Episode04 スペイン、ゼラニウム、サイフ
あっち行ってみようよ、と明穂が右に折れた。細い坂が長々と続いている。地図を見ると、『スペイン坂』っていうみたい。なんでスペインなんだろう?
分からないけど、こっちの道は井の頭通りと比べれば多少は空いていて、ちょっとばかり歩きやすい。
「このくらいの人通りなら、ゆっくり散策できるよねー」
明穂が歩く速度を落としながら言った。確かに、このくらいのスピードで歩ける方が、私も嬉しいな。
メインストリートから一本入ったこの道にも、たくさんのお店が軒を連ねている。絶妙な上り坂のおかげで足がなかなか進まなくて、かえって店頭を覗き込みやすくて。
一軒のお店の前で、ふと足が止まった。
「あ、あれ可愛い!」
どれー、って明穂も立ち止まった。私の目に留まったのは、とっても彩り豊かにお花柄の散りばめられたワンピースだ。ほら、これこれ! 駆け寄って指差してみる。
「ワンピースかぁ。芙美、こういうの好き?」
「うん!」
だって可愛いもん! 私、こういう花をあしらったデザイン、大好き!
「わたしはスカートとか選びたいなー」
興味が出てきたのか、明穂も隣にやって来て品選びを始めた。改めて店名を確認してみる。『アパレルショップNI∀DS』──やっぱり知らない名前だった。
いま店頭に出ている商品は、何かのセールで値段が安くなっているみたい。
「宮益坂店が新規開店するんだって」
壁に貼られたビラを明穂が読み上げた。「あ、地図も載ってる」
それがどこかも分からないけど、渋谷で新しいお店を開くのって大変そう。家賃とか高そうだし……。だからセールなんだなぁと、妙に納得する。
ということはこのワンピースも……? ちょっぴり期待して値札を見てみた。税込3999円。
やった!
思わず小躍りしそうになっちゃったよ。これなら今の持ち分でも、何とか足りそうだ!
「わたしはこれが好みかなー。どう?」
明穂が白くてふわっとした生地のスカートを手に、私のところへ寄ってきた。あ、よく似合ってる。明穂の柔らかい雰囲気にぴったりだ。
「いいと思うよ! ね、買っちゃわない?」
「芙美はもうそれで決めたの?」
「もちろん!」
胸を張って、そう答えた。
まだ断言できないけど、見た感じ、この花柄の種類はゼラニウムかな? 私の好きな花のひとつなんだ。昔、知り合った人に花言葉を教えてもらった。確か色によって別々の花言葉があって、『偶然の出会い』とか『君がいて幸福』とか。まさに偶然の出会いだよね! 君がいて私、幸福!
私があんまり顔を綻ばせるから、明穂も引きずられちゃったみたい。わたしも買おうかなー、って笑ってくれたから、ワンピースを片手にレジに連れていく。
「これ、お願いします!」
「こちら一点で3999円になります」
店員さんはにこやかに答えて、すっとお金のトレーを前に出した。すごいなぁ、やっぱりこういうところは店員さんもすっごくお洒落。ぼうっと思いを馳せながら、開いていたカバンに手を突っ込んで、財布を──。
あれ。
待って。
カバン、なんで開いてるの?
「…………ない」
つぶやいた。「お財布、ない」
明穂も店員さんも私を凝視した。ない、ないよ。いくらカバンの中を漁っても、それらしいものは何も指先に触れてくれない。カウンターの照明の下に置いて、改めて中を調べてみる。
それでも、ない。
「どっかに落としてきたかな」
「分かんない……。学校には確かに持ってきたはずだから……」
私の声も、心も、どんどん細くなっていく。
とにかく買い物どころじゃなくなってしまった。どうしよう。とりあえず最寄りの交番に行くべきかな……。しょんぼりする私を前に、
「……こちら、取り置きしておきましょうか?」
店員さんが声をかけてくれた。




