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不憫な靴

作者: りっと

 これまで何十足も靴を履いてきたけれど、こんなに不運な靴もない。いや、待てよ。不運と書いてみて、ちょっと違うな、と思う。この靴を履くと不運に巡り合うのではない。誤解を与えそうなので、もう一度考えてみる。不憫な靴、といったところか。

 儀式用の普通の靴が欲しくて、駅前のショッピングセンターで買ったのが、卒業式前日。なんの特徴もない黒の中ヒールの靴だ。同窓会の役員をしている関係で、母校の卒業式に会長代理ということで、出席することになっていた。壇上、下手に学園理事長や校長、教頭が並び、上手に、PTA会長や同窓会長が並び、式が厳かに始まる、というアレだ。同窓会長は地元で開業している年配の男性なので、木曜日の休診日以外に卒業式があると出席できない。そこで副会長以下の役員が順番に出ることになる。順番ならいいじゃないか、と思われるに違いないが、幼稚園から短大まである一貫校なものだから、入園式、入学式、卒園式、卒業式の類だけで、8回もあるから大変だ。昨年も、私は会長に頼まれ、卒業式に出ていた。

 学校の来賓受付に行くと、いつも同窓会の用事で来ていた時のように、靴箱からスリッパを出して、履き替える。校長室に案内されて、開式まで校長先生やPTA会長とお茶を飲んで待つ。そろそろ時間です、と教頭先生が呼びに来て、いざ舞台へ。校長先生以下、廊下にずらっと並んだ時、私は気がついた。自分だけ校名が入った青いテカテカするスリッパを履いていた。みんなは黒い式服に合う黒の革靴を履いている。ええっ?なぜ学校の中なのに、みんな外靴を履いているの?室内用の靴を持ってくるべきだったのか。慌てる私に気がついた女性の校長先生が、外靴に履き替えて来ますか、と声をかけてくれたが、ふと頭をよぎったのは、右靴のかかとに付いたキズ。確か、外側だったはず。あんなみっともない靴を履いて壇上には上がれない。このままで良いでしょうか、と小声で聞くと、構いませんよ、との校長先生の優しい声。いくつになっても、変わらない自分に情けなく、私はかあっと頭に血が上る思いで、粛々とした雰囲気が立ち込める体育館に一人だけスリッパをぺったんぺったんさせながら入って行った。壇上へ上がる階段をスリッパを落とさないようにと、一歩一歩、足を上向きに上げたときの硬直具合が今でも、思い出せる。

 あの時のことがあったので、今度は、いつ何があっても慌てないように、手入れのゆき届いた万全の靴を常に用意しておこうと心に強く決めていた。けれど、やっぱり私のこと、そんな用意周到なことができるはずもなく、卒業式前日、しかも夜になって、駅前のショッピングセンターに慌てて出かけて買った靴だった。

 あれこれ品定めする余裕はなく、ごくごくシンプルで控えめな高さの靴を選んだ。すっと足を入れると、靴底のクッションが効いていて履きやすそうだ。スーパー併設のショッピングセンター内にある靴売り場なので、値段はたかが知れている。値札も見ずに、特段の思い入れもなく、レジへ持っていく。

 こうして私は胸を張り、翌朝の卒業式で、壇上に革靴をカツカツさせて上がることができたのだった。

 卒業式の5日後には、同僚の家で葬儀があった。職場に貼られた案内には「家族葬」の文字はなかったので、早速、私は万全に用意されたかかとにキズのないパンプスで意気揚々と出かけた。でも、行ってみたら知り合いは一人もいなかった。婚家の葬儀なので他の同僚は皆、回避したのだ。万全な靴が用意されていなければ、私も葬儀に行こうか、どうしようかと思案し、情報を集めたのかもしれない。親戚ばかりの中、話し相手もなく下を向き、自分の真新しい靴を眺め、出棺までの時間をもて余す。

 その葬儀の帰り、駅前のショッピングセンターに寄り、エレベーターに乗ったところでカチカチと変な音がするのに気がついた。足を上げてみると、靴の踵の底が片方ない。底のゴムが取れ、金具がエレベーターにあたって、カチカチしていたのだ。買ったばかりの靴なのに、なんてこと。

 思えば、6日前、ここの靴売り場で買ったもの。腹立たしい思いで、これは一言文句を言わねばならないと、思い立ち、上っていたエレベーターを降りて下りに乗り換え、一階の売り場へ向かった。若い男性の店員さんに事情を話すと、ちょっとお待ちくださいと言われ、少しだけ年長者の女性を連れてきた。でも、その女性も申し訳ありません、と繰り返すばかりで、埒が明かない。卒業式の日は、室内ばきとして持って行ったので、外で履くのは今日が初めて。それなのに踵のゴムが簡単に取れてしまうとはどう言うことだろう。踵をどこかに引っ掛けたのでしょうか、と聞かれるが、そんな記憶もない。普通に歩いていて、気づいたら取れていたのだ。話が進まないので、レジの前で底の取れている方の靴を脱ぎ、ブランド名を見せようとするが、見ようともしない。どうしようもなくなり、私も段々恥ずかしくなってきて、もういいですとだけ言い、「申し訳ありませんでしたあ」の声に見送られて、売り場を後にする。

 別にお金を返せとか、新しいものに取り替えろ、とごねようと思ったわけではない。ただ、せめて自分の店で売った品物かどうか確認しても良いではないか。業者に客からクレームが届いたよ、底のゴムはしっかり付けるようにと連絡します、くらいの改善に向けた姿勢があってもよいではないか。後から思えば、これだけの主張があった訳だけど、私のことだから咄嗟にその場では整理して言うことができず、高さの違う靴でバランス悪くフラフラしながら、片方だけカチカチ音をさせて帰ってくるしかなかった。

 そうして桜咲く季節となり明日は入学式。またもや木曜日ではないので、会長が行けず、かといって他の役員も行けないとのことで、比較的有給の取りやすい私がまたもや行くことになった。そうしてまたもや、私には壇上に上がるような周到に用意された万全な靴はない。

 雨が降り出した夕方になって慌てて、自宅近くのスーパー内にある修理の店に靴を 持って行く。すると、片方だけでは修理できないと言われてしまう。もう一方の靴底を見ないことには、高さも材質も決められないというのだ。私としては適当でよいから付けて欲しいと頼んだが、左右の高さが違うと身体のバランスが崩れ、腰を痛めるから、絶対にやめた方がよいと先方も譲らない。仕方ないので一旦出した靴を引っ込め、小雨降る中、自宅に急ぎ戻って、底の取れていない方の靴を取ってくる。

 そうして30分後、修理の終わった靴を受け取りに行くと、申し訳ありませんっ!と頭を下げられる。30分と言ったが、まだできていないので、謝ったのだろうと思っていたら、なんと靴を機械に巻き込んでしまい、壊してしまったそうだ。がっくりくる。もちろん、靴代は弁償しますと言われるが、これからまた駅前のショッピングセンターへ行って、新しい靴を買わないといけない。それを考えるといっそう気が重い。こんなことなら、初めから、駅前のショッピングセンター内にある靴修理に持って行けばよかった。その方が買い直すのも手間がなかった。

 靴はおいくらだったでしょうと聞かれる。はっきりは覚えていないが、高いものではない。おそらく3980円くらいだと思います、と答えると、5000円札を出して来る。いえ、5000円はしてないと思います、これでは多いです、と言うと、買いに行く手間もあるでしょうから、これでいいんですと、5000円札を渡される。お金と靴を受け取り、帰ってくる。

 帰り途、よくよく見れば右側の靴の脇にゴムのようなものがびろんと張り付いている。おそらく開けてしまった穴を塞いだシリコンなのだろう。内側なので、さほど目立つものでもない。初めての壇上だったら、却下する代物だけど、三度目ともなると、案外誰も、壇上にどんな人が座っているかなんて、気にしていないことを知っている。ましてやどんな靴を履いているかなんて論外だ。明日はとりあえずこれでいいや、と考える。

 結局、あの後、役員の任期が終わるまで、壇上に私は十三回登った。周到に用意された万全な靴は常になく、シリコンゴムで穴を塞いだあの靴が、普段履かないものだからキズもつかずにピカピカのまま、靴箱の隅に残っていて、それで毎回、履き続けることになった。

  不憫な靴だと思う。まともに外を歩いたのは葬儀に行った一度だけなのだから。

初めて書いた小説です。小説とは言えないかも知れませんが。「不憫な靴」と「私」が重なって読んでもらえたら、バンザイです。真っ当にはいかない靴も私も、細々とみなさまのお役に立てたら本望です。

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