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EveningSunlight  作者: 蒼原悠
第五章 ──また明日って言いたくて──
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Episode11 明日は、きっと




 地上からの高さは二百三十メートルもあるんだって。渋谷一の高度を誇る『渋谷スクランブルシティ』からの景色は、噂通り、本物だった。

 遥か下の方に、スクランブル交差点が見える。

 PARMOや八急やレコタワや、私たちの歩き回った渋谷の町が一望できる。

 思わず私、ガラスに飛び付いちゃった。すごい! 絶景! 夜景と夕空がうまい具合に映えて、きれいだ……!

「この高さだと、見晴らしを邪魔するものがなくていいよね」

 明穂ものんびりつぶやいた。地平線まで並ぶ数多の建物をみんな飛び越えてやって来た西陽の煌めきが、展望台に立つ私たちの後ろに長い影を作っている。

 今日はなかなか拝むことのできなかった、夕陽。

 やっぱりぽかぽかして温かいなぁ。

 ネオンサインも嫌いじゃないけど、私には陽の光の方が好き。なんでだろう、安心できるからかな。以前、中学から家まで自転車通学していた時は、毎日のように多摩川の土手から沈み行く夕陽を眺めていたっけ。

 今も昔もこれからも、たとえどんな場所にいようとも、夕陽の色や温もりは変わらない。初めて訪れた渋谷であっても、その安心は揺るがないんだなって思った。


 初めてだったのは渋谷だけじゃない。

 初めて、誰かを助けられた。

 初めて、この手で誰かを守れたよ。

 与えられるばかりだった私が、今度こそは与える側になれたかな。そうだとしたら私も少しは成長できているのかもしれない。お財布をなくした代わりに新しい自分を手に入れられたなら、それもそれで“プラマイゼロ”って言えるだろうか。

 言えたなら、いいのにな。


 ガラスから離れて、ほっ、と嘆息すると、明穂が隣に歩いてきた。

「……なんか、変わんないよね。芙美って」

「明穂だって変わってないよ?」

「そうかな」

 そうに決まってるよ。どこかのんびりした、その身に宿す空気。とっても優れた記憶力。変わっていなくて、安心した。

 明穂は、うつむいていた。

「なんで五反田にいるんだろうって思ったでしょ、最初」

「……うん。正直」

「わたしね。今日、学校行くのつらくて、サボってたところだった」

 うそ!?

 びっくりして振り向いちゃった。そうか、だからあんな時間に、学校のある町から離れたはずの五反田(まち)で……。

「学校は厳しいし、周りのみんなもすごい頑張り屋だし、この何か月かずっと、わたしだけ空気に馴染めていない気がしててね。もっと頑張らなきゃ、自分を変えなきゃって、毎日のように思ってた。……でも、それってすごく、しんどいの」

 展望台を囲むガラスに鼻先を押し当てて、明穂は下を覗く。私も真似をして、眼下に目をやった。

 無数の人たちが交差点を往来している。

「思い付きで渋谷とか口走って、本当にここまで来ちゃったけど、目的地なんて初めからなかった」

 明穂は、笑った。「あのスクランブルを往く人たちに紛れて、わたしもどっかに行っちゃいたいな……なんて。でも、芙美と一緒に色んなところを回って、食べて、話して、ちょっと気持ちも晴れたよ。楽しい時は笑って、悲しいことがあると凹んで、同情を寄せる時は相手と同じ顔になる。芙美は昔から、そういうことができる子だったよね」

「明穂……」

 何も言えない。そんな思いでいたことに、私ちっとも気付いてなかった。気付けなかったよ。

 っていうか、それってつまり私が幼いってことじゃん!

 だけど明穂の言葉は嬉しくて、私はこっそり首筋に手をやった。夕陽が首をくすぐっている。

「感情とか望みを変に繕うより、自分にウソつかないで毎日を生きた方が、きっと楽しいよね。芙美みたいな天真爛漫な生き方、わたしもできるようになりたいな」

 ガラスから一歩遠ざかって、明穂は口角を上げてみせる。かと思うと両手を前に掲げて、思いっきり伸びをした。

 少なくとも私には、その口元はとっても自然に見えた。

「そうやって、いつか今のわたしのままで学校の雰囲気に馴染める日が来るの、待とうって思う」

「住めば都……って、言うもんね」

「うん。あんなんでも、わたしに与えられた環境だもの」

「……無理はしちゃだめだよ?」

 それでもちょっぴり不安になって、言ってしまう。「愚痴とかつらいこととか、私だったら話、いくらでも」

「うん。頼っちゃうかも」

 明穂はちゃんと答えてくれた。

 ありがと、ってつぶやいて、私も負けずに微笑み返した。

 私だって気にしていたんだもん。どんなきっかけにせよ、明穂が前を向く契機にしてくれたのなら、私は精一杯その背中を押して、隣に寄り添おう。これでも一緒に受験を乗り越えた仲間だって思ってるから。

 胸を張って肩の力を抜いて、「また明日」って言えるようになる時が、どうか一日でも早く明穂に訪れますように。


 電車の音か、雑踏の音か。渋谷の街は色とりどりの音に溢れている。

 賑やかな街の彼方に沈もうとしている夕陽を見上げて、

「楽しかったね」

「うん。楽しかった」

「また来よう」

「約束だよ!」

 言葉を交わして、また少し、胸の奥がじわりと暖かくなった。


 電話が鳴ったのはその時だ。あれ、私のスマホ……?

「誰から?」

 二人で覗き込んだら、さっきの宇田川町交番だった。まさか──。ともかくその場で電話に出てみる。

「も、もしもし」

『藤井芙美さんですか。渋谷署宇田川町交番の長原(ながはら)という者ですが』

 あのお巡りさんだった。『恐らく探していたものと同じであろう財布が見つかりましてね。今から宇田川町交番まで来られるかな』

 うそ! こんなに早く見つかるなんて思わなかった!

 つい嬉しくなっちゃって大声で返した。「行きます!」

「え、待って芙美、どうしたの」

「お財布見つかったって! ──あ、あの、お金とか盗まれたりしてませんか!? カードとかは!?」

『見たところ、カード類は一通りあるようですが、紙幣に関しては一枚も……』

「~~~~~~~~!!」

「まあ、盗まれるよね、ふつう」

「やっぱり今日は損した気がするーっ!」

 転げ落ちるみたいな勢いでエスカレーターを駆け降りていく私たちの背中の向こうで、太陽も、人も、鳥たちもみんなみんな、笑っていたような気がする。






 明穂と久しぶりに再会して、いろんな話ができた。初めて渋谷に来た。可愛いワンピースを見つけられて、美味しいクレープを頬張って、迷子の男の子を救ってあげられた。

 道行く人とぶつかって痛かったし、お財布をなくしてしまった。おかげでワンピースは買えなくなったし、お金を借りる羽目になった。……やっと返ってきたと思ったらお金が取られてた。

 プラスマイナス、ゼロ。あの夕陽の照らす世界の中で、良い出来事と悪い出来事の量は釣り合いを保つ。

 だからつらい目に遭っても大丈夫、きっといいことが起きてくれる! ──それが、中学生の時の私が編み出した、明日を前向きに生きるための考え方だ。

 甘いのかもしれない。実際にはそんなに釣り合うことはなくて、自分に都合のいいように感じ方を変えているだけなのかもしれない。

 それでもいいんだ。

 だって、いつでも心地よく立ち上がって、気持ちよく叫んで、過ぎていく今日に手を振りたいもんね。


 ──きれいな夕焼けが見えたなら、明日はきっと晴れになる。

 初めてそんな話を聞いたのは、中学の科学の授業の時だったような気がするな。ううん、もっと前かもしれない。具体的な時期も相手も思い出せないけれど、だからこそ、なのかな。

 いっぱいのオレンジ色に透き通った空を見上げると、溶けた熱に心がほっと暖められて、安らかになる。

 さよなら、西陽さん。今日の私と会って、話した、すべての人たち。


 また明日も、あさっても、これからもずーっと、よろしくね!










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