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妹はアイドル? その②

 突然の来訪者によって、僕は目を覚ます。インターホンが鳴ったことで僕の意識が一気にクリアになった。

 時計を確認してみれば、意外と時間は経っておらず、だいたい三時間程の昼寝をしていたようだ。再びインターホンが押され、僕は慌ててベッドから起き上がる。

 恋子はどこかへ出かけたのだろうか。少し乱れた髪の毛を整えながら、僕は玄関の扉を開く。


「初めまして。恋子さんのお兄様でいらっしゃいますか?」


 もっとキチンとした服装にすればよかった……。こんなヨレヨレの寝巻姿で応対するのは気が引けるというか、見るからにどこかのお嬢様っぽい洋服を着た女性が僕の目の前に立っていた。艶やかな黒髪が風になびくたびに、女性特有のシャンプーの香りが僕の鼻腔をくすぐる。

 僕がこの女性と同じシャンプーを使っても、恐らくこうも香しい匂いは出せないだろう。


「あ、あの……?」


 困惑した女性の一言で、しばらくボーっとしていた僕はすぐに意識を取り戻す。


「は、はい。僕は恋子の兄ですけど……今日はどういった御用で?」


「恋子さんに会いに来ました。今はお出かけですか?」


 玄関の靴を確認し、恋子が出かけていることが分かる。


「そうですね……。ちょっと今は、出かけているようで」


 やたらと端整な顔立ちで、女性は少し落ち込んだような表情をする。


「もしよろしければ、僕が恋子に用件を伝えておきますよ」


 恋子とはどういう関係なのだろう。明らかに年齢が、僕と同じか、それ以上の見た目をしているこの女性。凄く気になる。

 しばらく黙って女性の言葉を待つも、なかなか話そうとはしない。顎に手を乗せ、ジッと何かを考えているその様は真剣である。それは正しく名刀のごとく、鋭い。


「お兄様、少しお時間よろしいですか?」


「へ? ぼ、僕ですか?」


 コミュニケーション能力に満ち満ちている僕でも、この美少女を前に臆した。


「はい。あなたです」


 あなた、などという色っぽい言葉に僕の心臓が撥ね上がる。もっぱら恋子にあんたと言われているものだから、ここまで丁寧な呼ばれ方だと緊張してしまう。


「あの……失礼ですけど、恋子とはどういった関係で?」


 もしかしたら、何か悪質な勧誘かもしれないからな。美人を見たら悪人と思え。それが僕の親父の格言だ。女性はハッとしたような顔をして、すぐに頭を下げ言った。


「失礼しました。名前も名乗らず申し訳ございません」


 間違いない。この女性はお嬢様だ。一つ一つの仕草に、溢れんばかりの気品さがあり、いまの頭を下げる動作を一つとってみても完璧だ、完璧すぎる。


「い、いえいえ! とんでもないです……」


 両手をバタバタと振り、よく分からないけど僕は頭を下げる。


「私、赤星裕里あかほしゆうりと申します」


 ニコリと笑みを零し、女性は僕を見る。


「恋子さんとは、デンジャラスゾーンというグループのメンバー同士ということで、今日はこうして、訪問させていただきました」


 なるほど。男装をした女性の集まりだと恋子は言っていたが、どうやらそれは本当だったようだ。どこをどうしたら男っぽくなるのだろう。とりあえず僕は一言。


「は、はあ……」


「失礼ですが、お兄様のお名前は?」


 名乗るほどの者じゃない。よっぽどそう言ってやろうかと思った。だってさ、明らかに僕よりも上流階級の人間に、自己紹介をするなんて恥ずかしいじゃん? とは言っても、ここで名乗らなければそれはそれで失礼である。


「僕の名前は、月人です。東條月人です」


「そうですか。それでは、月人さんと呼ばせていただきますね」


「どうぞ。それなら、僕はあなたを――」


 言葉を遮り、女性は言う。


「裕理と呼んで下さい」


「あ……了解です」


 それでこの人は何歳だ? 僕の思考を先読みでもしたのか、裕理は言った。


「私は十八ですが、月人さんは?」


「十七です。それじゃあ裕理の方が年上だから、僕のことは月人って呼んで下さい」


 少し頬を膨らませ、裕理は歳不相応な顔をする。


「嫌です」


 いきなり、意味の分からない否定をされたので僕は首を傾げた。


「嫌です。そういうの」


「なんで……ですか?」


「年上だからとか、そんな理由で敬われるのは私あまり、好きじゃないです」


 見上げた人だ。こんなに素晴らしい台詞を言える人は、そういないはず。僕はすっかり、顔も性格も素晴らしい裕理に魅了された。


「月人さん、いっそのことお互いに敬語を使うのはやめませんか?」


 特に断る理由もないので、僕は二つ返事で「いいですよ」と、答える。


「はい、それじゃあいまから敬語はなしです。それでいいわよね、月人?」


 これはこれで、また良い。

 月人さんという響きも嫌いじゃないが、女性から月人と呼び捨てにされるのもまた違った喜びがある。なんだか変態チックだけど気にしない。


「じゃあ、改めてよろしくな、裕理」


「ええ、よろしく」


 気づけば僕らは握手を交わしていた。お互いの手を握りあう、握手だ。今日はけっこう寒いのか、裕理の手はすっかり冷え切っている。


「裕理、僕の家に入る? 手が冷えてるみたいだから、何かあったかい飲み物でも作るよ」


 こんなにも気さくに年上の女性と話せるなんて。しかも、自然の流れで家に招き入れるなど、とんだテクニシャンだな。


「それじゃあ……そうしよう、かしら」


「どうぞどうぞ。汚い家だけど」 


 玄関に散らかる靴を蹴っ飛ばし、裕理のためにスペースを空ける。とりあえず裕理をリビングへと案内し、お湯を沸かす。その間に、僕は自室へと戻ってジャージへと着替えた。ジャージは確かにダサいけど、寝巻よりはマシだろう。


「そろそろ沸騰する頃かなぁ……って――」


 僕がリビングへと戻ると、テーブルには何時の間にか二つのティーカップが用意され、ポット片手に微笑んでいる裕理の姿が。


「ちょ、ちょっと。裕理はお客さんなんだから、そんなことしてくれなくてもいいのに……」


 僕の言葉に耳を貸すことなく、裕理は作業を続ける。仕方なく僕は、その様子を無言で見守ることにした。鼻の高い裕理の横顔に見惚れていたわけではないのであしからず。

 裕理はティーポットの中に少しお湯を入れると、すぐにティーポットからティーカップへとお湯を注ぐ。全てを注ぎ切ると、ここでいったん作業を中断。


「何やってるの?」


 紅茶の知識が皆無な僕は、さっぱり裕理の行動の意味が分からない。


「ティーカップを温めてるの。こうした方が、美味しい紅茶ができるから」


 作業を再開し、今度はティーポットの中に茶葉を入れた。続いて、沸騰したお湯をもう一度ティーポットの中に入れ、これまたしばらく作業を中断した。

 僕はこの一連の作業を見て、「面倒だな」と思う。こんな面倒なことをするぐらいなら、もはや紅茶などは飲まない。少なくとも、僕だけではなく親父や恋子も同じようなことを言うだろう。僕らは大雑把な性格だからさ。


「手間がかかるわよね、紅茶って」


 裕里は言う。


「こうして、ちゃんと段階を踏まないと同じ茶葉でも味は変わるの」


「奥が深いんだな、紅茶って」


 ありきたりな感想しか言えないが、何も言わないよりはいいだろう。

 裕里は僕をジッと見つめ、言った。


「面倒なことから目を逸らしてばかりいると、幸福は味わえない」


 何だか僕の性格を真っ向から否定するような言葉である。面倒なことから逃げ、常に楽な選択をしてきた。そんな僕は、やはり、自分の人生を退屈だと思ってしまう。悪いとは言わない。けど、決して良いものだとも言えない。

 突っ立ったまま表情を暗くした僕を見て、裕理は不思議そうな顔をした。


「月人? 何だか顔色が悪いわ」


「いや、色々と思う節があって」


 上品に笑い、裕理は言った。


「月人だけじゃない。私も同じよ。いつもいつも、逃げてばかり……」


 ティーカップからお湯を捨て、裕理はようやく紅茶を注ぎ始めた。紅茶の匂いがふんわりと漂う。僕は遥か昔に行ったことのある喫茶店を思い出す。散歩の途中、何ともなしに入ったのだが、そこのお店の紅茶が格別に美味しくて、今でも忘れることができない。結局、もう一度行こうと思った時には、そのお店は潰れてしまっていた。

 懐かしい思い出に耽りながら、僕は裕理からティーカップを受け取る。

 二度、三度と匂いを嗅ぎ、少し紅茶を口に含む。


「美味しい……」


 やはり、時間をかけた甲斐があったのか、裕理の淹れた紅茶は非常に美味しいものであった。


「さっきの話の続き」


 ティーカップを見つめながら、裕理は言う。


「私はデンゾのリーダーでね、色々と他のメンバーのことを気遣っているんだけど、どうにも恋子さんとは上手くいかないことが多くて……」


「そりゃあ、まあ。あいつはかなり我が強いからな……」


 裕理の苦労が目に見えるようで、僕は顔を顰める。


「テレビへの露出が増えるごとに、私と恋子さんの距離は遠ざかるばかり」


「どうして?」


 一度紅茶を啜ってから、裕理は言った。


「テレビ出演するとなれば、色々と気をつけなきゃいけないでしょう? それで私が恋子さんを注意してしまうの。リーダーを任された以上、細かいことでも伝えなきゃいけないのよ。つまり、私は嫌われ役を演じなきゃいけないということね」


 僕は裕理みたいに、人の上に立つ役目を任されたことがないから、いまいち共感できない部分はある。ただ漠然と、「大変だな」という感想を持つことしかできない。

 悩みを聞いてあげたい気持ちで山々であったが、僕の経験では何も助言できない以上、それとなく話を戻すことに。


「それで裕理は結局、恋子にどんな用事があったの?」


 少し話し足りないような顔をしたが、裕理はすぐに笑顔で呑み込んだ。


「ネット上で私と恋子さんの不仲説が流されて、それを聞いた私のファンが、恋子さんに嫌がらせの手紙を何通も送る始末なの……」


 今の話を聞き、なんとなく状況が見えてきた。恋子の部屋に落ちていたあの手紙、あれは間違いなく裕理の言った嫌がらせの手紙なのだろう。

 そして、何度かそんな手紙を目にしていくうちに、とうとう恋子は精神的にやられ、ああして落ち込んで……。だから恋子は、僕なんかに何が分かるのかと怒っていた。

 ようやく、いや、遅すぎる納得をした僕は裕理に言った。


「要するに、恋子を励ますために今日裕理は来たんだな?」


 小さく頷き、裕理は言った。


「でも、こうして来たまではいいけど、何をどう励ませばいいのか分からなくて……」


 本気で恋子の力になりたい。裕理の瞳を見れば見るほど、それがよく分かる。穏やかな表情の裏腹に、この瞳には熱い情熱がこめられているのだ。人気アイドルグループ、デンジャラスゾーン。メンバーが全員、男装をした女性。

 秘密を抱えている分なにかと苦労が多いはず。有名人であるというだけでも、かなりの負担を強いられるというのに、それでも、こうしてわざわざ恋子を励ますため裕理はやってきた。

 そんな裕理はいま、どうすればいいのか分からず悩んでいる。僕の目の前で悩んでいる。さっき出会ったばかりの、言ってしまえば他人である。けど、放っておけるわけがない。

 本当に、親父とお袋のせいだ。

 中途半端に正義感が強く、自分の目の前に困っている人がいれば手を差し伸べてしまう。まあ、目の前に困っている人がいなければ助けたりはしないけど。

 とにかく、僕がすべきことは一つだけだ。


「裕理、聞いてくれ」


 僕は言う。


「恋子の件は僕に任せろ。やっぱり、妹のことは兄である僕が一番よく分かってるし」


「で、でも――」


 納得のいかない顔をした裕理の言葉を遮り僕は続ける。


「分かってる。全てを僕に任せるんじゃ、納得いかないんだろう? だから裕理にもちゃんと、やってもらうことはある」


 裕里は紅茶を飲むことも忘れ、僕の話に夢中である。

 僕はこれから行う恋子を励まそう大作戦を決行するべく、裕理としばらく話をすることにした。


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