第2話:扶桑王国
ちょっと文章が雑になってしまいました。すみません。
<扶桑王国>
正式名は”日本領扶桑王国”。東南アジアの南洋諸島に存在する島、”南洋島”(なんようとう)と付近の島々を領土としている。
面積は約38万5千平方キロメートルと日本と比べてやや大きく、人口は約6000万人程度である。
主な産業は大きく分けて、漁業と観光、わずかにだが鉄鉱石などの鉱石などの海外輸出で占めている。
名の通り、日本の自治国で、1690年に織田信長によって統一された日本がほとんど無人のこの地(インドネシア系の先住民が少数ながらいた)に有力大名”遠月 明秀”ほか大勢の庶民や武士の家系の人間を移住させたがしばらくして明秀がこの地を独立させ自分の国を作ろうと目論み、現地の人々と協力して反乱を起した。これを1693年に起きた”遠月明秀の反乱”と呼ばれている。しかし、本国から派遣された織田軍(日本で初めての統合軍)によって鎮圧化されてしまった。それ以来、南洋島は織田家が管理することになり、事実上日本の領土になった。
しかし、1920年、”尾張国”から”日本皇国”と国名を改て、世界的にも無視できないほどの国力をなった日本から独立を果たそうと扶桑出身の青年将校がクーデターを起こした。
これを後に”4・11事件”と呼ばれた。
しかし、日本の反応は思いもしないものだった。第1次世界大戦中はヨーロッパの商品よりも日本製の商品が売れて経済が右肩上がりだったが、大戦が終結すると日本製品がボイコットされ、日本経済は下落し始めて植民地経営が困難になり始めた。そこで日本が考えたのが植民地を自治国として統治する連邦制を取ろうとした。
そんな事もあり、扶桑地域はおよび日本の植民地は自治的ではあるが独立を果たすことが、それから扶桑地域は1921年”日本領扶桑王国として独立できたのである。
時は変わりここは扶桑の地方都市”白河県 大月市”、ここは港町で軍港の町として栄えている。
ここ大月港ではお祭り騒ぎになっていた。それには理由があった。
「しかしいつ見ても爽快ですな」
「ええ」などと軍隊のお偉いさんらしき人物が会話している先には、空母が停泊していた。しかし、この空母はただ空母ではなかった。扶桑王国海軍初の正規空母”白鷺”である。
日本に要請して作ってもらった空母を扶桑が購入したのが白鷺である。
扶桑初の空母ということで港では観光客や地元民、軍の関係者が集まって、盛大な祭りが開かれていた(無論、ここは軍港。一般人が入れる所はごく一部である)
この空母のスペックは、
・排水量:26900t
・全長:261.2m
・最大速力:32.1ノット
・艦載機:艦上戦闘機・16機 艦上攻撃機:16機 艦上爆撃機・28機も計60機である。
北川はこの人ごみから外れていた、彼は人が混み合う中にいるのが嫌いだったからである。彼はもちろん白鷺を見なかったわけではなかった。
「なかなかいい空母だったな」などと”これから自分が乗る艦”に独り言をつぶやいて北川は大月港をあとにした。
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