Episode08 泣かないで。
「ママぁ……っ、どこ行ったのぉっ……」
ビルに幼い声が反射した。
はっとして振り向くと、数十メートルくらい先のところに立ち尽くす、ひとりの男の子。泣いてる。
──迷子だ。
ど、どうしよう。放っておきたくはないけど……。泣きじゃくり始めた男の子を前に、頭が真っ白になって動かないよ。私だって道分かんなくってここで明穂を待ってるのに!
「うぇえん……ママ、ぁ……」
ああ……。男の子の泣く声が、私を責める。
いいや。
もうすでに迷っているんだもん。私まで迷ってる時間、ないよね。
腰を上げて、男の子に駆け寄った。夕陽の照らす部分から抜けたとたん、空気がひんやりと肌寒くなる。この子だって今、寒さを感じてるのかもしれない。
「どうしたの? お母さん、いないの?」
男の子はうんうんってうなずいた。
あ、やばい。口をムッて閉じて涙をこらえてる顔、可愛い……。それどころじゃないって思い出して、パーカーの左ポケットの中をさぐった。
あった。さっき駅前でもらったティッシュ!
「とりあえず顔、拭こっか」
しゃくり上げながら男の子は言った。「……じぶんで、やる」
「じゃあこれ、あげるね」
ティッシュを差し出して、できる限りの頑張りで笑ってあげた。自分でやるって気持ちがあるなら、ジャマしちゃいけないよね。もらったものだからあげても後悔ないし!
男の子は乱暴な手付きで、涙や鼻水にまみれた顔を拭いていく。
迷子、か……。この大都会じゃ、珍しくもないんだろうなぁ。賑やかなセンスの服装を眺めながら、低学年の小学生かなって予想をしてみる。まだまだ保護者同伴でないと危ない年齢だよね。
いつ、どこではぐれたんだろう。場合によってはここで待っていた方が、早く再会できるかもしれない。
私、頑張らなきゃ──。
男の子が落ち着いてきた頃合いを見計らって、尋ねた。
「ね、名前、なんて言うの?」
「……円山龍生」
「そっかそっか、じゃあ龍生くんだね。お母さんと離れちゃった場所、覚えてる?」
「おぼえてない」
「んじゃ、お母さんの電話番号、分かる?」
「わかんない」
ですよねー……。私だって覚えてないもん。
ここに立ちっぱなしじゃ疲れちゃうだろうし。ひとまず龍生くんの手を引いて、向こうの日向を指差す。
「あそこでお母さんのこと、待ってみようか」
「うん」
龍生くんも応じてくれた。
むかし、私が中学生だった頃、何度か知らない町の中で迷ったことがあるんだ。
通っていた塾のあった自由が丘で迷った時は、困った。定期券はなくしちゃうし、時間はどんどん遅くなるし……。
それでも、知り合った人に色んな言葉をかけてもらって、道を教えてもらって、どうにか駅までたどり着いたんだった。
学校っていう空間から解き放たれる放課後の時間帯は、たくさんの出会いと楽しみにあふれた時間で、同時にそれと同じくらいの別れや苦労の付きまとう時間でもあって。あの西空で輝くオレンジ色の光は、私にはそんな時間の象徴に見える。
今まで私、楽しんだり苦しんだり、いつも利益を受ける側の人間だったんだもん。だからたまには願ってもいいよね。
楽しんだり苦しんでる誰かの役に、立ちたいって。




