表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
EveningSunlight  作者: 蒼原悠
第四章 ──夕陽色の約束──
53/74

Episode03 空色キャンバス



 この川の名前は、目黒川って言うらしい。途中の看板にそう書いてあった。

 東京都品川区の北の都心、大崎。りんかい線と山手線、それに湘南新宿ラインが別れ行くターミナル駅の周りは、あちこちで近代的な高いビルがずんずんそびえ立っている。

 おとなりの目黒区から流れてきた目黒川は、そんな大都会の合間をすいすいと流れて通過して、品川駅の南を回り込んで東京湾に注ぐみたい。

 そして私が今いるのは、ウォーターフロント感あふれる整備のなされた再開発街区のひとつだった。見上げれば摩天楼が夕陽を浴びてオレンジに映し出され、見下ろせば少し濁った目黒川の川面を、空の雲たちがのんびりと泳いでいる。


 誰もいなかったのはただの偶然だったみたいで、買い物袋やカバンを抱えた人たちが何人も往来している。オフィスビルとマンションが同じ場所に建ってるし、やっぱり便利だって思うのかな。

 あんなところに住めたら、陽当たりも良くて気持ちよく暮らせそうだなぁ。あ、でも家賃とかは、普通よりもかかっちゃうのかな。

 窓ガラスに光る陽光に目を細めながら、私はとりとめもなくそんな事を考えていた。

 と。

「──うわ!」

 目の前にイーゼルが!

 慌てて飛び退く。危なかった! ぶつかって倒しちゃうところだったよ!

 川から少し離れたデッキの真ん中に、小さなイスと一緒にイーゼルは置かれていた。持ち主さんは、いない。イーゼルには大きなキャンバスが乗っていて、足元には使いかけの絵の具やパレットが同じく置きっぱなしになってる。

「誰だろう、こんな所に……」

 控えめに文句を垂れてみる。前方不注意だった私にだって、非は少しはあるもんね。

 一歩下がった私は、あらためて持ち主不在のキャンバスをじっと見た。


 美しい絵だった。

 黒々とした両脇の影の間から、眩しいくらいの光がこっちを見つめている。手前には小さな植木鉢が置いてあって、その中に咲いている花の輪郭を、陽光の輝きが金色に縁取っている。そんな絵だった。

 目を上げればそれはちょうど、この場所から見える対岸の景色だった。植栽の向こうにどかんと居並ぶ大きなビル、あの陽の光。それに、欄干って言うのかな、手すりっぽいものの上にぽつんと置かれた植木鉢。

 私は無意識のうちに、息を呑んでいた。

 凄いなぁ、こんな絵が絵の具で描けちゃうなんて。素直にそう思った。私なんて手芸部出身なのに、中学の美術の成績たった2だったのに。…………はぁ。


 もうちょっと、近くで見たらダメかな。

 そろそろと歩みを進めて、私はキャンバスの隣に立った。うん、間違いなく絵だ。

 慎重に、ゆっくりと、指を近付けてみる。こうすると不思議と、絵の表面の感触が分かるんだ。あ、だからって触れちゃダメだよ、私。慎重に、慎重に──。




「何してるの?」


 !!

 後ろからかけられた声に、私は飛び上がった。その拍子に絵に指先が触れちゃった。

 しまった! 持ち主さんが帰ってきたんだ!

 慌ててぐるりと振り向こうとして、焦って足をもつれさせてしまった。バランスを崩した私の腕が、キャンバスにぶつかって……。

 ガタン、とキャンバスはイーゼルから落っこちた。

「あっ────」

 私と、後ろに現れた人とは、同時にうめいた。

 どどどどうしよう⁉ と、とにかく拾わなくちゃ!

 デッキに影を落としているキャンバスを、私は汚さないように手に取った。持ち主さんが、すぐ後ろにまでやって来た。ああ、これ絶対、超怒られるパターンだ……。そう思いながらもきびすを返して、絵を持ち主さんに手渡す。顔は見れなかった。

「君────」

「ごめんなさいっ!」

 先に謝らなきゃ。とにかく謝らなきゃ。

「その、きれいな絵だなって思って、近くで見たいと思って寄ってみただけだったんです!絵を汚そうとか全く考えてなかったんです! 本当ですごめんなさいっ」


 すると、その人は静かに笑った。

「大丈夫よ、そんなに謝らないで。別に怒ってなんていないから」

 深々と下げていた頭を、私はおどおどとしながら持ち上げた。お世辞にもきれいとは言えない持ち主さんの靴が見えて、あちこちに絵の具の染みができちゃった服が見えて、……最後に顔が見えた。あれ、と思った。その人の顔、どこかで最近見かけたような気がしたんだ。

「いえ、でも」

 まだ言い淀む私に手をかかげて、持ち主さんはそれを遮った。「いいのよ。あたしなんか、上手くかけなかった絵をポイポイ捨ててた時期だってあったんだから」

「ポイポイ……」

「うん、ポイポイ」

 夕陽に横顔を照らされて、頬を掻く動作をする持ち主さんの姿は、何かを懐かしんでいるようにも、照れているようにも見えた。

 今さらだけど、女性だった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ