体育館ってどんな匂い?
「おい東條! 聞いたか、デンジャラスゾーンが解散するってよ!」
登校して早々、教室内はざわついていた。もちろん、この沢城とて同じである。バスケ部の朝練をサボってまで、クラスメイトと話したいことがあるみたいだ。
僕はとりあえず席に座り、両手をバタバタと動かす沢城に言った。
「らしいな。ニュースでもずっと、その話題で持ち切り出し」
らしい、などと言っているが、僕には前々から予想ができていた。というのも、裕理の悩みを聞いたあの日、間違いなく裕理は、いや、デンジャラスゾーンは、解散をする方向に持って行くだろうと確信したのだ。
心の底から楽しめないのに、アイドルなんてやってられない。僕がアイドルだったとしても、きっとそう思う。
裕理とカラオケに行ってから約一週間。恋子や玲緒奈や裕理から、色々な話を聞いた。自分たちはどうあるべきか、そして、これからどうしていくべきか。
何故僕を交えて話し合いをしたのかは分からないが、たぶん、第三者の存在なしに、話を進めていっても意味がない。自分たちの意見だけで判断するのはまずい。そう思ったんじゃないかな。
もっとも、恋子の部屋で話をするならまだしも、僕の部屋で話し合いが行われたのは、最大の謎であるが、それはいいとして。
僕のクラスのみならず、学校中が大騒ぎするほど、デンジャラスゾーンの解散は衝撃的であったようだ。
頬杖をつき、沢城の話を聞き流し、窓の外を眺める。
「おい、聞いてんのか東條」
「聞いてる聞いてる」
「言葉を二回繰り返す時は、だいたい聞いてないんだよな、人間って」
沢城はそう言い残し、クラスの女子やら男子やらと再び、解散の原因をあれこれ語るのであった。
「月人君」
馴染みのある声が背後から聞こえた。どうせ春香だろう。振り返らずに、適当な返事をする。
「なんだ」
わざわざ僕の目の前に来て、春香はニコリと笑う。
「恋子ちゃんから聞いたよ。なんだか、色々と大変みたいだねえ……」
「そうみたいだな」
「すごい他人事だなぁ……。でも、月人君が一役買ったんでしょう?」
一役買ったのだろうか。僕はただ、裕理とカラオケに行っただけである。と、ちょっとカッコつけてみたり。実際、デンジャラスゾーンが解散するきっかけとなったのは、僕の一言なわけで、そう考えれば、一役買ったと言うのは正しい。
僕は相変わらず、素っ気ない返事をした。
「そうかもしれない」
すると、春香はにへらと笑い、言った。
「月人君は、困ってる人がいると、放っておけないんだよねえ?」
むかつく言い方だ。語尾を上げ、まるで僕をおちょくるかのようだ。
「別にそんなんじゃない。ただ、アドバイスをしただけだし」
「アドバイス? それって結局、人助けってことでしょう?」
「ああ、もう。しつこいぞお前。それからウザい」
瞳を潤ませ、春香は落ち込む。さすがに言い過ぎたかも、とは思うけど、今日の春香はいつもよりウザいのだ。いや、いつもはウザくないが、今日はウザい。
時計を見て、ホームルームまであと五分ほどだと確認し、僕は席を立った。
「月人君、どこ行くの?」
「ちょっとトイレ」
「行ってらっしゃい」
さっきから表情がコロコロとよく変わる。笑ったりへこんだり。そんないつもとは少し違う春香を一瞥して、僕は教室を出た。
僕ら二年生の教室は、校舎の二階にあり、トイレは各階に設置されている。しかし、やたらと二階の男子トイレが混んでいたので、僕は一階へと下り、一年生がちらほらといるトイレで用を足した。
ハンカチで、濡れた手を拭きながらトイレを出る。
男子トイレと女子トイレは隣り合っているため、トイレから出る瞬間にぶつかってしまうことが稀にあるのだ。
少しだけ慎重な足取りで歩き、左右を確認。
「「あっ」」
二人同時に声をあげた。
なんていうか、こいつとは偶然、遭遇することが多いような気がする。この前のコンビニもしかり、今回もしかり。
僕は、女子トレイから出て来た玲緒奈と遭遇したのである。
そもそも、玲緒奈は僕と同じ高校だったのかということに驚いた。確か、十六歳だと言っていたから、そう考えると玲緒奈は高校一年生。
「へえ、月人ってうちと同じ高校だったんだ」
玲緒奈は僕にそう言って、まじまじと見つめる。
「玲緒奈こそ、僕と同じ学校だったとはな」
頭のところで腕を組み、玲緒奈は楽しそうな表情をした。
「まっ、本当のこと言っちまえば、知ってたけどな。お前がここの高校だってことは」
「そうか。それじゃ」
会話を早々に切り上げようとするも、玲緒奈に足止めをされる。
「おいおい、ちょっと待てよ。そりゃないぜ、月人」
「もうすぐ授業始まるから、話があるなら後で聞いてやる」
玲緒奈はショートカットの髪の毛を揺らし、やや大袈裟に言った。
「まじで? それじゃあ、今日の昼休み、一緒に昼飯食べようぜ! っと、そうだそうだ。月人の連絡先教えてよ」
話を聞くということから飛躍し、何故か昼飯をともにすることに。まあいいか。とにかく僕は、さっさと教室に戻りたかったので、携帯を取り出し、玲緒奈に渡す。
「ほらよ、早くしてくれ」
しばらく僕の携帯をいじっていた玲緒奈だったが、突然、怪訝な顔をする。
「お前……友達いないのか?」
「……なんで?」
「だって、アドレス帳、片手で数え上げられるぐらいしか、登録されてないじゃん」
「僕は友達が少ないだけで、いないわけじゃない。勘違いするなよ」
自分で言っておきながら、途轍もなく恥ずかしい思いがこみあげる。穴があったら入りたいどころか、棺桶に入ってそのまま死んでしまいたいぐらいである。
だって玲緒奈のやつ、すげえ同情の眼差しで見てくるんだもん。
「わ、分かった、そういうことにしておいてやるよ」
上から目線な発言に、多少の苛立ちを覚えたが、それについてとやかく言うつもりはない。時間がないからな。
連絡先の交換を終え、僕が階段を上ろうとした時、玲緒奈はいつになく女の子っぽい口調で、こう言った。
「じゃあね、先輩。また後で」
先輩という言葉が何度もエコーし、僕はその場でフリーズ。きっと、にやけてしまっているに違いない。顔中の筋肉が緩み、にやけずにはいられなかったのだ。
「先輩か……」
しばらく玲緒奈の背中を見送ってから、僕は自分の教室へと戻った。
数学の宿題を忘れ「いや、やったんですよ? やったんですけど、家に置いてきちゃって」と、先生によくある言い訳をしたり。
世界史の教科書を忘れ「えっと、その、教科書を……見せてくれたりしないかなー。なんちゃって」と、隣の席の女子に、滅茶苦茶いやな顔をされつつも教科書を見せてもらったり。
とにもかくにも、午前中の授業は散々な目にあった。
全て自分が悪い。けど、今日はとことん運が悪い。そう、悪いのは僕じゃなく、運なんだと、責任転嫁をしているうちに昼休みをむかえる。
「月人君、今日はちゃんとお弁当作ったの?」
もうお決まりとなった、春香との昼食。しかし、今日はそういうわけにもいかない。僕はこれから、玲緒奈と一緒にお弁当を食べるのだから。
春香が椅子をこちらまで運ぶ前に、僕は言った。
「悪い、春香。今日はちょっと、玲緒奈と昼飯を食べる約束をしててさ」
「玲緒奈? えっと、恋子ちゃんの友達の?」
「そうそう」
不機嫌そうな顔をする春香を目にし、少し疑問に思うも特に気にせず、お弁当片手に僕は立ち上がる。すると、どういうつもりか春香は僕の背後にぴったりくっつく。
「なに? 今言った通り僕はこれから――」
「あたしも一緒に行く」
頬を膨らませ、子供みたく拗ねた態度だ。
「なんで?」
「なんでもないもん」
お弁当を右手から左手に持ち変え、春香はちょっとだけ視線を下にした。嫌な予感がした僕は、走って逃げれるよう準備をする。カバンから自作のお弁当を取り出し、しっかりと持つ。踵を踏んでづけていた上履きを履き直し、準備完了。
ゆっくりと春香の視界から姿を消そうとしたその時、春香は小さな声で言った。
「月人君と……」
月人君と? 続きが気になり、僕は春香の言葉を待つ。
「月人君と……一緒にいたい。あたしは月人君とずっと一緒に! ずっと……」
教室は静まり返る。春香が僕に公開告白をしたみたいになってしまった。僕は慌てて言った。
「な、なんだよいきなり⁉ 今日のお前、やっぱりなんか変だぞ……?」
春香は頬を赤く染め、見ているこっちまで照れてしまう。徐々に教室は喧騒を取り戻し、いつも通りになった。けど、そんな教室で一人、元通りにならなかったやつが。
「あたしじゃ……だめなの? あたしじゃ月人君の隣に……立てないのかな……?」
スカートをギュッと掴み、わずかに肩を揺らす。
「だからその、僕の彼女みたいな口ぶりはやめてくれ。本当にお前、どうしたんだよ。何か嫌なことでもあったのか?」
春香は咄嗟に髪の毛を触り、寝癖一つない綺麗な髪を何度も整える。
「ご……ごめんなさい」
謝罪をされたことで、決まりの悪くなった僕は、鼻をさすり言った。
「別にいいけど……。とりあえず、春香も一緒に来る?」
「ううん……やっぱりいいや。ごめんね……」
背中を丸め、しょんぼりする春香が可哀想に思えたが、いまいち状況の呑みこめない僕は、そのまま春香を置いて教室を出た。
そして、僕が教室を出るのとほぼ同時に、沢城も出て来る。トイレにでも行くのかと思い、特に話しかけたりはせず、歩みを進めようとした。だが――
「おい東條。お前、ちょっと来いよ」
やけに低い声で沢城が僕にそう言った。一年二組の前で、玲緒奈と待ち合わせをしている僕は、階段とは逆方向にいる沢城のもとへと歩く。
「なんだよ」
「お前、気づいてんだろ」
「気づいてる? 何が」
「鈍感なフリ……ねえ」
沢城は鋭い眼差しで僕を牽制。少し呆気にとられるが、すぐに持ち直して僕は言った。
「意味が分からん。言いたいことがあるなら、ハッキリ言え」
しばらく黙り、沢城は頭をポリポリと掻く。こういう何てことのない仕草ですら、さすがはイケメンというか、沢城が輝いて見える。
「東條……、俺はお前と春香ちゃんの関係を良く知ってるわけじゃあない。でも、それでも、俺には分かるぜ。春香ちゃんの気持ちが」
寝言は寝て言え。そう言ってやろうかと思うも、怖いぐらい真剣な表情の沢城を目にし、僕も表情を硬くした。
「春香の気持ち? なんだよ、言ってみろ」
長いため息をつき、沢城は言った。
「そうだな……やっぱり、こういうのは本人の口から告げるのが筋ってものだろうから、俺からは何も言えない」
いくら鈍感な僕でも、気づく。恐らく、沢城は間接的に教えるため、こうしてわざわざ回りくどい方法をとったのだろう。
いや……違うな。これはもう、鈍感なフリをしていた僕でも、気づかざるを得ない。退路を断たれてしまったわけだ。僕だってまともな感性を持ち合わせているさ。色恋沙汰にだって興味があるし、女性の気持ちだって少しは分かるつもりだ。
春香の気持ち……か。
「なあ沢城。もしお前に幼馴染がいたとして、その幼馴染がお前のことを昔から好きだったとする。だとしたら、お前はどうする?」
沢城は意外そうな顔をして、僕の顔を見た。
「俺に幼馴染ねえ……。まあ、実際にいるわけじゃないから、なんとも言えないけど、たぶん俺だったら、その幼馴染と付き合うと思うぜ」
「どうして?」
「だって、幼馴染ともなれば、お互いのこともよく分かってるだろうし、彼女にするには好条件だろ。顔とかは一先ず置いておいてさ」
さも正論を言ったかのように、沢城は堂々とした面持ちだ。確かに、僕が投げかけた質問に正解なんてないし、人それぞれだろう。
だが、僕は違う。僕の意見は、沢城とは違うのである。
「春香はさ……」
僕は言う。
「ちょっと地味だけど、顔は悪くないし、性格も良い。だから普通の男だったら、もし春香に告白されれば、二つ返事でオッケーするとは思う」
「じゃあ――」
言葉を遮り、僕は言った。
「でも、春香は僕の幼馴染なんだよ。これは僕の勝手な都合だけど、怒らないで聞いてくれ」
沢城は肩を竦める。
「幼馴染ってさ、けっこう心地良いもんなんだ。友達以上、恋人未満ってやつなのかな。そういう関係は、悪くはない」
少し昔のことを思い出しながら、僕は続ける。
「いつだったかな……僕は春香のことを、好きだった時期があって、しばらくまともに話もできなかったんだよ。意識すればするほど、苦しくて……辛くて……」
胸がチクリと痛み、僕は顔を顰めた。
「とまあ、そうこうしてるうちに、僕は思ったんだよ。春香とは一生、幼馴染でいれたら、一生仲良しでいられたら、ってな」
付き合ったりすれば、いつかは別れることになるだろうし、その後も後腐れなく良好な関係を築けるとは思えない。
だから、だから僕は、春香の気持ちを薄々感じながらも、鈍感な男を演じ続け、今にいたる。
「お前は、春香ちゃんの気持ちを考えたことがあるのか?」
さきほどのような威圧感はすっかり消え、沢城は落ち着き払った声色でそう言った。
「春香を傷つけてる自覚はある。でもそれ以上に、僕が傷つくのが怖いんだよ……。春香と付き合って、それで終わりを迎える時が来たら、僕はどうすればいい……? もう二度と、春香と関わることのない生活を送る羽目になったら、僕はどうすれば……」
沢城は、僕の言葉に返答をすることなく黙った。ひたすら黙った。何かを考えているというより、何も考えていないような、そんな顔である。
僕から視線を外すと、ようやく沢城は口を開く。
「先のことばっか考えてたら、前に進めないだろうが、アホ」
「そうだな……。僕は確かに、アホだ」
「お前はやっぱ、恋愛には向いてない。いま改めて、俺はそう確信したよ」
恋愛に向いてないか。それはまあ、言えてるけど。
「それじゃ、俺は教室に戻る。悪いな、引き止めて」
「いや、いいよ別に」
片手を上げ、お互いに「また後で」と言うと、僕は玲緒奈のもとへと急ぐ。沢城が教室へ戻るなり、なにやら大爆笑が沸き起こった。
残念なイケメン沢城は、きっと変顔でもしてクラスを盛り上げたのだろう。よく、授業中に変顔をして、僕を笑わせようとしてくるし。
沢城はそういうやつだ。人一倍、他人に気を遣い、他人のために努力する。とてもじゃないが、僕には真似できない。そんなお人好しな性格は、真似しようとも思わないけど。
「あ、遅っせえよ、月人! 何時間待たせる気だ、てめえ!」
ああ……ここにも残念な美少女が。沢城にしても玲緒奈にしても、最近こういうタイプの人間は流行っているのだろうか。見た目は完璧、中身は残念。まあ、見た目も中身も残念な僕が言えたきりではないけどな。
「悪い、ちょっと用事ができちゃってさ。そんじゃ、どこで飯食べる?」
平らな胸の前で腕組をして、玲緒奈は不機嫌な顔で言った。
「お前が考えろよ。うちを待たせたんだから」
「はいはい。それなら、屋上――」
「脚下」
即答だ。拒否するなら自分で考えて欲しい。
「食堂は?」
「やだ」
「……教室?」
「そんなの無理に決まってんだろうが! 教室なんかで昼飯食べたら、うちと月人がカップルみたいに見えるっての」
残された選択肢は……ない。
「もうないんだけど……? 文句言うなら、お前が決めろ」
僕が投げやりにそう言うと、玲緒奈は僕の後ろの方を指さす。
「へへ……。体育館、あそこはけっこう、穴場だぜ?」
自信満々な玲緒奈。初めてのテストで高得点をとった小学生一年生が、親に自慢する時のように、誇らしげである。親しみ深い笑顔を向ける玲緒奈を見て、僕は素直に可愛いと思う。
こういう純粋な表情は、やはり、素敵だ。
僕はペットを愛でるように、玲緒奈の頭を撫でた。撫でて撫でて、撫でまくる。
「や、やめろよ……! せっかくさっき、髪の毛整えたのに……」
「ふうん。僕に会う前に、わざわざ髪の毛を整えたんだ。へえ……そっか」
「別にそんなんじゃねえし……」
意地の悪い僕の発言に、玲緒奈はますます不機嫌になる。軽く僕を睨みつけると、玲緒奈は言った。
「と・に・か・く! さっさと体育館行くぞ。昼休みが終わっちまう」
ずんずんと大股で歩く玲緒奈の後ろについて、体育館を目指すのであった。
「ここ、いいな……」
体育館に到着して早々、僕は言う。
「人がたくさんいるんだと思ってたけど、全然いない。ていうか誰もいなじゃん」
怖いほど静かな体育館。バスケットボールが一つだけ、床に転がっているのが気になるものの、それ以外は実に素晴らしい。
生徒の笑い声が遠く聞こえ、学校でありながら、この空間だけは学校じゃないみたいな、そんな感じである。
ほんのりと香る汗臭さも、なんだか青春を感じさせるようで悪くない。
玲緒奈は体育館の、ちょうどド真ん中に座ると、僕を手招きする。
「おーい、月人! そんなとこに突っ立てないで、早くこっち来いよ!」
女の子だけど、地べたに座ることには特に抵抗がないのだろう。まあ、いちおうパンツが見えないよう女の子座りをしているので、そういう面を目にすると「玲緒奈も女の子なんだな」と改めて思う。
少し早歩きで玲緒奈のもとへ向かい、近くに座る。
「なあ玲緒奈、お前っていつも、ここで昼飯食べてるの?」
気づけば玲緒奈は弁当のふたを開け、唐揚げを食べていた。芸能人による、やらせ臭いグルメリポートのように、大袈裟な表情。
何度か咀嚼を繰り返し、ようやく僕の質問に答える。
「まあな。ここか……あとは屋上で食べてるよ」
「一人で?」
「う、うん……そんな感じ」
箸で掴んでいた唐揚げを戻し、玲緒奈は決まりの悪そうな顔をした。
「もしかして……」
僕はとある疑問を頭に抱きながら、玲緒奈に言う。
「お前、友達いないのか?」
「そ、そそそそそんなことねえし? ぶっちゃけ友達が多すぎて、苦労してるぐらいだし? まじ勘違いすんなっての!」
要するに、いないということか。ここまであからさまに動揺されてしまうと、僕はどう反応すればいいのか分からない。
とりあえず一呼吸を置くため、僕は弁当を開ける。案の定、というか当然、自分で弁当を作っているのだから、中身を知っている。
僕は冷凍食品の唐揚げを箸でつまみ、玲緒奈の口に突っ込む。
「ぐふぉ……」
突然の出来事なのに、唐揚げが大好きな玲緒奈は、条件反射で味わうのであった。
「手作りじゃないけど、この唐揚げなかなか美味いだろ?」
子リスのように頬を膨らませながら、玲緒奈は僕を睨む。しかし、恋子に罵声を浴びせられ続けてきたおかげか、いや、そのせいで、玲緒奈に睨まれる程度じゃ僕はなんとも思わない。むしろ可愛く思えるね。
僕のあげた唐揚げをちゃんと食べ切り、玲緒奈は言った。
「いきなり妙なことすんなよ……。危うく、喉に詰まらせるところだったじゃねえか」
「はいよ。今度から気をつける」
「気をつけるじゃなくて、二度とすんなよな……」
視線を下げ、玲緒奈は自分の弁当を見つめる。
「なあ」
僕が箸をつけようとしたその時、玲緒奈は言う。
「うちの唐揚げ、あげてやっても……いいんだぜ?」
「いや、いらない。僕はお前ほど唐揚げが好きなわけじゃないし」
「いいから。やるよ」
「だからいらないって」
「ったく、男の癖にごちゃごちゃうるせーんだよ! さっさと食べろっての」
「はあ? っておい……うぐ」
一個ならまだしも、二個も僕の口の中に突っ込みやがった。「やったー玲緒奈と間接キスだ!」とか思う間もなく、全力で唐揚げを咀嚼する。
だって、口の中がパンパンで痛いんだもん。
「さっきの仕返しだ。これが噂の倍返しってやつ?」
ごくりと肉の塊を飲みこみ、僕は言った。
「上手いこと言ってんじゃねえよ、腹立つな」
ニシシと綺麗に揃った前歯をむき出しにして、玲緒奈は笑う。
「それじゃあ、僕はお前に三倍返しをお見舞いしてやろう」
目を鳩のように丸くし、玲緒奈は驚き、そして怯えた。
「ま、まじで?」
「まじだ」
「無理無理! 絶対無理! うちの口じゃ、そんなの入んないよ!」
いまの発言を、「エロいな」とか思ってしまう自分が悔しい。
「冗談だよ」
全力でホッとした玲緒奈の表情を見て、僕は笑う。
こうして、僕は玲緒奈と楽しい昼休みを過ごすのであった。