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三人の男装者

 久しぶりの学園生活に、ようやく慣れ始めた時のこと。

 今日は日曜日ということあって、やはり僕は暇をしていた。数少ない友人の沢城は部活で忙しいため、外出する予定は完全に消滅。

 幼馴染の春香に関しては、最近アルバイトを始めたとかなんとかで僕と遊んでくれる機会がすっかり減ってしまった。

 何のバイトをしているのか聞いた教えわけじゃないが、どうせ春香のことだから、街に一軒だけある古本屋でバイトをしているのだろう。春香は本の虫だ。悲しい現実ではあるけど、僕と遊ぶのと本を読むのであれば、恐らく春香は本を選ぶはず。


「……」


 そうしてあれこれと考えた末に思いついたのは、恋子とおしゃべりをしようというものだった。僕はこの途轍もない暇な時間を潰すべく、恋子の部屋へと入る。

 いつもであればノックをするのだが、この日はなんとなくしなかった。些細なことだ。かけ違えたボタンぐらいどうでもいい。

 けど時にはそれが引き金となり……とんでもないことが起きることだってある。


「なあ恋子。お前今日ひま――」


 眼前に広がる光景を必死に脳裏におさめようと、じゃなくて、僕は必死に目を逸らした。


「は……はあ⁉ ちょ、ちょっとあんた! いつもノックしろって言ってるでしょ⁉」


 両目を手で隠し、少しだけできた指の隙間から恋子の下着姿を見る。いやね、いつもの僕ならこんなことはしなかったと思う。けど、今回だけは、許して欲しい。

 僕は恋子の兄であることは重々承知しているつもりだが、あれは、あの下着は反則だ。

 だって、縞パン、縞ブラだよ? 純白の下着の次に、僕が好きな下着の柄だもの。これは抗いようがないって。慌てて洋服を着ようとするもありがたいことに、恋子はスカートを穿こうとした拍子に、足が絡まり転倒した。ちょうど両手を後ろ側につき、足は……М字。

 だめだ。これは見ちゃだめだ。さすがの僕も恋子に背を向け部屋を出た。

 後ろから「この変態!」とか「シスコン、ロリコン、バカ兄貴!」とか、いつものように罵声を吐き捨てる恋子から、逃げるようにリビングへと向かう。

 今日一日分の幸福を噛み締めながら、僕はリビングのソファーに座った。


「ふう……」と、息を吐きだしたところで、ようやく着替えを済ませたのか、やたらと気合の入った服装で恋子は僕の目の前に立ちふさがる。


「あんた……覚悟はできてるんでしょうね?」


 胸の前で腕を組み、仁王立ちで僕を見下ろす恋子。


「いいもの見せてくれてありがとな。もう僕は……お前の縞々の下着姿を見れたから、死んでもかまわない」


 きっと、一発どころか百発ぐらい殴られるだろうと歯を食いしばった僕であったが、なかなかパンチがこない。薄らと目を開き確認すると、顔を真っ赤に紅潮させた恋子が身悶えていた。


「どうした? 殴らないのか?」


 八重歯をむき出しにし、目力だけで僕のことが殺せるほどすごい眼差しで睨む。


「うっさい! もう殴る気力もないっての! 変態!」


 おお、助かった。ほっと胸を撫で下ろしたところで、我が家のインターホンが鳴る。「逃げる口実ができた」!と、僕が応対しようと立ち上がろうとした瞬間、いきなりわき腹に衝撃が加わった。


「ぐほっ……!」


 不意打ちだ。床と接吻をする僕を見下ろし、恋子は勝ち誇り顔である。


「今からあたしの友達、この家に来るの。あんたがいるとあたしの株が下がるから、自分の部屋にでもこもってて」


 魚のように口をパクパクとする僕は、何も言い返すことができずただ頷くのみ。


「とりあえず、あたしの部屋に案内するから、あんたはリビングにいるか自分の部屋にいるか、どっちかにして」


 ようやく呼吸が整ったところで、僕は息絶え絶えに言った。


「と、トイレは……どうすれば……?」


「はあ? そんなの自分で考えろっつうの」


 酷い。それはつまり「トイレに行ったらどうなるか分かってんでしょうね?」ということだな。リビングか自室かのどちらかしか居場所がないということは、必然的にトイレに行けなくなる。それならいっそのこと外出しようかと思ったが、恋子の友達のために僕が出かけるのは、いささかおかしな話である。あくまでもここは僕の家だ。妙なところで意地っ張りだな自分。


「はいはい。分かったよ……」


 一先ず適当に返事をしておき、トイレのことは後で考えよう。玄関へと向かう恋子を睨み付け、僕はテレビをつける。


「お邪魔します」


 この声は恐らく裕理の声だ。久しぶり、というか昨日ぶりだ。


「ごめんね、いまちょっと散らかっててさ」


 嘘つけ。いつもこんな感じだろ。僕に対する態度とは明らかに違う恋子に対し、それとなくツッコミを入れる。


「あれ? 恋子の他に誰かいんのか?」


 聞き覚えのないはずの声なのにどこか懐かしいような……。僕は耳を澄ませる。


「あ、えーっと。い、いないよ?」


 とうとう僕の存在ごと抹消されたか。もうお兄ちゃん立ち直れない。


「月人は、今日は出かけてるのかしら? リビングから音がするけどお父さん?」


 裕理の質問に、少し困ったような声色で恋子は言った。


「あ、あれぇ……おかしいなぁ……。もしかしたらテレビ、つけっぱなしだったかもなぁ……」


 どんだけ僕と友達を合わせたくないんだよ。だいたい、僕は裕理と既に知り会いなんだから、今さら隠してもしょうがないだろうに。

 ちょっとだけ落ち込んだ僕は、なんとなくリビングの扉の方に視線を送る。すると、扉の向こうからこちらを覗く裕理と目が合った。僕が軽く手を振ると、裕理も手を振りかえす。


「裕理って……いい子だよな……」


 しみじみと裕理の優しさを噛み締めながら、僕は視線をテレビに戻す。


「恋子? お兄さんがリビングにいるみたいだけど挨拶してきていいかしら?」


「い、いやいや! そんなの必要ないし!」


「そ、そうかしら?」


「そうだよ! ほら、早くあたしの部屋行こう」


 裕理と話ができないことに一抹のさみしさを感じながら、僕はテレビを消した。日曜日の午前中は、あまり面白いテレビがやっていないのだ。

 これからどうしようかと悩んでいると、またもや聞き覚えのない声が聞こえてくる。


「ていうかさ、恋子の部屋って広いの? うち、あんまり狭い部屋には入りたくないんだよねえ」


 低くもなく高くもない、そんな声だ。裕理が来てることを考えると……そうか。この聞き覚えのない声の主は、本名が知音玲緒奈で、芸名が知音レオ。あの子なのだろう。

 ショートカットで弟キャラっぽく、僕が一番応援してあげたいと思った子だ。

 ここで、僕の頭にとある欲求が生まれた。生の知音玲緒奈を見てみたい、という。一番妥当な方法は、お菓子を恋子の部屋まで持って行き「お菓子いるか?」と、気遣いのできるお兄ちゃんを演じつつ、知音玲緒奈の顔も確認。

 しかし、問題が一つだけある。

 恋子に行動範囲を制限されてしまっている以上、迂闊なことはできない。そもそも、下着姿をアクシデントで見てしまい、ただでさえ機嫌の悪い恋子。

 下手なことをすれば、しばらく口を聞いてもらえなくなるのは当たり前として、恋子は春香のやつにあることないことを吹き込む可能性もある。こういう時だけ、幼馴染は面倒である。

 もちろん、いつも勉強を教えてもらったり、なにかとよく接してもらってる部分もあるから、無碍にはできないんだけど。

 さて、どうしようか。

 リビングを歩き回り、とあるドラマのテーマ曲を脳内再生しながら思考を巡らせる。あれこれと考えた末に、とある結論を導き出した。


「仕方ない……。のぞき見をしよう」


 どこら辺が仕方ないのかは置いておいて、やはり、気になるものは気になるのだ。我慢するのは身体に悪いとか何とか、ずっと昔に偉い人が言っていた気がする。つまりはそういうことだ。息を潜め、足音を殺し、僕はニヤニヤと気持ちの悪い笑みを零し階段を上る。

 悪い事だと分かった上で実行に移すのは、ドキドキするものだ。ドキドキするし、ワクワクするし、楽しい。本当にしょうもないけど、どうか僕の悪ふざけに付き合って欲しい。

 まあでも、結局みんなだって期待してるんだろ?

 そりゃそうだよな。男子禁制の女子会という言葉には底知れぬ魅力がある。ようやく恋子の部屋までたどり着き、ちょっとだけ扉を開く。

 わずかにできた隙間から、部屋の中を確認。


「なあなあ、お前の兄貴見せろっての」 


 この声は知音玲緒奈だ。少し馬鹿っぽいしゃべり方ではあるが、許そう。可愛いから。


「だ、だからさ、そんな見せるようなもんじゃないって。ほんとダサいしキモイしウザいから、見なくていいよ」


「そんなことないわ。私はすごく、素敵なお兄さんだと思う」


 裕理の素晴らしい言葉を聞き、心の中でガッツポーズ。


「ほら、裕理がそう言ってるんだから相当カッコいいんだろ? もったいぶるなよな」


「いやいや、無理。あれは本当に無理。玲緒奈の琴線に触れるような男じゃないから」


「じゃあいいよ。うち、今からリビング行って確かめてくるし」


 え、リビング? まずいまずい。非常にまずい。

 僕は慌ててリビングに戻ろうとするも、階段を下りる途中で足を滑らせ、転がり落ちる。


「だぁぁぁぁぁぁ!」


 後頭部を強打し、思わず意識を失いそうになるもどうにか堪えて立ち上がる。しかし、足取りがおぼつかないせいでますます事態は悪化した。

 よろよろと立ち上がった結果、玄関に設置された靴箱に足の小指をぶつけ、その場に倒れ込み悶絶。そこでちょうど、知音玲緒奈は恋子の部屋から出て来た。

 最悪なことに、裕理も恋子もぞろぞろと部屋から出て来たのだ。


「「「……え?」」」


 三人同時に戸惑いの声をあげる。

 まあ恐らく僕も、あっち側から僕を見たとしたら意味が分からず困惑するだろう。

 簡単に説明するぞ。

 いまだに痛む小指。当然僕は、立ち上がることなどできない。ここだけ説明をすれば、大したことはない。だが、問題は次だ。

 痛みに悶える僕は、ちょうど玄関の扉に向かって土下座をしているような体勢である。

 両手を前に突き出し、額を床に密着させ、言ってしまえばお祈りをしているようなポーズ。あまりの痛みに悶えている僕の事情など知るはずもない三人は、僕のことを確実に頭のネジが何本か外れてしまったのだろうと思うはず。


「ち、違う……。違うんだ……三人とも……」


 必死に声をしぼり出したと言うのに、三人とも僕の存在など初めからなかったことにして、聞こえないフリだ。


「まあ、恋子。お前も大変なんだな、色々」


「うん……まあね……」


「やっぱり。男の人は良く分からないわ」


「うん……そう、だね」


 静かに恋子の部屋が閉じられたところで、痛みが引く。後悔してもしきれないほど僕は後悔をし、涙目になった目を擦りながら、リビングへと戻った

 陽が沈む時刻に差し掛かる。僕はリビングの窓から夕日を眺め、「明日からどうしよう……」などと、悲しみに暮れる。もう二度と悪いことはしない、そう神に誓った。


「お邪魔しました」


「邪魔したぜ」


 結局、知音玲緒奈の顔を見るどころか裕理から引かれ、恋子から引かれ、今日は散々な一日になってしまった。二人が出て行ったのを確認し、あの三人のうちの誰かがつけていたのであろう、爽やかな香水の残り香を嗅ぎながら、僕はトボトボと自室へ戻る。二人を見送っていた恋子は家に戻り、僕の背中を追うように階段を上る。


「ねえ、そこのバカ兄貴」


 放っておいて欲しかったが、恋子は僕に言う。


「さっきは玄関で、何やってたの?」


「なんでもねえよ……」


 僕が逃げるようにして自分の部屋の扉を開いた瞬間、恋子はわけの分からぬことを言った。


「ありがと」


 なんだ? とうとう恋子までおかしくなっちゃったのか? 僕は訝しげな表情で言った。


「いや、僕は何もしてないから……」


「そうなの? あたしはてっきり、一発ギャグでも披露したのかと思ったんだけど、違った?」


 まさかのアホっぷりを披露し、恋子は的外れもいいところな勘違い発言をした。 

 そうか……その手があったか。僕は引きつった笑顔で言った。


「そ、そうそう……! 一発ギャグだよ! はは、よく分かった――」


「嘘つくな。あんた、あたしの部屋覗いてたでしょ?」


 ギクッと身体が固まり、僕は思わず息を呑む。まさかばれているとは。何か弁解しようかと思ったものの何も思いつかない。 


「ちょうど、あたしの位置からだと、微妙に扉が開いただけでも分かるっての。本当にまあ、ばれたのがあたしで良かったじゃん」


「面目ない……」


 いますぐにでも土下座してしまおうかと思ったが、横目で恋子の顔を見て、すぐにやめる。

 どういうわけか、申し訳なさそうな顔をしていたのだ。


「その……ごめんなさい。リビングから出るなとか、部屋から出るなとか、滅茶苦茶なこと言ってごめん」


「いや、いいよ別に。気にしてないからさ……」


 もしかしたら初めてかもしれない。恋子がこうして、僕に謝るのは。予期せぬ展開に混乱しながらも、恋子の言葉に耳を傾ける。


「だから……次、玲緒奈とか裕理が来る時は、ちゃんと紹介する」


「お、おう……」


 恋子はそれだけ言い残し、部屋に戻ろうとするも、何かを思い出したように振り返った。


「そうだ。次からは、今日みたいなこと絶対にしないでよ?」


「分かった。約束する」


 まあ、中学二年生ともなれば、何かと多感な時期である。いつもいつも僕のことを罵倒しているが、たまには、今日みたいな日もあるのだろう。

 身も心も疲れ切った僕は、部屋に戻るとすぐに、ベッドに横たわるのであった。


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