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EveningSunlight  作者: 蒼原悠
第四章 ──夕陽色の約束──
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Episode10 憂いと優しさ


「……私、いま十五歳なんです」

 そう切り出すと、すぐに画家さんは色々と察したみたいだった。

「お、じゃあ今年、高校受験だったんだね」

「さっき、受かったって証書を受け取って来ました」

 おー! って画家さんは歓声を上げてくれた。ああ、本物の声で誰かに祝福されたの、画家さんが最初かもしれない。

「やったじゃない!」

「なんですけど……」

「えっ?」


 私、話した。

 私が信じる『プラスマイナスゼロの法則』の事を。

 そして、それが今回は裏目に出た事。私の努力も頑張りも──ああ、両方同じか──、『プラスマイナスゼロの法則』は何もかも飲み込んでしまう事。

 もしかして、もしかしなくても、私の頑張りは結果に結び付かないんじゃないか。さっきからずっと、悩んでいる事。


 別に、答えなんていらない。真実があるなら、真実を知ったなら、もっとつらくなる気がするから。

 そんな気持ちで語る私の話に、画家さんは茶々も突っ込みも入れずに聞き入っていた。私が話を終えると、ただ一言、言った。

「……うん。あたしもそれ、分かるなぁ」

「分かるんですか?」

「うん。あたしは本で読んで初めて知ったんだけどね」

 画家さんは少し恥ずかしそうに笑うと、私の隣に歩いてくる。そうして、目黒川の手すりに寄りかかった。見上げる横顔は夕陽色だ。

「『正負の法則』っていう言い方で、あたしは聞いたんだ。たぶん意味するところは同じ。君の言う通り、人生楽ありゃ苦もある。山があれば谷もある。そしてそれは(なら)してしまえば、真っ平らのゼロに落ち着く。つまりはそういう法則だよね。──ううん、人生訓、かな」

 ああ、それならきっと、おんなじだ。

「あたしも分かるよ。切り口は違うけど、似たような事であたしも悩んだから」

 画家さんは自分に語りかけるように、ぽつり、ぽつりと言葉を口にする。

「あたしね、プロの絵描きになりたくて上京してきた当時は、描いても描いても売れるどころか評価もされなかった。今は少しは報われるようになったけど、それ以前はつらかったよ。努力なんかいくら重ねたって、どうしようもないんじゃないかってね」

「じゃあ、今は」

「今はちょっとだけ、考え方が変わったの」

 画家さんは私を振り返って、微笑む。その頬に刻まれた小さな皺が、夕陽の陰影ではっきりと浮き出ていた。たぶん、私にしか見えない。

「本当に君の言うように、今日はもういい事は起こらないのか。起こらなかったのか。少し一緒に、考えてみようよ」


 そんな事、言われても。思い付かないからこんなに悩んでいるのに。

 そう言おうとしたけど、何とか思い止まった。

 すると画家さんは、思いもかけない事を言い出したんだ。

「じゃあ、今ここで描いたこの絵、あたしが君にあげるって言ったら、それは『プラス』にならないかな?」

 ええっ、そんな!

「いいですいいですっ!」

 私は手をぶんぶん振る。「絵が欲しくてモデルを引き受けた訳じゃないですしっ!」

「いいのよ。あたし、こういう事よくやるんだ」

 そう言って手を振ってみせた画家さんの目は、なんだか深い深い色をしていた気がする。

「今のあたしの提案だってさ、捉え方次第ではプラスにもマイナスにもなるでしょ? 申し訳ない事をしたって思えばマイナス、絵を描いてもらえたって思えばプラスだもの。案外みんな、そういうものなんじゃない?」

「──えっ」

 一瞬、言っている事が分からなくて、思わずそう聞き返そうとした。

「じゃあ」

「どちらにもとれてしまうのは、君が直接関与していないから」


 微笑みを崩さないままの画家さんの瞳から、私は目が離せなくなった。

 だって、そこに反射した光が、あんまりに真剣だったから。


正負(プラスマイナスゼロ)の法則っていうのはね、本当は法則でも人生訓でもないんだ。つまり、起こった出来事の損得勘定がうまーく平等になるように、勝手に脳が微調整しているの。不自然なくらい何もかもがプラマイゼロになるのは、そういう仕組みだからなんだと思うよ」


 言葉が出なかった。

 そんな発想、私は今まで、したことがなかったから。





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