Episode03 お犬様!
「…………えっ」
私は身体を起こそうとした。
ちがうの、太陽が輝いたとかじゃなくて。頭上から不意に、カササ、キィって音がしたから……。
何かが私の身体に迫ってきているのが、雰囲気で分かる。振り返った私はその正体を、はっきりとこの目で見た。
って、私の自転車──!?
「きゃあああっ!」
叫んだ時には遅かった。理由は分からないけどとにかく、自転車は私に体当たりするように倒れ込んできた!
ガシャーン! どさどさっ!
自転車が軋んだ声と、私もろとも土手を何メートルか滑り落ちる音が、同時に響き渡った。
痛ったあ……!
自転車に押し倒された形になった私は、頭が逆さまになりながら呻いた。頭と背中、打っちゃった。患部がぎしぎし言っているような気がするよ……。
って言うか、なんで!? なんで自転車がひとりでに倒れてきたの? 私、ちゃんと自転車が停まってるの、確認したのに!
そう思っていたら、また別の何かが私に近づいてきた。
「わんっ」
ワンちゃんだった。
ちっちゃな子犬。犬種はよく分からないけど、ふさふさした黄金色の、丸っこいワンちゃん。
自転車の下でもがく私の顔の近くにワンちゃんはやって来て、首をかしげてる。何してんの? ──そう聞かれたような気がした。
何って、自転車から抜け出そうとしてるんだよ……。自転車が重い上に頭が下で分が悪いから、持ち上がらないけど……。
目力だけでそう伝えてみた。横顔を夕陽に照らし出されて眩しそうにしながら、ワンちゃんはまた小さく、わう、って鳴いた。
ってこの子、顔舐めてくる! やめてよ、くすぐったいよ! あとお願い、鼻息を耳にかけないで! それもとってもくすぐったいからっ! ──わっ、そうこうしてるうちに足も舐められたぁっ!
三分後。
自転車に圧迫されてた痛みと転んだ痛み、それにあちこち舐められたくすぐったさでぼろぼろになりながらも、なんとか私は自転車の下を脱出した。ワンちゃんは立て直された自転車の周りをぐるぐるしながら、楽しそうにせわしなく息をしている。
良かった、自転車は特に痛んだりしてないや。って、当たり前か。転倒した時のダメージはぜんぶ私に来てるんだもん。
それにしても何なの、このワンちゃん……。なんかさっきからやたらと私に、ううん、私の自転車に絡んでくるし。そんなに好きになったのかな。
試すつもりで私は自転車をがたがたと揺らしてみた。ワンちゃんはわんわんって吠えて、しっぽを千切れそうな勢いで振り回してる。ああもう、かわいいなぁ。
と思ったらワンちゃんは、自転車にじゃれついてきた。
うわっ、危ない! 自転車また倒れるところだった!
……待てよ。
だとするとさっき、勝手に自転車が横倒しになったのは。
私の目付きの変化に、この子は気付いたのかな。しゅんとしたみたいに首を前に垂れた。自分なりの反省のつもり、なんだろうか。
絶対そうだ。この子が自転車で遊ぼうとして、こっちに倒れ込んできたんだ。しかもその様子だと、自覚があるみたいね。
こらっ! ……って言った方がいいのかな。でも、反省のしぐさがまたかわいくて、つい許しちゃいそうになる。
「…………」
立ち上がった私は制服をぱんぱん叩いて、まとわりついた芝や草を払い落とした。正面から覗き込んできた西陽から目を背けて、足元でしっぽを振ってるワンちゃんを眺めてみる。
夕空の下ではオレンジに見えるけど、本当はたぶん真っ白な毛並みの子なんだろうな。ふさふさした毛の下、首元には真っ赤でかわいい首輪がついていた。でも、本来引っ掛かっていたであろう紐は見当たらない。というかこれ、紐が取り付けられるような仕様には見えないんだけどな。
どっちにしろ首輪がついてるんだもん。この子は飼い犬だったんだ。しかもリードも何もないのを見ると、飼い主とはぐれちゃったのかな……?
「飼い主、置いてきちゃったの?」
そう聞くと──伝わってるはずはないんだけど──ワンちゃんはまたしっぽをばたばた振ってうなずいた。ちょっと、本当に置いてきちゃったの!?
忠犬どころの騒ぎじゃないね……。渋谷のハチを見習ってきてほしいよ。うん、ほんと。
何にせよ。
私は腕をまくって、深呼吸を一つした。浮かんでた苦笑いがすっと落ちるように消えて、頭がちょっと冴えたような気がする。
この子の飼い主を見つけて、ちゃんと引き渡してあげなきゃ。
私が日没前に帰らなきゃならないのはもちろんだけど、飼い主さんもきっと血眼になって探しているはずだもん。日が落ちてしまったら、こんな暗い河原で子犬を見つけることなんて、もう絶対に叶わないから。
そうと決まれば急がなきゃね。ワンちゃんに手を差し伸べて、私は微笑んだ。私に何ができるのかは分からないけど、今は心配よりも行動だ!
「おいで。はぐれちゃった飼い主さん、一緒に探しにいこう」
「わう!」
……やっぱり言葉通じてるんじゃないかなって、本気で思った。