Episode06 夕陽短し、悩めよ乙女
──!!!
私はその場で硬直した。
そして、だいたい三ヶ月くらい前にした約束を思い出した。
まだ、はっきり覚えてる。忘れたふりなんて出来ない。
私、去年のクリスマスに一度、蒲田くんに告白されたんだった。そして、答えに困ったその時の私は、受験が終わったらどうするか答えるって言ったんだ!
ど、どうしよう。何も決めてないよ考えてないよ!
ちらりちらりと目の端に入れるたびに、メールの文面がチカチカと私を急かすように点滅する。ように見える。焦って見上げた夕陽が怖いくらいに眩しかった。すっかり動転した私は、
「…………」
スマホの電源を、落とした。
ごめん、蒲田くん。心の中だけで、私は謝る。今はただ素直に合格を喜びたいの。その……付き合う付き合わないの話は、あとで必ずするからさ。
スマホをポケットに落とし込んで、私はまた歩き出した。さっきよりもポケットが、ずしりと重たくなった。
とは言え。
ああ言ってしまった以上、避けては通れない未来な訳で。
歩きながら私は悩んだ。結局、私はどうしたいんだろう。だいたいあの時ああやって返答を先伸ばしにしたのだって、本心ではあんまり乗り気じゃなかったからなのかもしれない。
蒲田くんは確かに、人としては好きなんだ。でも、それと恋愛感情はイコールじゃないもん。それに仮に付き合い始めたって、通う学校が五反田と八王子じゃあ……。そんな中途半端な遠距離恋愛、やだよ。
いやいやいや、あれだけ返答を引きずっておいてそんなの酷いじゃない。もしも私がそんな事されたら、ショックで数日引きこもれちゃうよ。ここは私が責任持って、付き合うって答えるのが筋じゃないの?
何だかんだ言って悩みっぱなしだ。何十メートル歩いたのか分からないけれど、視界に入るビルがさっきとは違うものになってる。再開発で新しく建ったらしいそのビルは壁が全面ガラス張りで、西から射し込むあの夕日が、その青色の鏡面に周囲の風景ごと鮮やかに映っていた。まるで目の前に、縁の目立たない長方形の大きな額縁がどんと置かれているみたいだった。
その光に目を細めて、私はため息をついた。
こういう時に限って、どうしてこう悩み事って増えちゃうんだろう。いや、原因作ったの私だけど。確かに私だけど。
その時。
私の耳に、さっきどこかで聞いたような声が飛び込んできた。
──「……まだ直らない?」
──「あ、あれ? どうなってんだ、これ?」
──「やばいよ、これ絶対壊れてるよー」
あの自転車軍団の男の子達だ。
私の目の前に、目黒川を跨ぐように橋が架かってる。自転車軍団はその橋の上で、一人の自転車にわらわら群がっていた。みんなして自転車をいじりながら、首を捻ってる。
ははあ、と私はすぐに悟った。自転車が故障したんだな。
以前、私も自転車に乗っている時、何回か直してもらった事がある。ごそごそとカバンを漁ると冷たい感触があった。出てきたのは金属製バール。修理してくれた人に、前に貰ったものだ。
これがあれば、何とかなったりするかな?
私はもう一度、男の子達を見返した。解決にはまだ、ほど遠そうだ。
「どうしたの?」
男の子達のもとへと歩み寄って、たった今気づいた体を装って尋ねる。
男の子達は私を振り返った。そして、開口一番。
「あ、さっき転んでたダセぇ姉ちゃんだ!」
見事にぐさりときた。笑う子供達を一瞬睨んだ私は、後ろ手に隠し持ったバールをぎゅっと握りしめる。覚えてなさいよ、ぜったい私がその自転車、直しちゃうんだから!
「なんかね、転んだら自転車の車輪が上手く回らなくなっちゃって……」
持ち主とおぼしい男の子が、おずおずと症状を教えてくれた。私はそばに寄って、自転車を見てみる。なるほど、確かに自転車は擦った痕で汚れてるし、チェーンを保護するパネルも歪んでるなぁ。
でも、ホッとした。これだけなら私でも何とかできる! 前に私が事故った時と、状況はおんなじだ!
私はすぐさまバールを取り出した。それを無理やり車輪とパネルの間に捩じ込んで、うんと力を入れる。男の子達が息を飲む音が、はっきりと聞こえた。ぐいっと金属のパネルが曲がる感触が、はっきり伝わってきた。
よし、直った!




