路地裏のクマ・7
続きます。
7
髪の毛を伸ばそうと、思うんだけど。
『咲ちゃんは短いのが可愛いと思うけどな、オレ、ショートの子って好きだし』
「別に遼さんの意見なんか聞いてないもん」
遼さん、って、川本。
なんかこの頃、電話友達になってるっぽい。結構この人マメで、二日に一回は電話かけてくるし、メアド教えたら一日二十通はきてる。でも電話するよりメールのやりとりの方が楽、嫌だったら無視しとけるし、電話だとどうも鳴ったら出ないといけない気がしてどんな相手からのでもつい出ちゃうから。
でもメールも結構ちゃんと返してるな、あたし。
「髪伸ばしたいもん、大人ー! って感じになれそうだし」
『時間が経てば自然と大人になるんだから、今わざわざ大人っぽくする必要ないじゃんか』
「……一般論つまんない」
『髪伸ばしただけで大人になるって考えてるお子様よりはマシですー、でもマジで、咲ちゃんはあんまり長くない方が似合うよ、絶対』
「あたしが髪伸ばしたところ見たことないのに、適当言うな!」
でさ、今度の日曜とかって、と切り出されるから、あたしはごめんねって思いながら千里の名前を出す。友達入院してて、一番の友達だし、日曜は一日中お見舞いなの、って。でももうこれで断られるの三度目なんだから、気付いてよ、誘わないでって暗に言われてることに。はっきり言わないとダメなのかな、言外に察して、なんて。言外に察する、なんて頭良さそうな言い方、最近の原告の授業で習ったもんだからあたしは使いたくて仕方がない。行間に漂わせる、ってのも習ったけど、しゃべってるときは行間なんてないしな。
『咲ちゃんは友達想いだよなー』
「ちがうよ、そんなんじゃないけどさ、」
って、否定しそうになっちゃった、危ない危ない、たまにはお見舞い早く切り上げてじゃあボクと、なんて言われたらたまったもんじゃない。
川本はあたしの初体験の相手でもあるし、悪い奴じゃないって思うけど、でもふたりきりで出かけるとか恋人になってみるとか、そんなんじゃない。タカちゃんが好きだし、あたし。
この前、天気が悪かったからチャンスだと思ってタカちゃん家に行ったら、思ってた通り部屋の電気が点いてた。タカちゃーん、ってドア叩いて、中に入れてもらって。なんか久しぶりだねー、って言ったのにタカちゃんは、そうか? って首傾げただけだった。バレーの見学以来なのに、タカちゃんあたしに相変わらず興味なさ過ぎ。
久しぶりのタカちゃんの部屋はだけど前と何も変わってなくて、タカちゃんのお兄ちゃんが非常用に備蓄してあるカップ麺が減ってたのと、バレーの雑誌が増えてたことくらいしか取り敢えずの変化は見えなかった。
タカちゃんはあたしに、何しに来た、って聞かない。あたしはただそこにいるだけで、でもいてもいいって暗黙のうちに認められてるんだっていい方に捉えると嬉しくなる。邪魔にならないっていうのは、長く続く秘訣よね。お母さんが前に言ってた、結婚生活も長くなるとお互い邪魔にならない、干渉し過ぎない、そこに存在を一応認めておくっていうのが大事なのよ、って。一応、ってのがちょっと引っかかるけど。
タカちゃんはまたテレビを見てて、あたしはすることもなくて携帯をいじってた。いつもはそれで、あたしが声かけるまで会話なしなんだけど。珍しく、タカちゃんが声をかけてきた。思い出したみたいに。おい、って。
おいコグマ、って。
なに、ってあたし俊速でタカちゃんの方見て、やだ話しかけてきた! って大喜びだったんだけど。
川本はああ見えていい奴だからさ、なんて、続いて。
ガクーン。
なにそれ。
川本がお前に興味あるみたいだぞ、とか、この前わざわざふたりっきりにしてやったけどどっか行ったか、とかって聞かないでよ、ホテル行って祝初体験しちゃいました、なんて言えないでしょうが。言ってもタカちゃん、驚きもしないんだろうけど。哀しみもしないんだろうけど。怒ったりもしないんだろうな、あーあ、あたしが切なくなっちゃう。
それに、あたし達ふたりっきりにしたとか言って、本当はタカちゃんが由美さんとふたりになりたかったんじゃん、絶対そうなんじゃん。
タカちゃんとしゃべってると哀しくなることが多い、好きなのに、好きだから、些細なことで傷ついたり心が痛んだり、あたしのハートは押し傷だらけのバナナみたいよ、真っ黒よ?
『――でさ、タカが間違って、』
「えっ、タカちゃんが何?」
川本との電話に引き戻されて、いつの間にかタカちゃんの家に行ってたことを思い出してぼんやりしていた自分に気付く。タカ、の単語で反応してるし。
『あ、呆けてたな、聞いてなかったんだろうー』
「違うよ、今、ほら、お母さんから、呼ばれちゃって、ちょっと、」
『あ、そうなの? なんだって、用事聞いてこなくていの?』
「あー、あー、あー、うん、あの、お風呂空いたよって、うん、そんな感じの、」
どんな感じだよ、あたしの嘘ってボロボロだな。でも川本は騙されてくれて、そっか風呂か、なんて言う。あたしはさっきの、タカが間違って、の続きが気になるんですけど、もう聞けないのかしら、それ。
『入っといで、風呂』
「あー、うん、そうする」
嘘なんだけど。
川本、意外といい奴で、めげないし、あたしのこと可愛いとか言うし、なんでこいつじゃダメなんだろう。こいつにしとけば、あたしもハッピーライフが送れるだろうに、ちやほやしてもらって行きたいとことか欲しいものとか、そりゃ全部願いが叶えられる訳じゃないだろうけど、我儘だって言えるだろうし。
やっぱりすぐに手に入るものはありがたみがないのかな。そんな、失礼なことを思ってしまう。
それにしてもタカちゃんのフルネーム知らないのに、川本の名前は知っちゃったのって、あたしは誰が好きなのよ、って話だ。携番もメアドも、タカちゃんのは知らない。
「そりゃダメだよー、いくらいい人でもさ、ときめかないと意味ないし!」
って、だから川本のことを話してみた千里にもそう言われる。
あたしはここんところずっと千里とべったりで、ほとんど毎日病院にいる。
「それに咲は違う人好きなんだもん、妥協して付き合っても絶対どっかで苦しくなるって!」
恋愛の話になるとどうして女子って生き物は生き生きしてくるんだろう。
あと一週間でギブスを外せるかもしれない千里は、このところ元気だ。早く自分でトイレに行きたいって言ってる。今は、誰かに支えてもらってやっと、でもその前は尿道にチューブを入れて出してたっていうから、乙女がなんてことを! って恥ずかしいのと聞いてて痛くなってきちゃうのとであたしが赤面してた。
「でもさー、あたしがタカちゃん好きなように、タカちゃんは由美さん好きなんじゃん、しかも由美さんもまんざらじゃないとしたらさ、あたし不利じゃん」
「そんなの、相手おばさんなんでしょ? おばさんなんか敵じゃないよ、タカさんだって絶対結局は若い女のがいいって思うって!」
「でもさ、でもさ、若い女がいいって気付いたときにあたしがおばさんになってたらどうすんのよー」
「でもー、とか、だけどー、とか言わないの! 否定的だとダメだよー、物事も悪い方にしか進まなくなっちゃうもん」
千里はタカちゃんにも由美さんにも会ったことがないから、あたしが話すふたりそのまんまのイメージで受け取ってるんだろうけど、現実以上にあたしは由美さんのこと悪い印象で伝えちゃってるかもしんない。千里の頭の中で、由美さんはどれぐらいぶさいくなおばさんになってるんだろう。
「別に、川本と付き合おうとか思ってないよ、代わりにするとか嫌だし、でもタカちゃんのことはこのまま諦めちゃおうかなーって、」
「嘘つき、諦めようなんて思ってもないくせに」
目を細めて意地悪そうな顔を作って笑う千里に、あたしはうっと詰まって降参ポーズを取るしかない。
「諦めちゃダメだよ、とかって他人に言ってもらおうなんて考えるのは甘いよ、本当に嫌だったら自分でさっさと諦めるべきだもんね」
「うー、千里が厳しい……」
「咲は他人に左右される恋愛なんかして楽しいって思うの?」
「……思わない、」
でも、他人の存在であたしの恋愛は左右されちゃうじゃん、タカちゃんの気持ちは他人の方を向いてるじゃん。
あー、なんで好きって気持ちだけで終わらないの? あの人好きだ、そっかあたしはあの人好きなんだ、うふふ好き好きー、で終わっちゃわないの、どうして相手の気持ちもこっち向いてくんなきゃ嫌って思っちゃうの?
「恋に落ちるには理由が要らないけど、恋を手放すのには理由が要るんだよ、咲は理由を手に入れてないじゃん!」
千里は恋愛カウンセラーとかになれそうだよ、って、ちょっとあたしは遠い目をしちゃうけど。
「……由美さんの存在とか、タカちゃんが振り向いてくれないっていう理由が、」
「そんなの理由じゃなーい! そんなのは、自分が傷付きたくないからって逃げてるだけ!」
「か、勝ち目のない勝負なんて最初から分かってたらさー、」
「それでもタカさん好きなんでしょ? 逃げてどうすんのよ!」
病院生活は暇なんだな。外科病棟は結構人の入れ替わりが早いらしいし、似たような年の子はあんまりいなさそうだし、刺激も少ないだろうし。だから、千里の言葉はあたしのためってより、面白がってる節の方が大きい気が。
「逃げてなんか、」
「逃げてるって、だって咲はまだぶつかってないじゃん、タカさんに!」
「ぶつかる……」
そういえばあたし、タカちゃんに何か具体的に「あたしを見て!」的なことって何かしたっけ……。いつもタカちゃん家で、カップラーメン食べていいかって騒いでたり、ピザとかお寿司とかを配達してもらって食べてたり、テレビ見てるタカちゃんの後ろからあたしも画面見てたり、携帯いじってたり、タカちゃんが寝てるからあたしも隅っこでごろごろしてみたり、雑誌めくってみたり、お風呂掃除してあげるって勝手に部屋の中探索してみたり、窓の外眺めたり。……あたし、あんまりタカちゃんの前で意味のあることをしてないっていうか、自分ひとりでタカちゃんの一挙手一投足に一喜一憂したりしてるだけ?
好きとか言って拒絶されたら、とかの前に、あたし、何もしてないんじゃ?
「わーお、千里」
「わーお、咲。何よ?」
「あたし、バレーでも始めようかな?」
「はー? どっからその結論に至るのよ、訳分かんない!」
笑われてる、あたし。いや、タカちゃんと趣味を同じくするのって、でも強いかなって思ったんだけど。立場とか、気持ちとかの上で。
「トゥシューズ履いて? くるくるって?」
「あっ、それ違う、踊る方じゃなくてバレー、バレーボール!」
なんだ、って言いながらまだ、千里笑ってるし。脚固定されてるから笑うの大変なのよ、って笑い怒りしながらヒィヒィ言うのはどんなものかと。
今日もみつあみだから、可愛いね、って言ったら、頭洗えないから仕方ないのよ、って逆に怒られた。そのみつあみを揺らしてまだ笑ってる、千里。くそう、腹いせに長風呂してやる、今夜は延々とお風呂入ってピカピカに身体磨いてやる、髪だって三回くらい洗ってやるもんねーだ。
「ウケるー、想像したらおかしいー、マジ超ウケる! ――ぶふっ、」
あたしの顔見て咳き込むな。
「ごめん、ぶふふ、あー、ごめんごめん、でもなんでバレー? あ、タカさんがやってるから?」
「……うん、まあ」
「なるほどねー、でもさ、バレー始めてもそのライバルのおばさんは同じポジションでもっと親しい位置にいる訳じゃない? だったらさー、もっと別方面から行けばいいと思う、って、とりあえず告ったら?」
「ぎゃー! そ、そ、そ、そういうのはさー、なんか、うーん、」
もっと前の。タカちゃんと出会ったばっかりだったときの。無邪気さと女子高生にだけ許されるような、厚かましさだけで接していられたときのあたしだったら、言えちゃえてたかもしれないけど。
今は、多分ダメ、だって。
だって、なんでか分かんないけど、好きになりすぎてる。
タカちゃんのこと。
「あ、咲、」
顔真っ赤、って。
当たり前だよ、今無茶苦茶ほっぺ熱いもん、血が全部集中しちゃってる感じで、あっついもん病室はただでさえ室温高めに設定してあるんだけど。
「――好きなんだねぇ、」
「……うん、」
「じゃあさ、余計他の男なんかにかまけてるのはダメなんじゃない? タカさんへの好きの辛さを他の男で発散させてたりするのはさ」
川本のこと? 川本なんかで発散してないよ、でも、心のどっかではあるのかもしれない、タカちゃんがやさしくない分、川本から甘やかしてもらって当たり前、って。当たり前、とは言わないけど、バランスは取れてるかもしれない、とかって。
傷付きたくないもん。痛いのは嫌だもん。身体も、心も。
「失恋するって決まってるわけじゃないし」
「……あーあ、あたしも千里くらい可愛ければなー」
「熊井咲さん、それ、私に対する嫌味かしら?」
「まさか! って、あ、ごめん、」
可愛くても好きな人の子をお腹に宿しても、いらないって捨てられちゃう女の子がいて。
「ずっきーん、謝られたら余計心の傷が!」
「わあっ、ごめんっ、あっ、また謝っちゃって、ごめっ、あっ、あああっ!」
千里の傷はまだ癒えてないのに。身体のも、心のも。なのに、あたしのこと心配してくれてる。相談聞いてくれてる。あたしと千里は友達としてレベルアップしたような気がする、って言ったらきっとまた爆笑されるだろうから口には出さないけど。
「やだ咲、謝りループに突入してるよ、バッカだー、あはははは」
「くっ、悔しいー、なんかものすごく悔しいー、」
でも結局一緒になって笑っちゃったからあたしの負けだ。
まだぶつかってないじゃん、って千里の言葉が胸に残ってる。由美さんに嫉妬してるだけで、タカちゃんのつれなさに哀しんでばっかで、あたし、まだぶつかってない。タカちゃんに対する意味のない八つ当たりで、川本まで巻き込んでるし。処女じゃなくなったの、あたし、どっかで川本のせいに思ってた感じがある。非処女になりました、って、本当は友達にだって報告するもんじゃないよね、してもいいけどさ、好きな人として、ついにやりました! ならまだしも。
化粧だったら教えてあげるよ、って千里が言ってくれる。うん、髪も伸ばそうと思うんだけど、って言ったら、ちょっと考え込んだ顔をした。
「うーん、でも咲は長くない方がいいと思う」
「えー、なんで!」
「背、低いし。剛毛っぽいし。伸ばすより、短いままのが可愛いと思う」
「うっそー、大人っぽくなりたいんだけど」
髪伸ばしたからっていきなり大人っぽくはならないよ、って、千里は川本と同じようなこと言うし。あんまりみんなから伸ばすのは……って言われると、伸ばしたらすごく悪いみたいで切ないなー。
「あ、ねえ、今度そのタカさんとか川本さんだっけ、それとか、みんな会わせてよ、見てみたいよ」
千里が楽しそうに言ったけど、川本はいいとしてタカちゃんは会ってくれそうにないな、千里をアパートに連れて行くんならまだしも。だけどあたしは、うん機会があったらね、って言っておく。いつか、あたしの彼氏、ってタカちゃんを紹介してみたいもんだ。
「咲、頑張れ」
「うん? ああ、あーあー、うん、頑張る?」
疑問系の尻上がりなファイトを笑って、千里が、上手くいくといいねぇ、と呟いた。タカちゃんのことだろう。そう、まず告らないと。って、もう逃げ出したいけど。今更言えないよー、改まってなんて、しかも強力ライバル出現の後のじたばたって、意味なくない? あたし、勝ち目なくない? ああ、でもそうやって逃げちゃダメなんだな。
「恋愛の道は厳しい……」
「甘いのは見た目だけよ、今頃気付いたか、咲め」
「千里、師匠と呼ばせてもらうわー」
「出来の悪い弟子はいらーん」
ふたりで顔を見合わせて、大きな声で転げまわりそうな勢いで笑う。廊下を通っていたらしい看護師さんがノックして入ってきて、「楽しそうだけどもうちょっとトーン落としてねー」って言ってった。「あらー、ちょうど箸が転がっても楽しい年頃だもんねー」って付け足されて、はい! って返事したあたしを千里がもっと大きな声で笑った。




