誰の為に泣いたのか。
死ぬのは怖い。
しかし、本当の事を知るのはもっと怖い。
飛蚊症の件で眼科に行くのをためらう私は、父が健康診断の再検査を無視していた事を知り、あぁ私は父親似なのだなぁと自覚した。
それにひきかえ、母親という生き物はどうして、あんなにも泰然としていられるのか、理解に苦しむ。
そんな母親でも彼女の夫の癌宣告にはさすがにショックを受けていた。
手術は成功したものの、既に初期ではなく進行癌であり、案の定再発を繰り返すことになった。
再発を繰り返す度に、東京の大学病院で入院、最新の施術を繰り返していたのだが、3度目の再発の時、また入院かと東京を訪れたはいいが担当医の教授は、なかなか姿を現さなかった。
「余命3ヵ月」という言葉を告げたのは結局、代理の医者であった。
悲しみよりも悔しさの方が強かったかも知れない。
本人の前で言うなよ。何でお前が言うんだよ。手術の代わりにやっていた、あの施術は何だったんだよ。
父親は余命通りに弱っていった。髪の毛は抜け落ち、身体は痩せ細り。
2008年の夏、私は泣いた。北京オリンピックのテーマソングを聴きながら。衰えた父親の介護に疲れた私は、自分の為に泣いたのだ。
あんなにも汚れた涙があろうか。