っているベッド以外何もない。俺の目に映るのは白、白、白――いや、ベッド以外にも一つだけあった。
茶色の扉。金のメッキで施されたであろう丸いドアノブの付いた。
(外に出てみよう)
そう考えてベッドから降りたその時、ドアノブが回り、ガチャっと言う音が聞こえて扉が開いた。そして扉の向こうから現れたのは純白の看護服に身を包んだ看護師ではなく、お偉い方の秘書のような格好をした女性であった。
「起きられたようですね。どうぞ、付いて来てください」
女性は笑顔を浮かべて付いて来るように促してきた。俺はここについて何も知らない。ここの関係者であろう女性に付いて行くべきだ。
女性の後を追って部屋を出た。
――――
女性の後を追い、歩きながら辺りを見渡す。両側に俺がいた部屋と全く同じ扉が等間隔に規則的に存在していた。個性なんてあったもんじゃない。まあでも、公共施設なんてこんなものだろう。
見応えがないので正面を向くと、前を行く女性の先にこれまで見てきた扉とは違う両開きタイプの扉が見えた。これはまたわかりやすい、あそこにこの施設の責任者とやらがいるんだろう。
その扉にだんだん近づき、女性はその扉の横になっているレバータイプのドアノブに手をかけ、下におろして縦にすると手前に引いて扉を開けた。
「どうぞ。支部長がお待ちです」
女性は俺に中に入るように促してきた。俺はそれに従い、入室する。
広い部屋であった。フットサルのコートぐらいの広さがあり、俺の背丈の数倍はあろうかという高い天井、床には大理石が敷かれている。
そして、その大理石の上に敷かれているレッドカーペット。俺が立っている所を始点にまっすぐに伸び、そのレッドカーペットの上、部屋の中央にパイプ椅子が背もたれをこちらにして置かれ、その先、企業の社長などが使っていることでお馴染みのプレジデント用の机が置かている。
そこで、ショートボブの髪型をした黒髪の女性が書類らしき紙を片手にそれに目を通しているようであった。
「どうぞ、中央の椅子に座って」
女性は書類らしき紙から目を離さずに言ってきた。言われるまま中央のパイプ椅子に近づき、それに腰掛ける。
「えーっと、名前は楠木正和。歳二十二で大学生。犯罪、検挙暦無し。うん、問題無いわね。もう結構ですよ。外に出てここまで連れて来てくれた女性の指示に従ってください」
この人、何で俺の名前を!? それだけじゃない歳や俺が大学生であることまで!
「あ、あの!」
声をかけると女性は書類らしき紙から目を離してこちらを見つめてくる。
「何でしょう?」
「何でしょうじゃありません! 何なんですかこれは! それに何故俺の名前を!?」
「そんなこと、知る必要はないでしょう?」
「ありますよ!」
俺は椅子から立ち上がってそう吠えた。気付いたら知らない施設に閉じ込められ、全く知らない人が俺の名前や年齢を知っている。教えていないのにだ。この状況を説明してもらうのは当然のこと。
「ふうっ……」
女性はそう溜息をつきながら書類らしき紙を机に叩きつけ、椅子にもたれかけたようだった。
「ここは『転生役所』よ」
「てんせい役所?」
聞いたことがない役所だ。日本に「てんせい」なんて言う地名があったか? それはそうとあの女の人、いきなり態度が悪くなったな。
「てんせいって、ここは何県なんですか?」
「県とかじゃなくてここは日本支部。転生役所の日本支部よ。転がるに生まれる役所と書いて転生役所。で、聞かれる前に答えておくけど、貴方、死んだのよ」
「は?」
意味がわからない。俺はこうして生きているじゃないか。
「いやいや、死んでいないのですが」
「死んだのよ。覚えてない? 白い乗用車に跳ねられたのを」
覚えている。俺は確かに白い乗用車に跳ねられた。そして気付いたらこの転生役所とやらにいた。
ん? 転生? 転生って確かネットの、そうだ色んなネット小説で目にした言葉。跳ねられて死んだ、そして転生と言う言葉。ここから導き出されるのは――。
「俺、生まれ変わるってことですか!?」
俺は事態を飲み込めてない表情から一変、目を輝かせながら言った。
「え、ええ。びっくりした、どうしたのよ急に。まあでも、合っているわよ」
俺のこの豹変っぷりに、女性は驚いたようだ。
それにしても転生かぁ。俺は勇者で、可愛いおにゃのこ達に囲まれてあんな事やこんなことを! 妄想が広がる。来たな、俺の時代が!
「決めた! ファンタジーの世界で最強の勇者として転生させてください!」
恐らく、目の先にいる女性は神様だ。読んできた小説の展開なら俺の願いを聞き入れてドラゴンとかの怪物がいるファンタジー世界で最強の勇者として転生させてくれるはず。
「転生はさせるけど、転生先はファンタジーの世界じゃなくてあなたがいた時から時間が進んだ日本よ?」
ファンタジーの世界じゃない。日本。女性が言ったその二つ言葉が何度も頭の中で復唱する。日本? ファンタジーじゃねぇの?
落胆した。力なく椅子に座りうなだれる。そんな、またあの頃のように受験戦争に追われ、それが終わったと思ったら就職活動をして内定をもらえない日々を過ごすのか……。
「転生したくない……」
ポツリとそう呟いた。
「ああでも、貴方が言った、ファンタジーの世界を経験してもらうことにはなるわね」
ファンタジーの世界を経験。立ち直るには十分な言葉だった。顔を上げる
「ぜひ詳しく!」
「え、ええ。貴方感情の突起が激しいわね……これから貴方にはファンタジーの世界に行ってもらうの。一時的だけどね」
「一時的?」
「そう。そこで貴方にはあるものを取ってきてもらうわ。それを手に入れられるかどうかで貴方の転生先での人生が決まる。聞きたい?」
当然だ、俺は頷いた。固唾を呑んで女性を見つめる。
「手に入れられたら、おめでとう、貴方の次の人生は勝ち組よ。富も権力も思いのまま! もし、手に入れられなかったら、残念、貴方は負け組――最悪の人生が待っているわ」
「っ!」
手に入れられれば勝ち組、手に入らなければ負け組、一か八かの大勝負。
「詳しいことは、外にいる貴方をここまで連れて来てくれた女の人が説明するわ。その人の支持に従って。それじゃあ、健闘を祈っているわよ」
女性は俺から目を離すと再び書類らしき紙に目を通し始めた。
やってやる! 俺はそのある物を手に入れて勝ち組として転生するんだ!
俺は踵を返すと、横になっているレバー型のドアノブを下げ、扉を押して部屋から退室した。