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EveningSunlight  作者: 蒼原悠
第四章 ──夕陽色の約束──
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Episode04 花はフリージア、君は美し



 持ち主の人は、画家さんだった。東京の色んな場所に赴いては、こうして絵を描いているらしい。

「目黒川はよく来るの」

 そう言って画家さんは、すっと空を見上げた。「渋谷の南西の辺りからこの川は地上に姿を現して、こうして五反田や大崎をかすめて品川の天王洲に流れ込むの。上流から下流まで辿っていると、この川の周りは色んな異なる風景を見せてくれる。川はそんな風景の差異を、そのまま水面に映してくれるから」

 多摩川みたいだなぁ。私は家の近くの身近な例を思い浮かべた。あの川だって色んな場所を流れてるもの。川幅が広すぎて、ほとんど空しか映らないけど。

「だから今日も、ここに描きに来たんですね」

「今日はまだ何も描いてはいないんだけどね」

 あれ、じゃあこの絵は? 私が尋ねるよりも早く、画家さんは答えを口にする。

「なかなか納得できなかったから、昨日のうちに描き上げられなくてね。今日またここに来て、仕上げちゃおうと思ったんだ」

 そうか。夕方の絵だから、描けるのは夕方の時間帯だけだもんね。

 ん? だとすると、

「どうして今もまだ、描いていないんですか?」

 画家さんの顔に苦笑が浮かんだ。

「恥ずかしながら、使ってる筆をどこかに落としちゃって……。とりあえず代わりのをって思って駅前のお店まで行ってきたんだけど、なかなか良いのも見つからなかったの」



 西から照る夕陽が、風に揺られてさわりと肌を撫でた。


 あれ、この凄い既視感はなんだろう。

 筆、筆……。って私、さっき筆を拾ったじゃん!

 もしかして、あれがこの画家さんのものだったんだとしたら。制服のポケットを漁った私は、あの花みたいな彫刻のされた絵筆を取り出した。案の定、画家さんの目が丸くなる。

「これ、向こうのデッキの所に落ちていたんですけど……」

「あたしのだ! これ、いつ頃見つけた?」

「えっと、たぶん十分くらい前です」

「マジか……」

 画家さん、すっごく凹んでる。十分前近くに、この人もあの場所を探してたんだな……。

 うーん、でもこれ、見つからなくても仕方ないと思う。木製の筆が木製のデッキに落ちていたんだもの。踏んで転ばなきゃ、私だってきっと見落としてたよ。

 ともかく、って画家さんは私の腕を取った。「ありがとう、本当にありがとうね!この筆じゃないと、あたし何だか描く手が進まなくてさ!」

「お役に立てて良かったです」

 あんまり画家さんが嬉しそうだから、えへへって私も笑い返した。しまった、怒る気だったのに。……まぁいいや。

 と言うわけで、右手に握った絵筆を私は画家さんに渡した。


 その時、あの花の彫刻がちらりと目に入った。

 ん?

 この輪郭、どこかで見なかったっけ。細くて長い葉っぱに、六つの花びら。


「あ!」

 気づいたら声に出していた。画家さんが、驚いたみたいにぴくりと動いた。

「この絵の花って、筆に彫り込まれているのと同じですか?」

「あれ、よく分かったね」

 やっぱり正解だった!

 そうだよ、見れば見るほどそっくりだ。花の名前は全然分からないけど。少し誇らしくなって、私は画家さんを見上げる。

「これはね、フリージアっていう花なの。あたしの好きな花なんだ」

 戻ってきた筆に触れながら、画家さんは優しい目をした。「紫色のフリージアには『感受性』っていう花言葉があってね。あたしは割と感受性を元にして絵を描くタイプの人間だから、この花言葉に不思議と親近感を覚えるの」

「……なんか、変わった花言葉ですね」

「うん。ちょっと変わり種だよね」

 でもほら、可愛いでしょ? 唄うように言った画家さんは、キャンバスを取り上げてみせた。絵と同じ光景がそこに広がって、テラスの欄干の上に置かれた植木鉢が目に入った。そうそう、これだ。

 うん。私もそう思う。実物を見て、なおさらそう思う。ちっちゃくて、集まっていて、何だか無邪気な子どもを見ているみたい。

 この()が子どもなら、お母さんは誰になるんだろう。絵の中のフリージアと植木鉢の中のフリージアを見比べながら、私はそんな妄想に浸ってみた。


 あの夕陽の熱は、光は。

 こんな小さな小さな花さえも、こんなにも芳しくできてしまうんだ。




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