幼馴染はしゃべるのが遅い その①
小鳥のさえずりを聞きながら、僕は大きく背伸びをした。
「やっと終わったぁ……!」
机に広がる勉強道具をカバンに詰め、僕は早くも制服へと着替えることに。時刻は午前七時。ギリギリではあったが、ようやく終わった。
そう、たまりにたまった春休みの宿題が、ようやく終わったのだ。
眠気が押し寄せ、少しだけ仮眠をとろうか迷う。だがやはり、このまま寝てしまえば遅刻することは間違いない。
あくびを噛み殺しながら、ちゃっちゃと制服へと着替えを済ませる。
リビングへ行くと、既に準備万端な恋子がソファーに腰掛けていた。
「よう、早いな」
恋子はあからさまに不機嫌な顔をして、「話しかけないでくんない?」と目で合図をする。昨日のあの恋子が嘘みたいなほど、今の恋子はうざい。ムカつく。
僕はわざとらしく鼻をさすることに。
「ああ……やっぱまだ、鼻が痛い……。まあ、あんなに全力で殴られちゃあ……そりゃそうか」
「ふうん。そんなに痛いなら病院行けば?」
だめだ。嫌味が通じない。僕は生意気な恋子を一瞥すると、冷蔵庫の中身を確認。
「あれ、僕の買っておいたサンドイッチは?」
恋子に背を向けたまま話しかけるも、反応はない。
「おーい、恋子さん。僕の言葉、聞こえてる?」
テレビを観ているから、あくまでも聞こえないフリを続ける気のようだ。
「まな板――」
「なんか言った?」
「いえ、何も……」
聞こえてるじゃないか。しっかり。
僕は恋子の背中を睨みながら、冴えない頭で考える。恐らく、僕が買っておいたサンドイッチは今ごろ恋子の胃の中を彷徨っているのだろう。その証拠に恋子がさっきこちらを振り向いた時、口の周りにポテトサラダのクリームがついていたのだ。ああ、ちなみに。僕が買ったのはポテトサラダのサンドイッチである。
決定的な証拠を口元につけているアホは放っておいて、僕は朝ごはんを食べることを諦めた。身も心も、徹夜で勉強したおかげで、すっかり疲れ切っている。
いつもなら、軽い朝食を作ることなど容易いが、今日はダメだ。無理。絶対無理。
恋子が料理のできる妹なら、などと淡い期待を寄せるだけ無駄ってものだ。とにかく恋子は、不器用なのだ。
裁縫もだめ、料理もだめ。女性なら身に着けておくべきスキルが、悲しいほどにない。
尽きない嫌味を言うことは諦め、僕はソファーに座る。
もちろん恋子の隣ではなく、対面だ。
「お、デンゾじゃん」
恋子がどこにいるのかと一生懸命、画面を見るも、ダンスの動きが激しすぎるためなかなか視線が追いつかない。
「いま右端で踊ってるのがあたし」
決してこちらを見ようとはせず、恋子は真剣な表情でテレビを見つめる。僕は言われた通りに右端を見ると、確かにそれっぽい人がいた。それにしても、女性と教えてもらわなければたぶん誰も気づかないだろう。現にこの僕だって、昨日まではまったく気づかなかったわけだし。長く垂れ下がった後ろ髪を結い、いわゆるポニーテールにしている恋子。いや、デンゾの時は、東條恋太郎だったっけ。
とにかく、その東條恋太郎はとんでもなくイケメンで、三人いるデンゾのメンバーのうち、二番目に人気だとか。ああ、これはあくまでも恋子の意見だから本当のところは知らない。
それで、一番人気が昨日話したあの裕理である。デンゾの時は赤星裕。あの特徴的である長髪を、結んだりはせずそのままだ。なんというか、落ち着き払ったクールな青年と言った感じで、恋子より人気があるのも頷けてしまう。
最後に、ショートカットの子。見るからに子供っぽく、いわゆる弟キャラというやつだろうか。クリクリとした瞳が可愛らしく、これは男だろうが女だろうが、そんなものは関係なしに可愛いと思える。
純粋そうな見た目に、愛くるしいこの笑顔。
そうだな。たぶん僕だったら、この子を一番応援してあげたくなる。
「なあ、恋子。このショートカットの子、なんて名前?」
あからさまに嫌そうな顔をしながら恋子は言った。
「知音玲緒奈。デンゾでは知音レオっていう名前で活動してる」
へえ……。
「この子いいな」
盛大に舌打ちをかます恋子。
「うざ。あんたはあたしの兄貴なんだから、あたしを応援しなさいよ」
「なんだお前。今日はやけに素直だな」
「うっさい。いま集中してるから話しかけないで」
口調こそ厳しいが、表情は違う。少しだけ頬を赤らめ恥じらっているのだ。
「そうかい。そいつは失礼しましたよっ……と」
このまま意味もなく話かければ、どんな罵声を浴びせられることやら。長年の兄妹生活を経て、僕はようやく理解した。引き際が肝心なのである。
ソファーから立ち上がり、そのまま自室へと戻る。少し早いが、僕は学校へと向かうことにした。