傭兵ギルド
ローシェルの出血が収まったころ、俺たちは山を下り、タリバンの追っ手を避ける事にした。
彼女も歩けるほどには回復したようで、さっそく山を下り始めた。
「ところで、助けてくれたあなたの名前を窺ってもよろしいですか?」
「リチャード・スウィフト。リチャードと呼んでくれて構わない」
「はい……助けてくれてありがとうございました」
山岳地帯から逃れ、都市部に入らないように迂回しながらパキスタンを目指す。
それが当初の計画だった。しかし、その計画はある一言で大きく崩れ去る事となる。
「パキスタンですか……?そんな国、聞いたこともありません」
「聞いたことが無いだと?お前さんはあの村から出たことが無いのか?」
「いいえ、何度も街へ足を運んでいますよ。街の人たちからパキスタンなる国の名を聞いたことは一度も無いのです」
「ウソ言ってるんじゃなくて?」
俺は彼女の言い分がどうにも信じられなかった。いくらアフガンの辺鄙な村であっても地球儀は地図を持っている人間は少なからず存在した。隣国たるパキスタンの名を聞いたことが無いというのはおかしい。
だが、彼女の言っている言葉は嘘には聞こえない。嘘をつくならばそれなりの技術がいる。
ばれない様に何度も慎重に言葉を選ぶ。彼女にはそれは一切当てはまらなかった。
「じゃあ、あの村は?」
「エルド村といいます」
「何だと……」
信じられない話だ。だが今は頭を整理するほかは無い。いくらグリーンベレーが他国へ侵入する任務に優れていても名も知らぬ国にいきなり、それもアメリカやアフガニスタンという国が存在しない別の世界に俺はいる事になる。
そう考えただけで頭が狂いそうになる。
俺は生きている。
だが、引き換えに全く別の世界で生きている。
全てを失った少女と二人で。この場所に俺はいる。
「どうか、しましたか?」
俯いている俺を彼女は上目遣いで見つめている。そのサファイアの眼には一筋の涙が浮かんでいた。
「いや、何でもない……ただ、もう俺は国に帰る事はないのだろうと思ってね」
「遠い国から来たのですか?」
「ああ、そうだ」
今は彼女に対しては遠い国から来たと言っておけばいい。いずれ本当の事を話さなければならない時が来る。何もかも失った少女に弱気を見せる事は出来ない。
「ところで、君の村を襲った奴らは一体何者だ?」
俺は先程から疑問に思っていたことを口にした。タリバンではないというのならどんな組織があの村を襲撃したのか。そしてどんな編成であるか。主義思想は?
グリーンベレーとしての性質だ。相手を調べ尽し、熟考したうえで攻撃に打って出る。
一呼吸置いて彼女は今回の顛末を語り始める。
「アリ・アドネ。正確にはその一派です。この辺りではかなり有名な騎士団として知られています。マスケットの扱いに長けた竜騎兵部隊を組織し、あちこちの村に侵攻しています。今回は私たちの村が狙われたのです。後は、分かるでしょう……?」
「成程。そのアリ・アドネとか言う騎士団がお前さんの村を襲ったと?そう言う訳だな」
俺は先程の村の戦況を整理する。つまるところアリ・アドネという騎士団がこの付近一帯で活動している。村の惨状とローシェルの証言ではかなり好戦的な騎士団に違いない。
ローシェルは更に胸の奥に秘められた思いを吐き出した。
「そうです。そうですよぉ……私は奴らが憎いです……憎くて憎くて、どうしようもないほどに。奴らが奪って行った分。私は奴らのものを奪う!奴らが殺した分だけ奴らを殺してやる!」
ローシェルは叫んだ。村を焼き、命を奪って行った者たちの復讐を叫んだ。
俺はその姿が痛々しくて堪らなかった。目の前で家族や友人を殺されたのだと思ったからではない。復讐を叫ぶだけで何も出来ずにいるその姿が痛々しかったのだ。
「気持ちは分かるさ。だがお前さん一人じゃどうしようも出来ない」
一瞬だが、心のどこかで迷っていた。この少女の復讐を成し遂げさせるべきか。それとも思いとどまらせておくか。
成し遂げさせてやろう。簡潔だ。確かに簡潔だろう。しかし道のりは長く、遠い。
それでも彼女が良いというのなら、その道のりを歩もう。
「じゃあ……どうすればいいんですか!?このまま何も出来ず、声も上げず、剣も取らずにこのまま死ねと!?」
「違う……俺が言いたいのはそう言う事じゃない。今、二人だけで剣を取ったとしても勝ち目はない!」
復讐に駆られて周りも見ずにただ突っ走るようなことなど以ての外だ。それこそ相手は獲物がやってきた程度にしか感じない。
それに、俺の事情もある。弾薬がほぼ底を着いている状態で戦えるはずがない。
今、アリ・アドネを倒そうとしても返り討ちに逢うのがオチだ。
「戦う準備をするんだローシェル。仲間や武器を集めて初めてアリ・アドネとやらを叩き潰すことが出来る」
俺は理屈で彼女を諭した。戦う準備が無ければ戦争も出来ない。だが、同じくして手段が無ければ何も出来ない。どちらにしろ手段を探さなければならない。
別の世界に飛ばされてしまった以上、そればかりはどうしようも出来ない。
思案に暮れているとローシェルは俺の顔を再び覗き込んできた。
頭も大分冷えてきたようで先程まで憎悪と復讐に燃えていた瞳はサファイアの輝きを取り戻している。
「分かりました。ではあなたの言う通り戦う準備をしましょう。そうなれば私も行く当てがあります」
「よし分かった。それじゃあ、行こうか」
俺たちは山を下り、城塞都市『アルカトラズ』の城門へたどり着いた。皮肉にもアルカトラズ島と同じ名前の都市故か厳重な砦が幾重にも築かれている。だが、装備は大砲やマスケット銃がほとんどだ。
「その服は一体どこのものだ?」
俺は守衛に呼び止められた。まあ、ある程度予想はしていたがこの世界は中世と近世の狭間ほどの服装だ。簡素なシャツにズボンといった人間の中に戦闘装備を着込んだ人間が居れば怪しむのも無理はない。俺が守衛なら発砲しているだろう。
「この服は俺の趣味で作ったものものだ。そこの銃もな」
「分かったよ。さっさと行け」
守衛は俺の言葉を聞くと不満げに城門を開けた。
俺たちは街へと足を踏み入れる。そこは俺がかつて一度も目にした事のない世界だった。
石造りの舗装道にレンガ積みの建造物が整然と並んでいる。
その先には雄大な城が聳え建っていた。
中世のヨーロッパがそうだったかどうかは分からないが恐らくはこのようなものだったのだろう。街の景色すべてが俺にとっては初めてだ。ここにはアメリカも、タリバンも無い。自由がある。しかし俺は戦うための準備をする為にここへやって来た。見とれている場合などではない。
ローシェルが示す行先は『傭兵ギルド』。
その名の通り世界中の戦争に所属する傭兵を派遣するギルドだ。
旅人や冒険者ならば冒険者ギルドを選ぶだろう。だが俺たちにそんな猶予は無い。
数を揃え、武器を揃え、アリ・アドネを倒さなければならない。
建物はレンガ造りの2階建てだ。ローシェルが言うには見た事はあるが実際に中に入って見た事は無いとのことらしい。なんだそれは。
戸を開けると以外にも荒くれものが集うような雰囲気ではなく、むしろホテルに近い感じを受けた。俺はさっそく受付窓口へ向かう。
「このギルドで傭兵登録をしたいのだが、出来るか?」
「ええ、可能ですよ。よろしければこちらの登録用紙に名前と年齢、軍歴等を記入してください。そちらのお子様もお願いしますね」
受付嬢から紙を受け取ると俺はつらつらと名前、年齢、軍歴を書き綴っていく。
氏名 リチャード・スウィフト 年齢 32
出身地 エルド村
軍歴 タイロス・セキュリティー社 警備部
使用兵器 銃 大砲 等
氏名 ローシェル・スウィフト 年齢 16
出身地 エルド村
軍歴 なし
使用兵器 銃
俺達は記入した用紙を受付嬢へと渡した。
「タイロス・セキュリティー社とはどんな会社でしょう?」
「私の私兵部隊だ」
受付嬢には悪いが偽の警備会社の名前を騙らせて頂くことにする。異世界である以上俺が軍人であることが露呈したらどのような扱いがあるかは分からない。
それに、先々アリ・アドネと戦う為には傭兵ギルドから独立した作戦行動を取る事もある。
その為に書類上ではあるが会社を作ることにした。勿論、実績の為と言っていきなり危険地帯に出るような羽目はしない様に心がける事は大事だ。だからこそ俺は傭兵ギルドでこの世界のあり方を学び、会社の規模を大きくしていく。
「分かりました。それでは傭兵ギルドの説明を始めます」
彼女が言う事を大方まとめると
傭兵ギルドは世界中の戦争に傭兵を派遣するギルドであることがまず一つ。
二つに、この世界は戦争が絶えないそうだ。小規模な戦争から大規模な戦争まで様々だ。
その為、正規軍の戦力を補うものとしてこの傭兵ギルドが設立された。
ギルドに所属する人間はある階級層に分かれる。作戦行動階級というそうだが、軍隊の階級とはどうやら勝手が異なるようだ。
Tier1からTier10まである。それぞれ傭兵の実力をランク分けしたものだ。
Tier10は一番初めの、傭兵成り立てがなるものだ。任務はせいぜい行商人や一般人の警護程度のものだ。更に報酬金も少ない。対してTier1は数多くの傭兵の中から僅か0.1%しかなる事の出来ない過酷なランクだ。当然ランクに応じた任務を要求される。
例えば戦争時の初期投入、偵察や地形対応、暗殺、言うなればデルタ的な役割を果たすことが出来る。その反面10年は遊んで暮らせるだけの額を手にする事が出来る。
更に正規軍に対する越権もある程度は認められており中隊までならトップが傭兵であったとしても構わないのだ。ただ、正規軍との連携は必須だが。
俺のランクは私兵所属であり、かつ多種多様な戦闘経験を積んでいるという事もありTier3から始められることとなった。本来ならばかなり異例な事であるという。
「本来私兵ならばTier5からが妥当なのですが。様々な戦闘任務をこなしてきたという事で特例としてあなたはTier3から始める事が出来ます。そちらの連れ子さんはTier10からとなってしまいますが、よろしいですか?」
「分かった。よろしく頼む」
俺は受付嬢より任務欄を受け取り、近くのソファへ腰かけた。
任務欄はいたって単純でそこにある任務を受注することにより任務地へ派遣されるという事だ。Tier10レベルの任務では街の倉庫番や歩哨などの仕事が多く割り当てられている。
警備任務から始めていくのが妥当というところだ。
作戦行動階級が上がるにつれて任務も難しさを増している。中にはイデリア戦争戦地6カ月派遣というものまで存在していた。それほどまでに傭兵の需要があるという事なのだろう。俺はTier3でも比較的安全な任務を選択した。
「武器商人護衛か……いいだろう。これにしよう」
武器商人の護衛作戦。武器商人が東方へ出向くための警備を必要としている。報酬はあまり多くは無さそうだが小手調べにはちょうどいい。
「ところでローシェル……」
「何でしょう?」
「いつから俺は君の父親代わりになったんだ……?」
偽りの親子の合間に気まずい空気が流れ込んできた。
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