Episode05 離れたくないんです
何回それを繰り返したっけ。
突然、機嫌良さそうに歩いてたワンちゃんは立ち止まって、追い付いた私の方を振り返った。
「?」
なんだろう。自転車を停めて目を細めた私は、気づいた。ワンちゃんの長い影が、小刻みに震えてる。
様子が変だ。
そう思ったとき、地面と空気を伝わってきた微振動が、私の身体をも小さく震わせた。
新幹線だ!
とっさに思った。だって目の前に、大きな鉄橋が架かっているんだもん。
予想は当たった。立ち尽くす私とワンちゃんの視線の先、さっきから不気味な重低音を響かせていた鉄橋に、三秒と経たずに真っ白なボディの新幹線が姿を現した。
新幹線って速い。長い長い車体はあっという間に鉄橋を駆け抜けて、対岸の街の方へと消えていった。後にはただ、さっきのような重たい音だけが行き場を失ったように漂っていた。
ははあ、さてはこの音が怖かったんだな?
まだ固まってるワンちゃんに、数歩近づいてみる。するとワンちゃんは意識を取り戻したのか、また辺りをきょろきょろ見回しながら歩き始めた。良かった、元に戻ったよ。
ほっとした私は、さっき新幹線が乗り越えていったばかりの鉄橋へと、目をやった。あーあ、いいな、新幹線。さっきは風に憧れたけど、新幹線もいいよね。
私も時速三百キロで帰れたらな。そしたら学校から家までの道のりなんて、たった一分で走り抜けられるのに。友達と遊ぶ時間の余裕だって、できるのになぁ。
私のさっき寝ていた場所からこの鉄橋までは、けっこう距離があったはず。なのに全然、長距離を歩いた気がしなかった。
ワンちゃんと一緒にいたから、きっと楽しくて時間を忘れていられたんだ。
ね、そうだよね。新幹線が走り抜けていった先を熱心に見つめてるワンちゃんに、私は微笑みかける。
「わう!」
もうすっかり友達になったみたいに、ワンちゃんは嬉しそうにそう返してくれる。
楽しい。今すっごく私、楽しいよ。つまんなかったはずのあの帰り道を、今はこんな風にワンちゃんと歩けるなんて。
このままどこまでも続いてほしい。この子とならどこまでだって歩いていけそうだよ。疲れも何もかも忘れて、どこまでも!
「…………」
そんなの詭弁だって、すぐに私には分かった。
だってワンちゃんは、私の子じゃないんだもん。飼い主さんを見つけて、ちゃんと引き渡さなきゃいけないんだもん。
本当は、分かってた。そこから先はまた、ひとりぼっちの道が何キロも続いていくんだって。
急に淋しくなって、胸が苦しくなって。
動く気力も、動きたい気持ちもなくなった。
私は土手にそっと、自転車を横たえた。──すぐにワンちゃんが飛び付いた。はいはい、そんなにキミ、自転車が好きなんだね……。
ペダルをかじかじし始めたワンちゃんを横目に、私も自転車の隣に座り込んだ。もう草まみれにしたくなかったから、カバンは自転車のかごから取り出して胸の前で抱えた。
スカートと短パン越しにおしりがちくちくする。視線が下がったら、土手に生える花たちが近く見えた。細くて長いくきの先に、ぽっと広がるように咲いた白の花は、──ちょっと! ここ私たちの居場所なんだけど!──なんて怒ってるみたい。
ごめんね、邪魔をしてるのは分かってるの。だけど少しの間でいいから、居場所のない私にあなたの場所を分けてくれないかな……。
そう念じたら、ちくちく感が収まった気がした。
自転車の上で跳ね回ってるワンちゃんに、私はそっと声をかけた。
「……飼い主さん、見つからないね」
ワンちゃんが不意に、くぅん、って元気をなくした。ああ、一応この子もちゃんと、そのこと心配してるみたいだ。
「どこを探したらいいんだろう。もう私、さっぱり分からないよ」
ワンちゃん、どこか当てでもないの? 飼い主さんの家の方角とか、はぐれた場所とか、もうこの際、何でもいいからさ……。
いくら問いかけても、ワンちゃんは動き出そうともしなかった。
空が、きれいだ。
どこまで行っても雲の見当たらない空は、夕陽の色に透き通っていて。その色を反射して暗いオレンジに輝く川端の街並みは、なぜかすごく哀しそうな色をしてる。ねぇお日さま、行っちゃわないでよ。もう少しだけでいいから暖めていってよ。建ち並ぶビル影の谷間に沈んでいこうとしてる太陽に、そう叫んでいるみたいだ。
そう感じてしまう私自身だって、どこかの誰かから見れば、その哀しそうな色をした景色のひとつのパーツに過ぎないのかな。
その通りだよ。哀しいよ、淋しいよ。ワンちゃんと離れたくない。でもこの子と離れなきゃ、家に帰れない。なのに飼い主さんが、見つからない。
私……これから、どうしたらいい?